【本編完結】水曜日の迷いごと

咲月千日月

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第一夜 - ①

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『ポォン』

 機械音のクセに無意味に可愛らしい音がして、目の前でゆっくりと旧式エレベーターの重い扉が左右に開いた。
 千紘はその音で少し緊張した面持ちになり、不安を追いやって基外に出る気持ちを無理矢理に固める。
 
 A棟校舎、十階。
 普段あまり踏み込むことのないこの階のエレベーターホールへ続く扉は、例えて言うなら、まるで異世界への入り口のようだった。
 各階同じ構造のはずのエレベーターホールが、なぜこうも違って見えるのだろうか。
 
 扉が開くと同時に、エレベーターの箱の中には外の気温よりもはるかに冷たい空気が素早く静かに流れ込む。コンクリート建物の中で逃げ場なく溜まっていた空気だ。
 それは、六月の始めにしてはちょっと温度が低すぎると感じるくらいの冷たさだった。

 その冷たさで、そうか、人の出入りがないから空気が動かないのだと千紘は思い至る。
 初夏の今より寒かった春が、ここに閉じ込められたままなのだ。
 そして同じに見えるはずの景色も、学生の色とりどりの姿がないだけでこんなに違って見えるのだ、と。

 一瞬、その空気の違いに千紘の体はひゃっと声を上げるように竦み、動きが止まりかけた。しかし決意に押されるように、千紘はそのままエレベーターからけだるそうに足を踏み出した。

 だがすぐ左右に等間隔に扉が並ぶ教職員専用階の薄暗い廊下を目の前にして、立ち止まって逡巡する。
 
(一之瀬先生、まだいるかなぁ…)

 現在、午後六時。
 本来のレポートの提出期限は昨日だった。自分の出した結論と理由付けに納得がいかなくて書き直していたら、日付が変わっていたのだ。
 
「…はぁ」

 我知らず、千紘は溜息をひとつつく。
 自分の書く結論なんてどうせ机上のものなのだから、ある程度のところで妥協して提出してしまえばよかった。今日何度もした後悔が、また襲いかかってきた。


 一之瀬は、週に一度水曜日にしか来ない准教授で、今日がその唯一の講義日だ。
 教えている科目名は倒産法、内容はその名の通り破産法や民事再生法という倒産にまつわる法律だ。
 その講義は、単位を取得するのが大変だと学生たちには囁かれておりしかも選択科目なのにも関わらず、不思議と人で一杯なのである。

 その理由はルックスにあると周囲は見ている。
 年齢はおそらく三十代中盤から後半位。身長は、百八十センチはあるだろう。すらっとしているのにダブルのスーツまで似合ってしまうという、目元のクールな出来すぎの感のある男である。

 当然女生徒の人気も高いが、温和な話し方で適度に問題を織り交ぜて解説していく講義は、一方的にしゃべり続ける学者先生よりもはるかにわかりやすい。ルックスもいい、教え方もうまいとなれば確かに人は集まるのだろう。

 しかし欠点もある。本業は弁護士なので、他の学者先生方と比べると色々と学生に厳しい。実務はこんなもんじゃないという言外の主張が激しいと、学生たちに陰で嫌味も言われている。
 期限経過のレポートなんて、受け付けてもらえるかも定かではない。

 という事で、言い訳なら直接本人にしたほうが良かろうと思って、千紘は教授室の並ぶこの薄暗いフロアに来た。
 


 千紘は建物の中央部分にあるエレベーターホールから出て、左右そしてさらに各奥まで見渡す。両側には規則正しくドアが並び、遠近法の見本よろしく廊下の奥が消滅点になっていた。
 左側の通路の奥に、灯りが見える。

 目の前のフロア案内のプレートには右が "1001から1007" 、左が "1008から1015" と表示されていた。
 目指す先は、左通路だ。

 
 ゆっくりと左に歩を進める。
 このフロアは一之瀬のような非常勤の教職員が多いため、左右にずらりと並ぶ部屋は静かなものだ。暗さが余計に古臭さを際立たせ、コンクリートの冷たさと無機質さを強調していた。

 各部屋の廊下に面した壁は、上下の五十センチほどが曇りガラスになっていて、在室していればそこから明かりが漏れ、陰気くさい廊下を少しはマシなものにする。実際、上の階に座する常勤教授たちのフロアはもっと明るく清潔感があった。 
 
 おそらく通路の一番奥だろう、上下から斜めに綺麗な線を描いて廊下に光を落としている部屋がある。
 明かりの漏れている部屋は一部屋だけだったので、かえってそこだけが妙に現実から浮いて見えるように千紘には思えた。

 A棟1015研究室。目指すべき場所だ。
 
(…あそこだな)

 どうやら目当ての先生は在室しているらしい。
 念のため、手前から部屋番号を確認して数えながら進んだ。

(1008、9……1013、14と……次だな)


【1015研究室 准教授 一之瀬水樹】


 ドア横についているプレートの名前を確認して、軽くノックした。

『コンコン』

 扉の金属質の鈍い音が鳴り、薄暗い廊下に消えていく。

「…んはっ…」

 扉の向こう側からノックの音に応えるように、かすかな声がした。

(……?)

 なんだかやけに甲高い変な返事だな、と千紘は首をかしげた。その後に続く返事はない。
 在室しているならば、普通なら “どうぞ“ とか、”入っていいよ“ とか、ドアを開ける許可があるはずだ。さもなくば、 ”ちょっと待って“ とか。
 
(声、したよな……今? 電話中、とか?)

 いるなら肯定でも否定でも、指示する返事くらいして欲しい。
 もう一度ドアを叩いてみる。今度は3回。
 
『コンコンコン』

 再び静かに、音が薄暗い廊下に吸い込まれていく。
 応答なし。
 
(仕方ない。ここは思い切って……)

『カチャ』

 ドアノブに手をかけ小さな音をさせてそっと回すと、開いた隙間から伺うように千紘は中を見た。


「………………!!!」

 覗いた千紘の動きが、一瞬にして凍った。
 ワケのわからない景色が広がっていたからだ。
 
 我が目を疑った。

 そこには男二人に抑えつけられて、あられもない姿になっていた一之瀬の姿態したいがあった。

 一人には、ソファーに張りつけられるように、上からかられていた。

 そいつに引き上げられたシャツで縛られた腕を押さえつけられ、大きなもう片方の手で口を塞がれて顔が赤くなっている。

 他の男は、一之瀬の足を抱え込むように押さえつけ、その下半身に顔を埋めている。

 一之瀬は、その男に下げられたであろうスラックスと下着…その間から覗くもの……あろうことか性器を、口でくわえられもてあそばれていた。

 
「………何、…やってるんだ!」


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