【本編完結】水曜日の迷いごと

咲月千日月

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第一夜 - ②

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 衝撃から我に帰ると、千紘は間髪いれず叫んで走り出していた。

 どうみても異常事態だ。

 手から持っていたレポートが零れ落ちる。鞄も一緒に迷わず手放した。

 突然の大声に振り向いた男達は、入ってきた千紘を唖然とした顔で見た。
 
「いっ、いや! その…!」

 一之瀬の口と腕を押さえていた大柄の男が口ごもる。
 責任転嫁を図ろうとしたのか、キッと鋭い目でもう一人の男を睨んだ。
 
「オマエ、鍵忘れたな! …ちっ!」

 舌打ちが終わらないうちに、背はそれなりに高そうだが先ほどの男よりは小柄で大人しそうな、ひょろっとした細い男が慌てて謝る。

「えっ?! ごめん…」

 謝る相手が違うだろうがと、冷静な平常時なら言いたくなっただろう。
 でも今は、男達のそんなやりとりは千紘の耳には入らなかった。

「どけよ!」
 
 千紘はソファーに到達すると、お前達の事情はどうでもいいというように有無を言わさず大柄男を引き剥がし、勢いよくその顔面を目指して思い切り殴りつけた。

 百七十センチには届かず目の大きい童顔の千紘は、小さい頃から女の子のようだと揶揄からかわれそのコンプレックスで空手を習っていた。だから普段は徹底して一般人は相手にしない。が、今はここぞとばかりに力を入れた。
 大柄男はガシャンと大きな音を立て傍らの観葉植物に勢いよくぶつかり、鉢と共に倒れた。
 
 倒れた男をそのままに、今度は事の成り行きに呆然としていたもう一人の小柄男を睨み、続けて殴りに掛かろうとした。
 危険を察知した小柄男は、うさぎのように素早く後ろに跳ね退く。
 なおも睥睨へいげいする千紘に、恐怖の表情を浮かべた。
 
「ちっ!」

 大柄男はまた舌打ちをすると、殴られた頬を押さえ、ふらつきながら立ち上がった。
 あの体格ならあの一撃を食らってもすぐ動けるのか、ならもっと遠慮しなければよかったと大柄男を見て千紘は思う。
 
「行くぞ!」

 大柄男は小柄男の方を見もせずに足早に駆け抜け、出て行った。
 千紘が入り口の方へ振り向くと、ドアが閉まる寸前に小柄男が追いつき、後を追いかけていった。

 
「先生!」

 千紘がソファーに目を戻すと、一之瀬が起き上がっていた。
 駆け寄ろうとすると、一之瀬は項垂うなだれたままシャツで縛られた両腕を胸のすぐ下辺りまで上げ、両手のひらを広げて停止するようポーズを作った。
 しばらくそのまま二人とも動かず、いや、お互いに動けなかった。

「……悪い。ほどいてくれないか」

 呪縛を解いたのは、かすれて低く響いた一之瀬の一言だった。

「はい」

 千紘は緊張で自分でも思いがけず早鐘のようになる心臓を、必死に押し隠し返事をした。
 無意識に握った右手で胸を押さえながら慎重に、近づこうと身体を動かす。

「その前に、椅子に掛かっている上着を取ってくれないか」

 一之瀬の要求のまま、千紘は踏み出した足をくるりと回り右させて、椅子からグレーのジャケットを外して取った。

「前に掛けてくれ」

 一之瀬があごをしゃくる。

「……さすがに、みっともないからな」
「あ……!」

 千紘は一之瀬のその言葉に、ハッとして動きを止めた。

「俺っ、気が利かなくてすみません!」

 勢いよく謝る。
 軽く持ち上げられただけのスラックスは、今にもまた肌蹴はだけそうだ。
 自分の頭の回らなさに、歯軋りしたくなった。

 
 片結びされたシャツを解くのは、なかなか大変な作業だった。
 結び目を広げたいのに、うまく指が引っかからない。おまけに結んである回数も多くて、あいつらは何回片結びしたんだ? と憤慨する始末だ。
 もたもたしていた千紘の頭上に、軽く吐息が掛かった。
 
「ふーっ………」

 溜息が、一之瀬の口から漏れた。

「す、すみません、痛かったですか?!」

 千紘は慌てた。
 一之瀬は千紘を見て、軽く首を横に振る。

「いや。……机の右、一番上の引き出しにはさみが入っているから」
「でも……」
「いいよ。切ってしまってくれ。早く開放されたい」
「……はい」

 千紘はすごすごと頷き、引き出しを開け、大きめの鋏を取って来た。

「じゃあ、切りますね。痛かったら、仰ってください」
「ああ、頼む」

(お願いだ。震えるな、手!)

 念じてそっと、鋏の先をシャツの間に滑り込ませた。
 ジョキッと布を切る音が鳴るのを聞くと、やっと心が落ち着いた。音を追いかけて、するするとその後を自然に手が動くようになった。

 一之瀬の肌を傷つけないよう細心の注意を払って、腕に沿ってシャツを切っていく。
 その間、一之瀬の様子を確認する余裕など千紘にはなかった。
 最後まで切り終わるとほっとして、今度は千紘の口から溜息が出た。
 
「……はーっ」
「悪かったな」

 声に釣られるように顔を上げると、一之瀬の顔が目の前にあった。

 瞳を覗きこまれ、目と目が合う。
 その瞬間、視線と共に何か他のものも一緒に惹きつけられ交錯したように、千紘は感じた。


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