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美黎

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自己肯定感

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しかしのしかし

「自分」というものを
 見つめることから始まる

この 自分への 旅


そうしてやってきた 巷で言う

「自己肯定感」という 言葉


それに俺は 文句を言いたいと思う


まずな?

「自己」「肯定感」

この 字面よ。

「自己」と言うのは勿論 「自分」の事だろう

そもそもまず

「自分」とは。

なんぞや。


 「それ」が 解らずして 始めるところじゃ
 無かろうよ

完璧に 解ってはいなくとも

「現時点での自分」は ないといかん

しかしのしかし

ここが問題

よく 諸外国と比べられる 「自己肯定感」だが

そもそもの 土台が違い過ぎやしませんかね?

グラウンドで走ったタイムと
砂場で走ったタイムを 比べられてる気分だ


そもそもがね?

ここ 我が国では

「自分」の「評価」を 決めるのは

「他人」であることから

物事考え始めないといけないんだよ。

そこが  「おかしい」んだ


そして「肯定感」  これな。

「肯定」というのは 「それでいい」と認めるという事

そもそもが「他人」からの「評価」で決まる
我が国からして

「自己」を「自分」で「肯定」すること

これが。

難しいのだよ。

お偉いさん方よ。

「親」「先生」「地域」とか
責任転嫁するの 辞めてもらえませんかね?

「社会」だよ

今 俺達を 決めつけているのは。


だから

「自己肯定感」という言葉は 我が国では
相応しくないんだ

言い換えるならば

「自分の立ち位置を決める力」 そんなもんかね?

まず 「自己」「自分」をよしとする為には

自分のことをよく知らなければならないが

そもそも「自分」とは。

「他者」との「比較」から派生する事柄であって
「自分」だけ では。

「自分」は「自分」足り得ないのだよ

そこのところ 解るかね?

世界に自分しかいなかったなら
「自己」を「肯定」しなくていいだろう?

ま そゆこと。


それでな

まずその「比較」だが

これが厄介で 他者と自分を比べる時に

「良い悪い」「上下」ではなく

ただ「事実」として 受け止める

それが大事だ。

背が高い 低い  これ どっちが良いとか
それ置いといて まず 事実、な。

そうして様々な事を

他者と比較をしたならば

「自分」の「立ち位置」を自分で決めるのさ



どのくらい背が高い
顔が気に入らない
あたまがそこそこ
金はまあまあ
知恵はあるけど
野望はない  とかな

まあ なんでもいい

それで。

自分の中での 「落とし所」を見つけるんだ


「全体の中での  ここら辺」的なやつな

それを 「自分」で 決めるんだ。


他者からの評価では無く

「俺ってこんだけアレだからそこそこ、この辺」

って。

自分で決めていい。


それで。
その「自分で決めた自分」で。

明日から生きていくんだ

自信を持って
胸を張って

開き直って?
今ならまだ そんな言い方になるかも知れんが


そのうち板についたなら
「それ」が わかるだろうよ

「自分の立ち位置」ってやつが な。

しかしな?

社会的な 立ち位置ではなく

自分で決めた立ち位置 って所が。

めちゃくちゃ重要だから
それを 忘れないように。


そう、自分で決めた 立ち位置ならば。

「そこ」に 自然と。

辿り着くものなのさ。


きちんと「自分」が 見れていたならね。

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