SIX RULES

黒陽 光

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第二条:仕事は正確に、完璧に遂行せよ。

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 ハリーが冴子と待ち合わせた場所は、学園から徒歩十数分程度と割と近い距離にある一件の喫茶店だった。勿論、この間ミリィ・レイスと待ち合わせしたあの馴染みの喫茶店とは違う。一度も入ったことのない、ハリーにとって初見の店だった。
 待ち合わせまでは多少時間があったので、ハリーはインプレッサを学園の近くに置いたまま、徒歩で此処までやって来ていた。折角だから、学園周囲の地形を直に歩いて頭に入れておきたかったのだ。周辺地図などは既に頭に叩き込んであるが、しかし実際に歩いてみるのとではまるでワケが違う。故に、ハリーは此処へ来るまでにかなりの遠回りをしてきていた。
 目的の喫茶店に近寄ると、広い駐車スペースに見慣れた銀の英国製スポーツカーが停まっている。'99年式TVR・サーブラウ・スピード6。あんな微妙にマイナーな外車を乗り回す奴なぞ、ハリーには一人しか思い当たる節が無い。
「あら、思ったより早かったわね」
 店に入れば、やはりというべきか既に冴子が待ち構えていた。当然だ、サーブラウなんかに乗って此処に乗り付ける奴、彼女ぐらいしか居ないだろう。
「これでも、随分と暇を潰した方なんだがな」
 珈琲を啜りながらにこやかに振り向く冴子にそう返しつつ、ボックス席で冴子の対面に座ったハリーはやって来た店員に自分も彼女と同じ珈琲を注文し、それが手元にやって来てから、それから漸く彼女との話を始めた。
「……それで、話ってのは?」
「貴方がこの間教えてくれた、"スタビリティ"が今回の案件に関わってるかもって件よ」
「俺じゃない」と、ハリーが即座に否定する。「突き止めたのはあくまでミリィ・レイスだ。俺はただ、又聞きを君に告げ口しただけに過ぎない」
「貴方経由で、って意味よ」
 そんな謙遜するような態度のハリーに冴子はクスリと小さく微笑み、コーヒーカップを手元のソーサーに置けば、タイトなスーツジャケットの懐から取り出したハイライト・メンソールの煙草を咥え、ジッポーで火を付け紫煙を燻らせ始める。それに倣い、ハリーもまた自前のマールボロ・ライトを吸い始めた。
「――――それで、あの後私たちの方でも調べてみたんだけど」
 一分にも満たない沈黙の後、一旦口から離したハイライト・メンソールの灰をテーブルの上の灰皿でトントン、と指先で叩いて落としつつ、冴子が神妙な面持ちで話を再び元の方向に戻す。
「どうやら、私たちが思ってる以上に厄介なことになりそうよ」
「どういうことだ?」ハリーが問う。すると冴子は「まずはこれを見て」と言って、用意していた封筒をスッとハリーの方へと手渡した。
 ハリーはそれを受け取り、中身を拝見する。中には多数の資料が収められていて、それにハリーが視線を落とし目を通している間に、冴子の方でも話を続けていく。
「腕利きの殺し屋が、続々とこの日本に集まってきている。中にはあの"ウォードッグ"も混ざっているそうよ」
「……アイツか」
 その"ウォードッグ"の名に、ハリーも聞き覚えがあった。丁度、資料も奴のことが記載されたページを開いている。ご丁寧に写真までクリップで挟まれて、だ。
 ――――ジェフリー・ウェン、通称"ウォードッグ"。香港出身で、現在ではフリーランスの殺し屋をやっている腕利きの男だ。
 奴は嘗て若かりし頃、とある香港ヤクザの特攻隊長として名を馳せていたと手元の資料にはある。武闘派で通っていて、香港時代だけでも殺した数は計り知れない。ウォードッグの活躍は1997年の香港返還まで続き、香港が英領から中国本土に復帰する直前、奴は国を出てフリーランスの傭兵になったそうだ。
 その後はレバノン、シリア、イラク、アフガニスタンと世界中、数え切れない程の戦場を渡り歩いては殺し続けてきた。"ウォードッグ(戦争の犬)"の異名も、その傭兵時代に付けられたモノだそうだ。
 体格は190センチを越える巨漢で、戦闘技術も至近距離での格闘戦から遠距離狙撃戦まであらゆるレンジに対応出来る柔軟性を持ち、かつ腕前は凄まじい。経歴とドデカい体格以外、特に交戦距離を選ばない柔軟性に関してはハリーに近いとも言える相手だった。
 当然、"ウォードッグ"の名は裏の拳銃稼業でもかなり名が通っている。故に、ハリーが彼の名を知っているのも当然のことだった。
「厄介だな」
 ウォードッグの資料を読み終えたハリーが、神妙な顔でそう呟く。呟きながら、灰皿に置いていた自分のマールボロ・ライトを咥え直した。こんな凄まじい話、煙草の一本でも吹かしながらじゃないと聞いていられない。
「これが後何人だ? "スタビリティ"の奴ら、どんだけ殺し屋をこの国に仕入れてやがる?」
「詳しい数までは、把握しきれないわ」と、神妙な顔で冴子。「でも、相当数が入ってきてるのには間違いない」
「奴ら、この国で戦争でも起こす気か」
「或いは、そうかもしれないわね」
 ハリーとしては冗談のつもりで言った言葉だったが、しかし冴子は思いのほか、シリアスな声音で同意の色を示してしまう。
「それと、もう一つ悪いニュースが」
「これ以上に悪いニュースがあるってのか? 冗談はよしてくれよ、冴子」
「いいから、聞いて」
 茶化すような口振りのハリーを強引に制し、それから冴子はかなり神妙な顔で話を進めた。
「…………それ以外にも、どうやら"スタビリティ"のボス、ユーリ・ヴァレンタインもこの国に入ってきているらしいの。ご丁寧に、愛人のジェーン・ブラント付きで」
「冗談だろ?」
 ――――ユーリ・ヴァレンタインが、"スタビリティ"のボスが直々に出向いてきている。
 その言葉を冴子の口から聞かされて、ハリーは唖然とするあまり、咥えていたマールボロ・ライトの煙草を思わず口から取り落としそうになってしまった。
「残念ながら、ジョークでも何でも無い、紛れもない事実よ」
 しかし、真実はあまりに非情で。公安の立場である冴子の口からキッパリそう告げられてしまえば、ハリーとしてもそれを事実と受け取らざるを得ない。
 ――――ユーリ・ヴァレンタイン。
 先に冴子が言った通り、国際犯罪シンジケート"スタビリティ"のボスの立場にある男の名だ。ロシア系二世のアメリカ人で、ハリーが持つ資料に添付されていた盗撮写真に映る顔は、いかにも東欧系といった風貌の二枚目半な男の顔だ。
 そして、その愛人がジェーン・ブラント。長いプラチナ・ブロンドの髪とモデルのようなほっそりとした体型は、どちらかといえばブロードウェイでも歩いていた方がよく似合うといった感じだ。
 しかし、資料には二挺拳銃の名手と記されている。制御の難しいマシーン・ピストルを両手で使いこなし、ヴァレンタインに害を為す者を数多く葬ってきたそうだ。ちなみにマシーン・ピストルというのは、フルオート(連射)だったり三発連続発射の三点バースト機構が組み込まれていたりする拳銃のことだ。日本語にすれば、機関拳銃といったところか。有名どころではオーストリアのグロック18Cだとかイタリア・ベレッタ社製のモデル93R、旧ソ連製のスチェッキンなどがある。
 どちらにせよ、マシーン・ピストルは制御が難しい玄人くろうと向けの装備だ。一挺でも扱いが面倒くさいそれを、あろうことか二挺拳銃で自在に振り回す女、ジェーン・ブラント。どう考えても、彼女もかなりの脅威になりそうな予感だ。
「まさかまさか、って話よね、ホント」
 ハリーが一通り資料に目を通し終えたのをチラリと見ると、冴子はハイライト・メンソールの煙草を吹かしながら、呆れたような、辟易したような声を漏らす。
「しかし、解せない」
 そんな冴子をチラリと見つつ、短くなったマールボロ・ライトの吸い殻を灰皿へ押し付けながら、ハリーが神妙な顔で呟いた。
「日本なんてこんな極東の島国、言っちゃあ悪いが田舎も田舎だ。世界を飛び回るドデカい国際的な犯罪シンジケートが、何故そこまで本腰を入れてきている? 悪いが、そこまでのモノが彼女に――――園崎和葉にあるとは、とても思えない」
「それは……」
 何かを言おうとして、しかし冴子は直前で言い淀み、口を濁す。彼女が何かを知っているのは、和葉が狙われ、"スタビリティ"が此処まで本気で動く理由が何かを知っているのは、最早明らかだった。
「いい加減に教えてくれ、冴子。
 ――――彼女には、和葉には。一体全体、どんな秘密があるっていうんだ?」
 真剣な眼差しで冴子の瞳を見据えながら、ハリーが改めて問いただす。
 しかし、冴子はバツが悪そうに視線を逸らすのみで。ハリーと視線を通わせないまま、ただ一言「……まだ、答えられない」とだけ言った。
「冗談じゃない、こっちは命を張ってるんだ」
「答えられないものは、答えられないの。……話すべきときが来たら、ちゃんと貴方にも話すから」
 そんな冴子の言葉に、ハリーはチッと小さく舌を打ちながら、「話にならない」と言って新しいマールボロ・ライトの煙草を咥える。この苛立ちを、少しでも紫煙で和らげたかった。
「ルール第五条は、仕事対象に深入りしないんじゃなかったかしら?」
「ああそうだ、ルール第五条、仕事対象に深入りはしない。
 ――――だがな冴子、冗談じゃないぜ。第五条? いいや、これには当てはまらないね。護衛対象が何の脅威に晒されているか、そしてその原因は何なのか。ルール第二条に従い、完璧な仕事を遂行する上で、それを知ることは必須条件だ。
 …………まして、相手があの"スタビリティ"であるのなら、尚更」
 だが、冴子はやはり「……ごめんなさい」と詫びるのみで、一向にハリーの問いには答えようとはしなかった。
「それでもまだ、貴方には言えない」
 彼女がこんな答えを出してくることは、ある意味で最初から分かっていることだった。分かっていることだし、冴子の立場も理解しているつもりだが、しかしハリーはそれでも、沸き立つ苛立ちを抑えきることが出来ない。完璧な仕事を遂行する上で、己のルールに従う上で障害となることに、どうしても苛立ちが抑えきれないでいた。
「……本当に、話にならない」
 最早苛立ちすら通り越し、呆れ返るハリー。するとそんな折、唐突にハリーのスマートフォンに着信が入り、懐でプルプルと小刻みに震え始めた。
 誰かと思って、ハリーが「悪い、電話だ」と冴子に一言詫びてから、懐よりスマートフォンを取り出す。ディスプレイに表示されていた着信相手は、意外なことにミリィ・レイスだった。
「どうした、ミリィ?」
 このタイミングでの電話を少しばかり不審に思いながら、声音を普段通りの色に作り直してミリィの電話に出るハリー。すると、スピーカーから飛び込んで来たミリィの声音は、今まで聞いたことが無いほどにシリアスな色をしていた。
『緊急事態発生だ、ハリー・ムラサメ。
 ――――彼女の学園で、かなり厄介な事態が起ころうとしている』
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