SIX RULES

黒陽 光

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第六条(下):――――己が信ずる信条と正義に従い、確実に遂行せよ。

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 僅かだけの時間を遡り、ほんの少し前のことだ。
「出てくれよ、ミリィ……!」
 拾い集めた敵の武器類を背負い、屋敷の脇にある大きなガレージの中を歩きながら、ハリーはスマートフォン片手に電話を掛けていた。
「ミリィ・レイスか?」
 一定間隔の信号音しか聞こえなかったスピーカーから電話の繋がった感触を覚えれば、ハリーは相手の声も聞かないまま、焦燥に満ちた声色で問いかける。
『……君の要件は分かってる、皆まで言わなくていい』
 そうすれば、電話に出た相手――――ミリィ・レイスも何故か状況を概ね把握しているらしく、挨拶もそこそこにハリーへ言い返してくる。そんなミリィの語気は相変わらずクールの一言で、落ち着いた彼女の声音を聞くと、焦燥に支配されたハリーの心も少しだけ落ち着きを取り戻していた。
『彼女の位置情報は既に追跡を開始してる。冴子にも連絡済みだ』
「助かる」
 頷きつつシャッターを上げ、そしてハリーはガレージの中を見渡した。フェラーリにポルシェ、ロールスロイスにベントレーなどの高級車が立ち並ぶ中、ハリーはすぐにお目当ての黒く背の低いスーパーカーを見つける。
『後は、僕の誘導に従って車を走らせれてくれ。……出来るね?』
「誰に物を言ってる?」
 見つけ出したお目当てのスーパーカー――――黒のランボルギーニ・ムルシエラゴ・ロードスターの助手席へと確保した武器類を放り込みながら、ハリーが不敵な笑みを浮かべる。
「ルール第二条、仕事は正確に、完璧に遂行せよだ」
『第五条の、深追いはしないって奴に抵触してる気はするけどね』
 呆れたようなミリィの声をスマートフォンのスピーカー越しに聞きながら、ハリーは車の反対側に周り、ガルウィング――正確にはシザース・ドアというらしいが――式のドアを跳ね上げながらムルシエラゴ・ロードスターのコクピット・シートに滑り込む。タルガトップに近いような布張りの幌屋根は外されていて、座った感じは正にオープンカーだ。
『まあ、細かいコトは。それよりハリー、急いだ方が良いよ。彼らは恐らく、空港を目指してる』
「高飛びか」
『恐らくはね。ヴァレンタインのプライベート・ジェットも確認してるし、高飛びでほぼ間違いないと思う』
 電話越しにミリィと頷き合いながら、ハリーはムルシエラゴのエンジンを始動させようとする。
「頼むぜ、良い子だから掛かってくれよ……!?」
 祈るように呟きながら始動させると、そんなハリーの背中のすぐ後ろ、ミッドシップ配置にされた排気量6.2リッターのV12エンジンが獰猛な雄叫びを上げて目覚める。金色に輝くランボルギーニのエンブレムに恥じず、その雄叫びは猛牛のようだった。
『あくまで僕の予想だけれど、彼女はきっと、無事に飛び立つまでの盾だ』
「盾?」
『君に対する、ね……。ユーリ・ヴァレンタインにとって彼女は、園崎和葉はとっくに用済みの筈だ。それを未だ後生大事に連れ回しているということは』
「君の言う通り、無事に高飛びするまでの俺に対する盾代わりだろうな。用が済み次第、始末する使い捨ての」
『とにかく、急ぐんだハリー・ムラサメ。今ならまだ、ギリギリ間に合う』
「了解だ。幸いにして、クララがランボルギーニのキーをくれた。今からコイツで追いかける」
 トントン、とムルシエラゴのステアリングを軽く指先で叩きながらハリーが言えば、するとミリィは『クララが?』と驚いたような、至極意外そうな声を上げる。それにハリーは「ああ」と頷いて、
「クララはもう、"スタビリティ"から離反した。少なくとも敵では無くなった……と、思いたい」
『……そうだね。もう、敵であって欲しくないよ』
「全くだ」
 そんな言葉をミリィと交わしつつ、ハリーは左耳に小振りなインカムめいた機器を嵌め込んだ。スマートフォンと無線接続されているハンズフリー通話用のインカムだ。これがあれば、わざわざスマートフォンを片手で持ちながら運転する羽目にはならない。
『とにかく、急ぐんだ。空港に到着するまで、もうそこまで時間的余裕が無い……』
「分かってるさ」
 小さな笑みを浮かべながら、ハリーはムルシエラゴのサイドブレーキを解除。オートマチック・ギアをドライヴへと入れ、マニュアル操作モードにする。これで後は、ギアの上下変更はステアリングのすぐ後ろに生える一対のパドルシフトを指先でチョイチョイ、と弾いてやるだけで可能だ。
「ルール第一条、時間厳守。ここぞという時に、これを破る気はない」
 不敵な顔でそう言いながら、ハリーはアクセル・ペダルを右足で踏み込んだ。獰猛な雄叫びとともに猛然とした勢いで走り出すのは、戦闘機のようにシャープなシルエットをした漆黒の暴れ牛。ステアリングを握る手で右へ左へと暴れる猛牛を軽々と御しつつ、ミリィの誘導に逐一従いつつ、ハリーはまどろむ夜明け前の薄暗い中をヘッド・ライトの鋭い光で切り裂きながら突っ走っていく。ただ、彼女を取り戻さんが為に……。
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