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第六条(下):――――己が信ずる信条と正義に従い、確実に遂行せよ。
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「くそぉっ!!」
立ち上がり、踵を返して涙目で駆け出したヴァレンタインの足元に、吹き飛ばすみたいな強烈な弾痕が生じる。管制塔の方から一瞬遅れて聞こえてくる銃声。しかしその一撃で捉えきれなかったのが痛かったのか、冴子が次の一発を撃つ前にヴァレンタインは管制塔の死角へと入ってしまう。
「チッ……!!」
それを見てグロック34を構え直したハリーだったが、上手く障害物に遮られて撃てない。やっとヴァレンタインの背中を見つけて何発か撃つが、しかしその頃になると距離が開きすぎて、とても拳銃で届くような距離では無くなっていた。
『ハリー、ヴァレンタインはもういい! それより、"ワルキューレ・システム"の方を何とかしないと……!』
点々と血痕を地面に落としながら遠ざかっていくヴァレンタインの背中を、舌打ちをしながらハリーが見送っていると。そんなミリィの声が左耳のインカムから聞こえてくるものだから、ハリーは「了解だ」と不機嫌そうに頷き返した。
「ハリーっ!!」
そうすると、グロックを腰のホルスターに収める間もなく、和葉が駆け寄ってきた。胸に飛び込んで来るような勢いの彼女を、そのままハリーは抱き止める。
「済まなかった、怖い思いをさせて」
安堵したのか、その場にへたり込む和葉に合わせて自分もまたしゃがんでやりつつ、彼女を安心させるように背中をポンポン、と軽く叩きながらでハリーが囁きかけた。すると和葉は「ううん」とハリーの胸に顔を埋めながら首を横に振って、
「でも、貴方は助けに来てくれた。……ちゃんと、貴方のルールに従って」
そんな言葉を続けながら、顔を上げて眼を合わせてきた。見下ろすハリーの視線と、見上げる和葉の涙ぐんだ紅い瞳からの視線とが交錯する。
「第一条、時間厳守には反してる。……遅くなって済まない、和葉」
「いいのよ、別に……」
再び胸の中に顔を埋めれば、和葉は「はぁ……っ」と心の底から安堵したような溜息を漏らす。そんな和葉の肩から、あからさまに力が抜けていくのが分かる。
『……ハリー』
「分かってる」
再びインカムから聞こえてくるミリィの、何処か遠慮気味な呼び掛けに小さく頷いてやると、ハリーは「和葉、ちょっと来てくれ」と言って彼女の身体を引き起こす。
「まだ、最後にやらなきゃならないことがある」
「やらなきゃ、いけないこと……?」
「ああ」和葉の身体を支えて立ちながら、頷くハリー。「"ワルキューレ・システム"を、止めなきゃならん」
そうして、和葉を連れてハリーはリムジンの方へと戻り。そして後部のドアを開けると、リムジンに積みっ放しだったヴァレンタインのノートパソコン、パナソニック製のタフブックを引っ張り出し、それを開く。スリープ状態から立ち上がると、"ワルキューレ・システム"の制御プログラムは開きっ放しだった。
「さて、此処からどうするべきか」
独り言を呟きながら、ハリーはタフブックの脇に自分のスマートフォンを置く。左耳のインカムは電源を切って耳から外し、通話を繋げたままのスマートフォンはスピーカーモードにしてやる。こうすることで、ミリィの声が和葉にも聞こえるはずだ。
「これが……?」
「どうやら、例の"ワルキューレ・システム"らしい。……というか、何故君が知ってる?」
「ご丁寧に教えてくれたのよ」と、和葉。「あのヴァレンタインとかいう男がね」
「なるほど、納得だ」
頷きながら、ハリーはキーボードを叩く。だが流石のハリーもコンピュータ関係に関しては素人に毛が生えた程度、すぐに何をして良いものか分からなくなる。
「ミリィ、次はどうすりゃ良い!?」
そうすれば、後はプロフェッショナルであるミリィ・レイスに指示を仰ぐしかない。ハリーが怒鳴りつけるように言うと、『任せてくれ』というミリィのクールで自信ありげな声がスマートフォンのスピーカーから木霊する。
『こっちからも延々とアタックは掛けてるけど、大したことは出来ない。何せ、独自OSを使ってるみたいだからね。外部からの侵入は難しい』
「だったら、俺にどうしろと!?」
『ケーブルは持ってるかい? 君のスマートフォンを介して、システムのメインフレームに直接侵入を掛けてみる』
ミリィに言われた通り、タフブックのUSBポートとスマートフォンとを短いケーブルで接続してやる。その頃になって、ハリーは何故かタフブックのUSBポートに小さなマイクが接続されていることが気になった。
「奴は、声紋認証がどうのとか言ってたな…………」
そんなことを、ヴァレンタインが言っていた気がする。ともすれば、きっとこのマイクは認証用の物だろう。
『……オーケィ、まずは扉を叩く』
そうしていれば、ミリィが"ワルキューレ・システム"の中枢への侵入を開始する。頼みの綱は、もう彼女しかいない。
『随分とガードの硬い娘だね。流石は"ワルキューレ"といったところかな……?』
「馬鹿なこと言ってないで、早くしてくれ」
『分かってるよ、ハリー。そう焦らせないで。……よーし、良い子だ。僕の前に全てさらけ出すんだ、子猫ちゃん……!!』
と、ミリィの妙な独り言を聴きながら待つこと数分。しかし次にミリィの口から出てきたのは、『クソッ!!』という苛立ちの声だった。
「ど、どうした!?」
『どうしたもこうしたもあるもんか、クソッ。あまりにもガードが硬すぎる、バックドアがあるとか無いとかそういう次元じゃない、外部からだと物理的に突破不可能だ』
「どういうことなの……?」
今まで傍観していた和葉が、困ったような顔で口を挟んでくる。するとミリィは『……園崎和葉、君なのか』と彼女に言った。
「え、ええ。そういう貴女は、もしかしてミリィ・レイス?」
『よく知ってるね』
「時々、ハリーの口からその名前が出てたからね」
『お互い、彼を通じて名前だけは知ってたってワケだ』
「そうみたいね」
和葉とミリィ、二人揃って小さく笑い合うと、その後で『……じゃあ、和葉』とミリィが改めてシリアスな声色で呼び掛けて、
『今の状況を簡潔に説明すると、完全に手詰まりだ。"ワルキューレ・システム"は外部からの接続を完璧に拒み、マスターに設定されたユーリ・ヴァレンタインと、彼の許したごく一部の権限を持つ者以外は完全に弾かれてる。例えるなら、折角寄ったレストランに準備中の札が掛かってて、店の中に入ることも出来ないといった感じかな?』
「そ、それで、貴女は私にどうしろって……?」
戸惑う和葉に『ミリィでいいよ』と言うと、ミリィはこほん、と小さく咳払いをしてからその疑問に答える。
『単刀直入に言おう。和葉、君の力が必要だ』
「わ、私の?」
『ああ』頷くミリィ。『君の母親、園崎優子からきっと何かヒントになるようなことを聞いている筈だ』
「ママから……?」
『緊急用のマスターキーを、わざわざペンダントって形で娘の君に預けるようなヒトだ。そんなヒトなら、きっと緊急停止用のマスターコマンドを仕込んでいる筈なんだ』
ミリィがそう言うと、タフブックのディスプレイの中で幾つものウィンドウが勝手に動き、現れては消えて。そして最後に、中央にデカデカと一つのウィンドウが現れた。真っ黒な画面の中に、幾つもの数字とアルファベットだけが並ぶ、パッと見でプログラム用のウィンドウだと分かるモノだ。
『何か、思い付いたキーワードを打ち込んでくれ。後のことは僕が手伝う』
「思い付いたって、そんなこと言われても……!?」
とりあえずタフブックの前に座りながら、そのキーボードの上へと手だけは置いてみる和葉だが、何を打ち込んで良いものかまるで見当が付かない。
(な、何をどうしろってのよ……!?)
思い付いたキーワードを叩き込んでいく。母の名前、父の名前、生年月日、よく言っていた口癖、エトセトラ、エトセトラ……。
しかし、何度思い付いたワードを打ち込んで、それをミリィの手助けで"ワルキューレ・システム"の中枢である人工人格"ブリュンヒルデ"の制御系へと叩き込んでも、しかし弾かれるばかりでウンともスンとも言わない。何を打ち込んだところで、母が造り上げた史上最強の諜報システムは、実の娘である和葉に対して、何も反応してはくれない。
「ああもう、分からないわよ、こんなのっ!!」
遂に和葉はどうすれば良いか分からなくなって、混乱状態に陥った挙げ句にそう叫んでいた。バクバクと高鳴る心臓の鼓動だけが、早くしろと和葉自身を追い立ててくる。
『しかし、君が諦めたら……!』
「分かんない、分かんないわよ、こんなのっ! どうすれば良いかなんて、どうしたら良いかなんて! そんな……そんなの、分かるワケないじゃないっ!!」
「和葉、君なら出来る!」
錯乱する和葉の肩に手を置きながら、説得するようにハリーが語り掛ける。
「でも……!」
「自分を信じろ、信じるんだ! 小汚い奴らの手から、取り戻すんだろ!?」
「だからって、どうしろって言うのよ……っ!」
「取り戻すんだ、君が! ――――世界の命運を変えられるのは、和葉! 君だけなんだ……!!」
「っ!?」
――――世界の、命運。
きっと、ハリーにとっては何気なしに、これといった意図も無く放った言葉だったのだろう。しかしその一言が、和葉に遠い記憶を、遠い遠い昔の記憶を隆起させる切っ掛けとなった。
「もしも、和葉が独りぼっちになった時が来たら。もしも、私たちのことで何か変なコトに巻き込まれたら。その時は、出来れば思い出して欲しいな」
それは、遠い昔に、何かの拍子に母が言っていた言葉。何の気無しに、日常の延長線上のように。単なるありふれた取り留めの無い言葉の端に、幼き自分へ母が言っていた言葉。
「――――和葉。貴女そのものが、最後に扉を開く鍵だから」
忘れていた――――。優しい手で頭を撫でてくれていた母が言っていた、その言葉を。
「っっっ!!!」
途端に、和葉は一心不乱にキーボードを叩く。
『思い出したのかい!?』藁にも縋るような思いで、ミリィが問う。
「思い出したのか!?」ハリーもまた、肩に手を当てたまま、眼を見開いて和葉に問いかけた。
「分かんない、分かんないけど……!」
打ち込むワードは、単純な文字列。アルファベットでただ、"kazuha sonozaki"と。
「分かんないけど、でも信じてみる! 私自身と、ママの言葉が嘘じゃないってことを!」
そして、エンターキーを叩く。
『イチかバチか、君に賭けてみるのもまた一興!』
ミリィを経由し、そのワードは中枢システム"ブリュンヒルデ"へと送られる。
『チッ、これも駄目か……!』
――――ウィンドウに映るのは、"disagree(不一致)"の一文字。電話口の向こうでミリィが、そして隣でハリーが肩を落とす。
「まだよ、まだもう一つある……!」
だが、彼女だけは。和葉だけは、未だ諦めてはいなかった。
(これで駄目だったら、ホントに八方塞がりね)
そんなことを思いつつも、キーボードを叩く手は止まらない。そんなことを思いつつも、しかし和葉は確信していた。これで間違いないと、母の仕込んだ最後の仕掛けは、これで間違いないと。
打ち込むワードは、"sonozaki kazuha"。先程の奴の名前とファミリーネームを入れ替えただけだ。こんな単純な組み合わせの違いだけ。だが、和葉には確信があった。これで、間違いないと……。
「いっけぇぇぇぇぇぇ――――っ!!!」
和葉の指が、エンターキーを叩く。
それから訪れるのは、暫くの静寂。ハリーも和葉も、冷静沈着なミリィでさえもが、小さく息を呑んだ。
「……やったか?」
沈黙に耐えきれず、ハリーが呟く。『その言葉は失敗パターンだ、縁起でも無いからやめてくれ』とミリィがマジなトーンで言い返した。
「大丈夫よ、きっと……」
和葉がそう呟けば、そして遂にウィンドウに新たな表示が現れる。
――――"agree(一致)"と。
「やった……」
それを見た途端に安堵し、バタリと尻餅を突いてへたれ込む和葉は、体中から一気に力が抜けていくのを感じていた。
立ち上がり、踵を返して涙目で駆け出したヴァレンタインの足元に、吹き飛ばすみたいな強烈な弾痕が生じる。管制塔の方から一瞬遅れて聞こえてくる銃声。しかしその一撃で捉えきれなかったのが痛かったのか、冴子が次の一発を撃つ前にヴァレンタインは管制塔の死角へと入ってしまう。
「チッ……!!」
それを見てグロック34を構え直したハリーだったが、上手く障害物に遮られて撃てない。やっとヴァレンタインの背中を見つけて何発か撃つが、しかしその頃になると距離が開きすぎて、とても拳銃で届くような距離では無くなっていた。
『ハリー、ヴァレンタインはもういい! それより、"ワルキューレ・システム"の方を何とかしないと……!』
点々と血痕を地面に落としながら遠ざかっていくヴァレンタインの背中を、舌打ちをしながらハリーが見送っていると。そんなミリィの声が左耳のインカムから聞こえてくるものだから、ハリーは「了解だ」と不機嫌そうに頷き返した。
「ハリーっ!!」
そうすると、グロックを腰のホルスターに収める間もなく、和葉が駆け寄ってきた。胸に飛び込んで来るような勢いの彼女を、そのままハリーは抱き止める。
「済まなかった、怖い思いをさせて」
安堵したのか、その場にへたり込む和葉に合わせて自分もまたしゃがんでやりつつ、彼女を安心させるように背中をポンポン、と軽く叩きながらでハリーが囁きかけた。すると和葉は「ううん」とハリーの胸に顔を埋めながら首を横に振って、
「でも、貴方は助けに来てくれた。……ちゃんと、貴方のルールに従って」
そんな言葉を続けながら、顔を上げて眼を合わせてきた。見下ろすハリーの視線と、見上げる和葉の涙ぐんだ紅い瞳からの視線とが交錯する。
「第一条、時間厳守には反してる。……遅くなって済まない、和葉」
「いいのよ、別に……」
再び胸の中に顔を埋めれば、和葉は「はぁ……っ」と心の底から安堵したような溜息を漏らす。そんな和葉の肩から、あからさまに力が抜けていくのが分かる。
『……ハリー』
「分かってる」
再びインカムから聞こえてくるミリィの、何処か遠慮気味な呼び掛けに小さく頷いてやると、ハリーは「和葉、ちょっと来てくれ」と言って彼女の身体を引き起こす。
「まだ、最後にやらなきゃならないことがある」
「やらなきゃ、いけないこと……?」
「ああ」和葉の身体を支えて立ちながら、頷くハリー。「"ワルキューレ・システム"を、止めなきゃならん」
そうして、和葉を連れてハリーはリムジンの方へと戻り。そして後部のドアを開けると、リムジンに積みっ放しだったヴァレンタインのノートパソコン、パナソニック製のタフブックを引っ張り出し、それを開く。スリープ状態から立ち上がると、"ワルキューレ・システム"の制御プログラムは開きっ放しだった。
「さて、此処からどうするべきか」
独り言を呟きながら、ハリーはタフブックの脇に自分のスマートフォンを置く。左耳のインカムは電源を切って耳から外し、通話を繋げたままのスマートフォンはスピーカーモードにしてやる。こうすることで、ミリィの声が和葉にも聞こえるはずだ。
「これが……?」
「どうやら、例の"ワルキューレ・システム"らしい。……というか、何故君が知ってる?」
「ご丁寧に教えてくれたのよ」と、和葉。「あのヴァレンタインとかいう男がね」
「なるほど、納得だ」
頷きながら、ハリーはキーボードを叩く。だが流石のハリーもコンピュータ関係に関しては素人に毛が生えた程度、すぐに何をして良いものか分からなくなる。
「ミリィ、次はどうすりゃ良い!?」
そうすれば、後はプロフェッショナルであるミリィ・レイスに指示を仰ぐしかない。ハリーが怒鳴りつけるように言うと、『任せてくれ』というミリィのクールで自信ありげな声がスマートフォンのスピーカーから木霊する。
『こっちからも延々とアタックは掛けてるけど、大したことは出来ない。何せ、独自OSを使ってるみたいだからね。外部からの侵入は難しい』
「だったら、俺にどうしろと!?」
『ケーブルは持ってるかい? 君のスマートフォンを介して、システムのメインフレームに直接侵入を掛けてみる』
ミリィに言われた通り、タフブックのUSBポートとスマートフォンとを短いケーブルで接続してやる。その頃になって、ハリーは何故かタフブックのUSBポートに小さなマイクが接続されていることが気になった。
「奴は、声紋認証がどうのとか言ってたな…………」
そんなことを、ヴァレンタインが言っていた気がする。ともすれば、きっとこのマイクは認証用の物だろう。
『……オーケィ、まずは扉を叩く』
そうしていれば、ミリィが"ワルキューレ・システム"の中枢への侵入を開始する。頼みの綱は、もう彼女しかいない。
『随分とガードの硬い娘だね。流石は"ワルキューレ"といったところかな……?』
「馬鹿なこと言ってないで、早くしてくれ」
『分かってるよ、ハリー。そう焦らせないで。……よーし、良い子だ。僕の前に全てさらけ出すんだ、子猫ちゃん……!!』
と、ミリィの妙な独り言を聴きながら待つこと数分。しかし次にミリィの口から出てきたのは、『クソッ!!』という苛立ちの声だった。
「ど、どうした!?」
『どうしたもこうしたもあるもんか、クソッ。あまりにもガードが硬すぎる、バックドアがあるとか無いとかそういう次元じゃない、外部からだと物理的に突破不可能だ』
「どういうことなの……?」
今まで傍観していた和葉が、困ったような顔で口を挟んでくる。するとミリィは『……園崎和葉、君なのか』と彼女に言った。
「え、ええ。そういう貴女は、もしかしてミリィ・レイス?」
『よく知ってるね』
「時々、ハリーの口からその名前が出てたからね」
『お互い、彼を通じて名前だけは知ってたってワケだ』
「そうみたいね」
和葉とミリィ、二人揃って小さく笑い合うと、その後で『……じゃあ、和葉』とミリィが改めてシリアスな声色で呼び掛けて、
『今の状況を簡潔に説明すると、完全に手詰まりだ。"ワルキューレ・システム"は外部からの接続を完璧に拒み、マスターに設定されたユーリ・ヴァレンタインと、彼の許したごく一部の権限を持つ者以外は完全に弾かれてる。例えるなら、折角寄ったレストランに準備中の札が掛かってて、店の中に入ることも出来ないといった感じかな?』
「そ、それで、貴女は私にどうしろって……?」
戸惑う和葉に『ミリィでいいよ』と言うと、ミリィはこほん、と小さく咳払いをしてからその疑問に答える。
『単刀直入に言おう。和葉、君の力が必要だ』
「わ、私の?」
『ああ』頷くミリィ。『君の母親、園崎優子からきっと何かヒントになるようなことを聞いている筈だ』
「ママから……?」
『緊急用のマスターキーを、わざわざペンダントって形で娘の君に預けるようなヒトだ。そんなヒトなら、きっと緊急停止用のマスターコマンドを仕込んでいる筈なんだ』
ミリィがそう言うと、タフブックのディスプレイの中で幾つものウィンドウが勝手に動き、現れては消えて。そして最後に、中央にデカデカと一つのウィンドウが現れた。真っ黒な画面の中に、幾つもの数字とアルファベットだけが並ぶ、パッと見でプログラム用のウィンドウだと分かるモノだ。
『何か、思い付いたキーワードを打ち込んでくれ。後のことは僕が手伝う』
「思い付いたって、そんなこと言われても……!?」
とりあえずタフブックの前に座りながら、そのキーボードの上へと手だけは置いてみる和葉だが、何を打ち込んで良いものかまるで見当が付かない。
(な、何をどうしろってのよ……!?)
思い付いたキーワードを叩き込んでいく。母の名前、父の名前、生年月日、よく言っていた口癖、エトセトラ、エトセトラ……。
しかし、何度思い付いたワードを打ち込んで、それをミリィの手助けで"ワルキューレ・システム"の中枢である人工人格"ブリュンヒルデ"の制御系へと叩き込んでも、しかし弾かれるばかりでウンともスンとも言わない。何を打ち込んだところで、母が造り上げた史上最強の諜報システムは、実の娘である和葉に対して、何も反応してはくれない。
「ああもう、分からないわよ、こんなのっ!!」
遂に和葉はどうすれば良いか分からなくなって、混乱状態に陥った挙げ句にそう叫んでいた。バクバクと高鳴る心臓の鼓動だけが、早くしろと和葉自身を追い立ててくる。
『しかし、君が諦めたら……!』
「分かんない、分かんないわよ、こんなのっ! どうすれば良いかなんて、どうしたら良いかなんて! そんな……そんなの、分かるワケないじゃないっ!!」
「和葉、君なら出来る!」
錯乱する和葉の肩に手を置きながら、説得するようにハリーが語り掛ける。
「でも……!」
「自分を信じろ、信じるんだ! 小汚い奴らの手から、取り戻すんだろ!?」
「だからって、どうしろって言うのよ……っ!」
「取り戻すんだ、君が! ――――世界の命運を変えられるのは、和葉! 君だけなんだ……!!」
「っ!?」
――――世界の、命運。
きっと、ハリーにとっては何気なしに、これといった意図も無く放った言葉だったのだろう。しかしその一言が、和葉に遠い記憶を、遠い遠い昔の記憶を隆起させる切っ掛けとなった。
「もしも、和葉が独りぼっちになった時が来たら。もしも、私たちのことで何か変なコトに巻き込まれたら。その時は、出来れば思い出して欲しいな」
それは、遠い昔に、何かの拍子に母が言っていた言葉。何の気無しに、日常の延長線上のように。単なるありふれた取り留めの無い言葉の端に、幼き自分へ母が言っていた言葉。
「――――和葉。貴女そのものが、最後に扉を開く鍵だから」
忘れていた――――。優しい手で頭を撫でてくれていた母が言っていた、その言葉を。
「っっっ!!!」
途端に、和葉は一心不乱にキーボードを叩く。
『思い出したのかい!?』藁にも縋るような思いで、ミリィが問う。
「思い出したのか!?」ハリーもまた、肩に手を当てたまま、眼を見開いて和葉に問いかけた。
「分かんない、分かんないけど……!」
打ち込むワードは、単純な文字列。アルファベットでただ、"kazuha sonozaki"と。
「分かんないけど、でも信じてみる! 私自身と、ママの言葉が嘘じゃないってことを!」
そして、エンターキーを叩く。
『イチかバチか、君に賭けてみるのもまた一興!』
ミリィを経由し、そのワードは中枢システム"ブリュンヒルデ"へと送られる。
『チッ、これも駄目か……!』
――――ウィンドウに映るのは、"disagree(不一致)"の一文字。電話口の向こうでミリィが、そして隣でハリーが肩を落とす。
「まだよ、まだもう一つある……!」
だが、彼女だけは。和葉だけは、未だ諦めてはいなかった。
(これで駄目だったら、ホントに八方塞がりね)
そんなことを思いつつも、キーボードを叩く手は止まらない。そんなことを思いつつも、しかし和葉は確信していた。これで間違いないと、母の仕込んだ最後の仕掛けは、これで間違いないと。
打ち込むワードは、"sonozaki kazuha"。先程の奴の名前とファミリーネームを入れ替えただけだ。こんな単純な組み合わせの違いだけ。だが、和葉には確信があった。これで、間違いないと……。
「いっけぇぇぇぇぇぇ――――っ!!!」
和葉の指が、エンターキーを叩く。
それから訪れるのは、暫くの静寂。ハリーも和葉も、冷静沈着なミリィでさえもが、小さく息を呑んだ。
「……やったか?」
沈黙に耐えきれず、ハリーが呟く。『その言葉は失敗パターンだ、縁起でも無いからやめてくれ』とミリィがマジなトーンで言い返した。
「大丈夫よ、きっと……」
和葉がそう呟けば、そして遂にウィンドウに新たな表示が現れる。
――――"agree(一致)"と。
「やった……」
それを見た途端に安堵し、バタリと尻餅を突いてへたれ込む和葉は、体中から一気に力が抜けていくのを感じていた。
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