SIX RULES

黒陽 光

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エピローグ:六つのルール、それが男の信ずる正義。

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 街外れにある、一階部分が丸々ガレージになった少し大きな一件の白い家屋。外からは外階段を伝い戸を叩くことの出来るその家の二階部分に居を構えるのが、五条探偵事務所だ。
 事務所の窓際、ブラインドの下がった窓の傍にあるデスクへ長い両脚を不作法に載せながら、倒した椅子の背もたれに寄りかかるようにして一人の男が惰眠を貪っている。ブラインドの隙間から差し込む暖かな午後の陽光の中でしかめっ面をし、しかし何処か安らかな寝息を立てているるその男の髪型は、大きく前髪を掻き上げた黒のオールバック・ヘア。纏うのは黒を基調としたアルマーニの高級イタリアン・スーツで、そのスーツジャケットは倒された背もたれに掛かっている。
 天井で大きな風車のような形をしたシーリング・ファンが静かに回る中、暖かな陽光の差し込む事務所の中は静寂に包まれていた。
 そんな静かな事務所の中、硬いマボガニー材のデスクの上に両脚を投げ出して安らかに眠っていた男――――ハリー・ムラサメの意識を眠りの国から引きずり上げたのは、左手首に巻いた腕時計から鳴り響く無機質なアラーム音。ある意味で無粋にも思えるそのアラームに揺り起こされ、ハリーは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
「んー……」
 眼を覚ましたハリーはそのままの格好で大きく伸びをし、それからデスクから脚を下ろし椅子の背もたれを元に戻し立ち上がる。仮眠で固まった身体の節々が、動く度にポキポキと音を立てる。
 小さく息をつきながら、ハリーはデスクの上へ雑に座ると、マボガニー材で出来たその上に置いてあったマールボロ・ライトの紙箱と愛用のジッポーを手繰り寄せる。煙草を口に咥え、カチンと小気味の良い音を鳴らすジッポーで火を付けて吸い込めば、紫煙が肺をグッと殴り付けてくる。
「ふぅ……」
 気付け代わりの一本を吸いながら、ハリーが紫煙混じりの息をついた。半分眠ったままの頭が、身体が、徐々に目覚めていくのを感じる。そうしながらハリーはデスクから立ち上がるとブラインドの下がった窓際に近寄り、ブラインドの隙間にスッと指を通しこじ開ける。煙草を口に咥えたままで外界の景色を遠く眺めながら、ハリーはふと何の気無しに思い返してしまう。あの一件のことを、そして全てが終わった後のことを……。
「もう、何ヶ月も前のことなんだな」
 ――――あれから、園崎和葉と"スタビリティ"、そして防衛省の一部部署が極秘裏に進めていた新世代の統合諜報システムの構築プロジェクト"ワルキューレ計画"にまつわる騒動から、既に数ヶ月ものときが過ぎていた。
 あれだけの騒動があったにも関わらず、世界は何事も無かったかのように動いている。普段と同じように、ありきたりな日常が流れている。派手なカーチェイスも、教会での大銃撃戦も、山奥にある、今は亡きユーリ・ヴァレンタインの邸宅で巻き起こった血で血を洗う壮大な戦いも。そして空港での決戦とジェット機の撃墜でさえもが、最初から無かったものとして扱われていた。
 その辺りは、冴子が公安とその他のツテを使い上手く揉み消してくれたらしい。当然、おかみとしてもこんなことを表沙汰にするワケにもいかなかったから揉み消しは相当スムーズに行ったらしいが、その辺りはハリーにとってあまり関係の無いことだ。とにかく、揉み消してくれたという事実があればそれで良い。
 問題の美代学園の方も、襲撃を受けてから暫くは休校していたらしく、一時期は廃校とまで噂されていた。だがとりあえずは持ち直し、ひとまず生き残った在校生だけでも卒業、或いは年度を終わらせるということで、今年度いっぱいという制約付きなものの、何とか持ち直したらしい。あの彼女も――――園崎和葉もまた、今まで通りに学園へ通っているという。
「フッ……」
 出逢った頃の何処かつんけんとした、跳ねっ返りの激しかった彼女のことを思い出すと、ハリーはブラインドの隙間から外を覗きながらで思わず小さな笑みを浮かべてしまっていた。
「事務所も元通り、車は新車。とりあえずは言うこと無しに丸く収まったってワケだ」
 "ウォードッグ"ことジェフリー・ウェンとクララ・ムラサメの襲撃により半壊の憂き目に遭ったこの五条探偵事務所も、報酬とは別の補償という形で上手く処理した冴子が修繕を手配してくれて、今ではすっかり元通りだ。激しいカーチェイスを繰り広げ、ハリーと和葉の二人を護り抜き、そして最後にはウォードッグの撃ち放ったグレネード弾で爆破された愛車・インプレッサWRX-STiの代わりになる車も、同じく補償として新車を冴子が用意してくれている。
「……クララ」
 そういえば、あの後から再びクララ・ムラサメの消息が分からなくなっていると、冴子とミリィ・レイスの両名から前に聞いたのをハリーは思い出した。ユーリ・ヴァレンタインの乗っていたプライベート・ジェット機を地対空ミサイルで撃墜した犯人が彼女だということは分かっているが、しかしそこから先の足取りが一切不明だと、二人とも口を揃えて語っていた。
「これが、アンタなりの俺に対するケジメ、ってことなのか?」
 煙草を吹かしながら、ハリーが虚空に向かってひとりごちる。結局、最後の幕引きは"スタビリティ"を裏切った彼女に持って行かれた形になってしまった。
 だが、別に遺恨は無い。強いて言うならばユーリ・ヴァレンタインはハリー自身の手で始末したかった気持ちはあるが、しかし仕留めたのがクララとあっては、ハリーも何故だか納得出来てしまう。これが彼女なりのケジメの付け方なのだと、そう思ってしまうと、何だか「仕方ないな」なんて気持ちが勝ってしまうのだ。
「アンタはいつだって、俺の先を行ってた」
 そういえば、このマールボロ・ライトの煙草だってクララに影響されて吸い始めたモノだ。銘柄も何もかも、きっと今でも自分と彼女のチョイスは変わらない。今も何処かで、今の自分と同じように、こうしてマールボロ・ライトを吹かしているのだろうか……。
「そういえば、奴の死体も見つかっていないらしいな」
 今のハリーに気掛かりなことといえば、邸宅での最後の戦いで熾烈な激戦の末に仕留めた、あの大男。香港出身で"ウォードッグ(戦争の犬)"の異名を持つジェフリー・ウェンの死体が未だに発見されていないことだけだった。
 とはいえ、あれだけの致命傷を負わせたのだから、間違いなく生きてはいないだろうとハリーは思う。今までに無いぐらいに念入りな殺し方をしたのだ。どうせ、あのゴキブリみたいな生命力で這いずり回った末に、山の中で人知れず野垂れ死んでいるのだろう。ある意味で、奴らしい死に方だ。下手に回収されて解剖の末に焼かれるよりも、自然のエネルギーが満ち溢れた森の中で自然の中へ還っていく方が、よっぽど奴にとっては幸せだとハリーは思う。
「ウォードッグ……気高い戦士だった」
 そう呟きながら、ハリーは煙草を摘まんだ右手をスッと頭上に掲げた。今は亡き、天に召された彼へ。最期まで気高く戦い抜いた最高の戦士へと捧げるように右腕と煙草を掲げ、そして一瞬の沈黙の後に煙草を咥え直す。
「っと、そろそろ時間か」
 そうした折に、ふと左手首の腕時計を見ると。予定の刻限が近づいていることに気付き、ハリーは慌ててブラインドから手を放す。
 咥えていた短い煙草をデスクの上の灰皿に押し付けて火種を揉み消し、パンパンッと手をはたいた後で机の背もたれに掛けていたスーツジャケットを羽織り直す。デスクの上に放ってあったホルスターをズボンの右腰に取り付け、そこに差し込むのは新調した日常使いの小型の自動拳銃、S&W社製のM&Pシールド・9mmパラベラム仕様だ。左側のポケットには、いつも通りにベンチメイド・9050AFOのスウィッチ・ブレードを差し込んでおく。
「さて、行くか」
 そうして、ハリーはやはりデスクの上へ無造作に置いてあった、六連星を模ったスバルのロゴが埋め込まれたスマートキーを引ったくるように懐へ収めると、事務所の内階段を降りて一階のガレージへと向かう。
 車が三台半ぐらいは入りそうな、本格的な整備用リフトのある広いガレージの中、真っ黒な新車が佇んでいた。VAB型のスバル・WRX-STi。爆散した以前の愛車・GDB-F型インプレッサWRX-STiの流れを汲む正当進化形のマシーンだ。
「ルール第一条、時間厳守」
 そのWRXのコクピット・シートに滑り込みながら、ハリーは腕時計にチラリと視線を落としつつひとりごちると、インパネ脇のボタンを押し込んでエンジンを始動させる。エアスクープの開いたボンネットの下で、2.2リッターに排気量が広げられたEJ22改の四気筒ボクサー・エンジンが獰猛な唸り声と共に眼を覚ます。
 ボンネットの下と、そして尻のマフラーから奏でられる甘美なサウンドに暫し酔いしれながら暖気時間を待ちつつ、ハリーはインパネの下の方に隠したスウィッチ・パネルを押し込んだ。すると車の前後、ナンバープレートがくるりと回転し、仕事用の偽装品から正規の登録ナンバープレートへと入れ替わる。
「約束の時間は、守らなくちゃな」
 ひとりごちながら、ハリーはリモコンを使ってガレージのシャッターを遠隔で開けば、暖気の終わったWRXのサイドブレーキを解除。クラッチを切りながらギアを一速へ入れ、またクラッチを繋げ直す。獰猛なボクサー・サウンドと共に、真新しい漆黒のニュー・マシーンが午後の柔らかな日差しの下へと駆け出していく。
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