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第三章『アイランド・クライシス/少年少女たちの一番暑い夏』
Int.20:Blade;
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「瀬那……?」
お互いの姿も忘れて、一真が彼女の尋常ならざる色の顔を見上げる。
「……すまぬ、邪魔をしたな」
すると瀬那は恥じるでもなく、ただ細く、そう言うだけ。それに一真は「い、いや。それは全然構わないんだが」と言って、
「それより……今日は、斬りかかって来ないんだな」
「う、うむ」やっとこさ自分の姿を察したのか、少し頬を赤らめながら。しかし何故か隠そうともせず、瀬那は頷いた。
「別に、其方相手に今更どうこう、というのもな。……何なら、共に入るか?」
「いぃぃっ!?」
戸惑う一真に瀬那はフッと笑うと、何故か浴室にもう一歩足を踏み入れてきて、その戸を後ろ手に閉めた。
「おわぁっ!?」
それだけ近寄られれば、湯気で若干誤魔化されていた辺りが割と見え始めてきてしまい。とすると一真は自分でも何でか分からないまま、思い切り後ろを向いて彼女に背中を見せる格好になってしまう。
(オイオイオイオイこれはマズいって、いや色んな意味でマズいって!)
こうもなってしまえば、幾ら一真とて慌てざるを得ず。振り向きたい気持ちを何とか抑えながら、混乱する思考を必死に押さえ付けることしか出来ない。
「ふっ……」
しかし瀬那は、さも当然のように小さく笑い。背中を向けるそんな一真の困惑も知らぬと言った風に、彼の背中の向こう側でシャワーを浴び始めてしまった。
(にしたって、さっきの瀬那の顔色……)
――――やっぱり、何かあったのか?
やっと落ち着いた思考でそう考えれば、そうとしか思えない。やはり、何かあったのか…………。
そう思いながら、瀬那がシャワーを浴び終えるのを待つこと幾らか。「邪魔をする」と言ってさも当然のように浴槽に入ってきた瀬那に、彼女には背中を向けつつ一真は「お、おう」と何故か承諾してしまった。
「…………」
お互いの背中を合わせるように、小さく丸まりながら背中合わせになって浴槽に浸かる二人。こんな奇妙な状況なものだから、一真も何を言って良いか分からず。また瀬那の方も一言たりとも発そうとしないものだから、妙な沈黙だけが二人の間に漂っていた。
シャワー・ヘッドからこぼれ落ちた水滴が床に落ち、水音を小さく響かせる。するとまるでそれを合図にしたかのように、一真は意を決して口を開いた。
「…………何か、あったのか?」
恐る恐るそう訊いてみれば、瀬那は「――――うむ」と、何故か言いづらそうにそれを肯定した。
「そうか……」
一真はそう短く反応して、どうしていいものかと少しの間悩んだ後、
「俺で良ければ…………話して、くれないか?」
背中の向こう側に居る瀬那に、そう言ってみた。
「――――他ならぬ、其方にならば」
暫くの間思い悩んだ瀬那は、やっとこさ口を開くと、一真の提案に一応の形で同意する。
――――そして、瀬那は簡潔にだが先程の一件を彼に話した。楽園派の襲撃を受けたことと、それを退けたこと。それら云々があったせいで、帰るのが遅くなってしまったことを……。
「…………」
それを一真は、途中で何度か相槌を打つのみで、ずっと黙って聞いていた。
「……一真よ。ひとつ、其方に訊いても良いか?」
話が終わった後でそう問いかけてきた瀬那に、一真は「ああ」と頷く。
「何故、こんな時にまで、人と人とで争わねばならぬのだ……?」
「…………っ」
絞り出すような声色の、切実すぎるその問いに。しかし一真は、答える術を持たなかった。
「共通の敵が現れ、今こそ人類で一丸となって戦わねばならないという、こんな時代でも……。何故、人は同じ人同士で争うことを、捨てられぬ? 何故、やめられぬのだ……?」
「それは……」
「今日、霧香が私の代わりに斬り捨てたあの者たちだって、その命をもっと別のことに使えたはずだ。剣客として私の前に立ち塞がる腕を持ち合わせていたのならば、その腕で多くの民草を救えたはずであろう? 多くの無辜の者たちを救えたはずのその腕で、何故人と争おうとするのだ……?」
「…………」
「私には、分からぬ。楽園派の考えることも、為すことも。何故ここまで来て、人と人とが、同種の者たちが互いに争い、命を無為に削り合わねばならぬのだ?
私には、分からぬのだ。教えてくれ、一真……! 私は、もうどうして良いのか、分からぬ……!」
その声色が、段々と湿り気を帯びていることを、一真は敢えて気が付かないフリをしながら聞いていた。
「…………俺にも、分からないよ」
そうして、一真はやっとその重い口を開く。
「昔のSF映画だと、侵略者がやって来た時、人は一丸となって戦ってた。きっと、本来はそうであるべきなんだと思う。
――――でもきっと、それはリアルじゃないんだ」
「しかし……!」
何かを言い掛ける瀬那を、一真は背中から彼女に伝える気だけで制しながら、その言葉を続けた。
「人と人とが、同じ人同士が互いを憎しみ合い、争う……。それはきっと、俺たちに知性という道具が与えられたからこその性。その分の等価交換……じゃないけれど、知的生命体にとってどうしようもない、本当にどうしようも無い本能だと、俺は思ってる」
「…………」
瀬那は、何も言わなかった。しかし一真は敢えてそれを気にせず、更に紡ぐ言葉を続けていく。
「――――人はさ、瀬那。皆が皆、君みたいに強くない。君みたいに賢くもなければ、理性的じゃないんだ」
「それは……」
分かっている、つもりだ――――。
その言葉の後に瀬那がそう言いたかったことは、言葉を紡がぬ内にも一真は察していた。
「かくいう俺だって、そうだ。君と俺自身の身を護る為なら、平気で人を殺すと思う。その為の銃で、俺はその為に力を欲したんだ」
「…………」
「自分や、自分の手の届く範囲のコトの為なら、他者を平気で犠牲に出来る――――人間、根本はそういう生き物なのかもしれない」
「……しかし、今はそれどころでは…………」
「きっと、それだって皆、心の奥底じゃ分かってる。――――分かってても、やめられない。だからこそ、人間ってのはどうしようも無く愚かで、醜い生き物だと……。俺は、そう思ってる」
「…………」
瀬那は、何も言わなかった。
だからこそ、一真はフッと小さく笑ってみせる。笑ってみせながら、次に一真はこんなことを口走った。
「だからさ――――俺は瀬那が羨ましいよ」
「えっ……?」
彼女が振り返るのが、背中越しの気配で分かった。
「瀬那のように、誰もが高潔で賢くて。理性的で、そして強くあれたのならば……。それは、きっと素晴らしい世界なんだと思う」
「私の、ように……?」
「ああ」一真は頷いた。
「でも、現実はそうじゃない。俺や、他の奴みたいに、どうしようもなく馬鹿な奴ばっかりだ。
――――だからこそ、瀬那。君は、君のままで在ってくれ」
「私が、私のままで……?」
反芻するみたいに瀬那が呟くと、また一真はフッと笑みを浮かべてみせた。
「俺にとって、瀬那は憧れなんだ。俺がずっと求めてた、確かな力。それを君は、俺が出逢ったときから持ち合わせていた。
…………だから瀬那は、俺にとっての憧れで。そして、絶対に誰にも奪わせちゃいけない存在なのかもしれないな」
そう、誰にも奪わせてはならない――――。
この高潔で、聡明で、凜々しくて。そして誰よりも強く生きるこの姫君を、誰にも奪わせてはいけない。
(その為なら、俺は――――)
俺は――――なんだって、やってやる。例えこの身を人斬りに堕とそうとも、己にとっての聖域を穢させてはならない。彼女を、瀬那を、何者にだって穢させてはならないのだ――――。
(ああ、そうか。俺は……)
そう思った途端、何故だか心の奥底につっかえていたモノが、取れたような気がした。今まで何か分からず、ずっと引っ掛かっていたモノが、あっさりと取れてしまったような気がしてしまった。
――――そうだ、これこそが己が求めていた答えなのだ。己が求めていた絶対的な強さは、こんなにも近くにあったのだ。瀬那こそが己が理想、瀬那こそが、己が求めていた究極点に他ならないのだ―――――。
「…………ふっ」
それに気付いてしまえば、なんだかおかしくなって。一真は浮かび上がったその笑みを、抑えることが出来なかった。
「――――私には、其方が申しておることが、分からぬよ」
そうしていると、瀬那はまたポツリと口を開き。小さく、囁くように言葉を紡ぎ始める。
「分からぬが、しかし分かる。其方が私に申したいことは、なんとなくであるが、分かった気がする」
「……そうか」
「一真よ」
「ん?」振り向かないまま、一真がいつもの調子で反応する。
「ひとつ、私の願いを聞いてはくれぬか」
そう言われれば、一真に思い付く回答はただひとつ。
「――――何でも、我が君の思うがままに」
すると、瀬那はフッと小さな笑みを浮かべて、
「私を、護ってはくれぬだろうか?」
そう、一真に告げてきた。
「俺が、君を?」
「そうだ」瀬那が頷く。「其方にならば、私を委ねられる。其方が私にとって真の信頼を置ける男だと思ったからこそ、其方にこれを頼みたい」
「…………」
こんなこと、思い悩むまでもない。
「――――最初から、そのつもりだ」
一真はニッと笑みを浮かべ、しかし彼女の方へは相変わらず振り向かないまま。殆ど即答するように、瀬那に向かってそう答えてみせた。
「……済まぬな。其方には、苦労ばかりを掛ける…………」
「どっこいどっこいさ。俺も織り込み済み、気にすることは無いさ」
すると、瀬那がこっちに振り返るのが背中越しの気配で分かって。ともしていれば、瀬那は何故か一真の方へ腕を回し――――その身体を、彼の背中に合わせてきた。まるで、抱きかかえるかのように。
「瀬那……?」
背中に触れる、湯越しでも分かる柔い感触に少し鼻の下を伸ばしながらも、しかし戸惑う一真が彼女の名を呼べば。瀬那は彼の首元に顔を埋めながら「……済まぬ」と呟いて、
「少しの間……こうさせていては、くれぬか」
と、消え入るような細い声でそう、呟いた。
「…………これで、願いごとは二つ目だな」
一真が冗談めかしてそんなことを言えば、「むぅ、男が細かいことを気にするでない」と少し膨れたように瀬那は言い、
「――――其方は、いじわるだ」
そう、小さな声色で続けて呟いた。
「ま、いいさ……。時間はまだまだたっぷりある、夜も長い。俺がいい加減ふやけ切っちまうまでなら、いつまでだって付き合うさ…………」
一真はそう呟き、己が背中に身体を預ける彼女の重みを、その双肩で受け止めた。
「少しの間だけで、良い……。私の弱さを、許してくれ。こんな私の、どうしようもない弱さを。其方だけは、受け止めてはくれぬか……?」
「――――仰せのままに」
フッと小さく笑いながら、一真は軽く冗談めかしつつそう答えてみせる。
そうして、二人がこのままで居るのは、いつまでだろうか。時間の感覚など超越した中で、二人は緩やかな流れの中に身を任せる。少女はその弱さを男の背に隠し、男はただそれを受け止めながら。
「こんな私を、弱い私を見せられるのは――――其方だけだ、一真」
だから、明日からはまた、強い私でいられる――――。
男の背中に、少女は己が弱さをぶつけ、隠し。そんな安穏の中で、少女はただ男の背に身を任せた。
「一真。其方とならば、私は――――」
嗚呼、その先は敢えて言うまい。敢えて問うことはすまい。研ぎ澄まされた剣が如く真っ直ぐに生きてきた少女と、硬く握り締めた拳のように突き抜け、強さを追い求めてきた男。この二人の間に、これ以上の言葉などという無粋なモノなど、必要は無いのだ。
こんな世界の中で、男は力を追う拳の寄る辺を見つけ。少女はその弱さを隠し、護るその男を見いだして。――――ただ、それだけの事実があれば。それだけで、二人にとっては十分すぎることだった。
お互いの姿も忘れて、一真が彼女の尋常ならざる色の顔を見上げる。
「……すまぬ、邪魔をしたな」
すると瀬那は恥じるでもなく、ただ細く、そう言うだけ。それに一真は「い、いや。それは全然構わないんだが」と言って、
「それより……今日は、斬りかかって来ないんだな」
「う、うむ」やっとこさ自分の姿を察したのか、少し頬を赤らめながら。しかし何故か隠そうともせず、瀬那は頷いた。
「別に、其方相手に今更どうこう、というのもな。……何なら、共に入るか?」
「いぃぃっ!?」
戸惑う一真に瀬那はフッと笑うと、何故か浴室にもう一歩足を踏み入れてきて、その戸を後ろ手に閉めた。
「おわぁっ!?」
それだけ近寄られれば、湯気で若干誤魔化されていた辺りが割と見え始めてきてしまい。とすると一真は自分でも何でか分からないまま、思い切り後ろを向いて彼女に背中を見せる格好になってしまう。
(オイオイオイオイこれはマズいって、いや色んな意味でマズいって!)
こうもなってしまえば、幾ら一真とて慌てざるを得ず。振り向きたい気持ちを何とか抑えながら、混乱する思考を必死に押さえ付けることしか出来ない。
「ふっ……」
しかし瀬那は、さも当然のように小さく笑い。背中を向けるそんな一真の困惑も知らぬと言った風に、彼の背中の向こう側でシャワーを浴び始めてしまった。
(にしたって、さっきの瀬那の顔色……)
――――やっぱり、何かあったのか?
やっと落ち着いた思考でそう考えれば、そうとしか思えない。やはり、何かあったのか…………。
そう思いながら、瀬那がシャワーを浴び終えるのを待つこと幾らか。「邪魔をする」と言ってさも当然のように浴槽に入ってきた瀬那に、彼女には背中を向けつつ一真は「お、おう」と何故か承諾してしまった。
「…………」
お互いの背中を合わせるように、小さく丸まりながら背中合わせになって浴槽に浸かる二人。こんな奇妙な状況なものだから、一真も何を言って良いか分からず。また瀬那の方も一言たりとも発そうとしないものだから、妙な沈黙だけが二人の間に漂っていた。
シャワー・ヘッドからこぼれ落ちた水滴が床に落ち、水音を小さく響かせる。するとまるでそれを合図にしたかのように、一真は意を決して口を開いた。
「…………何か、あったのか?」
恐る恐るそう訊いてみれば、瀬那は「――――うむ」と、何故か言いづらそうにそれを肯定した。
「そうか……」
一真はそう短く反応して、どうしていいものかと少しの間悩んだ後、
「俺で良ければ…………話して、くれないか?」
背中の向こう側に居る瀬那に、そう言ってみた。
「――――他ならぬ、其方にならば」
暫くの間思い悩んだ瀬那は、やっとこさ口を開くと、一真の提案に一応の形で同意する。
――――そして、瀬那は簡潔にだが先程の一件を彼に話した。楽園派の襲撃を受けたことと、それを退けたこと。それら云々があったせいで、帰るのが遅くなってしまったことを……。
「…………」
それを一真は、途中で何度か相槌を打つのみで、ずっと黙って聞いていた。
「……一真よ。ひとつ、其方に訊いても良いか?」
話が終わった後でそう問いかけてきた瀬那に、一真は「ああ」と頷く。
「何故、こんな時にまで、人と人とで争わねばならぬのだ……?」
「…………っ」
絞り出すような声色の、切実すぎるその問いに。しかし一真は、答える術を持たなかった。
「共通の敵が現れ、今こそ人類で一丸となって戦わねばならないという、こんな時代でも……。何故、人は同じ人同士で争うことを、捨てられぬ? 何故、やめられぬのだ……?」
「それは……」
「今日、霧香が私の代わりに斬り捨てたあの者たちだって、その命をもっと別のことに使えたはずだ。剣客として私の前に立ち塞がる腕を持ち合わせていたのならば、その腕で多くの民草を救えたはずであろう? 多くの無辜の者たちを救えたはずのその腕で、何故人と争おうとするのだ……?」
「…………」
「私には、分からぬ。楽園派の考えることも、為すことも。何故ここまで来て、人と人とが、同種の者たちが互いに争い、命を無為に削り合わねばならぬのだ?
私には、分からぬのだ。教えてくれ、一真……! 私は、もうどうして良いのか、分からぬ……!」
その声色が、段々と湿り気を帯びていることを、一真は敢えて気が付かないフリをしながら聞いていた。
「…………俺にも、分からないよ」
そうして、一真はやっとその重い口を開く。
「昔のSF映画だと、侵略者がやって来た時、人は一丸となって戦ってた。きっと、本来はそうであるべきなんだと思う。
――――でもきっと、それはリアルじゃないんだ」
「しかし……!」
何かを言い掛ける瀬那を、一真は背中から彼女に伝える気だけで制しながら、その言葉を続けた。
「人と人とが、同じ人同士が互いを憎しみ合い、争う……。それはきっと、俺たちに知性という道具が与えられたからこその性。その分の等価交換……じゃないけれど、知的生命体にとってどうしようもない、本当にどうしようも無い本能だと、俺は思ってる」
「…………」
瀬那は、何も言わなかった。しかし一真は敢えてそれを気にせず、更に紡ぐ言葉を続けていく。
「――――人はさ、瀬那。皆が皆、君みたいに強くない。君みたいに賢くもなければ、理性的じゃないんだ」
「それは……」
分かっている、つもりだ――――。
その言葉の後に瀬那がそう言いたかったことは、言葉を紡がぬ内にも一真は察していた。
「かくいう俺だって、そうだ。君と俺自身の身を護る為なら、平気で人を殺すと思う。その為の銃で、俺はその為に力を欲したんだ」
「…………」
「自分や、自分の手の届く範囲のコトの為なら、他者を平気で犠牲に出来る――――人間、根本はそういう生き物なのかもしれない」
「……しかし、今はそれどころでは…………」
「きっと、それだって皆、心の奥底じゃ分かってる。――――分かってても、やめられない。だからこそ、人間ってのはどうしようも無く愚かで、醜い生き物だと……。俺は、そう思ってる」
「…………」
瀬那は、何も言わなかった。
だからこそ、一真はフッと小さく笑ってみせる。笑ってみせながら、次に一真はこんなことを口走った。
「だからさ――――俺は瀬那が羨ましいよ」
「えっ……?」
彼女が振り返るのが、背中越しの気配で分かった。
「瀬那のように、誰もが高潔で賢くて。理性的で、そして強くあれたのならば……。それは、きっと素晴らしい世界なんだと思う」
「私の、ように……?」
「ああ」一真は頷いた。
「でも、現実はそうじゃない。俺や、他の奴みたいに、どうしようもなく馬鹿な奴ばっかりだ。
――――だからこそ、瀬那。君は、君のままで在ってくれ」
「私が、私のままで……?」
反芻するみたいに瀬那が呟くと、また一真はフッと笑みを浮かべてみせた。
「俺にとって、瀬那は憧れなんだ。俺がずっと求めてた、確かな力。それを君は、俺が出逢ったときから持ち合わせていた。
…………だから瀬那は、俺にとっての憧れで。そして、絶対に誰にも奪わせちゃいけない存在なのかもしれないな」
そう、誰にも奪わせてはならない――――。
この高潔で、聡明で、凜々しくて。そして誰よりも強く生きるこの姫君を、誰にも奪わせてはいけない。
(その為なら、俺は――――)
俺は――――なんだって、やってやる。例えこの身を人斬りに堕とそうとも、己にとっての聖域を穢させてはならない。彼女を、瀬那を、何者にだって穢させてはならないのだ――――。
(ああ、そうか。俺は……)
そう思った途端、何故だか心の奥底につっかえていたモノが、取れたような気がした。今まで何か分からず、ずっと引っ掛かっていたモノが、あっさりと取れてしまったような気がしてしまった。
――――そうだ、これこそが己が求めていた答えなのだ。己が求めていた絶対的な強さは、こんなにも近くにあったのだ。瀬那こそが己が理想、瀬那こそが、己が求めていた究極点に他ならないのだ―――――。
「…………ふっ」
それに気付いてしまえば、なんだかおかしくなって。一真は浮かび上がったその笑みを、抑えることが出来なかった。
「――――私には、其方が申しておることが、分からぬよ」
そうしていると、瀬那はまたポツリと口を開き。小さく、囁くように言葉を紡ぎ始める。
「分からぬが、しかし分かる。其方が私に申したいことは、なんとなくであるが、分かった気がする」
「……そうか」
「一真よ」
「ん?」振り向かないまま、一真がいつもの調子で反応する。
「ひとつ、私の願いを聞いてはくれぬか」
そう言われれば、一真に思い付く回答はただひとつ。
「――――何でも、我が君の思うがままに」
すると、瀬那はフッと小さな笑みを浮かべて、
「私を、護ってはくれぬだろうか?」
そう、一真に告げてきた。
「俺が、君を?」
「そうだ」瀬那が頷く。「其方にならば、私を委ねられる。其方が私にとって真の信頼を置ける男だと思ったからこそ、其方にこれを頼みたい」
「…………」
こんなこと、思い悩むまでもない。
「――――最初から、そのつもりだ」
一真はニッと笑みを浮かべ、しかし彼女の方へは相変わらず振り向かないまま。殆ど即答するように、瀬那に向かってそう答えてみせた。
「……済まぬな。其方には、苦労ばかりを掛ける…………」
「どっこいどっこいさ。俺も織り込み済み、気にすることは無いさ」
すると、瀬那がこっちに振り返るのが背中越しの気配で分かって。ともしていれば、瀬那は何故か一真の方へ腕を回し――――その身体を、彼の背中に合わせてきた。まるで、抱きかかえるかのように。
「瀬那……?」
背中に触れる、湯越しでも分かる柔い感触に少し鼻の下を伸ばしながらも、しかし戸惑う一真が彼女の名を呼べば。瀬那は彼の首元に顔を埋めながら「……済まぬ」と呟いて、
「少しの間……こうさせていては、くれぬか」
と、消え入るような細い声でそう、呟いた。
「…………これで、願いごとは二つ目だな」
一真が冗談めかしてそんなことを言えば、「むぅ、男が細かいことを気にするでない」と少し膨れたように瀬那は言い、
「――――其方は、いじわるだ」
そう、小さな声色で続けて呟いた。
「ま、いいさ……。時間はまだまだたっぷりある、夜も長い。俺がいい加減ふやけ切っちまうまでなら、いつまでだって付き合うさ…………」
一真はそう呟き、己が背中に身体を預ける彼女の重みを、その双肩で受け止めた。
「少しの間だけで、良い……。私の弱さを、許してくれ。こんな私の、どうしようもない弱さを。其方だけは、受け止めてはくれぬか……?」
「――――仰せのままに」
フッと小さく笑いながら、一真は軽く冗談めかしつつそう答えてみせる。
そうして、二人がこのままで居るのは、いつまでだろうか。時間の感覚など超越した中で、二人は緩やかな流れの中に身を任せる。少女はその弱さを男の背に隠し、男はただそれを受け止めながら。
「こんな私を、弱い私を見せられるのは――――其方だけだ、一真」
だから、明日からはまた、強い私でいられる――――。
男の背中に、少女は己が弱さをぶつけ、隠し。そんな安穏の中で、少女はただ男の背に身を任せた。
「一真。其方とならば、私は――――」
嗚呼、その先は敢えて言うまい。敢えて問うことはすまい。研ぎ澄まされた剣が如く真っ直ぐに生きてきた少女と、硬く握り締めた拳のように突き抜け、強さを追い求めてきた男。この二人の間に、これ以上の言葉などという無粋なモノなど、必要は無いのだ。
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