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第三章『アイランド・クライシス/少年少女たちの一番暑い夏』

Int.44:アイランド・クライシス/孤独二人、遠く雷鳴の唸る嵐の夜に①

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 ――――そういうワケで、今に至る。
 身体が冷えて、なんだか震えが走る。左脚は鈍痛を訴え、意識は何処か危うい。ズブ濡れになった身体が芯まで冷え切ってしまっているせいか、寒気すらも走ってしまう。
 自分は一体、どれだけの時間こうして意識を失っていたのだろうか。ほんの数秒か、はたまた数分。或いは数十分か、それとも数時間か……。
 そんなこと、分からない。分からないままに雨に打たれながら、崖に背を預け項垂れていた一真は、己が腕に掻き抱いていた瀬那に視線を落とす。
「――――瀬那」
 そして、虫の羽音のように小さく儚く、そして掠れた声で一真が囁けば、腕の中で意識を失っていた瀬那も「……ん」と小さく息をつき、奈落の底に落としていた彼女の意識が段々と戻ってくる。
「かず、ま……?」
 閉じていた瞼を開いた瀬那が、何処かまだ夢心地な、朦朧としたような声で彼の名を呼ぶ。まだふわふわとした意識の中で、しかし一真の顔をぼーっと見上げた瀬那に「ああ」と一真は小さく頷けば、「無事か?」と案ずる声で次の言葉を放つ。
「ぶ、じ……? 何のことだ、一真……?」
「おいおい、しっかりしてくれ……。――――ま、見た感じ身体の方はなんとも無さそうだな」
「何の、こと――――っ!?」
 そこに来て、漸く瀬那は思い出したのか。眼を見開いたかと思えばガバッと起き上がり、「わ、私は……!」と物凄く動揺し、狼狽し始める。
「はいはい、まずは落ち着こうぜ……な?」
 そうして暴れ出そうとする瀬那の身体をもう一度無理矢理引き寄せながら、一真が諭すように囁きかける。すると瀬那は少ししてから「う、うむ……」と頷くと大人しくなり、落ち着きを取り戻した。
「わ、私は何とも無い……。しかし、其方は」
「はは……。どうだろうな、そればっかりは……」
 己の胸元に引き寄せた瀬那が、こちらを見上げながら不安げな視線でそう問いかけてくれば、一真は参ったように苦く笑いながら、その視線を己の左脚に軽く流す。未だに重い鈍痛を訴えかけてくる、その左脚へ。
「――――左脚が、どうやら言うこと聞かない。捻ったかな、これは」
 すると一真は、こんな時にも関わらず妙に冷静な声色で、至極落ち着いた様子で呟いた。人間、こういう時ほどやたらに冷静になれるらしい。
「……すまぬ、私のせいで」
 諦観したような苦い笑みを一真が浮かべていれば、瀬那はその表情に影を落とし、申し訳なさそうに彼へと呟く。
「詫びるのも悔やむのも、後で幾らでも出来る」
 一真は彼女を抱き寄せる両腕の片方で、瀬那の頭にそっと手をやりながら、今一度彼女に諭すような言葉を掛けた。完全に雨に濡れきって、水を含んだ藍色の髪にそっと指を絡ませていれば、瀬那は「あっ……」と小さく声を漏らす。
「それより、今はこの状況を何とかしなきゃならん。だろ?」
「う、うむ」頷く瀬那。
「さてと、問題はこの後だ……」
 何処か、雨宿り出来そうな場所は無いものか――――。
 そうして、一真は軽く周囲を見渡す。何処か、軽い岩陰でも良い。今はとにかく、この雨を凌げる場所を探して。
「……あれは」
 すると、少し離れた所。25mも離れていない、今もたれ掛かる崖沿いに、どうやら洞穴らしいところを一真は見つけた。見た感じ割としっかりしていて、そう易々と崩れそうな気配も無い。雨を凌ぐなら、ぴったりの場所だろう。
「へへっ……どうやら存外、幸運の女神って奴は俺にゾッコンらしいね」
「一真、どうかしたのか?」
「ん? ああ」首を傾げながら見上げてくる瀬那に頷いてやりながら、一真は見つけた洞穴の方に腕を伸ばし、そこを指差した。
「良い具合に、雨を凌げそうな洞穴がある。――――瀬那、悪いが肩貸してくれるか? どうやら、あそこまで独りで歩けそうにない」
「……左様か。分かった、今肩を貸そう」
 頷いた瀬那は一真の胸から漸く離れると、彼の傍で立ち上がる。その様子を見ていると、どうやら瀬那の方は完璧に無傷らしく。立ち上がる瀬那を間近で見上げていれば、一真は自分が無意識の内にホッと胸を撫で下ろしているのに気が付いていた。
「――――立つ、心構えは?」
「出来てる。いつでもやってくれ」
 傍に膝を突いた瀬那に左腕を預け、肩を貸されながら一真は瀬那に支えられながら、ゆっくりとその場で立ち上がろうとする。
「――――っ」
 そして、左脚に走るのはやはり鈍い鈍痛。案の定、どうやら捻ったらしい。いや、崖を滑落してこの程度の怪我で済んでいるのだから、寧ろ僥倖か……。
「……歩けそうか?」
「大丈夫だ」心配そうな、不安そうな視線を横目で投げてくる瀬那に、敢えて一真は力強く頷き返してやった。
「行こう。そろそろ、身体が冷えてきた……」
「う、うむ。心得た……。今暫くの辛抱だぞ、一真」
 そうして、瀬那に支えられながら一真はゆっくりと一歩を踏み出した。鈍痛を訴え続ける左脚を、まるで引きずるようにしながら。
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