幻想遊撃隊ブレイド・ダンサーズ

黒陽 光

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第三章『アイランド・クライシス/少年少女たちの一番暑い夏』

Int.43:アイランド・クライシス/極限状況、生き残る術はただひとつ⑨

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「……む?」
 深い森の中を一真と共に進んでいた瀬那が、頬にポツリと落ちた水滴に気付いたのは、一体いつ頃のことだっただろうか。
 何かと思って濡れた頬に手を触れながら、頭上を仰いでみると――――あれだけ晴れていた空は、いつの間にか暗雲に覆われていて。少し息を吸ってみれば、鼻腔をくすぐるのは確かな湿気の気配。漂う雨の匂いだった。
「雨、か……」
 ポツリ、ポツリと雨を降らせ始めた雨雲を仰ぎ見ながら、かざした掌に小さく当たる水滴の感触を、その手に着ける指ぬきのグローブ越しに感じつつ瀬那がそう呟くと、「瀬那、どうした?」と言って、立ち止まった一真が彼女の方に振り返る。
「いや、雨が降ってきたのでな」
「ん? ――――うわ、マジかよ」
 瀬那がそう言えば、同じように天を仰ぐ一真も降り始めた雨に気付いて、眉間に皺を寄らせた。
「この雨では、道もより険しくなりそうであるな」
「だな」瀬那の方に視線を戻しながら、一真が頷く。「とりあえず、先を急ぐとしよう。。本降りになる前に、せめて折り返しポイントには到着しておきたい」
「うむ、その通りだ。では先を急ごうではないか、一真。様子を見るに、本格的に降り出すのも遠くなさそうだ……」
 そして、二人は急ぎ折り返しポイントに向かうべく、少しばかりの急ぎ足で更に先へと進み始めた。
 ――――だが、それからすぐに雨は降り出した。二人が思ったよりも、ずっとずっと早く。そして、ずっと激しく…………。
「うおっ……!?」
 まるで、ドデカいバケツをひっくり返したかのような物凄い降り方だった。一気に、それもあまりに唐突に激しくなった雨に、流石の一真も思わず声を上げる。
「これは、少々激しいか……!」
 降りしきる雨に打たれながら、瀬那も顔をしかめながらそう言う。二人の頭上から振り付ける雨はまるで東南アジアのスコールのような降り方で、それこそ数m先が見えなくなるほどにひどい降り方だった。
「気候変動っつったって、幾ら何でも激しすぎるんじゃないかこれ……っ!?」
 独り毒づきながら、一真は叩き付けるような雨に顔を逸らす。つい数年で、夏場は特に酷い雨が降りやすくなってきたような気がする。幻魔の襲来とはまるで関係ないのだろうが、それにしたって本当にスコールのような雨だ……。
「瀬那、そこの中に合羽あったろ、合羽!」
「それよりも、一旦何処か雨を凌げる場所を探さねば……!」
「分かってる! ――――ああ、くそ。なんて日だ! とにかくどっかで雨宿り出来る場所探すぜ、瀬那!」
「う、うむ! 承知した!」
 そして、二人は雨の叩き付ける深い森の中を、足早に進んでいく。何処か雨を凌げるような場所が無いか、視線を巡らせながら。
(地面がぬかるんできたか……!)
 激しい雨の中で歩きながら、一真はジャングル・ブーツの底で踏みつける地面が、激しすぎる雨を吸って大分緩くなってきたのを感じていた。これだけ歩きにくい地形で、更にここまで足元がぬかるんできたとなると、いつ転ぶか分かった物ではない……。
「瀬那、こっちだ!」
 ヒヤヒヤしながら、一真は木の幹に片腕を突きながら振り返り、もう一方の手を後方の瀬那に伸ばす。ちょっとした崖のような所が近い、それも地面から突き出した太い木の根と根の間を飛び越えなければいけないといった、そんな状況だったのだ。一真ならば何とか飛び越えられたが、瀬那の場合は万が一を考えて自分が手伝ってやるべきだと……。そう、半分無意識の内に思っての行動だった。
「分かった!」
 すると、瀬那も一真の意図を察し、スッとこっちに自分の手を伸ばす。そして、指ぬきのグローブに包まれた手と手が触れ合おうとした、そんな時だった――――。
「あ――――」
 指先で触れ合いそうだった瀬那の手が、途端に下に滑り落ちていく。前のめりになっていた瀬那の身体も、まるで糸の切れた操り人形マリオネットのように、そのまま滑り落ちていく。
(まさか――――)
 ――――足を。滑らせたのか?
 スローモーションのようにゆっくりとした光景を眺める中で、一真がそれを理解するのに要した時間は、僅か一瞬にも満たなかった。
 瀬那の身体が、落ちていく。驚き、見開いた眼から見える金色の瞳が、自分の方を見上げながら段々と落ちていく。
「ッ……!」
 そうすれば、一真の頭から一切の躊躇は消えていた。木の幹に突いていた片腕を離し、滑り落ちていく瀬那の方へ必死に腕を伸ばす。
 離れていた手と手が、再び近づき合い、そして指と指が絡め合う。伸ばしたままだった瀬那の手をそのままぎゅっと握り返した一真は、渾身の力で彼女の身体を己の胸元まで引き寄せた。その時には既に両脚は木の幹の上にはなく、自分も彼女と同じように崖を滑落しかけていた。
 だが――――そんなことはどうでもいい。知ったことじゃない。それより今の一真にとって大事なことは、唯のひとつだけ。己の胸に掻き抱く少女を、伸ばした手を握り返した彼女を、むざむざ離すことなんて、一真には出来なかった。
 "私を、護ってはくれぬだろうか?"――――。
 強く気高い彼女が唯一、弱さをさらけ出したこの己が。彼女を護ると誓ったこの己が、掴めるその手をむざむざ目の前で見過ごすことなど、出来ない。――――出来る、わけがない。
(男に二言はねえ……。そうだろ、そうだよな? 答えろよ俺、答えて見せろよ……! そうだろ、弥勒寺一真よォォッ!!)
「うおおおおお――――っ!!」
 瀬那を胸元に引き寄せたまま、ぬかるんだ斜面に背中を滑らせながら。足先より加速度的に一真は滑落していく。
(俺はどうなろうが知ったことじゃねえ! だが――――)
 瀬那だけは、何としても――――!!
 滑り落ちていく、恐怖すら覚えるような光景。やがて記憶が薄れていけば、いつしか何処かで頭でも打ったのか、或いは他の原因なのか。いつの間にか、一真はその意識を奈落の彼方へと堕としてしまう。
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