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第四章『ファースト・ブラッド/A-311小隊、やがて少年たちは戦火の中へ』

Int.04:幻想世界、白狼と金狼を導くは巫女の加護①

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『――――カズマ、用意は?』
 データリンク通信から聞こえるエマの声に、85式パイロット・スーツに身を包んだ一真は「起動作業中だ」と短く返し、コクピット・シートに身体を預けながらスウィッチや正面コントロール・パネルを弄くっていた。
『ん、分かったよ。……まあ、今更起動手順なんて、シミュレータ使ってまでやることじゃないと思うけれどね』
 あはは、と苦笑いを浮かべるエマの言葉に「まあ、慣れとくに越したことはないだろ?」と一真がニッと笑みを浮かべながら言い返せば、『かもね』なんて風にエマもまた、柔らかな笑みを浮かべつつ言葉を返してきた。
 ――――そう、今は実機のコクピットでなく、シミュレータ装置の中に一真は居たのだ。
 勿論、場所は校舎地下のシミュレータ・ルーム。ここ最近になって一真はこうして、瀬那やステラ以外にも、エマからたまに稽古を付けて貰い始めていたのだ。無論、西條教官の許可は得た上で、だが。
 というのも、これはエマの方から提案してきたことだ。真の意味で実戦慣れしている自分なら、一真に教えられることは幾らかあるかもしれない。だから、たまにで良いから稽古を付けさせてくれ、と……。
 そんなエマの意図は、一真もすぐに理解できていた。何せ一真は対・ステラ戦と武闘大会の兼ね合いで、シミュレータでの訓練も割と対人戦に比重を置いたものばかりをこなしてきていた。無論、対・幻魔戦の訓練もやらないわけじゃないが、しかし占めるウェイトとしては圧倒的に低い。
 それを、エマは懸念したのだろう。この先、正式任官された後に戦っていく相手はTAMSでなく、幻魔だ。寧ろ、対人戦の方がレアケースと思っても良いぐらいに、実際経験する可能性は低い。そういう意味で、エマはこんな提案を一真に持ちかけてきたのだろう。
 だからこそ、一真はその提案を二つ返事で了承した。そして、その結果が――――今のこの状況、というワケだ。
『…………うん。JS-17F≪閃電≫・タイプF、起動完了を確認。今戦闘状況を読み込むから、待っててね。カズマ、装備は何がいいかな?』
 データリンク通信で聞こえる声と共に、オペレータ席に座るエマの顔がヘッド・ギアから一真の視界の端に網膜投影される。それに一真は「そうだな……」と唸れば、
「いつも通りで良いぜ。対艦刀二本に、突撃機関砲と散弾砲をそれぞれマニピュレータと、背中に」
 そう告げれば、エマは『了解。それも含めて設定して読み込むから、少し待っててね』と、柔らかに微笑みながら一真に向かって言う。
 ――――そして、約一分後。白一色にホワイト・アウトしていた半天周型シームレス・モニタに突然色が蘇れば、映し出されたのは何処か、廃墟になった市街地の風景だった。
 それと一緒になって網膜投影の表示もコンバット・モードへと切り替わり、方位計にピッチ計、それに速度ベクトル・マーカー。機体に掛かる荷重G数値に海抜高度計、大気速度計に兵装残弾表示、機体シルエットを模ったコンディション表示などなど、かなりの量の情報が一気に視界の中に浮かび上がる。戦闘機のHUDに映し出されているものとあまり変わらない情報ばかりだが、しかしこうして視界の中に直に浮かび上がってくれていると、かなり見えやすいというものだ。
『戦闘状況、読み込み完了。シミュレーション難易度はリアリスティック・シミュレーションに設定。…………シチュエーションの説明、する?』
「雰囲気ってモンがあるしな。悪いけどエマ、一応頼むよ」
 訊かれた一真がそう答えれば、エマは『うん、分かったよ』と小さく笑みを浮かべながら頷いて、今回のシミュレーションに於ける状況設定を告げ始めた。
『と言っても、そんなに難しい設定はないかな。前線を突破した敵中規模集団と遭遇、これの殲滅に当たるって感じ。今回は"ハーミット"も敵の中に混ぜておいたから、その処理も抜かりなく。前に僕が教えたことを、よく思い出しながらね』
「了解だ」
 そう言いながら、一真は機体の装備状況を確認する。
 ご丁寧に現実の一真機と同じ、純白の機体塗装まで仮想空間上でリアルに再現されたJS-17F≪閃電≫・タイプFがマニピュレータに持つのは、右手が93式20mm突撃機関砲、左手が88式75mm突撃散弾砲だ。背中の兵装マウントには右に散弾砲、左に突撃機関砲と、手に持つのとは逆になる形で懸架されている。加えて、両腰のマウントには日本刀にも似た形の刀、73式対艦刀が両側合わせて二本、マウントされているらしい。
 注文通りだ、と内心でひとりごちつつ、一真はパイロット・スーツのグローブに包まれた手で操縦桿を握り直した。
 ――――しかし、予想外のことが起き始めたのは、丁度その頃になった時だった。
『――――西條だ、少し邪魔をする』
 唐突に通信に割り込んできたのは、意外にも西條だった。相変わらずの白衣を羽織る格好の、歳よりも随分と若く見えるような蒼い短髪を携える西條の顔が、視界の中に浮かび上がるエマを映し出すウィンドウの横へと更に網膜投影される。
『きょ、教官っ!?』
 すると一真よりも先に、エマがそんな風に驚く。彼女にしては珍しく、本当に驚いているような顔だ。常に冷静沈着で、何処か余裕を漂わせているようなエマのこんな表情を拝める機会というのは、ある意味でかなりレアかもしれない。
 そんな馬鹿みたいなことを一真が内心で思っていると、西條は『悪いね、二人水入らずの所に邪魔をして』と詫びるように、しかし何処かニヤついた顔で言う。
『だが、折角良い具合にシミュレータ使ってるからね。こっちの補習も、ちょっと付き合って貰えると嬉しい』
「補習? っていうと……」
『ああ』一真が言葉を紡ぎ終わるより早く、西條は頷いた。『美弥のオペレータ訓練の補習、悪いけど二人、付き合ってくれるか?』
「あっ、はい。俺は構いませんけど……。エマ、大丈夫か?」
『う、うん。僕も大丈夫ですっ』
 そんな風にエマが頷けば、『そうか、悪いな二人とも。要らん手間を掛けさせて』と西條は言い、
『そういうわけでエマ、君も弥勒寺と合流してくれ』
『あっ、はい。分かりました。でも教官、僕のパイロット・スーツは……』
『そこまで必要ないよ』しかし、そんなエマの困惑を西條は一蹴する。
『この程度、パイロット・スーツを着るまでもない。そう思ってヘッド・ギアだけは持ってきてるから、悪いけど取りに来てくれ。生憎、非常用備え付けの有線接続式だがね』
 フッと不敵な笑みを浮かべながら、西條は自分の前にそのヘッド・ギアを掲げてみせる。確かに言った通り、サイド・パネルのジャックにコードの端子を突き差すタイプの有線接続式だ。
 ――――基本的に、TAMSの操縦にはパイロット・スーツが必要不可欠だ。だが、絶対というワケではない。本当に緊急を要する事態や、パイロット・スーツを着ている暇が無いとき。整備兵が機体を移動させるときや、その他諸々……。ともかくそういう状況に備え、TAMSはパイロット・スーツ無しでも普通に動かせるようになっているのだ。
 だが、無論デメリットはある。例えばパイロット・スーツを着ないことによるG耐性の低下や、データリンクでパイロットのバイタル状況を相互に確認し合えないこと。そもそもパイロット・スーツが無いことによる生存性の低下なんかがあるが、しかしスーツ無しでも、通常と同じように操縦することは可能なのだ。
 とはいえ各種情報の網膜投影や、機体動作の根幹を成すIFS(イメージ・フィードバック・システム)がパイロットの思考を読み取る為には、やはりヘッド・ギアの必要性は絶対だ。
 そういうワケで、TAMSのコクピット・ブロックには今西條が手に持つような有線接続式のヘッド・ギアが必ず備え付けられている。パイロット・スーツの非接触式コネクタが使えないが故の有線式で、その為にヘッド・ギアから伸びたコードが若干煩わしいが、しかし性能自体は通常パイロット・スーツとセットになっている物と遜色ない。
『……分かりました、教官。今行きますけれど、教官はどちらに?』
 エマがそう訊けば、西條は『対面だよ』と言って、
『04以降のオペレータ席だ。さっさと取りに来ると良い。取ったら、君は弥勒寺の横、ナンバー02のシミュレータに乗りたまえ。後の操作は、私が行おう』
『分かりました』
 そして、エマの姿が一真の視界の中から消える。暫くしてからまたシームレス・モニタが白一色にホワイト・アウトすると、それがシミュレーションの仕切り直しを一真に向けて暗に告げていた。
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