幻想遊撃隊ブレイド・ダンサーズ

黒陽 光

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第五章『ブルー・オン・ブルー/若き戦士たちの挽歌』

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 シャワーから絶え間なく滴る水音が遠くから微かに聞こえる中、瀬那が風呂に入っている間、残された一真とエマの二人は他愛の無い話をして過ごしていた。
「……少し、出ない?」
 そんな提案がエマから飛んで来たのは、一体いつのことだっただろうか。ベランダの方を指差しながらそう言う彼女の提案を承諾すれば、一真はベランダに通ずる窓を開け、そうして二人でベランダへと出てみる。
 窓を閉じれば、狭いベランダはある種の隔絶された空間へと変わり。「ふぅ……」と小さな息をつきながら手すりに両肘を掛けるエマを横目に、一真もまたベランダの手すりを背にし、そこに肘と共に軽く背中を預けてみた。
「今日は、星がよく見えるね」
 隣で夜空を見上げながら呟くエマに、一真も「だな」と小さく言葉を返してやる。
 雲なんて殆ど無い、綺麗な夜空だった。街明かりのせいで見える星の数は少ないが、しかし漆黒に染まった天蓋のキャンパスの中には、確かに点々と幾らかの星明かりが見える。白鳥座のデネブに鷲座のアルタイル、そして琴座のベガ……。夏の大三角を構成する三恒星の瞬きも、傍に浮かぶ月と共に、その黒いキャンパスの中に浮かんでいた。
「…………」
 それを、エマは黙って仰いでいた。一真は何かを話しかけようとも思ったが、しかし星空を見上げるエマの横顔が、何処か脆くて。一言でも話しかけれてしまえば、途端に壊れてしまいそうな錯覚に襲われて。だから、一真はそんな彼女に話しかけることが出来ないでいた。
「……こうして見ていると、今日、あんな戦いがあっただなんて嘘みたいだ」
「…………まあ、かもな」
 こちらを向かないまま、夜空を仰ぎながらのエマの呟きに、唯それだけの短い一言で以て一真は頷き返す。
「そういえば、暗いとこは苦手じゃなかったのか?」
「うん、まあね」一真がそうやって訊いてみれば、エマはあはは、なんて軽く苦笑いを浮かべながら、しかしやはり彼の方を向かないままでそう、肯定する。
「明かりもあるし、あの時ほどは怖くないかな。……でも、やっぱり苦手かな」
「……そうか」
「うん」頷くエマ。「暗闇の中に居ると、あの時のことを思い出しちゃいそうで。また皆、僕の前から居なくなっちゃいそうな、そんな錯覚に襲われるんだ。……あの時みたいに」
 遠い目をして呟くエマの意図が、きっと幼い彼女が巻き込まれた、あのパリでの戦いであることを、一真は暗黙の内に察してしまった。
 だからこそ、一真は何も言えない。ただ黙ったまま、彼女の言葉に耳を傾けるだけだった。
「でも、僕は負けないよ。…………これ以上、僕の大事なものを奪われたりはしない。君たちを喪うようなことは、二度と御免だ」
「……そうか」
「――――カズマ」
 フッと小さく笑みを浮かべながら一真が頷いていると、エマはそうやって、唐突に呼びかけてきた。こちらへ振り向きながら、何処か水気の気配のある双眸で、一真の方へと視線を向けながら。
「……瀬那のこと、好き?」
 あまりに唐突な、そんな問いかけに。一真は一瞬、言い淀んだ。なんて言って良いものか、分からなかった。
「……ああ」
 しかし――――彼はそれに、真っ直ぐに頷いてみせる。ここで否定することは、既に一真自身が許せなかった。己の本心に嘘をつくことなど、出来なかった。
「そっか……」
 すると、エマは小さく、何処か諦めるような笑みを浮かべてみせ。わざとらしく、儚すぎるように微笑む。
 ニコっとしたその微笑は、触れれば途端に崩れてしまいそうなぐらいに脆くて。だから一真は、これ以上そんな彼女を見ていられず。少しだけ、視線を逸らしてしまう。
「僕はね、カズマが好き、大好き。君の為だったら命だって惜しくない。狂いそうになるぐらい、君を愛してる。
 …………でもね、同時に思っちゃうんだ。やっぱり、瀬那には勝てないやって」
「…………」
 胸の内を吐露するかのような、そんな絞り出すような声色に。一真は、何も言えなかった。
 ただ、眼を逸らすことはしなかった。これ以上彼女から眼を逸らし続ければ、己が己で無くなってしまうと――――そう、思ったから。
 だから、一真はそんなエマに横目の視線を流したまま、ただ、黙っていた。黙ったままで、そんな彼女の紡ぐ言葉に、耳を傾ける。
「それでも、やっぱり僕は君が好きみたいだ。誰よりも、何よりも愛してる。愛してるからこそ、君を諦めることなんて、出来やしない。
 …………だからね、カズマ。僕は、諦めないよ。君の一番になるのは、無理だったけれど……。
 ――――それでも、良い。いっそ二番でも、構わない。それでも僕は、君を愛していたい。君に、愛されていたい。カズマ、僕は君を――――永遠に、愛していたい」
「…………」
 一真は、やはりその言葉に答えることは、出来なかった。どう答えて良いのかも、分からなかった。
 すると、エマは小さく微笑み。そして一真の方へ歩み寄ってくると――――そんな彼の胸に、己の顔を埋める。
「――――でも」
 少しの間だけで良い。少しの間だけ、こうさせてては、くれないかな……――――?
 何処か、潤んだような声音で、絞り出すような声色で言うエマを、彼は拒む術を知らず。ただ一言、「……好きにしてくれ」と、頷くのみだった。
「…………雨、降ってきたな」
 遠く、ベランダの外を眺めながら一真が呟けば、エマは「えっ?」と顔を上げようとする。
 しかし、一真はそんなエマの頭を掌で抑えつけ、半分強引に自分の胸へと押し戻してしまう。
「雨が降るんなら、濡れたって仕方ない。…………俺もたまには、雨に濡れるのだって悪くない」
 フッと小さな笑みを浮かべながら、一真が己が胸に掻き抱く彼女に向かい、そう囁きかけてやれば。そうすれば、エマはその言葉の意味を察したのか、スッと肩の力を抜いた。
「……ごめんね、カズマ」
「気にするな」
 ――――これぐらいしか、俺は君にしてやれない。
 己が胸の中で降り始めた、ささやかな小雨に打たれながら。一真は独り、胸の内でそうひとりごちていた。
(……君の優しさが、君のそんな優しさが、今は却って胸が痛くなる)
 彼の胸に抱かれながら、雨に打たれながら。エマはそう、言葉にしないままで呟く。
(でも、そんな優しい君だから…………僕は、こんなにも君を愛してしまった)
 それを諦めることだなんて――――出来ない。諦めるだなんて、出来やしない。
 ――――"恋は先手必勝、一撃必殺"。
 嘗て、己が口にしたその言葉を、エマは思い返していた。嘗て、幼き頃に己が母からも言われていた、そんな言葉を。今は亡き母から告げられていた、彼女をここまで彼の元へと突き動かした、その言葉を。
(…………愛してるよ。誰よりも、何よりも)
 だから――――諦めない。己が恋を、こんなところで諦めたりはしない。織姫みたいに、僕の彦星様と、引き裂かれたりなんてしない。そんなこと、僕がさせやしない…………。
 ――――でも。
「……本当は、君に。僕の、僕だけの王子様に、なってほしかったな…………」
 降りしきる霧のような雨の中、そこだけに降り注ぐ雨の中、その言葉は慟哭の如き微かな雨音の中に消えていく。
 雨は、いつまでとも知れず、降り続けた。それに、彼は――――ただ、黙って打たれ続けていた。
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