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第五章『ブルー・オン・ブルー/若き戦士たちの挽歌』

Int.81:ブルー・オン・ブルー/ベイルアウト

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 それは、僅か数分前のことだった。
「う、ぐ……」
 天を仰ぎ、地に伏した両腕の無い≪叢雲≫のコクピットでまどかは漸く目を覚まし。自分が何故こんなところで寝ていたのか、理解が及ばず混乱しながらも、震える手で目の前のコントロール・パネルに手を伸ばしていた。
「そう、だ。私は……」
 そうして機体の状況を確認すれば、まどかはやっと思い出す。自分があの≪飛焔≫に≪叢雲≫の両腕を斬り飛ばされ、その末にこうして地面に叩き落とされたのだと。
 意識を失ってしまったのは、きっとその時のショックか何かだろう。どれだけ長い時間が経っていたのかまでは、分からないが……。
(じゃあ、なんで私は無事に)
 しかし、そうなると不自然な点がひとつだけある。何故、こうして自分が未だに無事でいるかだ。
 あのまま行けば、地上に降りた≪飛焔≫が間違いなく自分にトドメを刺しに来ていただろう。それぐらいのこと、対人戦の経験が浅いまどかにだって分かる。
「まさか――――っ」
 そうした時に、まどかの頭にある可能性が過ぎった。何故己がこうして未だに生き長らえているか、その理由わけに恐らくは最も近いだろう可能性が。
 すると、まどかは一気に顔を蒼くして。気絶の影響でタダでさえ血色の悪い顔を文字通りの顔面蒼白にしながら、尚も震える手でコントロール・パネルの液晶モニタを叩く。
「白井、さん……!」
 ――――まどかの悪い予感は、当たっていた。
 あの蒼い≪飛焔≫と白井の≪新月≫とが、今も尚、刃を交えている。≪飛焔≫の方は分からないが、しかし白井機の方はデータリンクで自動共有される機体データを見る限り、もうボロボロも良いところだ。
 左腕は肘から下が喪失し、頭部ユニットはもぎ取られ。あちこちの配線や推進剤の燃料供給管が断裂し、彼の機体は間違いなく悲鳴を上げている。今にも限界を迎えそうな、いや限界などとうに越えたズタボロの機体に鞭を打ち、それでも白井はまだ、あの規格外の≪飛焔≫と剣を交えていた。
 さっさと脱出装置を作動させてベイルアウトすればいいのに、白井が何故それをしないのか。その理由わけはあまりにも明白で。だからこそまどかは、悔しさを滲ませながらグッと歯を食いしばった。
「私なんて放っておいて、さっさと逃げれば良かったじゃないですか……。この、馬鹿っ……!」
 絞り出す声と共に瞳に滲む涙が、目尻から流れ落ち。しかし涙を流しながらも、まどかは己に出来ることを見出していた。
「…………このまま、見過ごすことなんて」
 操縦桿を再び握り締め、≪叢雲≫の片脚を立たせる。涙の滲む瞳は、しかしその闘志の炎まで掻き消すことはしなかった。
 起き上がろうとするが、≪叢雲≫は両腕が肩からすっぽり斬られてしまっている為に、上手く起き上がれない。仕方なしにまどかはスロットル・ペダルを軽く踏み込んで、背部メイン・スラスタのちからを使って無理矢理に≪叢雲≫を起き上がらせてやる。
 そうして片膝を立てた膝立ちの格好に漸く起き上がれば、それは横倒しになっていたコクピットの中で寝っ転がっていたも同義なまどかも同様で。急激に起き上がった影響で、頭に流れていた血が重力に従いサーッと下方に流れていくと、冷え切り血の気の無かった手や足の先、末端の所に血色と、少しの熱が戻ってきた。
「…………」
 頭に上っていた血が一気に流れた影響で、一瞬フラッと世界が揺れ、少しの間だけ視界の端が黒の虚無に染まる中。少しだけ朦朧としながらも、しかしまどかは指先をコントロール・パネルに走らせ、操縦桿の選択ボタンをパチパチと押し込みながら、一気に状況を把握する。
「白井さんが相手でも、傷一つ付いていない……」
 そうして概ねの状況を把握すれば、蒼い顔をしたまどかに走る戦慄の色は、更に濃くなっていく。
 ――――白井は、決して腕が悪い方じゃない。遠距離砲撃戦の才は正に天賦の才と言っても過言じゃないほどの腕前で、格闘戦の下手さを考慮に入れても、それでもこのA-311小隊じゃあ上位に位置するほどの腕前だ。
 その白井が、傷一つ付けることも敵わず、一方的に推されている。ともすればあの≪飛焔≫のパイロットのウデはまどかにも自ずと知れ、それが凄まじいモノだと理解せざるを得ない。
(相手の腕、それこそ教官たちと同等レベル……?)
 実際に自分も一瞬だけ手合わせをした上で、それでこの光景を見せつけられてしまえば。悔しいがまどかは、そう判断せざるを得なかった。
 ――――間違いなくあの≪飛焔≫、エース・パイロットの域にまで達している。
「っ、白井さんっ!?」
 あんなのを相手にどうしたものかと思案を巡らせていたまどかだったが、しかし事態はそんな、彼女に思考をするだけの余裕を与えてはくれなかった。
 地面に着地し、仰ぎながら狙撃滑腔砲を撃ちまくっていた白井の≪新月≫に向かって、あの≪飛焔≫が突きの構えで上空から迫る。いつか何処かで見た、片手平突きの構えでだ。
「いけない、アレを油断しちゃあ……!」
 きっと、白井は横に避けるだろう。だがそれこそがあの≪飛焔≫の狙いだと、そこからの更なる追撃の一手が狙いだと、恐らく白井は気付いていない。
 間違いなく、屠られる――――。
 それを悟ってしまったまどかは、一気に顔を蒼くし。そうしながら、しかし身体だけは咄嗟に動いていた。
「全リミッター解除……。三十秒持てば、それで良い……!」
 コントロール・パネルの液晶モニタを叩く指先で、機体のスラスタや各部のリミッターを一気に全解除し。そして膝立ちの≪叢雲≫にクラウチング・スタートするみたく一気に大地を蹴り飛ばさせれば、そうしながらまどかはスロットル・ペダルを足で底まで踏み込む。
「っ……!」
 そうすれば、背中のメイン・スラスタが再び点火し。リミッターを切られ、オーバー・ロードからの自壊も構わないといわんばかりの限界を超えた出力での暴力的な加速度に、まどかは顔をしかめた。
 胸が軋み、肋骨がピキピキと嫌な音を立て。感覚はまるで大きな手に内臓を直接掴まれているような感じで、今にも握りつぶされてしまいそうな気味の悪い感触だ。
 だが、まどかはそれを歯を食い縛り、気力だけで耐え。凄まじいGで身体をコクピット・シートに釘付けにされながらも、しかし縋るように握り締めた操縦桿からは決して手を離さず、スロットル・ペダルを奥まで踏み込む足は、まるでフロアと釘付けにされたかのように離れない。
「白井さん――――ッ!!」
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