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第七章『ティアーズ・イン・ヘヴン/復讐は雨のように』
Int.16:Wingman./亡霊の二番機
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「……玲二、悩み事かしら」
ブリーフィングが終了し、解散しても尚、ブリーフィング・ルームに居残って独り椅子に座り、物思いに耽っていた玲二にそんな声を掛けてきたのは、美希だった。
「悩みってほどのことじゃない」
「でも、貴方がそこまで考え込むの、ちょっと珍しい気がするわ。――はい、珈琲」
基地内の自販機で買ってきてくれたらしい、暖かな珈琲の注がれた紙コップを「ありがとう」と玲二は受け取り。それをズズッと玲二が小さく啜っていると、美希もまた自分の分の紙コップを傾けつつ、彼のすぐ隣の席に腰掛ける。
「……さっき、津雲隊長の話してたことかしら」
「ああ」と、玲二が頷く。すると美希はフッと微かに表情を緩ませ「気持ちは分かるわ」と言い、
「だって、よりにもよって死神部隊ですもの。……玲二じゃなくても、気にはなる」
続けて美希は憂うような横顔でそう言ったが、しかし玲二は「そうじゃない」と首を横に振り、その言葉を否定した。
「違うの?」
「ンなわけないだろ。大体、俺はそういうジンクスだとか、そういうのを信じる性質じゃあないんだ」
実際、そうだった。あの≪ライトニング・ブレイズ≫の噂は知っている。知っているが、それがどうしたと玲二は声を大にして言いたかった。死神部隊がどうだとか、そんなことを気にしていてはキリがないのだ。寧ろ優秀な特殊部隊である分、他の連中よりよっぽど良い働きをしてくれるに違いないと、玲二はそうも考えている。
第一、仮にも――実際に言葉すら交わしたことがないといえ――戦友であるはずの彼らを、死神だ何だと揶揄する方が間違っているのだ。そもそも敵は人間ですらない、宇宙から降ってきた化け物どもなのに。それなのに、同じ人間……まして同じ軍の、しかも精鋭中の精鋭に対して死神だなんて言い方をすること自体、彼らへの冒涜に他ならない。
ある意味、彼らが死神部隊と揶揄されていること自体、人間という生き物の、どうしようもない愚かしさを体現していた。誰よりも優秀で、誰よりも多くの死線を潜り。そして誰よりも努力し、戦友を失い。慟哭の日々を送りながらも、死神と揶揄されようとも。それでも最前線に立ち続けている彼らにそんな言い方をすること自体が、人間の醜さを確かな形として表しているようなものだ。
だから、玲二は人間が嫌いで嫌いで仕方なかった。しかしそれと同時に、自分もそんな大嫌いな、醜い人間の一部であることを思い知らされる局面に巡り逢うこともある。その度に拒絶し、嫌気が差し。気付けば、こんな捻くれた自分が出来上がってしまっていた。
そういう意味で、隣に座る彼女――長瀬美希は、何処か人間らしくないなと感じることが多々あった。何処か感情希薄……とは違うが、物静かで落ち着いていて。物事を数歩引いたところから俯瞰しているような、そんな彼女のことを。玲二は何だかんだ言いつつも、他の人間よりは自分に対して近しい存在だと感じていた。
だからこそ、美希の今の発言は意外だった。意外と思いながらも、しかし美希もやっぱり人間なんだな、とも感じてしまう。
それは、失望しただとか。或いは見下したとか、そういう気持ちじゃない。寧ろ、今までより親近感が湧いてきたぐらいだ。こんな美希でも、噂やジンクスの類を気にすることがあるんだなと。そんな風に、玲二は親近感のような思いを隣の美希に対して抱いていた。
――――結局、こんな自分も、何処まで行っても人間でしかないのだ。
哀しいことだけれど、それを認めるしかない。認めた上で、生きていくしかないのだ。幾ら人間を嫌悪しようが、呪おうが。それでも自分が人間の一人として、この狂った世界に生まれ落ちてしまった以上、その生を全うするしかないのだから。生きられる限りを生きて、そして飛べる限りを飛ぶしかないのだから。こんな自分に与えられた、酷く醜い銀翼で。何処までも広がるようなこの蒼穹へと、羽ばたいていくしかないのだから…………。
「…………意外だわ、玲二がそんなことを言うだなんて」
ジンクスを信じる性質じゃない、と玲二がぶっきらぼうに言った後、美希は相変わらずのクールな横顔のまま、しかし少しだけ驚いたような視線を横目で流してくる。
それに玲二が「悪かったな」と珈琲を啜りながら面倒そうに返すと、美希はフッと微かに微笑み、言った。「でも、貴方らしい」と。
「……でも、だったら何をそんなに気に掛けているの?」
「美希も聞いたろ、202特機と一緒になってるアイツら」
「……訓練小隊」と、ハッとして美希。「A-311、だったかしら。京都の」
そんな美希に、玲二は「そうそう、それだよ」と、半分まで飲み干したカップを席の傍らに取り付けられていた小さなテーブル、そこのドリンクホルダーに置きながら肯定した。
「おかしいとは思わないか、美希」
美希は、敢えてなのか無言を貫き、玲二の言葉に答えようとはしなかった。だが玲二はそれを無言の肯定と受け取り、彼女の方を見ないまま、時折珈琲を啜りつつ、ぼうっと遠くを見るような眼の色で、小さく言葉を紡いでいく。
「訓練小隊の投入自体、珍しいことじゃない。それは分かってる。ましてこの戦況だ、幾ら正式任官前のヒヨッ子どもっつっても、後詰めぐらいにはなるだろうよ。
……ただ、今回の局面は、明らかに訓練小隊を混ぜるような局面じゃない。フライト・ユニットを背負わせての、強襲揚陸艦からの空中投射。それだけでも訓練生にやらせるにゃ尋常じゃないってのに、ましてデストロイヤーを六匹相手の、クソみたいな陽動作戦に放り込むだって? 冗談じゃない、司令部は気でも狂ったのか?」
最後の方は、まるで静かに怒っているかのように怒気を孕んだ声音だった。玲二も自分で気付かぬまま、言葉に変な熱が入ってしまっていた。
そんな玲二の言葉を聞いて、美希は少し俯きながら「……そうね」と頷く。
「確かに、玲二の言うことは尤もだわ。ブレイズが投入されるって話で、私はそこまで気が回らなかったけれど。でも、冷静に考えてみたら、確かに変な話よ」
「だろ?」と、玲二。「おかしいぜ、本当に。何か裏があるとしか思えない」
「裏……?」
きょとんとした顔で小さく振り向き、美希が訊き返してくる。玲二は「あくまで、俺の勝手な考えだけどな」と前置きをして、
「おかしいんだよ、幾らなんでもさ。訓練小隊を放り込むような状況じゃないってのは、司令部だって分かってるはずだ。普通に考えて、訓練小隊を投入したところで、あっさり無駄死にして折角のTAMSを無駄にするに決まってる」
「……それだけ、腕の立つ訓練小隊ってことかしら?」
「多分、そうなんだろうとは思う」と、玲二は美希の言葉を微妙な形ながら、一応は肯定してみせる。
「ただ、それだけとは思えない。第一、訓練小隊と202特機が組んでるって、一体全体それってどういう状況だ?」
「……確かに」
「あくまで俺の憶測ではある。が……どうにもこの一件、キナ臭いったらねえぜ。まず間違いなく、デカい何かが絡んでる。俺たちが想像も出来ないような、デカい何かが……」
そこまで言い終えたところで、玲二は紙コップを手に取り。残っていた珈琲をぐいっと一気に飲み干せば、空になった紙コップを手の中で握り潰した。
握り潰したそれを、ブリーフィング・ルームの前の方にあるくずかごに向かってひょい、と放り投げる。綺麗な放物線を描いて飛んでいった紙コップの残骸は、一度軽く縁で跳ねた後、そのままくずかごの中へと吸い込まれ、落ちていった。
「――――ま、俺たちが考えたところでどうしようもないし、気にしたって無駄なんだけどさ」
うーんと伸びをしながら言って、玲二は席を立つ。そして美希の方へ振り返れば、続けてこう言った。
「上がどういう意図で訓練小隊を配置したのか、そんでもって、どんな陰謀が絡んでるのか。そんなこと、俺たち下っ端が考えたところで仕方ない、全く意味のないことだ。
……だから、俺もお前も飛ぶしかないんだ、美希。俺とお前で飛べる空を、出来るだけ飛びたい形に近づけて。何があろうと、飛ぶしかないんだ。生きられる限りを生きて、飛べる限りを飛んでいくしかないんだ」
それは、数日前に津雲から言われた言葉を、半分引用するような形だったのかも知れない。それでも、この時の玲二は。それを純粋な、己の内側から湧き出てきた嘘偽りのない言葉として、美希に向かって投げ掛けていたのだ。
「生きられる限りを生き、飛べる限りを飛ぶ、か……」
そんな玲二の言葉を聞けば、美希は反芻するみたいにひとりごちた後、フッと微かに微笑んでみせる。
「貴方らしい言葉だわ、玲二」
立ち上がり、玲二の真横に並ぶ美希。身長差のせいで玲二の顔を軽く見上げるような形になってしまうが、しかし気持ちだけは対等のつもりで、美希はまた小さく微笑む。薄暗い部屋の中、仄かな空調の風に、その短くもきめ細やかな黒い髪を小さく靡かせて。
「私も、変なジンクスを気にするのはやめてみる。貴方の言う通り、気にしたところで仕方のないことだものね。
――――それに、見たくなった」
「見たくなった?」
うん、と美希は玲二のすぐ傍で、小さく、しかし深く頷く。
「貴方の飛びたい空の色を。玲二が本当に飛びたい、そんな空の形を。私も、見たくなったの。貴方の後ろで、貴方の二番機として」
いつだって、彼女は玲二と背中合わせだった。いつだって、何処でだって。彼女は自分の背中を護る、そんな二番機だった。
「……好きにしろ」
そんな関係が、きっとこの先も変わらない。玲二はそんな淡い確信を得たからこそ、敢えて普段通りのぶっきらぼうな口調でそう言い、頷く。
「これだけ長い間、俺とお前で相棒を組んできたんだ。今更、美希以外に俺の背中を任せるつもりもない。着いて来たければ、美希の好きなようにしてくれ」
ただ、これだけは言っておく――――。
「…………俺の背中は、美希。お前に預けた」
玲二がそう言うと、美希は彼の顔を小さく見上げながら、またフッと微かに微笑んでみせた。
「ええ、分かったわ――――レイス」
そして、敢えて彼の名を、彼の名ではなく。空の上での名で、銀翼に身体を預け蒼穹を飛ぶときの名、TACネームで呼んでみせる。
「俺より先に撃墜されてくれるなよ、フィックス?」
そんな風に言われて、玲二は思わず口角を軽く釣り上げながら。彼もまた礼に応じ、美希を彼女のTACネームで呼んだ。
(淡路の空、か…………)
そうしながら、玲二の視線は美希でなく、遙か遠くを向いていた。薄暗いブリーフィング・ルームの、半開きになったブラインドの向こう。窓の更に向こう側に見える、晴れ渡った蒼穹の彼方へと。
(いつか、誰もが自由に飛べる空を。俺の飛びたい空を、取り戻す)
きっと、いつか必ず。その為にも――――。
(俺は、必ず生きて帰る。津雲隊長も、三柴も、美希も。全機揃って、またこの蒼穹に戻ってくる)
点々と白い雲の浮かぶ、青々とした綺麗な蒼穹には。今日もまたターボファン・エンジンの甲高い金切り声とともに、数条の白く真っ直ぐな飛行機雲が伸びていた。何処までも続くような蒼いキャンバスの中、何処までも伸びていくかのように。
――――淡路島奪還作戦、その日は彼らのすぐ傍まで迫っていた。
ブリーフィングが終了し、解散しても尚、ブリーフィング・ルームに居残って独り椅子に座り、物思いに耽っていた玲二にそんな声を掛けてきたのは、美希だった。
「悩みってほどのことじゃない」
「でも、貴方がそこまで考え込むの、ちょっと珍しい気がするわ。――はい、珈琲」
基地内の自販機で買ってきてくれたらしい、暖かな珈琲の注がれた紙コップを「ありがとう」と玲二は受け取り。それをズズッと玲二が小さく啜っていると、美希もまた自分の分の紙コップを傾けつつ、彼のすぐ隣の席に腰掛ける。
「……さっき、津雲隊長の話してたことかしら」
「ああ」と、玲二が頷く。すると美希はフッと微かに表情を緩ませ「気持ちは分かるわ」と言い、
「だって、よりにもよって死神部隊ですもの。……玲二じゃなくても、気にはなる」
続けて美希は憂うような横顔でそう言ったが、しかし玲二は「そうじゃない」と首を横に振り、その言葉を否定した。
「違うの?」
「ンなわけないだろ。大体、俺はそういうジンクスだとか、そういうのを信じる性質じゃあないんだ」
実際、そうだった。あの≪ライトニング・ブレイズ≫の噂は知っている。知っているが、それがどうしたと玲二は声を大にして言いたかった。死神部隊がどうだとか、そんなことを気にしていてはキリがないのだ。寧ろ優秀な特殊部隊である分、他の連中よりよっぽど良い働きをしてくれるに違いないと、玲二はそうも考えている。
第一、仮にも――実際に言葉すら交わしたことがないといえ――戦友であるはずの彼らを、死神だ何だと揶揄する方が間違っているのだ。そもそも敵は人間ですらない、宇宙から降ってきた化け物どもなのに。それなのに、同じ人間……まして同じ軍の、しかも精鋭中の精鋭に対して死神だなんて言い方をすること自体、彼らへの冒涜に他ならない。
ある意味、彼らが死神部隊と揶揄されていること自体、人間という生き物の、どうしようもない愚かしさを体現していた。誰よりも優秀で、誰よりも多くの死線を潜り。そして誰よりも努力し、戦友を失い。慟哭の日々を送りながらも、死神と揶揄されようとも。それでも最前線に立ち続けている彼らにそんな言い方をすること自体が、人間の醜さを確かな形として表しているようなものだ。
だから、玲二は人間が嫌いで嫌いで仕方なかった。しかしそれと同時に、自分もそんな大嫌いな、醜い人間の一部であることを思い知らされる局面に巡り逢うこともある。その度に拒絶し、嫌気が差し。気付けば、こんな捻くれた自分が出来上がってしまっていた。
そういう意味で、隣に座る彼女――長瀬美希は、何処か人間らしくないなと感じることが多々あった。何処か感情希薄……とは違うが、物静かで落ち着いていて。物事を数歩引いたところから俯瞰しているような、そんな彼女のことを。玲二は何だかんだ言いつつも、他の人間よりは自分に対して近しい存在だと感じていた。
だからこそ、美希の今の発言は意外だった。意外と思いながらも、しかし美希もやっぱり人間なんだな、とも感じてしまう。
それは、失望しただとか。或いは見下したとか、そういう気持ちじゃない。寧ろ、今までより親近感が湧いてきたぐらいだ。こんな美希でも、噂やジンクスの類を気にすることがあるんだなと。そんな風に、玲二は親近感のような思いを隣の美希に対して抱いていた。
――――結局、こんな自分も、何処まで行っても人間でしかないのだ。
哀しいことだけれど、それを認めるしかない。認めた上で、生きていくしかないのだ。幾ら人間を嫌悪しようが、呪おうが。それでも自分が人間の一人として、この狂った世界に生まれ落ちてしまった以上、その生を全うするしかないのだから。生きられる限りを生きて、そして飛べる限りを飛ぶしかないのだから。こんな自分に与えられた、酷く醜い銀翼で。何処までも広がるようなこの蒼穹へと、羽ばたいていくしかないのだから…………。
「…………意外だわ、玲二がそんなことを言うだなんて」
ジンクスを信じる性質じゃない、と玲二がぶっきらぼうに言った後、美希は相変わらずのクールな横顔のまま、しかし少しだけ驚いたような視線を横目で流してくる。
それに玲二が「悪かったな」と珈琲を啜りながら面倒そうに返すと、美希はフッと微かに微笑み、言った。「でも、貴方らしい」と。
「……でも、だったら何をそんなに気に掛けているの?」
「美希も聞いたろ、202特機と一緒になってるアイツら」
「……訓練小隊」と、ハッとして美希。「A-311、だったかしら。京都の」
そんな美希に、玲二は「そうそう、それだよ」と、半分まで飲み干したカップを席の傍らに取り付けられていた小さなテーブル、そこのドリンクホルダーに置きながら肯定した。
「おかしいとは思わないか、美希」
美希は、敢えてなのか無言を貫き、玲二の言葉に答えようとはしなかった。だが玲二はそれを無言の肯定と受け取り、彼女の方を見ないまま、時折珈琲を啜りつつ、ぼうっと遠くを見るような眼の色で、小さく言葉を紡いでいく。
「訓練小隊の投入自体、珍しいことじゃない。それは分かってる。ましてこの戦況だ、幾ら正式任官前のヒヨッ子どもっつっても、後詰めぐらいにはなるだろうよ。
……ただ、今回の局面は、明らかに訓練小隊を混ぜるような局面じゃない。フライト・ユニットを背負わせての、強襲揚陸艦からの空中投射。それだけでも訓練生にやらせるにゃ尋常じゃないってのに、ましてデストロイヤーを六匹相手の、クソみたいな陽動作戦に放り込むだって? 冗談じゃない、司令部は気でも狂ったのか?」
最後の方は、まるで静かに怒っているかのように怒気を孕んだ声音だった。玲二も自分で気付かぬまま、言葉に変な熱が入ってしまっていた。
そんな玲二の言葉を聞いて、美希は少し俯きながら「……そうね」と頷く。
「確かに、玲二の言うことは尤もだわ。ブレイズが投入されるって話で、私はそこまで気が回らなかったけれど。でも、冷静に考えてみたら、確かに変な話よ」
「だろ?」と、玲二。「おかしいぜ、本当に。何か裏があるとしか思えない」
「裏……?」
きょとんとした顔で小さく振り向き、美希が訊き返してくる。玲二は「あくまで、俺の勝手な考えだけどな」と前置きをして、
「おかしいんだよ、幾らなんでもさ。訓練小隊を放り込むような状況じゃないってのは、司令部だって分かってるはずだ。普通に考えて、訓練小隊を投入したところで、あっさり無駄死にして折角のTAMSを無駄にするに決まってる」
「……それだけ、腕の立つ訓練小隊ってことかしら?」
「多分、そうなんだろうとは思う」と、玲二は美希の言葉を微妙な形ながら、一応は肯定してみせる。
「ただ、それだけとは思えない。第一、訓練小隊と202特機が組んでるって、一体全体それってどういう状況だ?」
「……確かに」
「あくまで俺の憶測ではある。が……どうにもこの一件、キナ臭いったらねえぜ。まず間違いなく、デカい何かが絡んでる。俺たちが想像も出来ないような、デカい何かが……」
そこまで言い終えたところで、玲二は紙コップを手に取り。残っていた珈琲をぐいっと一気に飲み干せば、空になった紙コップを手の中で握り潰した。
握り潰したそれを、ブリーフィング・ルームの前の方にあるくずかごに向かってひょい、と放り投げる。綺麗な放物線を描いて飛んでいった紙コップの残骸は、一度軽く縁で跳ねた後、そのままくずかごの中へと吸い込まれ、落ちていった。
「――――ま、俺たちが考えたところでどうしようもないし、気にしたって無駄なんだけどさ」
うーんと伸びをしながら言って、玲二は席を立つ。そして美希の方へ振り返れば、続けてこう言った。
「上がどういう意図で訓練小隊を配置したのか、そんでもって、どんな陰謀が絡んでるのか。そんなこと、俺たち下っ端が考えたところで仕方ない、全く意味のないことだ。
……だから、俺もお前も飛ぶしかないんだ、美希。俺とお前で飛べる空を、出来るだけ飛びたい形に近づけて。何があろうと、飛ぶしかないんだ。生きられる限りを生きて、飛べる限りを飛んでいくしかないんだ」
それは、数日前に津雲から言われた言葉を、半分引用するような形だったのかも知れない。それでも、この時の玲二は。それを純粋な、己の内側から湧き出てきた嘘偽りのない言葉として、美希に向かって投げ掛けていたのだ。
「生きられる限りを生き、飛べる限りを飛ぶ、か……」
そんな玲二の言葉を聞けば、美希は反芻するみたいにひとりごちた後、フッと微かに微笑んでみせる。
「貴方らしい言葉だわ、玲二」
立ち上がり、玲二の真横に並ぶ美希。身長差のせいで玲二の顔を軽く見上げるような形になってしまうが、しかし気持ちだけは対等のつもりで、美希はまた小さく微笑む。薄暗い部屋の中、仄かな空調の風に、その短くもきめ細やかな黒い髪を小さく靡かせて。
「私も、変なジンクスを気にするのはやめてみる。貴方の言う通り、気にしたところで仕方のないことだものね。
――――それに、見たくなった」
「見たくなった?」
うん、と美希は玲二のすぐ傍で、小さく、しかし深く頷く。
「貴方の飛びたい空の色を。玲二が本当に飛びたい、そんな空の形を。私も、見たくなったの。貴方の後ろで、貴方の二番機として」
いつだって、彼女は玲二と背中合わせだった。いつだって、何処でだって。彼女は自分の背中を護る、そんな二番機だった。
「……好きにしろ」
そんな関係が、きっとこの先も変わらない。玲二はそんな淡い確信を得たからこそ、敢えて普段通りのぶっきらぼうな口調でそう言い、頷く。
「これだけ長い間、俺とお前で相棒を組んできたんだ。今更、美希以外に俺の背中を任せるつもりもない。着いて来たければ、美希の好きなようにしてくれ」
ただ、これだけは言っておく――――。
「…………俺の背中は、美希。お前に預けた」
玲二がそう言うと、美希は彼の顔を小さく見上げながら、またフッと微かに微笑んでみせた。
「ええ、分かったわ――――レイス」
そして、敢えて彼の名を、彼の名ではなく。空の上での名で、銀翼に身体を預け蒼穹を飛ぶときの名、TACネームで呼んでみせる。
「俺より先に撃墜されてくれるなよ、フィックス?」
そんな風に言われて、玲二は思わず口角を軽く釣り上げながら。彼もまた礼に応じ、美希を彼女のTACネームで呼んだ。
(淡路の空、か…………)
そうしながら、玲二の視線は美希でなく、遙か遠くを向いていた。薄暗いブリーフィング・ルームの、半開きになったブラインドの向こう。窓の更に向こう側に見える、晴れ渡った蒼穹の彼方へと。
(いつか、誰もが自由に飛べる空を。俺の飛びたい空を、取り戻す)
きっと、いつか必ず。その為にも――――。
(俺は、必ず生きて帰る。津雲隊長も、三柴も、美希も。全機揃って、またこの蒼穹に戻ってくる)
点々と白い雲の浮かぶ、青々とした綺麗な蒼穹には。今日もまたターボファン・エンジンの甲高い金切り声とともに、数条の白く真っ直ぐな飛行機雲が伸びていた。何処までも続くような蒼いキャンバスの中、何処までも伸びていくかのように。
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