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Chapter-03『BLACK EXECUTER』
第二章:LONELY HEART/02
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――――真夜中。
深夜の高速道路、海沿いの湾岸線。片側六車線の広いハイウェイを西に向かってあまりにも法外な速度で突っ走る、一台のスポーツクーペの姿がそこにはあった。
二〇〇三年式、日産・フェアレディZ。
オレンジ色のボディに街灯を妖しく反射させ、低く獰猛な唸り声を上げながら風を切り疾走するそれは、型式で言うならZ33型。或いは海外向けのモデル名なら350Zというマシーン。彼が身も心も預けるそれは、底知れぬポテンシャルを秘めたチューンドカーに他ならなかった。
普段は専ら、アンジェを学園まで送り迎えする為のアシとして使っているマシーンだが。しかしそれはあくまで仮初めの姿でしかない。彼女の真の姿、本領を発揮する場所は真夜中のストリートであり、そして……こういったハイウェイに他ならないのだ。
今はいつもみたくサイドシートにアンジェの姿はなく、ボディとほぼ同色なオレンジ色の革製パワーシートはがらんとしている。強いて言えば座面に僅かな荷物が置いてある程度で、今夜の助手席はどこか物寂しいような雰囲気を漂わせていた。
「…………」
そんな助手席に一瞥もくれることなく、ステアリングを握り締めながらコクピット・シートに深く身体を預ける彼――――戦部戒斗は、どこまでもシリアスな顔でフロント・ウィンドウの向こう側、進み行く先をじっと見据えていた。
ハイビームに切り替えたヘッドライトの眩い光で夜闇を切り裂きながら、低い唸り声を上げる相棒を走らせていく。
真正面のメーターパネル、右側の針が刻む速度は……既に時速二〇〇キロを軽く超えていた。
隅々まで手を入れたマシーン、その心臓部たる排気量三・五リッターのV6エンジンが激しく脈動し、それに呼応するかのように後付けの遠心式スーパーチャージャー過給器もまた、その過給圧を上げていく。
そうすれば、スピードメーターの刻む速度は時速二二〇、二三〇、二四〇……と加速度的に右側へと更に傾き始める。
ドアやボディの隙間からうるさいぐらいに吹き込む隙間風の音も、更なるスピードの領域に踏み込むとともに高鳴っていく鼓動のせいで、不思議とあまり気にならない。神経が極限まで研ぎ澄まされる、この速度域……何もかもを忘れてしまいそうなほどに、ゾクゾクする刺激が背筋を稲妻みたいに走るのを感じる。
「…………」
更にアクセル・ペダルを奥まで踏み込んで、戒斗はスピードの世界へと身を投げ出していく。あまりにも無謀な速度域に、しかし心だけは冷静さを保ったままで。
――――迷ったとき、悩んだとき、心がどうしようもなく壊れそうなとき。そういうとき、決まって戒斗はいつもこうして真夜中のハイウェイに繰り出していた。
何故か、と問われれば……彼はきっと、ほんの少しだけどう答えていいか迷うだろう。
だが、答えは最初から決まっているのだ。アクセル・ペダルを奥まで踏み込み、心臓を鷲づかみにされたかのような極限の緊張感の中、超高速の世界に身を委ねているこの時だけは。スピードの中に溺れる、この瞬間だけは……究極の意味で無心で居られるから。
だから、戒斗は今日もこうして真夜中の湾岸線に繰り出していた。
(どうして……俺は、こうも無力なんだ)
そんな彼がZをハイスピードで走らせながら思うことは、やはりそれだった。
アンジェが神姫に覚醒してからこっち、彼はずっとどうしようもない無力感のようなものに苛まれ続けていた。
それは、アンジェに戦わせてしまっているが故の苦しみか。それとも、彼女に守られているだけの立場であることの申し訳なさと、そして辛さから来るものか。
きっと彼の場合、そのどちらともなのだ。アンジェを心の底から想っているが故に、戒斗はこうも必要以上に苦悩し続けていた。
――――正直言って、アンジェに守られていること自体は嫌じゃない。
寧ろ嬉しいぐらいだ。彼女がそこまで自分のことを想ってくれているのは、とても嬉しいことだ。
だが……アンジェを危険に晒してしまっていることも、また事実だ。
それでも、神姫なら大丈夫だと戒斗は思っていた。今のアンジェは、今までのアンジェじゃない。神姫という超常の力を得た……特別な存在なのだから、と。
それに、あんなに強い遥も一緒に居てくれるのなら、きっとアンジェは大丈夫だと……戒斗は今日の今日まで、そんな根拠のないことばかりを思っていた。いいや、自分に言い聞かせてきた。アンジェなら大丈夫だと、苦悩する自分にそう言い聞かせ続けていたのだ。
だが――――今日、彼女はああして倒れてしまった。
今日の件はバンディットとの戦闘での負傷ではなく、あくまで遥を逃がすために彼女が無理をした結果だ。アンジェは遥を逃がすために、神姫同士の戦いから彼女を逃がすために、ヴァーミリオンフォームにフォームチェンジをし……まだ慣れない領域での超加速を無理に行使して、結果的に体力切れを起こして意識を失ってしまった。
だから、本当の意味で彼女が倒れたというワケではない。今日の出来事は、あくまでバンディットとの戦い以外で起きた出来事なのだ。
それでも、戒斗は疲れた顔で眠るアンジェを見て……思い詰めてしまった。引き留める彼女を振り払い、家を飛び出してきてしまった。こうでもしないと、苦悩し続ける自分の心に押し潰されてしまいそうで。
――――要は、怖いのだ。アンジェを失ってしまうかも知れないということが、戒斗はどうしようもなく怖いのだ。
倒れた彼女の寝顔を目の当たりにして、戒斗は今日まで自分の中で誤魔化し続けてきたことを……確かな可能性として認識してしまった。いつか些細なボタンの掛け違いで、戦いの中でアンジェを失ってしまうかも知れないという……つまりは戒斗の中で、そんな恐怖心が芽生えてしまったのだ。
そして、同時にどうしようもないほどの歯痒さも彼は覚えていた。
歯痒くて仕方ない、悔しくて仕方ない。あんなにボロボロになったアンジェを前にしても、彼女に何もしてやれない……どこまでも無力な、そんな自分自身が嫌で仕方ない。
幾らヒーローに憧れたって、幾ら力が欲しいと願ったところで……現実問題、自分に力なんてありはしないのだ。神姫である彼女の隣に立っていられるだけの力なんて、ただの人間でしかない戦部戒斗にあるはずがないのだ。
どれだけ願ったところで、テレビの中の特撮ヒーローのように颯爽と彼女を助けてやることなんて出来やしない。自分は単なる、無力な人間でしかないのだから。
――――神姫である彼女と、何の力も持たない自分。
その間には、決定的な差が生まれてしまっていた。もうこの先、彼女と並び立つことなんて出来やしない。深い溝を跳び越えて、また今までのように彼女と並んで、彼女と一緒に歩いて行くことなんて……どうやったって、無力な自分には出来ない。
それを思うと、戒斗はどうにも悔しくて仕方なくて。気付けば車のキーを引っ掴み、思わずこうして飛び出してしまっていたのだった。
「…………俺は、どうしたらいいんだ」
鳥肌が立つほどの緊張感に撫でられながら、超高速の世界に浸りながら。胸の奥底に強い苦悩を抱えたまま――――戒斗は独り、闇夜を切り裂き真夜中のハイウェイを走り抜けていく。
深夜の高速道路、海沿いの湾岸線。片側六車線の広いハイウェイを西に向かってあまりにも法外な速度で突っ走る、一台のスポーツクーペの姿がそこにはあった。
二〇〇三年式、日産・フェアレディZ。
オレンジ色のボディに街灯を妖しく反射させ、低く獰猛な唸り声を上げながら風を切り疾走するそれは、型式で言うならZ33型。或いは海外向けのモデル名なら350Zというマシーン。彼が身も心も預けるそれは、底知れぬポテンシャルを秘めたチューンドカーに他ならなかった。
普段は専ら、アンジェを学園まで送り迎えする為のアシとして使っているマシーンだが。しかしそれはあくまで仮初めの姿でしかない。彼女の真の姿、本領を発揮する場所は真夜中のストリートであり、そして……こういったハイウェイに他ならないのだ。
今はいつもみたくサイドシートにアンジェの姿はなく、ボディとほぼ同色なオレンジ色の革製パワーシートはがらんとしている。強いて言えば座面に僅かな荷物が置いてある程度で、今夜の助手席はどこか物寂しいような雰囲気を漂わせていた。
「…………」
そんな助手席に一瞥もくれることなく、ステアリングを握り締めながらコクピット・シートに深く身体を預ける彼――――戦部戒斗は、どこまでもシリアスな顔でフロント・ウィンドウの向こう側、進み行く先をじっと見据えていた。
ハイビームに切り替えたヘッドライトの眩い光で夜闇を切り裂きながら、低い唸り声を上げる相棒を走らせていく。
真正面のメーターパネル、右側の針が刻む速度は……既に時速二〇〇キロを軽く超えていた。
隅々まで手を入れたマシーン、その心臓部たる排気量三・五リッターのV6エンジンが激しく脈動し、それに呼応するかのように後付けの遠心式スーパーチャージャー過給器もまた、その過給圧を上げていく。
そうすれば、スピードメーターの刻む速度は時速二二〇、二三〇、二四〇……と加速度的に右側へと更に傾き始める。
ドアやボディの隙間からうるさいぐらいに吹き込む隙間風の音も、更なるスピードの領域に踏み込むとともに高鳴っていく鼓動のせいで、不思議とあまり気にならない。神経が極限まで研ぎ澄まされる、この速度域……何もかもを忘れてしまいそうなほどに、ゾクゾクする刺激が背筋を稲妻みたいに走るのを感じる。
「…………」
更にアクセル・ペダルを奥まで踏み込んで、戒斗はスピードの世界へと身を投げ出していく。あまりにも無謀な速度域に、しかし心だけは冷静さを保ったままで。
――――迷ったとき、悩んだとき、心がどうしようもなく壊れそうなとき。そういうとき、決まって戒斗はいつもこうして真夜中のハイウェイに繰り出していた。
何故か、と問われれば……彼はきっと、ほんの少しだけどう答えていいか迷うだろう。
だが、答えは最初から決まっているのだ。アクセル・ペダルを奥まで踏み込み、心臓を鷲づかみにされたかのような極限の緊張感の中、超高速の世界に身を委ねているこの時だけは。スピードの中に溺れる、この瞬間だけは……究極の意味で無心で居られるから。
だから、戒斗は今日もこうして真夜中の湾岸線に繰り出していた。
(どうして……俺は、こうも無力なんだ)
そんな彼がZをハイスピードで走らせながら思うことは、やはりそれだった。
アンジェが神姫に覚醒してからこっち、彼はずっとどうしようもない無力感のようなものに苛まれ続けていた。
それは、アンジェに戦わせてしまっているが故の苦しみか。それとも、彼女に守られているだけの立場であることの申し訳なさと、そして辛さから来るものか。
きっと彼の場合、そのどちらともなのだ。アンジェを心の底から想っているが故に、戒斗はこうも必要以上に苦悩し続けていた。
――――正直言って、アンジェに守られていること自体は嫌じゃない。
寧ろ嬉しいぐらいだ。彼女がそこまで自分のことを想ってくれているのは、とても嬉しいことだ。
だが……アンジェを危険に晒してしまっていることも、また事実だ。
それでも、神姫なら大丈夫だと戒斗は思っていた。今のアンジェは、今までのアンジェじゃない。神姫という超常の力を得た……特別な存在なのだから、と。
それに、あんなに強い遥も一緒に居てくれるのなら、きっとアンジェは大丈夫だと……戒斗は今日の今日まで、そんな根拠のないことばかりを思っていた。いいや、自分に言い聞かせてきた。アンジェなら大丈夫だと、苦悩する自分にそう言い聞かせ続けていたのだ。
だが――――今日、彼女はああして倒れてしまった。
今日の件はバンディットとの戦闘での負傷ではなく、あくまで遥を逃がすために彼女が無理をした結果だ。アンジェは遥を逃がすために、神姫同士の戦いから彼女を逃がすために、ヴァーミリオンフォームにフォームチェンジをし……まだ慣れない領域での超加速を無理に行使して、結果的に体力切れを起こして意識を失ってしまった。
だから、本当の意味で彼女が倒れたというワケではない。今日の出来事は、あくまでバンディットとの戦い以外で起きた出来事なのだ。
それでも、戒斗は疲れた顔で眠るアンジェを見て……思い詰めてしまった。引き留める彼女を振り払い、家を飛び出してきてしまった。こうでもしないと、苦悩し続ける自分の心に押し潰されてしまいそうで。
――――要は、怖いのだ。アンジェを失ってしまうかも知れないということが、戒斗はどうしようもなく怖いのだ。
倒れた彼女の寝顔を目の当たりにして、戒斗は今日まで自分の中で誤魔化し続けてきたことを……確かな可能性として認識してしまった。いつか些細なボタンの掛け違いで、戦いの中でアンジェを失ってしまうかも知れないという……つまりは戒斗の中で、そんな恐怖心が芽生えてしまったのだ。
そして、同時にどうしようもないほどの歯痒さも彼は覚えていた。
歯痒くて仕方ない、悔しくて仕方ない。あんなにボロボロになったアンジェを前にしても、彼女に何もしてやれない……どこまでも無力な、そんな自分自身が嫌で仕方ない。
幾らヒーローに憧れたって、幾ら力が欲しいと願ったところで……現実問題、自分に力なんてありはしないのだ。神姫である彼女の隣に立っていられるだけの力なんて、ただの人間でしかない戦部戒斗にあるはずがないのだ。
どれだけ願ったところで、テレビの中の特撮ヒーローのように颯爽と彼女を助けてやることなんて出来やしない。自分は単なる、無力な人間でしかないのだから。
――――神姫である彼女と、何の力も持たない自分。
その間には、決定的な差が生まれてしまっていた。もうこの先、彼女と並び立つことなんて出来やしない。深い溝を跳び越えて、また今までのように彼女と並んで、彼女と一緒に歩いて行くことなんて……どうやったって、無力な自分には出来ない。
それを思うと、戒斗はどうにも悔しくて仕方なくて。気付けば車のキーを引っ掴み、思わずこうして飛び出してしまっていたのだった。
「…………俺は、どうしたらいいんだ」
鳥肌が立つほどの緊張感に撫でられながら、超高速の世界に浸りながら。胸の奥底に強い苦悩を抱えたまま――――戒斗は独り、闇夜を切り裂き真夜中のハイウェイを走り抜けていく。
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