威嚇の棘が向かう先

流音あい

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威嚇の棘が向かう先

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 ちょっと話があるんだけど、という彼女からの初めての呼び出しに、俺は正直浮かれていた。
 カフェに着くと、満面の笑みで彼女に近づき、向かいの席に腰を下ろした。彼女が緊張気味なのはいつものことなので置いておくとして、話の内容が気になるところ。
 最近漸く笑ってくれるようになった彼女からの、初めてのお誘い。まだ俺のことは少し怖がっているようだけど、それももうすぐ無くなるはずだ。彼女からこうして連絡をくれることようにまで距離が縮まっているのだから。
 どこか行きたいところがあるのだろうか。彼女からのお誘いならどこへだろうとYESだ。
「それで話って?」
 うん、あのね、と彼女が俯きがちに、控えめな声で話し出す。
「あの、やっぱり……私たち、別れた方がいいんじゃないかと思って」
「え?」
 俺は笑顔を張り付けたまま、彼女の言葉を頭の中で反芻した。



 彼女は最初から俺のことが苦手だった。出会った頃、金の短髪に耳には三つのピアス、ゴツイ指輪にネックレスもつけていた俺は、彼女のような清楚系タイプから見ると怖い部類に入るのだろう。仲良くなろうと声をかけては目を逸らされ、話していても表情は強張り、近寄ればじりじりと後退していく。話しかける度に彼女はきっと、俺に早くどこかへ行ってくれないかと思っていたに違いない。
「あ、紀美花ちゃん、今日お昼サンドイッチなの?」
 出会って二週間くらい経った頃、友人とランチ中の彼女を見つけて声をかけた。
「俺も今日サンドイッチ。一緒だね」
「……うん」
「そのコンビニのサラミチーズ美味いよね。チーズも二種類入ってるし、サラミが結構分厚いじゃん? お得感あるよね」
「……うん」
「俺も今日それにすればよかったなー。俺は今日タマゴサンドの方にしちゃったんだよね。それにしてたらお揃いだったねー」
「……そうですね」
 あの日も彼女の表情は強張っていて、相変わらず俺と目を合わせようとしなかった。それでも無視されたわけではないので満足していた。
「じゃあ、またねー」
 とりあえず会話は出来たので、彼女から離れて友達のところへ戻る。あまり居座っては嫌われる。距離感は保たなければ。
 俺が離れるとわかると、安堵のためかようやく顔を上げて目を合わせてくれた。俺が手を振ると、律儀に手を振り返してくれる。こういう優しさも好きだし、見送ってくれる姿は可愛くてたまらない。小さく手をちょこんと上げて、左右に揺らす姿はまるでハムスター、いやハリネズミだ。
 つぶらな瞳の愛らしいハリネズミは、敵に遭遇すると身体を丸めて身を守る。敵はハリネズミの背面を覆う棘によって、触れようとすれば刺されてしまう。近づこうとする俺がそっけない態度にちくちく胸を刺されているのと同じだ。
 俺の方は、彼女からすればヤマアラシだろうか。ヤマアラシは身を守るためというより攻撃するために棘を使う。俺自身は攻撃するつもりはないが、彼女にはまだそれが伝わってない。近づくだけで刺されると怯えられている。
 遠ざかってから再度振りむくと、彼女はすっかりリラックスした様子で友達との会話に戻っていた。あの自然な笑顔をいつの日か俺にも向けてもらうために、俺はその後も積極的に近づいた。

 彼女との出会いは、一緒に大学内を歩いていた友人が、知り合いを見つけて女集団の一人に話しかけにいった時。俺は紙パックのジュースを飲みながら話し終わるのを待っている間、向こうでも同じように待っている女子たちをなんとなく眺めていた。そのとき突然、その中の一人から目が離せなくなった。
 透き通るような白い肌に大きな黒い瞳。顔のパーツなんて大体みんな同じなのに彼女だけが輝いて見えた。小柄な彼女の鎖骨辺りまである黒髪は、友人たちと笑うたびに戯れるように揺れていて、気付けば俺の目は釘付けだった。
 向こうもこちらを見ているようだったが、彼女だけはなかなかこちらを見てくれない。話終わった友人が戻って来ると、向こうも友人達の方へ戻った。すると俺を一度も見なかった彼女が安堵の表情を浮かべ、俺は心を奪われた。次の瞬間、彼女が俺を見た。一瞬だけですぐに逸らされてしまったけれど確実に目が合った。俺は一直線に彼女へ向かう。
「ねえ君、名前何ていうの」
「え?」
 今度ははっきり俺を見ている。彼女が友人たちに助けを求めて視線を投げている間、俺は大人しく答えを待った。
「さ、沢針さわはりです」
「下の名前は?」
「え」
「下の名前もおしえて」
「……き、紀美花きみかです」
「へえ、俺は矢間荒 衛やまあら まもる。連絡先教えて」
 その時から彼女が怯えていたのは知っている。嫌そうな顔、というより怖がっている顔。俺もそこまで鈍感じゃない。
「いえ、あの……ごめんなさい」
「そっか」
 すぐに俺が引いたことでほっとしたらしく、彼女はふわりと力が抜けて笑顔になった。その微笑みがまた俺の胸を騒がせた。
「じゃあまた今度ね。バイバイ」
 苦笑いした彼女に背を向けて、俺は友人たちのところへ戻った。
「何、お前あの子気に入ったの」
「うん。絶対付き合う」
 それからは彼女と接触するたびに話しかけた。何度も顔を合わせて話していればそのうち慣れる。
 気後れしている彼女のために、遊びに誘うときは必ず友人たちも一緒。映画にカラオケ、ゲーセン、居酒屋。これだけ一緒に行動していれば、二人きりにはなれずとも話す機会は増える。彼女の友人たちとも仲良くなったし、相づち程度の会話から徐々に言葉も多くなり、彼女の警戒心が少しずつ解かれていくのを感じた。

「そう言えばさあ、矢間荒くん指輪ごついよね」
「ん? ああ、そうだね」
「それケンカ用とかなの?」
 授業終わりの教室で話しているとき、紀美花ちゃんの友達にそんなことを聞かれた。
「別にそういうんじゃないよ。デザインが好きなだけ」
「いや、そのごつさは絶対ケンカしてるように見えるって」
「偏見だからそれ」
「紀美花もそれ怖がってたし」
「え、そうなの?」
 あんまり気にしていなかったがそう見えるらしい。二人分離れたとこにいた彼女にも聞いてみる。
「う、うん、まあ」
「あれで殴られたら痛そう、ってみんなで話してたんだよね」
 紀美花ちゃんも頷いた。
「殴らないよ。でもそうなんだ。これ怖いんだ」
「まあ……ちょっと、威圧的っていうか」
「そっか。じゃあこれ外すね」
 彼女の目の前で指輪を外すとポケットにしまった。好きではあったが、そこまでこだわっていたわけでもない。俺の行動が予想外だったのが、彼女が珍しいものを見るような顔で俺を見る。
「いる? あげよっか」
 外したばかりの指輪を見せると、彼女は首を横に振った。それから指輪は付けなくなった。


「矢間荒くんっていつから金髪なの」
「高二かな」
「ふーん。矢間荒くん、顔もいかついしガタイもいいからそれで金髪だと余計危険な人に見えるよね」
「マジで? え、紀美花ちゃんもそう見える?」
 聞いてみると、こくりと頷いた。
「そっか。じゃあそろそろ飽きたし変えようかな。紀美花ちゃんは何色がいいと思う?」
 雑談にはだいぶ慣れたようで、ちょっと近づいて話しかけても目を合わせてくれるようになっていた。
「好きな色でいいんじゃないかな」
「紀美花ちゃんは何色が好き?」
 目は口ほどにものを言う。紀美花ちゃんの目からは、そんなことを聞かれても、という思いが伝わってきた。
「紀美花ちゃん、赤とかオレンジとか好きだっけ。あ、ピンクとかはどうかな? 柔らかい印象になるかも」
「……明るい色の方がいいの?」
 興味なさそうだったのでふざけて言ってみたら、初めての質問をされた。テンションが上がって勢いのまま一歩近づいたら、ちょっと身を引かれてしまった。
「暗い色の方が好き? アッシュ系とか? ダークブラウン?」
「……普通に、そのままでいいんじゃないかな」
「金髪?」
「いや、黒髪」
「黒髪好き?」
「好きっていうか……その方が、いいかなって」
「そっか。じゃあ黒にしよ。今日帰ったら染めるね」
 家に帰って即行で黒にした翌日、さっそく彼女に見せに行った。
「みてみて紀美花ちゃん。黒にしたよ」
「ホントだ」
 このとき初めて彼女が俺を十秒以上見つめてくれた。もの珍しげに見つめる彼女は好奇心が勝っていて、俺への警戒心が限りなくゼロに近かった。物理的な距離もだ。そのまま腕を広げれば抱き締めることさえ出来そうで。このとき我慢した俺は称賛に値する。
 彼女の俺への恐怖心は確実に薄れてきている。俺は自分の努力が実っていくのを噛みしめた。

 数か月にわたる努力の末、普通に話しかけても逃げられなくなった頃、俺は次の段階へと進んだ。
「紀美花ちゃん、今度映画行こうよ。この前観たいって言ってたやつ」
「うん」
「土曜とかどう?」
「うん、いいよ」
「じゃあ二人で行かない?」
「……うん」
 ついに成功した俺は、内心飛び跳ねてガッツポーズして脳内お祭り騒ぎだった。
 それから順調にデートを重ね、何度も交際を申し込み、五度目のデートで漸くOKをもらえた。
 心はまだ許してくれていなかったので強引なことはしないよう、彼女を怯えさせないよう、注意深く接してきた。
 上手くいっていると思っていた。笑顔も見せてくれるようになったし、手も繋げた。キスはまだだけど順調だと信じて疑わなかった。それなのに。

「あの、やっぱり……私たち、別れた方がいいんじゃないかと思って」
 最近やっと、まともに付き合え始めたと思ったのに。もうだいぶ打ち解けて、それほど怖がられてもいないと思っていたのに。
「な、なんか嫌だった? 俺何かした?」
「ううん、矢間荒君は悪くないの。ただ、私がちょっと……」
 やめてくれ。俺が悪くないっていうなら、それはつまり。
「他に誰か好きなヤツとか」
「あ、そうじゃなくて」
 違うんだ。良かった。今の否定の感じはたぶん本当だ。言い当てられて慌てているわけではなさそうだ。ってことはやっぱり。
「じゃあ、やっぱり俺が何か」
「違うの。矢間荒君は悪くなくて……私がちょっと、怖くなっちゃって」
 まだ怖がられていたのか。もう大丈夫だろうと思った俺の読みが甘かった。見た目はだいぶ大人しくなったけど、まだ怖い要素があったらしい。
「何が怖いの? 顔が怖いとかならどうしようもないけど、態度とかなら気を付けるし、絶対紀美花ちゃんの嫌がるようなことはしないって約束するし、他にも」
「そうじゃないの。そういうことじゃなくて……あの……」
 言葉に詰まっている彼女は今にも泣きそうで。
「はっきり言っていいよ。俺も紀美花ちゃんのホントの気持ち知りたいし」
「あの」
「うん」
 出来る限り優しく聞こえるように柔らかい声を出す。
「矢間荒君が、最近よく、楽しそうにしてるとこ見てて」
 楽しそう?
「……笑顔が怖い、とか」
「そうじゃなくて」
「良かった」
「私と一緒にいない時の方が、楽しそうだなって」
「え?」
「矢間荒君、私にはすごく気を遣ってくれてるでしょ。態度も口調も優しいし、強引なことしないし。だから矢間荒君、無理してるんだなって。私といても疲れるだけなんじゃないかなって」
「それは違うよ。紀美花ちゃんと一緒にいたくてやってることだし、気を遣ってるとかじゃなくて、どっちかっていうとそういうプレイみたいなもんだよ」
「……プレイ?」
 あ、なんか言葉間違った気がする。
「いや、それはちょっと語弊があるか。変な意味で言ったんじゃないんだけど」
 ふっ、と。彼女が微かに笑った。良い兆候だ。
「とにかく無理とかじゃないから。紀美花ちゃんと一緒にいたいだけだからさ」
 彼女の顔がまた曇る。せっかくちょっと和んだと思ったのに。
「ごめんなさい。私お付き合いとか慣れてなくて」
「俺だって慣れてないよ。一緒に慣れてけばいいじゃん」
 俯いて黙ってしまった。
「とにかく、さ。どうしたら俺のこと怖くなくなるかな」
「矢間荒君が怖い人じゃないのはわかってる。最初は怖かったけど、優しい人だってわかったから。私が自分を制御できないだけなの」
「恐怖心は制御なんてしなくていいんだよ。誰だって怖いものは怖いしさ」
 俯く彼女に、なんとか言葉をひねり出す。
「無理はしなくていいよ。でも別れなくてもさ。ほら、会う頻度減らすとか、もうちょっと時間をかけていくとか、他にもやりようがあるんじゃないかな」
 彼女は何も答えてくれない。もうダメなんだろうか。
「どうしても別れなきゃ、ダメかな」
 もうどうしようもないのだろうか。それとも怖いというのは口実で、本当は他に理由があるのだろうか。実は最初から生理的に無理だったとか言われたらどうしよう。
「私、矢間荒君のことはホントにもう怖くないの」
「でも、さっきは怖くなったって」
「私が怖いのは……矢間荒君が、他の女の子と笑ってるの見た時に、嫉妬、しちゃってて」
「……うん?」
 突然飛び出した想定外の単語に首を傾げる。
「最近矢間荒君が私以外の人といる時、すごくのびのびしてるなって気づいたの。男の子同士の時はわかるんだけど、女の子と話してる時も、私といるときよりリラックスしてる感じで、楽しそうで」
 それはリラックスというか、気を抜いているだけというか。
「最近矢間荒君のこと見つけると目で追っちゃってて。そうしたら、そういうことに気が付いて、それで……怖くなっちゃって」
「え、何が?」
「矢間荒君に嫌われるのが」
「え、は、え? なんで、どこでそう思ったの?」
「私が無理させてるんだなって。このまま付き合ってたら、矢間荒君のこと苦しめちゃうって」
「苦しめる?」
「矢間荒君、私と一緒のときは無理してるし、他の子と一緒のときは楽しそうだし。私束縛しちゃうタイプだったみたいで、他の子といて欲しくないって思っちゃって。だからこのまま付き合ってたら、矢間荒君も辛くなるだろうし、そうしたら……私のこともイヤになるだろうなって。だから別れた方がいいかなって」
 怒涛の急展開に頭がついていかない。何がどうなってそうなったんだ。彼女はもう俺のことは怖くなくなっていて? いつの間にか嫉妬するほど俺を好きになっていて? 他の子と一緒にいて欲しくなくて? 束縛しちゃいそうで? で、俺に嫌われる?
 頭の中をいろんな思いが駆け巡る。たっぷり一分は固まっていたと思う。だが今の流れで別れようとするのが理解できない。
「えっと、別れる必要はないんじゃないかな」
「でも苦しめちゃうから」
「何で?」
「私が嫉妬しちゃうから」
「すればいいじゃん。俺だってするよ」
「でも……」
 俯く彼女は今までとはどこか違って見えた。それはきっと、怯えられていないかどうか判断するためのフィルターが俺の中から消えたからだ。
 今の彼女はもう俺のことが好きで、なら俺がすべきことはひとつしかない。
「うーんと、あのさ。とりあえずそっちいっていい?」
「え」
「抱きしめていい?」
「えっ?」
 今はカフェだ。向かい合って座っているし、触れ合うには手を伸ばすか隣に行くしかない。
「い、今はダメ」
 何その言い方。そんな可愛い言い方初めて見た。ダメとか、そんな顔を赤らめながらのそんな発言。そうだ、今まではこんなシチュエーションになることすらなかった。そういう空気にならないように努めてきたから。
 今の俺はきっと初めて彼女を見つけた時と同じような眼をしてる。いや、あの時より数倍鋭さは増しているだろう。獲物を見つけて逃すものかというこの思い。それがあふれ出てしまっている。彼女がハリネズミなら、俺の眼差しに身の危険を感じて完全にまるまって棘の塊になっているかもしれない。
「確かに俺は無理してたかもしれない。紀美花ちゃんに怖がられたくなかったし。でもそれは俺がやりたかった無理だし、紀美花ちゃんが望むならずっと続けるつもりでいた。でも」
 腰を上げ、テーブルの下に隠れていた彼女の手を掴んだ。
「もう紀美花ちゃん、俺のことは怖くないんだよね」
 俺の眼差しを受けて、見つめ返してくる彼女。本人の言う通り、もう俺への恐怖心は消えている。俺の読みは間違っていなかった。今までずっと彼女が怯えてるかどうかだけは注意深く見てきたからわかる。今そわそわしているのは俺を怖がっているからじゃない。
「で、紀美花ちゃんはもう、俺のこと好きなんだよね?」
 逃げようとした手を捕まえる。頬が緩むのを止められない。
「別れる必要ないよ。怖がらなくてもいい」
 彼女の身を守るための棘は、相手を傷つけるためじゃない。なのに傷つけてしまうと怯え、本来は外側に向いているその棘を自らに向けてしまっている。
「やっと両想いになれたんだしさ。そんなに難しく考えないで大丈夫だよ」
 彼女の手に指を絡めてしっかり握る。
「今までのそっけない態度の方が俺にはきつかったし、嫉妬くらいで傷ついたりしないよ俺は」
 表情から不安が消えていくのがわかる。嫉妬の罪悪感も薄らいでいるのだろう。彼女から棘が抜けていく。
「だからこれからもよろしくね、紀美花ちゃん」
 にっこり微笑んでそう言うと、彼女もゆっくりと笑みを浮かべた。
「うん。よろしくお願いします」
 ハリネズミは怖がらせなければ棘も脅威じゃない。やっと思いが報われた。
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