100日後に死ぬ彼女

変愚の人

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大学に入って感じたのは、授業がつまらないということだ。
程度が低いわけではない。ただ、大講堂で遠くから講義を聞くだけの、受け身の授業は退屈さしか感じない。
週に何回かある実験も、さほど僕の心を興奮させるものではない。教授が求める答えを、ただ実験で導きだすだけだ。
教養課程ーーリベラルアーツというものは、こういうものなのかもしれない。ただ、理系でゼネラリストを育てようとすることに、何の意味があるのかは甚だ疑問だった。
だから僕は、ダメ元で専門課程のゼミに応募した。何かしらの刺激がそこにあるのでは、と考えたからだ。

それが、青山ゼミだ。

正直、2年生枠1人に僕が選ばれるとは思ってなかった。学業成績自体はそこそこだったけど、中高からエリート街道を歩んできた連中に勝つことはあまり期待してなかった。
今でも、なぜ僕が青山ゼミに入れたかはよく分からない。一つ言えるのは、将来ノーベル賞を取るだろうと言われている天才、青山憲剛教授の指導は、とてつもなく刺激的ということだ。

総合図書館にいる僕は、手帳を見る。休み明けのゼミまで、あと1週間。それまでに、この論文を読み終わらなければ……

「竹下君」

低い声が、僕の耳に届いた。ハッとして振り向くと、背の高い神経質そうな白衣の男性が、静かに立っている。

「……!!何でしょうか、青山先生」

「オルド・テイタニアの論文は、もう読んだか」

「は、はい。先生と共同で発見された人工元素、『オルディニウム』の性質について、ですね」

「そうだ。隅から隅まで、完全に理解したか」

僕は黙り込んだ。正直、まだ内容の3割ほどしか理解できていない。
核分裂の際に新元素がプルトニウム以上のエネルギーを生じるだけでなく、従来とは違う性質の放射線も発するという点ぐらいは分かったけど。その原理はさっぱりだ。

青山教授が不機嫌そうに眉をひそめた。

「次のゼミでは、この論文の査読を行う。今からそれでは困る」

「す、すみません……」

正直、ゼミの内容は高度で、ついていくのがやっとだ。理学部でも選りすぐられた学生が所属するだけあって、議論にもなかなか参加させてもらえない。

青山教授は、僕の何を買っているんだろうか。

気が付くと、彼の姿は消えていた。というか、青山教授はてっきり研究室にいるものとばかり思っていたけど、図書館に何かの用事でもあったのだろうか。
首を捻りながら、僕は難解極まりない論文に目を戻した。

*

「……ふう」

家路についたのは夜9時を回ってからだ。家の近くにある麻婆麺屋で腹を満たす。
LINEには由梨花からのメッセージがあった。今週末にちょっと遠出をしないか、ということらしい。
10月になれば新学期が始まる。忙しくなる前に、彼女との時間はできるだけ作っておきたかった。
幸い、ここ数日は悪夢は見てない。土曜に由梨花と会って、精神的に落ち着いたおかげだろう。

マンションが見えてきた。さて、週末はどこに行こうかな……


「……?」


エントランスの前に、誰かいる。……子供?こんな遅い時間に、一人で?
塾か何かの帰りだろうか。向こうを向いて、誰かを待っているようだけど。


その人影が、こちらを向いたのが分かった。明かりに照らされた、その顔は……


「……えっ」


水色のジャケットに、少し立った髪の毛。そして、黒いフレームの眼鏡とその奥に見える鋭い目。


そう、それは間違いなく、先週の月曜に会った、「名探偵コナン」似の少年だった。


僕の心に、例えようのない恐怖がわき上がった。一体、何のために?まさか僕に、何か用なのか?
そして、秋分の日に僕の後を尾行していたのは、こいつだと直感した。あれはやはり、幻覚ではなかったのだ。

「コナン」は、ゆっくりと僕に近付いてくる。逃げる?こんな子供の脚なら、きっと振り切れ……


少年が、銃のようなものを向けたのが分かった。


「逃げようとするなら、撃つ。手荒な真似はしたくない」


僕は、その場にへたりこみたい気持ちを、必死になって抑えた。
何だこれは。一体、こいつは何なんだ!?

これが悪夢の続きで、現実ではないことを心から願った。……しかし、「コナン」の姿は段々と大きくなり、そして僕の前で止まった。

「竹下俊太郎さん、だね」

僕は震えながら頷いた。やはり、僕の名も知っている。

「すまない。抵抗しなければ、あなたに危害は加えない。大事な、極めて大事な話がある。10分ほど、時間をくれないか」

「は、話って」

「それは後でだ。人に聞かれるとよくない。申し訳ないが、こちらに来てくれ」

「コナン」は銃らしきものをジャケットの内ポケットにしまった。近くで見ると、どうも拳銃とは違う何かのようだ。
1分ほど歩くと、ワンボックスカーが見えた。「コナン」はドアを開けると、「入ってくれ」と僕を後部座席に促した。

運転席には中年の男がいる。……父親だろうか。

「き、君は、何者だ」

「コナン」が男の方を見た。

「やはり『思い出して』はいないね。僕の顔を見て、過剰に反応はしてたけど」

「『覚醒レベル』は恐らく1、だな」

「もう少しあるといいけど。それはこれから分かる」

覚醒レベル?一体、何を言ってるんだ?

「コナン」がもう一度、僕を見た。

「僕が何者か、その説明をするには多分時期尚早だ。申し訳ないが、あなたは質問に答えてさえくれればいい」

「し、質問」

「ああ。簡単な質問だ。……最近、勘が鋭くなったという気はしないか。まるで、この先何が起こるのか、事前に理解できているような」

背中に冷たいものが走るのが分かった。

心当たりは、ある。株式相場がいつ上がり、下落するのか。理屈ではなく、直感的に理解できた。
だから、僕はそんなに大した知識もないのに、投資で儲けられていた。ただそれに従い、先読みして売買すればよかったのだ。
それは、ただ勘が鋭いだけだと思っていた。……違うのか?

「コナン」の目が、鋭さを増した。

「心当たり、あるようだね」

「何が、言いたいんだ」

「次の質問だ。最近、悪夢は見ていないか」

汗の量が、一気に増えた。

「……なぜそれを」

「……『覚醒レベル』、2かもね」

「思ったよりは進んでいるな。お前のことは、うっすら覚えている程度のようだが」

男の言葉に、「コナン」が小さく頷く。

「これなら、少し話してもよさそうだ。竹下さん、あなたが見ている悪夢の内容、大体見当が付く。マンションが倒壊した夢じゃないか?」

驚きのあまり、声も出ない。本当に、何者なんだ?

「沈黙は肯定と受け取るよ。それはただの悪夢じゃない」

「コナン」が少しだけ、身を乗り出した。



「それは、2021年12月29日に起きるであろう、『未来の事実』だ」



僕が返事を返すまで、数秒かかった。意味が分からない。

「……は?まさか、君は未来人とでも言うのか?」

「半分当たりだ。そして、あなたも」


こんなSF小説みたいなことが、現実にあり得るのか?
ただ、思い当たるフシがないわけではない。……あの悪夢は、夢にしてはあまりにリアルすぎる。


「僕も、だって?」

「その可能性はかなり高い。ただ、完全に『思い出してはいない』。正直、それでよかったとは思ってるけどね」

「もう少し、ちゃんと説明してくれ!」

「さっきも言った通り、それにはまだ時期が早い。あなたがもう少し、『未来の記憶』を思い出してからの方がいい。
もっとも、人格そのものまで『思い出されたら』、僕はあなたを消さなきゃいけなくなるかもしれないが」

「消す?どうして?」

「僕らにとって、あなたは要監視対象だ。これも今の段階じゃ詳しく言えないが。とりあえず、今のあなたは危険じゃない。むしろ、協力者になり得る」

「コナン」が男の方をまた見た。

「……言っていいかな、父さん」

「『コナン』、構わない」

「了解」

「コナン」が僕の目を、じっと見つめた。その圧は、小学生のそれじゃない。これに匹敵するのは、青山教授ぐらいだ。

「竹下さん、あなたにしてもらいたいことがある。エバーグリーン自由ケ丘の倒壊を防いで欲しい。何としてでも」

「……え」

「あの倒壊による死者は413人。その中に、あなたの恋人である木ノ内由梨花さんが含まれている。
ここで重要なのは、木ノ内さんを救うことじゃない。413人の命を救うことだ」

「ど、どうやって!?」

「倒壊事故の原因は、事故直前に起きた震度5の地震によるものとされている。……ただ、真実は不明だ。だから、それを明らかにしてほしい」

「僕は、ただの大学生だぞ!?そんなことが、できるわけ……」

「コナン」が微かに笑った。

「協力者は、既に動いているよ。そして、エバーグリーン自由ケ丘に行く機会がある君なら、きっと役立てるはずだ」

「協力者?」

「そのうち分かるさ。そして時間が経てば、君も『目覚める』ことになる」

「……警察には」

「基本的に、言っても信じないだろうさ。もちろん、今夜のことも。それに、よしんば信じた場合は、確実に面倒なことになる」

「コナン」の言うことには、妙な説得力があった。話し方含め、この少年がどう見ても見かけ通りの年齢でないのは明らかだった。まるで「見た目は子供、頭脳は大人」の、あのコナンのように。

「由梨花には、話した方が」

「やめておくべきだ。いきなり死期を告げられて、平静でいられる人間がいると思うか?」

その通りだった。しかし、こんなことを、いつまで秘密にできるのだろう?……正直、自信はない。

「君たちが、解決に動けばいいじゃないか」

「そうしたいけど、僕らには別にやらなきゃいけないことがある。何より、エバーグリーン自由ケ丘に、自然な形で入っていけるのは、あなただけだ」

そう言うと「コナン」は、ワンボックスのドアを開けた。

「また会うことになるだろうね。とりあえず、あなたの方でも探ってみてくれ。協力者からの連絡も、近いうちに来るだろう」

降ろされた僕は、ワンボックスが走り去るのを茫然と見ていた。




……由梨花が「死ぬ」まで、残り92日……それは覆せる、運命なのだろうか?



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