100日後に死ぬ彼女

変愚の人

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「じゃあ、行ってくる」

誰もいない玄関で、私はそう呟いた。明美も篤も、私をいないものとして考えているらしい。
だが、それは好都合でもあった。むしろ、色々詮索された方がやりにくい。

私はキャリーバッグを引きながらマンションを出る。少し離れたところに、白田のアルファロメオが停まっていた。

「すみません、少し遅れました」

「結構ですよ。では、参りましょうか」

キャリーバッグを押し込み、私は後部座席に座る。助手席には、この前会った美樹さんがいた。

「柳沢と、大仏の行方は」

「まだ分かりません。そちらの方は、異常は」

「今のところは、特に」

ブロロロ……という重いエンジン音と共に、車は滑るようにして走り出す。


あれから一週間。私は、まだ自宅にいた。

明美が私の寝首をかくかも知れないという恐れはあった。ただ、別居するにしても、手順が要る。
また、「前の週の私」を彼女が殺したのだとすれば「逆に言えば12月29日までは安全である可能性が高い」と白田は言った。「歴史は変更を嫌う」ことからすると、人の行動はおおむね前の週に沿ったものになるということ、らしい。

それでも、いざという時に逃げ込める部屋を用意してもらうのは間違いでないように思えた。何より、柳沢と大仏が、いつ私に牙を剝くのかは、全く分からないからだ。
今日は、その下見になる。……何より、遙さんがどうしているかが心配だ。


「竹下君たちは」

「こちらもとりあえずは、何もなしですな。監禁されていた佐藤優結さんは暴行を受けていたため、メンタルケアのために入院させていますが。
例の非破壊検査装置は、2週間後には出来上がるそうです。そちらも、エバーグリーン自由ケ丘への根回しを始められた方がよろしいかと」

「……そうですか」

私は、安堵とも失望ともつかぬ溜め息をついた。安堵は検査の見通しが立ちそうなことについて。失望は、柳沢と大仏の行方不明についてだ。

坂本という男への事情聴取は、存外難航しているらしい。口が固く、弁護士を呼ぶと一点張りしているそうだ。
そもそも、毛利刑事たちは本物の警察ではあるが、警察庁や警視庁とは別の指揮系統下にある。「弁護士を呼んで法律で勝負されると、いかにも分が悪い」とは白田の弁だ。
結局、トップである柳沢か大仏を捕まえねば話にならないという。そして、その二人の姿は、いまだにようとして知れない。

柳沢は、妻と長い旅行に出たという。もちろん、それは名目だろう。大仏は体調不良を口実に休職願を出したそうだ。こちらも、その後の足取りはつかめない。

「なぜ、あいつらは消えたんでしょうか」

白田に向けて、ずっと抱えていた問いを投げかける。白田はしばらくの沈黙の後、静かに答えた。

「可能性は幾つか。まず、そもそも『グレゴリオ』のトップが別にいて、その人物が2人を消しにかかった。とはいえ、深道のディスコードからしてこの可能性は薄いですな。あくまでトップは『デウス』と『ビショップ』でしょうから。
2つ目の可能性は、内ゲバ。追い詰められた2人の間でトラブルが起き、それに伴い姿を消さざるを得なくなった。
もちろんこの可能性はありますが、その割には行動が迅速です。先週坂本が逮捕されたのとほぼ同時……いや、あるいはその前に、姿を消しているわけですから。
最後の可能性は、『地下潜伏』。このままじっと待つことで、12月29日のタイムアップを待とうということですな」

「待ったところで、このままだと瑕疵が証明されますよ」

「ええ。ですから、彼らはまだ『弾』を残している。元住口会の安原という男が、『グレゴリオ』に関与している可能性が高まっています。こちらは坂本と違い、『プロ』ですな。
坂本については、成功すればそれでよし、失敗したら足手まといの尻尾切りという認識だったのでしょう。だから、失敗を知って……あるいは予期して、地下に潜った。
一度ほとぼりが冷めるまで耐えて、ギリギリの所で動き出しにかかる。そんな肚と見ますな」

「つまり警戒は、まだ解くべきではないと」

「そういうこと、ですな……とすると」

白田の表情が、少し険しくなった。

「え」

「……やめておきましょう。とりあえず水元さん、当面は普段通りに過ごしてください。ただ、細君に妙な動きがあったら、すぐに連絡することです」

*

アルファロメオは首都高を六本木で降りると、ミッドタウンの近くのマンションで停まった。

「もっと人里離れた場所にあるのかと」

「セキュリティを考えたら、都心の方が安全なのですよ。それに、木を隠すなら森とも言う。
ワンフロアを我々で押さえています。丸井遙さんも、ここに」

どのぐらいの費用がかかるのだろうという言葉が出そうになって、やめた。よく考えてみれば、「未来の記憶」を持つ彼らにとって、金を儲けるのはたやすいことだ。
それは「グレゴリオ」が、何より証明していた。

3重のセキュリティを通り抜け、ようやくマンションの一室に通された。2LDK、男が一人住むには少々広い。
ベッドや家具、家電一式は全て揃っているようだ。六本木であれば、買い物にも不自由はないだろう。

「とりあえず、着替えなどは持ってきていただいたものを使う感じになりますな。まだ、こちらで泊まる必要性はないかと思いますが。何かご不明な点や、要望は」

私は小さく首を振った。至れり尽くせりだ。

「ありがとうございます。こちらに移る時は」

「一報入れさせていただきます。何分、いつ『待避』が必要になるかも分からない。だからこそ、今日はこうやって着替えなどを持ってきていただいたわけですが。
今日はこの後、どうされますか?せっかくなので、軽くランチでも」

白田の誘いに頷きかけて、止めた。

「遙さんも、誘いますか」

「それもそうですな」

すると白田は、隣の部屋のインターフォンを押した。……隣だったのか。

「はい。……白田さん。それに、水元さんも」

少し驚いたような顔をして、遙さんが出てきた。何一つ変わりなく、元気そうだ。

「……どうも。この一週間、大丈夫でしたか」

「え、ええ。白田さんたちのおかげで、店も開いたままにできたので。今日はお休みにしてますが」

はにかんだように彼女が笑う。

「そ、それは良かった。これから、白田さんと食事に出るのですが……どうですか」

「いいですね!それじゃ、少しお化粧してくるので待っててくださいね」

パタパタと、彼女が奥に消えた。化粧なしでも、明美の倍は魅力的に見える。
……参った。これは完全に惹かれている。

「若いですなあ」

白田がからかうように笑った。

*

「えっ、恋人同士なんですか」

遙さんが目を丸くしてフォークを置いた。美樹さんは嬉しそうに白田の腕を引き寄せる。

「そうなんですよ。ね、兵さん」

「……まあ、な」

いつも余裕の白田が、珍しく焦っているように見えた。私はラグーソースをパスタに絡めながら訊く。

「年齢差は、どのぐらいなんですか」

「……一応、35、ですかな」

「愛に年齢は関係ないですよ、水元さん」

美樹さんがウインクする。……本当に35歳差なのだろうか。美樹さんが「リターナー」でないとしたら、それこそ50以上は歳が離れているはずだが。どうにもこの2人には、謎が多い。

「年齢は関係ない、ですか」

独り言のように遙さんが呟く。確かに、彼らに比べれば私たちの年齢差など、大したものではない。
それにしても、彼女の私に対する好意は明確だった。こうやって隣り合って座っているが、ボディタッチが明らかに多い。意識しないでいろという方が難しい。

これまでの私なら、それでも自分の感情を押し殺していただろう。だが、もはや私の先に平穏はない。
全てが終わった後、恐らく家庭は崩壊するだろうし、職も失うだろう。それでも私は先に進まねばならない。ちっぽけな平穏など、もはや守る意味もない。

とすれば、彼女の好意に応えるべきなのだろうか。だが、この好意が「歴史」に基づくものなのか、それとも私の本心によるものなのか……そこを、判断しかねている。

私は、思わず口を開いた。

「遙さんは、どこまで……『未来の記憶』があるんですか」

「……白田さんから、聞いたんですね」

「厳密には、白田さんの部下、ですが。『前の週』において、私たちがどういう関係だったかも、推測ではありますが知っています」

遙さんが、視線を落とした。

「……前にも言ったかも知れませんけど、多分10年前にお会いした時に、既に私は水元さんに惹かれてたと思うんです。そのきっかけが、いつかという違いだけで」

「じゃあ、私たちは」

「……そこは、ぼんやりとしか。ただ、水元さんが特別な人だったということと、恐らくいなくなってしまうであろう人であることは、覚えてました」

白田がふうと息をつく。

「時間がリセットされても、巡り合う人は巡り合う。そういうようにできているのですよ。そして、それは極力止めるべきではない。自然の摂理に逆らうことですからな」

「なら、あなたたちは、どうして」

「……この先の未来は、決して明るいものではない。むしろ真逆だ。等加速度的に悪くなる……『これまでもそうだった』。だから、私たちは敢えてそれに抗うことにしたのですよ。今のところ、それはまずまず上手くいっている。
ただ、干渉は最小限にとどめているつもりです。本当に歴史の流れを左右する重大案件と、そのトリガーになる事象のみに手を加える。それが私たちの役割です」

遠い目をして、白田が呟いた。そして急に笑顔になり、「難しい話をすると、折角の料理がまずくなっていけない」と食事に戻った。

美樹さんが、私たちを交互に見る。

「こういうことは、あまり難しく考えない方がいいですよ。愛なんて、理屈で片付くものじゃないんですから」

妙に達観した物言いだ。この人もきっと「リターナー」なのだろう、と私は思った。

*

マンションに戻り、私は一息ついた。あのまま帰ってもよかったのだが、家に帰った所でやることはない。
ならば、こうして一人でいた方がまだいい。とりあえず、久々に安心できる時間だ。
ベッドの上で大の字になっていると、急に眠気が襲ってくる。レンドルミンなしで入眠できるのは、相当久しぶりの経験だった。


……


…………


ふと目が覚めると、すっかり暗くなっていた。時間は……19時か。
明美には、遠出の出張と伝えていた。もちろん噓だが、帰るにはそう悪い時間でもない。ただ、腹は減っている。
ここはコンシェルジュに頼めば、店屋物を持ってきてくれるという。そうしようかと備え付けの固定電話に手を伸ばした時、インターフォンが鳴った。


モニターには、遙さんが映っていた。


「……はい」

「遙です。まだ、いらしていたんですね」

「ええ。どうか、しましたか」

「……ちょっと、お邪魔していいですか」

鼓動が早まる。「いえ、ちょっと」と口に出しそうになったが、誘惑が勝った。

「……どうぞ」

彼女の手は、ビニール袋を握っている。形から判断するに、お酒か何かだろうか。

「ご飯、食べられました?」

「いえ」

「……せっかくなので、軽く一杯、どうですか」

「……分かりました」

彼女を迎え入れる。リビングにあったテーブルに、ビニール袋が置かれた。

「どうして私がまだいると」

「勘です。なんとなく……それに、この機会を逃したら、水元さんは手の届かない場所に行ってしまう気がして」

彼女の瞳が、揺れているのが分かった。


……そうか。そういう運命、なのだな。


私は彼女を強く抱き寄せた。すぐに、胸の内に彼女が顔をうずめる。

「いいんですね」

「……ええ。きっと、ずっと……こうなることを待っていましたから」


「遙」が、目を閉じた。もはや、私にも迷いはない。


*


結局、その日私が家に帰ることはなかった。


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