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キーホルダー
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臭い、と笑われた。一着のみの学校制服、ずっと洗って着てを繰り返している。庭の隅の方で、茂みに隠れて肌を晒す。擦り切れてそろそろ穴が空きそうなショーツを見るが、新しい下着なんて手に入らないのだろうな。肌に触れる衣類を濡らして、手で汚れを擦り落とす。冷たい水を体にも浴びせ、ブルブルと鳥肌が立つのを感じながら、体の汚れや匂いを落とす。赤い月は時々眼のように見える。だからなんとなく赤い月から隠れたい。私が裸で衣類や体を洗っているのを、誰にも見られないようにと祈りながら、手早く済ませる。震えながら部屋に戻る。
一応絞ったが、ずぶ濡れの衣服は私の歩いた道を作る。狭い使用人部屋に帰り着いた。部屋に鍵をかけて、やっと呼吸ができる。濡れた衣類を脱いで、部屋に張ったロープに乗せる。明日までに乾くように祈りを込める。こんな生活をする内に、不思議と私は宗教の重要さを知った。祈り、という行為は、自分を慰める効果がある。
トコドコドコドコドン。リズムを刻んでゲラゲラと笑う声。また来た、あいつら。調理場担当の使用人達だ。夜になって私が休もうとすると、部屋の扉をドラムにするのだ。
「なあ人間チャン、粘液どこから出してんの? ナメクジみたいに跡作って」
耳を塞ぐ。大きな音が怖い。叫び声を上げながら、足でドアを蹴っているようだ。ドアが壊れてしまっては困る。私は急いで服を身につけ、意を決して鍵を開けた。勢いよく内側にドアノブを引っ張り、やはり蹴りを入れようとしていたらしい低俗な輩が部屋に倒れ込んだ。そいつの後ろにも何人もいる。
「悪くないリズムだけど、それは今度楽器でやって。ドアと楽器を間違えないでしょ?」
貼り付けた笑顔で対応する。笑え、ナツミ。笑顔は武器にも鎧にもなる。ひくつく頬に手を当てて、そうだ、同級生にもこんなヤンチャな男の子が、
ぐわん、と頭が揺れた。ゴッと音がして、後頭部がとても痛くなる。頭を殴られたのか蹴られたのか、人ではない者の動きは速すぎて私には見えない。目の前がチカチカと点滅する。頭、痛い。後ろにあった椅子に打ちつけたらしい。崩れるように尻餅をついた私に影がかかる。蜥蜴の尻尾と鱗を持つ男は、見下すように私を見ていた。
「勘違いするなよ。お前は飼われてるだけなんだよ」
後頭部に受けた衝撃で、頭がぼんやりしていた。とにかくへらへらした顔を作る。気味が悪いとか言って帰ってくれないかな。ゴツいブーツの蜥蜴男は、威嚇するように舌を出していた。
「お前……」
蜥蜴男が私の足を引っ張る。引っ張られて、スカートがめくれ上がり、恥ずかしい秘所が丸見えになった。下着を着る時間はなかった。慌ててスカートで隠すが、蜥蜴男はニヤニヤしながら私を部屋の外へ引きずっていく。
前を必死に隠すが、お尻が丸見えだ。部屋の外の廊下には、調理担当の連中が舌舐めずりして集まっている。
「オイこの人間さまは下着を身につける頭も無いらしい!」
ガラの悪い男達は怪しく目を光らせた。やばい、これは相当危ない状況なのでは? 下卑た1人が「乳首も透けてる」と指摘する。慌てて隠して沈黙した。顔を上げられない。嫌な笑い声が聞こえてくる……。
音がした。風を切る音、そして何かが肉に刺さるような音。笑い声が一斉に止んだ。
「随分楽しそうだな。騒音の元は誰だ」
少しのタイムラグがあって、蜥蜴男が私の上に倒れてきた。その体にはいくつもの氷の柱が突き刺さっている。ニヤけ笑いのまま、頭にも氷が刺さっていた。即死である。
ゆっくり近付いてくる靴音。静まり返って青ざめた調理場の男たち。凍り付くようなこの時間。あの声は、私を拾った、領主様の声……。思わず息が止まる。
集まっていた男たちは場所を空け、コイツです、と先ほどの言葉に答えるように指を差す。誰も彼もが私を指差していた。
「コイツか」
領主様は、指差された私、ではなく、私の上に覆いかぶさっている、氷に射抜かれて死んだ蜥蜴男を拾い上げた。首を掴んでだらりぷらぷらと。蜥蜴男も体格は悪くないが、領主様にそうされているとオモチャのキーホルダーのように見えた。
へら、と思わず笑ってしまう。キーホルダー。なんて悪趣味なんだろう。恐怖が自身の表情をおかしくさせていた。
領主様は優しげな垂れ目を私に向けて、「何を笑っている?」と聞いた。目だけは優しそうなんだけどな。この方は、いつお会いしても、恐ろしい。
「あはは、私の国にですね。キーホルダーっていうんですけど、動物とかの人形を小さく作ってカバンとかにぶら下げるんです。そういう文化があって」
「そうするとどうなる?」
「どうなる……そうですね。カバンが自分の所有物だ、とすぐ見てわかるようになったりします」
へぇ……と領主様は悪い顔をなさった。ああ、今の私の話は、なんとか彼のお気に召したらしい。胸を撫で下ろす。
「領主様、俺達はその人間と、そいつの小競り合いを見にきただけで……解散してもよろしいでしょうか」
よく言うよ。と思った。それより死んだこいつ、料理長じゃなかったか? 次は誰が繰り上がるんだ……マシなやつだったらいいな。蜥蜴男は、私への配給をめちゃくちゃに減らすので大嫌いだった。
「構わん、早く散れ」
おやすみなさいませ、と口々に言って連中は足早に去っていった。クモの子のようだ。私も部屋に帰っていいだろうか。それとも今日が命日か。
「うん、お前……その格好でよく男の前にでられたものだな。意外と肝が座っている」
「お褒め預かり光栄ですわ」
私はまた俯いた。くしゃみが出た。夜風が冷たい。
「キーホルダー。面白い発想だ。人形ではないが、お前の部屋にこれをやろう。表のドアに吊り下げておけば、すぐに自分の部屋がわかるだろう?」
寒さで震える私は、そんなのキーホルダーじゃない……と思いはしたものの、逆らうのが怖い。にこりと寒さで引きつった笑顔を向ける。
「私の背では、ドアに括り付ける余裕がありません」
領主様はクツクツと笑った。
「欲しがりだな」
蜥蜴男の首に、光る糸のようなものが一周二周と巻きついて、ドアの表側に括り付けられた。木の杭がドアの上に刺さっている。氷は溶け始めて、少しずつ血液の臭いが広まっている。うわこれ思っていた以上に嫌だな。
「キーホルダーより、新しい服の方が嬉しいんですが……」
小声で呟いたが、昔映画で見たエルフのような尖ったお耳はしっかりと聞き取れたようで、「メイド長から貰わなかったか?」と言われた。
「いえ、全く」
「そうか。キーホルダーが増えるな」
「いえ本当に結構です……」
ドアを開ける時に重そうだ。
一応絞ったが、ずぶ濡れの衣服は私の歩いた道を作る。狭い使用人部屋に帰り着いた。部屋に鍵をかけて、やっと呼吸ができる。濡れた衣類を脱いで、部屋に張ったロープに乗せる。明日までに乾くように祈りを込める。こんな生活をする内に、不思議と私は宗教の重要さを知った。祈り、という行為は、自分を慰める効果がある。
トコドコドコドコドン。リズムを刻んでゲラゲラと笑う声。また来た、あいつら。調理場担当の使用人達だ。夜になって私が休もうとすると、部屋の扉をドラムにするのだ。
「なあ人間チャン、粘液どこから出してんの? ナメクジみたいに跡作って」
耳を塞ぐ。大きな音が怖い。叫び声を上げながら、足でドアを蹴っているようだ。ドアが壊れてしまっては困る。私は急いで服を身につけ、意を決して鍵を開けた。勢いよく内側にドアノブを引っ張り、やはり蹴りを入れようとしていたらしい低俗な輩が部屋に倒れ込んだ。そいつの後ろにも何人もいる。
「悪くないリズムだけど、それは今度楽器でやって。ドアと楽器を間違えないでしょ?」
貼り付けた笑顔で対応する。笑え、ナツミ。笑顔は武器にも鎧にもなる。ひくつく頬に手を当てて、そうだ、同級生にもこんなヤンチャな男の子が、
ぐわん、と頭が揺れた。ゴッと音がして、後頭部がとても痛くなる。頭を殴られたのか蹴られたのか、人ではない者の動きは速すぎて私には見えない。目の前がチカチカと点滅する。頭、痛い。後ろにあった椅子に打ちつけたらしい。崩れるように尻餅をついた私に影がかかる。蜥蜴の尻尾と鱗を持つ男は、見下すように私を見ていた。
「勘違いするなよ。お前は飼われてるだけなんだよ」
後頭部に受けた衝撃で、頭がぼんやりしていた。とにかくへらへらした顔を作る。気味が悪いとか言って帰ってくれないかな。ゴツいブーツの蜥蜴男は、威嚇するように舌を出していた。
「お前……」
蜥蜴男が私の足を引っ張る。引っ張られて、スカートがめくれ上がり、恥ずかしい秘所が丸見えになった。下着を着る時間はなかった。慌ててスカートで隠すが、蜥蜴男はニヤニヤしながら私を部屋の外へ引きずっていく。
前を必死に隠すが、お尻が丸見えだ。部屋の外の廊下には、調理担当の連中が舌舐めずりして集まっている。
「オイこの人間さまは下着を身につける頭も無いらしい!」
ガラの悪い男達は怪しく目を光らせた。やばい、これは相当危ない状況なのでは? 下卑た1人が「乳首も透けてる」と指摘する。慌てて隠して沈黙した。顔を上げられない。嫌な笑い声が聞こえてくる……。
音がした。風を切る音、そして何かが肉に刺さるような音。笑い声が一斉に止んだ。
「随分楽しそうだな。騒音の元は誰だ」
少しのタイムラグがあって、蜥蜴男が私の上に倒れてきた。その体にはいくつもの氷の柱が突き刺さっている。ニヤけ笑いのまま、頭にも氷が刺さっていた。即死である。
ゆっくり近付いてくる靴音。静まり返って青ざめた調理場の男たち。凍り付くようなこの時間。あの声は、私を拾った、領主様の声……。思わず息が止まる。
集まっていた男たちは場所を空け、コイツです、と先ほどの言葉に答えるように指を差す。誰も彼もが私を指差していた。
「コイツか」
領主様は、指差された私、ではなく、私の上に覆いかぶさっている、氷に射抜かれて死んだ蜥蜴男を拾い上げた。首を掴んでだらりぷらぷらと。蜥蜴男も体格は悪くないが、領主様にそうされているとオモチャのキーホルダーのように見えた。
へら、と思わず笑ってしまう。キーホルダー。なんて悪趣味なんだろう。恐怖が自身の表情をおかしくさせていた。
領主様は優しげな垂れ目を私に向けて、「何を笑っている?」と聞いた。目だけは優しそうなんだけどな。この方は、いつお会いしても、恐ろしい。
「あはは、私の国にですね。キーホルダーっていうんですけど、動物とかの人形を小さく作ってカバンとかにぶら下げるんです。そういう文化があって」
「そうするとどうなる?」
「どうなる……そうですね。カバンが自分の所有物だ、とすぐ見てわかるようになったりします」
へぇ……と領主様は悪い顔をなさった。ああ、今の私の話は、なんとか彼のお気に召したらしい。胸を撫で下ろす。
「領主様、俺達はその人間と、そいつの小競り合いを見にきただけで……解散してもよろしいでしょうか」
よく言うよ。と思った。それより死んだこいつ、料理長じゃなかったか? 次は誰が繰り上がるんだ……マシなやつだったらいいな。蜥蜴男は、私への配給をめちゃくちゃに減らすので大嫌いだった。
「構わん、早く散れ」
おやすみなさいませ、と口々に言って連中は足早に去っていった。クモの子のようだ。私も部屋に帰っていいだろうか。それとも今日が命日か。
「うん、お前……その格好でよく男の前にでられたものだな。意外と肝が座っている」
「お褒め預かり光栄ですわ」
私はまた俯いた。くしゃみが出た。夜風が冷たい。
「キーホルダー。面白い発想だ。人形ではないが、お前の部屋にこれをやろう。表のドアに吊り下げておけば、すぐに自分の部屋がわかるだろう?」
寒さで震える私は、そんなのキーホルダーじゃない……と思いはしたものの、逆らうのが怖い。にこりと寒さで引きつった笑顔を向ける。
「私の背では、ドアに括り付ける余裕がありません」
領主様はクツクツと笑った。
「欲しがりだな」
蜥蜴男の首に、光る糸のようなものが一周二周と巻きついて、ドアの表側に括り付けられた。木の杭がドアの上に刺さっている。氷は溶け始めて、少しずつ血液の臭いが広まっている。うわこれ思っていた以上に嫌だな。
「キーホルダーより、新しい服の方が嬉しいんですが……」
小声で呟いたが、昔映画で見たエルフのような尖ったお耳はしっかりと聞き取れたようで、「メイド長から貰わなかったか?」と言われた。
「いえ、全く」
「そうか。キーホルダーが増えるな」
「いえ本当に結構です……」
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