半妖の陰陽師～鬼哭の声を聞け

第七話 冥がりの地

　ああ。なにゆえに――。
　かの嘆なげきに雨が降る。
　白い骸むくろが嘆く日に雨が降る。
　なにゆえと、問うてくる。
　我が声が聞こえたらば、華はなを辿たどれ。
　その華は死し人びと花ばな。
　華を辿れば自然と昏くらがりの地に着くという。

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　小お倉くら山さん東とう麓ろく――、かの地は荒こう涼りようと広がっていた。
　風ふう葬そう地ち・化あだし野の――、人の多くは亡くなるとここに埋まい葬そうされる。埋葬と言っても、ただ地に置かれるだけだが。
　既すでに朽くちたものがあれば、最近のものと思われる遺い骸がいがある。すぐ側そばの木では、枝に留まっている数羽の鴉からすが、屍し肉にくを啄ついばむその機き会かいを待っている。
　残ざん酷こくだと思うが、これが現実である。
　皇族や貴族は荼だ毘びに付されて墓に入るが、多くの民は鳥ちよう獣じゆうによって朽ちていく。
　地を吹く風は、土つち埃ぼこりとともに晴明の狩衣を煽あおる。
　まるで、早く昏くらがりに沈めと早いといわんばかりに。
　晴明は嗤わらった。
　まだ彼ひ岸がんに渡るつもりも、昏がりに沈むつもはなかったからだ。昏がりは人が抱える心の闇、一人旅立つ黄泉よみの世界。
　半はん妖ように生まれた彼は、最さい期ごはどちらで眠るのか。
　化け生しようととして塵ちりとされるのか、それとも人としてこの地で骨となるのか。
　さすがにこの未来さきは、占おうとは思わなかった。
　見てしまえば、迷いがさらに強くなる。
　もし人でいられなくなったら――。
　人と妖の血がせめぎ合い、こちらへこいと綱を引く。まったく厄やつ介かいな形に生まれたもんだと、晴明は自身を嗤った。だが、晴明が訪れようとしているのは化野ここではない。
  この近くに妖あやかしが潜ひそんでいるという。
　先に、兄あに弟で子しの賀か茂も保やす憲のりが向かっている筈はずである。
　歩き始めてまもなく、岩に腰を下ろしている老ろう婆ばがいた。
　その老婆が唄うたっている。その唄に、晴明は目を瞠みはった。

　ああ、なにゆえに。
　かの嘆なげきに雨が降る。
　白き骸むくろを濡らす雨が降る。
　嘆きの雨は華はなを咲かす。
　その華の名は死し人びと花ばな。
　華を辿たどると、自然に昏くらがりの地に着くという。

「媼おうなどの」
　思わず声をかけた晴明に、老婆はゆっくりと顔を上げた。その目は光を有してはおらず、晴明の視線と絡むことはなかった。
「どなた――ですかの？」
「いきなり声をかけ申し訳ない」
　老婆は誰ぞを弔とむらいに化野ここにいるのか、それとも偶ぐう然ぜんに立ち寄っただけなのか、足となる杖つえは彼女をここへ誘いざなうには心こころ細ぼそい細ほそさである。
「この唄はある日、聞こえてきましてのぅ。あなたさまには、聞こえなんでしたかの？」
　老婆は晴明が尋たずねる前に、唄のことを切り出した。
「いえ……」
「――それは残念じゃ……」
　なにが残念なのか、老婆は多くは語らない。
　ある日、かの唄は聞こえてきたという。盲もう目もくゆえに、そうした音などに敏感なのか、奇き妙みようかつ哀しげなかの唄は、老婆の耳に届いたのであろうか。
「まさに――この地にふさわしい」
　光を宿さぬその目を細め、老婆は呟く。
　化野は風葬地、数多くの魂こん魄ぱくが集まる所。だがそうしたモノの中には、この世に未み練れんを残し、彼岸に渡れぬモノもある。己おのれが亡くなった理由もわからぬモノもいる。
　なにゆえ、自分はここにいるのか。
　なにゆえ――と。
　雨など降らずとも、秋になればここにも華は咲くだろう。紅あかい彼ひ岸がん花ばなが。
　晴明は奇妙な老婆に辞じ儀ぎをし、狩衣の袂たもとを翻ひるがえした。

「この先はさらなる昏がり。気をつけるがよい。――阿倍晴明」

　背に突き刺さる声に、晴明は躯からだを強こわ張ばらせ、老婆を振り返った。
　だがそこにあの老婆の姿はなく、青い彼岸花が風に揺れていた。
　はたしてあの老婆は何者だったのか。化野に眠る誰かなのか、それとも妖あやかしが見せた幻か。「昏がり？　だから行くのではないか」
　罠であろうと、行かねばならない。
　陰陽師として――。
『晴明』
　ふっと降りた神しん気きに、晴明の緊張は解けた。
「騰とう蛇だ、妖よう気きの正体、わかったのか？」
　十二天将の一人・騰蛇は、宙に浮いた姿勢で腕を組んでいた。
『ああ。この先の廃はい寺でらに、大おお髑ど髏くろがいた』
「大髑髏？　あの大髑髏か？」
　晴明はこれまで実際に対たい峙じしたことはないが、もし想像したモノが間違っていなければその妖の名は『がしゃどくろ』という。
　小こ山やまひとつほどの大きさで、死者たちの骸がい骨こつや怨おん念ねんが集まって巨大な骸骨の姿になったとされる。夜中にガチガチという音を立ててさまよい歩き、生者を見つけると襲いかかり、握りつぶして食べると言われる有名な妖である。
『場所が場所だけにいてもおかしはないが、なにかおかしくはないか？』
　怪け訝げんなその顔に、晴明も眉を寄せた。
　そう、なにかがおかしい。
　大髑髏ほどの妖ならば、晴明の占いにも出る。だが今回、悉ことごとくそれを覆くつがえされることが起きている。人を喰くっているという蛟みずち、内裏を彷徨う幽ゆう鬼き、そして大髑髏、蛟に関しては式しき盤ばんですら異変を読めさせなかった。
　それでいて、謎の声が晴明の耳に届くようになった。
　なにゆえ――、そう問いかける声の意味はなんなのか。
　もしかすると、真しんに祓はらわねばならない相手は他にいるかも知れない。
『既すでに賀か茂もの息子が対峙しているが、お前はどうする？　晴明』
「ここで、ああそうですかと帰るわけにはいかん。何もかの罠だろうとだ」
　晴明の決意に、騰蛇はふっと笑った。

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　その寺は――、化野に彷さま徨ようモノたちを弔うために建こん立りゆうされたという。しかし最初の法ほう師しが彼岸の者となると後に続く者はなく、寺てらは朽くちていったらしい。
「保やす憲のりどの！」
　遅れてやってきた弟弟子せいめいに、賀か茂も保やす典のりは振り向いた。
「遅かったな？」
「すみません……」
　大髑髏は文字通りの姿をしていた。
　なにを食べたらそんなに大きくなるのか、地上にいる生き物は大髑髏を超えるモノはいないだろう。
　黒く空いた眼がん窩か、カタカタとなる歯、普通の髑髏されこうべは何度か見たことがある晴明でも、小山一つほどの大髑髏には戦せん慄りつを覚える。
　晴明は結けつ印いんし、真しん言ごんを唱となえる。
「オン、アミリトドハン、バウンパッタソワカ！」
　呪じゆが放たれるが、大髑髏ともなるとその骨は硬いと見えて、跳ね返されてしまう。
「まったく、あんなモノに噛かみつかれたら早くもあの姿にされる」
「保典どの、その冗じよう談だん、笑えませんよ」
「人間、皮と肉を削そがれれば、誰もあんなものだぞ？　晴明」
　確かに人は亡くなると、等しく同じ骨となる。
　なれど――。

『なにゆえ……』
　大髑髏が呟つぶやく。
「……？」
『なにゆえ……我だけがかような目に遭う。なにゆえ――……』
「晴明、どうした？」
　大髑髏の嘆きが、晴明に流れ込んでくる。
　それが漂う妖気の仕業だと気づいた時は、周りはふっと何もかも消えて晴明は冥がりにいた。軽く舌した打うちした晴明である。
　周りは漆黒の闇である。隣にいた保憲も、眼がん前ぜんにいた大髑髏もいない。晴明だけが闇の中にいた。
（まったく、なにゆえと嘆きたいのはこっちのほうだぞ？）
　だが晴明には、見慣れた光景であった。
　子供時代、自分で作り出して逃げ込んでいた冥がり。現在いまもたまに現れて誘ってくるかの地に、ここは酷こく似じしていた。となれば――。
　どうやら強い妖気と亡もう者じやの霊れい気きが、晴明を冥がりの地に飛ばしたようだ。
　そんな晴明の前――、誰かが走ってくる足音があった。
　胡う乱ろんに眉を寄せた晴明が見たのは、水すい干かん姿すがたの童こど子もだ。
　何かに追われているのか、必死な童子が晴明に近づいてくる。はっきりしてくるその顔に、晴明は愕がく然ぜんとした。
　その童子は、幼い頃の晴明自身だったからである。
　幼い晴明はぶつかる寸前に、晴明の視界から消えた。
　いや――、消えたのは。

『安あ部べ童どう子じ、コッチヘオイデ。人間ナンカモウ忘レテシマエ』

　冥がりの住人は、もう童子せいめいに語りかけた。