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第四章《おすすめ本と貸出記録》
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何だかニヤニヤした顔でカウンターにやって来たフミハルは思わせぶりに『砂の城』をカウンターに置く。
「貸出お願いします」
口の端が上に引っ張られている。それを必死に堪えているような顔だ。
何だか馬鹿にされている気分。
年下のくせして勝ち誇ったようなにやけ顔が無性に腹が立ったので、無愛想に対応した。他の学生みたく事務的に貸出作業を行った。
本来学生によって態度を変えてはいけないのだが、仕方ない。
恋とは人を盲目にしてしまうものだから。
「貸出期間は二週間で――」
言い切る前に自分の過ちに気づいた。
貸出期間は二週間じゃない。
季節は冬。春休み前のテスト期間に入った大学の付属図書館は、貸出期間を長期休暇に合わせて、来季の前期――春までの二か月間に貸出期間を延長していた。
「――四月八日までの貸出となります」
口にして少し寂しくなった。
もう当分の間フミハルと逢うことはない。
互いに連絡を取り合う中でもないのだから。
本を手渡してしまえば二ヶ月は逢えない。
「どうもです」
シオリの手から掻っ攫うように本を奪うと「それじゃ」と手を振る。
手を振るのは憚られたので手を挙げるまでにとどめた。
「ちゃんと返事しましたからね。連絡ください」
シオリとは対照的な、言いようのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを浮かべていた。
何がそんなに楽しいのか。
フミハルは振っていた手を止めてパソコンを指さした。
パソコンに目を向けてこれ? と首を傾げると、彼は大きく頷き、再び手を振って図書館を後にした。
「棚本君も可哀想だな」
突然投げかけられた声に驚く。
椅子から半分お尻がずり落ちた。
「脅かさないでください」
「普通に声かけただけなんですけどね。なんか似たようなことを言われた気がする。デジャブ?」
肩を竦めて見せるショウスケ。
なんだか芝居臭い。
「「愛とは人を盲目にする」貴女の本に書いてありましたよね。ある意味、的を得た言葉ですよね。今の紙本さんを見ているとそう思います。恋に恋する乙女って自分の事しか見えてないんだなって思いました」
「なんですか突然」
「もう書かれないんですか――先生?」
「先生だなんてよしてください。そんな大層なものじゃありませんから」
そう言ってからシオリは、自分の心に嘘をついていることに気づく。
作家などと言う肩書に未練などないと思っていた。
その昔、紙本シオリは作家だった。「昔」と言う程前ではないが、感覚的には遠い昔の出来事だった。
「それに、もういいんです。私の書いた物語を好きだって言ってくれた人がいたから」
「僕は嫌いです。あの物語」
「ひどい言い様ですね」
「惚気話とか聞きたくないんで」
笑いながらため息を吐く。器用な人だなと思った。
シオリは否定も肯定もしない。
「惚気話ってところには突っ込まないんだ?」
「否定しても信じます?」
「信じない……かな?」
考える素振りは見せるが、その実何も考えていない間で返答する。
この問答は明らかにシオリに分が悪い。
会話の脈略も何もかも無視して話題転換。「ところで」「そう言えば」と接続詞を乱発。何とか話題を切り替えることに成功する。
「棚本くんが可哀想ってどういう意味ですか?」
シオリは腕を組み、唇を震わしながら、軽蔑のまなざしを添えて言った。
インドア女子に好かれて可哀想という意味か? だとすれば怒ってもいいだろう。
ショウスケは慌てたように手を振って「アドバイス送ってるだけだよ」とおどけた様子で肩を竦める。
アドバイス? 言っている意味が全くわからない。
口数の少ない人は説明下手が多い。シオリは自分の事は棚にあげて心の中でシュウスケを断罪する。
そのことに気づいたらしいショウスケは勿体ぶった言い回しで「彼、返事したって言ったでしょ」そう言ってパソコンを指す。
シオリは背後のパソコンに視線を向ける。
貸出記録には棚本フミハルの文字。
パソコン画面を見ても特に変なところはない。いつもと同じ画面だった。
はぁ、と息を吐き、哀れみの視線を向けてくるショウスケに苛立つ。
何かあるなら言葉にすればいい。何を勿体ぶっているのだ。
「きちんと彼の返事を受け取ってあげなよ。自分の事で手一杯なのは分かるけど」
そもそも返事とは何だ?
シオリは一連の流れを精査する。
返事をしたというフミハルの発言は、勿論のことながらシオリに向けられたものだ。
返事を求めるようなことは何も言っていない。
だが、メッセージは送っていた。
言葉ではなく大好きな本たちを使って。自分の想いを伝えていた。
でも返事をもらいたいとは思っていなかった。
もし断られたら……立ち直れない。
人生初めての恋は綺麗な思い出にしたい。当たって砕けるなんて御免だった。
気づかないでいい。それこそシオリの書いた処女作の主人公同様に美しく散ってしまいたかった。
フラれる勇気なんてない。
フラれる勇気とは告白する勇気と同義だ。イコールの関係なのだ。
だからこそなけなしの勇気を振り絞って告白したのだ。
限りなくバレない方法で――それでも気づいてほしくて形の残る方法を選んだ。
だけど読書家ではない彼は複数の本を一度に借りることはなかった。
本のタイトルの頭の文字だけを続けて読むという、気づいてしまえばあまりにも幼稚な暗号を隠したおすすめ本の紹介。
……タイトルの頭文字。
シオリはパソコン画面を凝視する。
『ストア派のパラドックス』 著 マルクス・トゥッリウス・キケロ
『君の膵臓を食べたい』 著 住野よる
『デンデラ』 著 佐藤友哉
『砂の城』 著 遠藤周作
頭文字をだけを読んでいく。
ス君デ砂――すきです。その答えに行きついた時、シオリは両手で顔を覆い、鼻を啜った。
ハハ、と小さく笑った。
全身の力が一気に抜ける。物凄い脱力感だ。
「良かったですね。両想いになれて」
同僚の司書が祝福の言葉を贈る。
何が「良かったですね」だ! 全てわかった上で楽しむだなんてなんて悪趣味なのだろう。
沸々と湧き上がってきた怒りをぶつける。ストレートに。
「悪趣味です」
しかし、ショウスケはこれに反論する。
「それは僕のセリフですよ。何ですか二人して目の前でいちゃいちゃして。僕の気持ちも考えてほしいものです」
「言っちゃうんですね!? 避けてたのに」
「いいんですよ。昔告白した時には気づいてもらえませんでしたからね」
遠くを見つめながらショウスケは呟く。
「そんなことありました?」
シオリは自分が学生だった頃を思い返す。
図書館以外でショウスケと逢った記憶はない。大学時代の四年間でそんな青春物語があったのか!? シオリの知らぬ間に一大イベントが起きていたらしい。
「今回と同じ方法だったんですがね。覚えてます?」
「……――ああ、文庫本の入れ替え! 覚えています。書架の整頓がなってないなと思ったんです」
「そうそう。綺麗に直してくれてね。僕の告白台無しだよ」
すでにショウスケにとっては過去の笑い話のようだ。
「何かすみません」
「謝らないでよ。みじめになる。それに今回はちゃんと気づいてもらえたからOKだよ。やっぱり自分も似たようなことしてたから気づいたのかな?」
ショウスケは悪戯ぽい笑みを浮かべていた。
なんだか新鮮だった。
今までにないほど二人の距離が縮まった気がした。
「大学附属図書館でいちゃつくのは遠慮してね。普通に傷つくから」
「そんなことしません」
「だよね。わざわざ大学附属図書館でなくても他で幾らでもいちゃつけるもんね」
完全にからかわれている。
これから勤務中ずっとからかわれるのか?
シオリの平穏な日常(勤務)は終わりを告げた――。
「貸出お願いします」
口の端が上に引っ張られている。それを必死に堪えているような顔だ。
何だか馬鹿にされている気分。
年下のくせして勝ち誇ったようなにやけ顔が無性に腹が立ったので、無愛想に対応した。他の学生みたく事務的に貸出作業を行った。
本来学生によって態度を変えてはいけないのだが、仕方ない。
恋とは人を盲目にしてしまうものだから。
「貸出期間は二週間で――」
言い切る前に自分の過ちに気づいた。
貸出期間は二週間じゃない。
季節は冬。春休み前のテスト期間に入った大学の付属図書館は、貸出期間を長期休暇に合わせて、来季の前期――春までの二か月間に貸出期間を延長していた。
「――四月八日までの貸出となります」
口にして少し寂しくなった。
もう当分の間フミハルと逢うことはない。
互いに連絡を取り合う中でもないのだから。
本を手渡してしまえば二ヶ月は逢えない。
「どうもです」
シオリの手から掻っ攫うように本を奪うと「それじゃ」と手を振る。
手を振るのは憚られたので手を挙げるまでにとどめた。
「ちゃんと返事しましたからね。連絡ください」
シオリとは対照的な、言いようのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを浮かべていた。
何がそんなに楽しいのか。
フミハルは振っていた手を止めてパソコンを指さした。
パソコンに目を向けてこれ? と首を傾げると、彼は大きく頷き、再び手を振って図書館を後にした。
「棚本君も可哀想だな」
突然投げかけられた声に驚く。
椅子から半分お尻がずり落ちた。
「脅かさないでください」
「普通に声かけただけなんですけどね。なんか似たようなことを言われた気がする。デジャブ?」
肩を竦めて見せるショウスケ。
なんだか芝居臭い。
「「愛とは人を盲目にする」貴女の本に書いてありましたよね。ある意味、的を得た言葉ですよね。今の紙本さんを見ているとそう思います。恋に恋する乙女って自分の事しか見えてないんだなって思いました」
「なんですか突然」
「もう書かれないんですか――先生?」
「先生だなんてよしてください。そんな大層なものじゃありませんから」
そう言ってからシオリは、自分の心に嘘をついていることに気づく。
作家などと言う肩書に未練などないと思っていた。
その昔、紙本シオリは作家だった。「昔」と言う程前ではないが、感覚的には遠い昔の出来事だった。
「それに、もういいんです。私の書いた物語を好きだって言ってくれた人がいたから」
「僕は嫌いです。あの物語」
「ひどい言い様ですね」
「惚気話とか聞きたくないんで」
笑いながらため息を吐く。器用な人だなと思った。
シオリは否定も肯定もしない。
「惚気話ってところには突っ込まないんだ?」
「否定しても信じます?」
「信じない……かな?」
考える素振りは見せるが、その実何も考えていない間で返答する。
この問答は明らかにシオリに分が悪い。
会話の脈略も何もかも無視して話題転換。「ところで」「そう言えば」と接続詞を乱発。何とか話題を切り替えることに成功する。
「棚本くんが可哀想ってどういう意味ですか?」
シオリは腕を組み、唇を震わしながら、軽蔑のまなざしを添えて言った。
インドア女子に好かれて可哀想という意味か? だとすれば怒ってもいいだろう。
ショウスケは慌てたように手を振って「アドバイス送ってるだけだよ」とおどけた様子で肩を竦める。
アドバイス? 言っている意味が全くわからない。
口数の少ない人は説明下手が多い。シオリは自分の事は棚にあげて心の中でシュウスケを断罪する。
そのことに気づいたらしいショウスケは勿体ぶった言い回しで「彼、返事したって言ったでしょ」そう言ってパソコンを指す。
シオリは背後のパソコンに視線を向ける。
貸出記録には棚本フミハルの文字。
パソコン画面を見ても特に変なところはない。いつもと同じ画面だった。
はぁ、と息を吐き、哀れみの視線を向けてくるショウスケに苛立つ。
何かあるなら言葉にすればいい。何を勿体ぶっているのだ。
「きちんと彼の返事を受け取ってあげなよ。自分の事で手一杯なのは分かるけど」
そもそも返事とは何だ?
シオリは一連の流れを精査する。
返事をしたというフミハルの発言は、勿論のことながらシオリに向けられたものだ。
返事を求めるようなことは何も言っていない。
だが、メッセージは送っていた。
言葉ではなく大好きな本たちを使って。自分の想いを伝えていた。
でも返事をもらいたいとは思っていなかった。
もし断られたら……立ち直れない。
人生初めての恋は綺麗な思い出にしたい。当たって砕けるなんて御免だった。
気づかないでいい。それこそシオリの書いた処女作の主人公同様に美しく散ってしまいたかった。
フラれる勇気なんてない。
フラれる勇気とは告白する勇気と同義だ。イコールの関係なのだ。
だからこそなけなしの勇気を振り絞って告白したのだ。
限りなくバレない方法で――それでも気づいてほしくて形の残る方法を選んだ。
だけど読書家ではない彼は複数の本を一度に借りることはなかった。
本のタイトルの頭の文字だけを続けて読むという、気づいてしまえばあまりにも幼稚な暗号を隠したおすすめ本の紹介。
……タイトルの頭文字。
シオリはパソコン画面を凝視する。
『ストア派のパラドックス』 著 マルクス・トゥッリウス・キケロ
『君の膵臓を食べたい』 著 住野よる
『デンデラ』 著 佐藤友哉
『砂の城』 著 遠藤周作
頭文字をだけを読んでいく。
ス君デ砂――すきです。その答えに行きついた時、シオリは両手で顔を覆い、鼻を啜った。
ハハ、と小さく笑った。
全身の力が一気に抜ける。物凄い脱力感だ。
「良かったですね。両想いになれて」
同僚の司書が祝福の言葉を贈る。
何が「良かったですね」だ! 全てわかった上で楽しむだなんてなんて悪趣味なのだろう。
沸々と湧き上がってきた怒りをぶつける。ストレートに。
「悪趣味です」
しかし、ショウスケはこれに反論する。
「それは僕のセリフですよ。何ですか二人して目の前でいちゃいちゃして。僕の気持ちも考えてほしいものです」
「言っちゃうんですね!? 避けてたのに」
「いいんですよ。昔告白した時には気づいてもらえませんでしたからね」
遠くを見つめながらショウスケは呟く。
「そんなことありました?」
シオリは自分が学生だった頃を思い返す。
図書館以外でショウスケと逢った記憶はない。大学時代の四年間でそんな青春物語があったのか!? シオリの知らぬ間に一大イベントが起きていたらしい。
「今回と同じ方法だったんですがね。覚えてます?」
「……――ああ、文庫本の入れ替え! 覚えています。書架の整頓がなってないなと思ったんです」
「そうそう。綺麗に直してくれてね。僕の告白台無しだよ」
すでにショウスケにとっては過去の笑い話のようだ。
「何かすみません」
「謝らないでよ。みじめになる。それに今回はちゃんと気づいてもらえたからOKだよ。やっぱり自分も似たようなことしてたから気づいたのかな?」
ショウスケは悪戯ぽい笑みを浮かべていた。
なんだか新鮮だった。
今までにないほど二人の距離が縮まった気がした。
「大学附属図書館でいちゃつくのは遠慮してね。普通に傷つくから」
「そんなことしません」
「だよね。わざわざ大学附属図書館でなくても他で幾らでもいちゃつけるもんね」
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