紙本シオリの謎解き――図書館司書の事件録

小暮悠斗

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第四章《おすすめ本と貸出記録》

#3

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 サクラ咲く、サクラ散る、なんて歌詞の歌ばかりが街に流れる季節、春。

 大学生にとっては春休みと言う長期休暇が終わりを迎える億劫な季節。
 大学の始業日は四月の初頭。すでに桜の花は散っている。幸い雨は降らなかった。綺麗な桜色としか形容できない天然の絨毯の上を歩く。

 新二年生として学内を歩く。何も変わったところはない。一年で何が変わると言うのか、強いて変わった――成長したことを挙げるとすれば、レポートの書き方を覚えたことくらいか。
 
「おはよう棚本」
「よう、久し振り。元気してたか?」
「ああ、バイトばっかりしてたから結構金溜まった」
「お前の事じゃないよ。フミカさんの方」
「元気だよ。シオリさんによろしく言っといてだってさ。あと棚本にも」
「俺はついでかよ」

 アキラは「仕方ないだろ」と笑う。
 くだんの万引き事件をきっかけに親しくなった帯野アキラと山本フミカは、紆余曲折あって付き合うことになったらしい。
 紆余曲折については割愛させていただく。実際は何も知らないだけなのだが。
 気づいたら付き合っていたと言うヤツだ。
 このリア充め!

「棚本も似たようなもんだろ」

 声に出してしまっていたらしい呟きにアキラが突っ込む。

「何を言う! 俺はお前と違って――何も進展してないんだぞ!」
「そんなことないだろ。春休みにダブルデートしたじゃないか」
「ああ、お前の方は楽しそうだったな」
「棚本は楽しくなかったのか?」
「楽しかったよ。でも、でもよ――ずっとベンチに座って本読んでるんだぜ。互いに読んだ感想言い合おうって笑うんだ。読むしかないじゃないか!」
「それで?」
「お前らがジェットコースターとか乗ってる間ずっと本読んでた」

 アキラは唸って「ごめん」と申し訳なさそうに言った。

「俺たちだけ遊園地満喫しちゃって悪かったな」
「同情してくれるな! 悲しくなる」

 すまんとアキラは謝る。
 同情するなと言ったばかりだと言うのに、何を聞いていたんだ。その耳は飾か?
 何のためらいもなくツッコミを入れる。

 一年の時間は、フミハルとアキラの関係性をより深めた。友人以上親友未満といった関係だろうか。二人の関係性を的確に表す言葉をフミハルは知らない。
 きっと知る必要もないのだ。これからも何かあれば相談をする。その反対もしかりな関係。特別な呼称など必要ない。

「棚本。人によって態度を変えるのはよくないぞ」
「何の話だ?」
「シオリさんに対しては優しいのに、俺に対しては粗雑というか、適当というか――もっとちゃんと俺の相手もしろよ」
「なんだアキラ、寂しいのか?」
「そうだな。棚本はシオリさんファーストだから中々遊びに行けないし、デートじゃなくて普通に遊びたい時もあるだろ?」
「ないな」
「即答かよ。バカップルめ!」

 バカと言うのは心外だが、悪い気はしなかった。
 
「今忙しいんだよ。お前に構ってるヒマないの」
「これだろ?」

 アキラは一冊の本をリュックから取り出して見せる。
 樫本ミリオの二作目『初恋の四季』。デビュー作『純愛の讃歌』以来、三年振りの新作書き下ろし小説。
 
「お前も買ってくれたのか」
「フミカも買ったって言って。サイン貰ってきてだってさ」
「わかった。頼んでおくよ」
「頼むよ。ついでに俺の本も頼む」

 押し付けるように本を渡すと「よろしくー」と念押しして駆け足で去って行った。
 小さくなるアキラの背中を見ながら、フミハルは図書館へと足を向けて、歩き出した。


   ***


 樫本ミリオは発売されたばかりの地震の本をめくりながら、「ミリオって名前、男みたいで嫌」と自身のペンネームを悔いていた。
 書かれている内容については何も言うことはない。自分が執筆したのだから。しかし本として出版される時には製本される。装丁が付き、作家の名前が記される。

 樫本ミリオは二冊目の本を刊行しているにも拘らず、樫本ミリオという名前が自分を指していると言う事に違和感を抱いていた。
 樫本ミリオというペンネームはアナグラムで作られている。本名をひらがな表記にした後文字を入れ替えた。
 なんでアナグラムなんかで名前を決めてしまったのか。当時はまだ学生だった。学生デビューと言う言葉の響き――その特別感に酔いしれた。けれども作家、樫本ミリオは特別でも何でもなかった。

 たまたまコンテストを、他の作品とは違う毛色だからと言う事で勝ち上がり、とんとん拍子でデビューしてしまった典型的な一発屋だった。

 当時はアナグラムで作ったペンネームもカッコいいと思っていた。
 自分には才能がある。本気でそう思っていた。
 ミリオなんてダサい。男か女かもわからない。中性的なイメージで考えた名前だったが、今になって思うともっと女性らしいペンネームにしておけばよかった。

 先日、「なんで樫本ミリオって名前にしたの?」と彼に尋ねられた。
 カッコいいと思っていた、などと自身のセンスの無さを露呈させるわけにはいかなかった。
 年下の彼氏にはいい恰好をしたいのだ。

「なに黄昏てるんですか?」
「本田さんどうでした? その本」

 ショウスケの目の前には一冊の本が置かれていた。
 『初恋の四季』というタイトルを指でなぞりながら「僕は一作目から一貫して樫本ミリオの作品は肌に合いません」辛辣な感想を述べる。

「著者を目の前にしてそこまで言いますか」
「それにこれ、貴女と棚本君の話ですよね? それに、作中に登場するフラれて後輩を苛める先輩って僕がモデルですよね? 凄く微妙な気分です。キャラクターのモデルになれたのは嬉しいけど、本人とは似ても似つかない陰険キャラですしね」
「そうですか? すごく似ていると思いますよ。忠実に書きましたから」
「忠実?」

 ショウスケはきっと眉尻を吊り上げ額に皺を作った。
 皮肉を込めて「これは小説とは呼べないね。990.64に突っ込んでおこうか」とニタリと口を歪ませて笑った。
 990.64というのは書架番号である。分類し辛い本や雑誌をまとめておく書架(その他コーナー)。そんなところに置かなくても文藝コーナーの書架に置けばいい。

「折角なので私が寄贈します。文藝書籍として」

 キッパリと言い切って席を立ち、カウンターを出る。
 樫本ミリオは『初恋の四季』を手に、文藝コーナーの書架へと向かった――。


   ***


 図書館へと向かう道中、フミハルはアキラから預かった本をもう一度じっくりと眺める。
 この本を書いたのが自分の彼女だというのは不思議な感覚だ。自分たちの経験した出来事が本になるのかと驚いたものだ。

 確かに濃密な一年だったとは思う。何よりも大きな出来事は彼女が出来たことだ。
 そしてその彼女が作家だったことにも驚いた。
 本人は、作家とは小説を書くことで飯を食える人間のことを言うのだと、頑なに自分を作家と呼ぶことに懐疑的な立場を取った。

 アナグラムという一種の暗号――言葉遊びで作ったと言う「樫本ミリオ」という名前もフミハルは好きだった。
 初めてファンになった作家でもあった。

 樫本ミリオ
 平仮名表記にした名前を分解。再構築する。すると現れる名前――紙本シオリ
 自分の彼女の存在を感じる。
 本をこんなにも愛おしく思うことはそうない経験だろう。これも大好きな人が作家だからこそ味わえる特権だ。
 だけど不満もある。

 付き合い始めてからしばらくすると、「書きたい」とだけ言って執筆に取り掛かり、デートをすることも無いままひと月近くを過ごした。生き地獄だった。
 それを見かねたアキラがダブルデートを計画。
 デートと言うよりは、取材兼執筆の息抜きという感じだった。
 全くと言っていいほどデートが出来ない。

 今までと何も変わらないではないか。メールの返信もかなり遅い。付き合う前との変化を見つける方が難しい。
 やっぱり折角付き合っているのだから、カップルらしいことをしたいと思うのは道理だろう。
 しかし彼女は、そんなことにはこれっぽっちも興味がないらしい。

 図書館に着く頃には不満を募らせていた。
 
 二か月ぶりの図書館には本独特の匂いが満ちていた。
 カウンターから図書館のツチノコが顔を覗かせる。

「紙本さんなら二階だよ」

 どうもと頭を下げて二階へと向かった。
 並んだ書架と本の隙間から人影が動いているのが確認できる。
 フミハルは足音を鳴らす様にして歩く。
 人影の動きが止まる。
 一歩、また一歩と近づく。
 そして、フミハルは彼女の前に立つ。

「おはよう。フミハルくん」

 二人が付き合い始めて変わったことが一つある。
 シオリは苗字ではなく名前で呼ぶようになった。
 そんな些細なことだが、フミハルは嬉しかった。自分が彼女の特別になれた気がした。
 すでにフミハルは溜飲を下げていた。
 先程まで抱いていた不満など初めからなかったかのように。

「おはよう、シオリさん。これ、アキラがサイン欲しいって」

 本を受け取るシオリは笑っていた。
 そして、とフミハルは自分のリュックからもう一冊本を取り出し、

「こっちにもサインお願いできますか? 宛て名は棚本フミハルでお願いします」
「いいですよ」

 サインペンを渡すと、手慣れた様子でスラスラと淀みなくペンを走らせる。
 初めにアキラ宛てに、次にフミハル宛てにサインを書く。
 最後に一言添える。

 ――シオリより

 オフィシャルではありえない本名入りのコメント。
 彼氏故の特権。
 彼女を誇らしく思う。自慢の彼女だ。
 フミハルは屈託のない目を細め、満足そうに、そして得意気に笑った。
 
「図書館ではお静かに」

 図書館司書としてシオリは困ったように眉を顰めた――。
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