紙本シオリの謎解き――図書館司書の事件録

小暮悠斗

文字の大きさ
18 / 24
第五章《消えた少女の謎》

#2

しおりを挟む
 「新春 プレゼントキャンペーン」と銘打った企画を始めて早一週間。
 新規の来館者獲得を目的とした企画だったはずだが、新規の来館者の姿はほとんど見られない。
 時折現れる新顔の来訪者もキャンペーンとは関係なしに来館したようで、「新春 プレゼントキャンペーン」と書かれたホワイトボードに目をやって「ふーん」と興味なさげに通り過ぎて行く。
 
「この企画って失敗じゃないか?」
「お前!? なんでシオリさんの前でそんなこと言うんだよ!」
「フミハルくん、静かに」

 あれ? おかしいぞ? 庇ってあげたはずなのに叱られた。
 風船が萎むようにフミハルの気分は沈んでいく。
 
「怒ってない」

 シオリがすかさず声を掛ける。
 ほんとに? とフミハルが確認すると、シオリは小さく頷く。
 フミハルが安堵のため息を吐くと、アキラが笑いながら「良かったな、嫌われなくて」とおどけた口調でからかってくる。
 うるさいと言って軽く小突く。
 
「図書館ではお静かに」

 シオリに咎められる。
 フミハルとアキラは、すいませんと頭を下げた。
 シオリの怒りの矛先を変えようとして「ところで本田さんは?」と尋ねる。
 すると、カウンターからひょっこり顔を覗かせて「ここにいるよ」と勝ち誇った笑みを浮かべる。
 一連のやり取りを、笑いをかみ殺しながら聞いていたのかと思うと無性に腹が立った。
 
「ほんと趣味悪いですよ。だからフラれるんだ」
「ちょっと棚本君!? 僕かなり傷ついたよ」
「二人ともうるさい」
「「どうもすいません」」

 ショウスケも加わって三人でシオリのお叱りを受けた。


   ***


「お客さん増えましたね?」
「なんで疑問形なんだい? 棚本君」
「いや、学生がいないなと思って」
「確かに学生は相変わらず大学附属図書館ここに寄りつかないからね。でも学外からの客足は増えたよ。本好きの」
「ええ、それは見ていればわかりますよ。皆さん読書玄人って感じしますもん」
「読書玄人? 何それ? 棚本君が作った造語? まあ、意味は分かるけど。そもそも大学附属図書館うちを利用される方は読書好きしかいないしね。あ、君と帯野君を除けば」
「俺は……俺も好きですよ」
「紙本さんが、でしょ?」

 本当に腹立たしい。
 この人は人を苛立たせる天才なのかもしれない。
 
「本田さん。マジで性格悪いですね」
「褒め言葉かな?」
「どこをどう取っても褒め言葉にはならないでしょ?」
 
 わかっているよとショウスケは笑って、でもと続ける。

「性格の善し悪しなんて社会に出たら関係ないよ。僕がそのいい例」

 自分を指さしながら言う。
 本田ショウスケという人間は一般的には社会不適合者だ。少なくともフミハルはそのように思っている。
 人前に出ることを嫌い裏方仕事ばかりをやっている。
 もし司書になることが出来ていなかったら、この人は今頃フリーターだったことだろう。
 少なくともテレビで事件の容疑者として報道されたなら「無職」「自称◯◯」と言ったように職業不詳の人間として扱われていたに違いない。
 司書として働く今捕まったとしても、自称司書と報道されかねない。真面目に働いている空気を纏っていないのだ。
 フミハルに抱いた感想は口にこそしていないが、表情にありありと出てしまっていたのだろう。

「僕はきちんと仕事はこなしているよ」

 「仕事は」という言い方に引っかかりはしたが、仕事をこなしていることは事実なので聞き流すことにした。
 仕事以外の事にも目を向ける必要があることを、フミハルは後の事件を経て知ることになる。

 けれども今はまだ、そのようなこと知る由もなかった。


   ***


 思いの外シオリたちの企画したプレゼントキャンペーンは成功を収めていた。
 本好きには絶版本のプレゼントは魅力的らしい。
 普段はカウンター下で本を開いているシオリも、読書の余裕がない程仕事に追われている。
 本来司書は、毎日今のシオリと同じか、それ以上の仕事をこなしている。
 それでも普段の仕事量からしてみれば、シオリもショウスケも働き過ぎなくらいだ。
 実際に二人とも今までにないくらい仕事をしている。
 人前に出て仕事をしないショウスケがカウンターに常にいるなど異常事態だ。
 シオリに至っては職務中に読書をしていない(普通は当たり前)。
 
「俺は奇跡を目撃している!?」

 それはまさしく奇跡だ。
 息をするかのように読書を嗜むシオリが読書をしていない。それは彼女にとって呼吸をしていないも同然。生命維持に支障をきたしかねない!?

「おーい。棚本、聞こえてるか?」

 カウンターにいる彼女を見つめる視線に、アキラが割り込んでくる。
 顔だけでは満足できないらしく、両手を突き出して勢いよく振り始める。
 思わず顔を背ける。
 
「危ないだろ!」
「いや、意識飛んでるのかと」

 真面目な顔で言うので突っ込むことにためらいが生じる。

「どうせ大好きな司書さんをいやらしい目で見てたんだろ」
「誤解を招きかねない言い方をするな。司書なのは間違いないが、俺の「彼女」だ。それにいやらし目で何か見てない」
「断言しちゃっていいのか? キスの一つもしたいとは思わないのか?」

 アキラに尋ねられるもフミハルは返答に困る。

「キス? 魚の?」
「それはきすな」
「口と口を「づけ」するやつか!?」
「づけするってなんだよ」
「口吸いの事を言ってるんだよな?」
「江戸時代はキスの事を口吸いって言っていたらしいな。なんか変な資料でも読んだのか?」

 肩を竦めながらアキラは言う。
 アキラの推測は正しかった。
 フミハルは図書館に入り浸るのに際して本を読んでいた――眺めていた。

 さすがに、何もせずにシオリを見つめているだけという訳にはいかない。そう思って適当に書架から本を取っては流し読みしていた。実際には流し読み以下のそれこそ「眺めた」という語がピッタリな、一見読書に見えなくもない事を日々繰り返していた。その中でたまたま目にした。おそらく日本史関連の書籍。江戸時代にはキスの事を口吸いと呼んでいたと。

 今後の人生に役立ちそうもない――使うことも無いであろう知識を使う時があった、などという感想を抱くと同時に、全身の毛穴が開いたかと思う程汗が吹き出し身体の熱を放出しようとする。

 身体が火照っている。その理由は明白だ。
 フミハルはシオリと交際を始めてからもキスは愚か、まともに手を繋いだことも無かった。
 そうした行為をしたくない――興味がないと言えば嘘になる。

 フミハルも男だ。人並みにそうした欲も持ち合わせている。しかし、シオリの性格も相まってフミハルがそうした事を考える――考えさせられることがなかったために、唐突にアキラに突き付けられた何気ない言葉に刃をまともに食らってしまったのだ。
 などと講釈を垂れてはみたものの、ようやく吸えば一言恥ずかしい。そこ言葉につきる。

「この話止めよう」額の汗を拭いながらフミハル。
「さすがに今の流れで「そうだな」とはならないぞ」

 正義感の強い好青年だった男が、近頃親しくなった図書館のツチノコの影響を受けてか好青年らしさが欠如し始めていた。
 そしてフミハルの困った表情を見てほくそ笑むのだ。
 そこには好青年など居はしなかった。

「あ、あの子また来てる」
「おいおい、話を逸らすなよ」
「違うよ、ほら」指を指して、
「近頃はほとんど毎日来てる」

 アキラは指さす方に目を向けると、

「なんだ、棚本。ロリコンの気もあるのか」
「無いよ」力なく答える。
「どうした? 元気ないぞ」

 ショウスケにアキラと、入れ代わり立ち代わりからかわれれば疲れもする。
 フミハルはアキラの言葉を無視して、

「あの子の制服ってふもとのお嬢様学校の制服だよな?」
「ああ、金持ちしか行けない学校な。そこの初等部の子だな」

 アキラの補足がなくとも、図書館を訪れた子が小学生なのは背負っている革を用いた専用鞄――ランドセルを見れば一目でわかる。
 
 フミハルたちの通う大学は小高い丘の上にあり、小学生が歩いてくるには中々骨を折ることになる。
 そして最近小学生は付き添い――保護者と一緒に図書館に足繁く通っている。
 学校の帰りに立ち寄っているのだろうが、一つ疑問が浮上する。

「ところであの親は何をしているんだ?」
「何って?」

 アキラが視線だけをフミハルに向けて言う。

「だって、あの学校は超が付く金持ち学校だぞ」
「そうだな」
「そんな学校に通っているお嬢様なんだぞあの子は。その親がこんな昼間にお迎えなんておかしくないか?」
「そうか?」
「そうだよ。仕事をしている人間なら、この時間帯が毎日空いているのはおかしいだろ」
「言われれば確かにそうだな……。でも、夜の仕事で昼間は比較的自由なのかもしれない」

 アキラの指摘は的を得ている。
 それに金持ちという人種の中には、働かなくても済む者もいるのかもしれない。
 お金の湧き出る池が庭にあるとか。そんな夢みたいなことあるはずはないが、株とか自営業であれば会社勤めとは違い時間の自由も利くのかもしれない。
 突如として湧いた疑問に納得しかけたところで、いつも余計な事を仕出かす男が気配なく近づき、フミハルとアキラに思わせぶりな口調で、

「もしかしたら棚本君の直感が正しい、なんてこともあるかもよ」
「「――ビックリしたぁ!!」」

 毎度のことながらショウスケには驚かされてばかりだ。
 いい加減慣れてくれないか、とショウスケはショウスケで辟易しているようで、

「このやり取り、いつになったらなくなるの?」げんなりした表情で呟いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~

Gaku
ファンタジー
「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」 病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。 気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた! これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。 だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。 皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。 その結果、 うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。 慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。 「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。 僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに! 行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。 そんな僕が、ついに魔法学園へ入学! 当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート! しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。 魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。 この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――! 勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる! 腹筋崩壊のドタバタコメディを軸に、個性的な仲間たちとの友情、そして、世界の謎に迫る大冒険が、今、始まる!

処理中です...