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終章《図書館司書の日常》
#4
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フミハルはシオリの写真を手にしたまま書架の陰に隠れる。
思わず手にした写真をそのまま持ってきてしまった。磁石のS極とN極が引き合いくっ付くようにその写真はフミハルの手から離れなかった――離せなかった。
だって可愛いんだもの。一枚くらい彼女の写真が欲しかったのだ。あれだけあるのだから一枚くらい盗ってもバレやしない。
何より思わず写真を盗ってしまった一番の理由は――フミハルが一枚も写真を持っていなかったからだ。
交際を始めて半年近くにもなるのに、ツーショットどころかシオリの写った写真の一枚もない。
それなのにあの男はこんなにもシオリの写真を持っている。盗撮に違いない。
フミハルは羨ましいやら妬ましいやら感情の入り混じった視線を男に送っていた。
男が写真を拾い集め、その場を立ち去る。
フミハルは写真の集めそこないがないか確認する。決して欲しいからではない。あくまでも盗撮の証拠品としてあればいいな、という話である。
すると書架の下にある隙間に何かが入り込んでいる。
フミハルは、自動販売機の下にある小銭をさらうように書架の下をさらう。
もちろんフミハルはお尻を突き出して自販機の下を覗き込んだことなどない。
これもあくまでフミハルのイメージである。
「何だこれ?」
書架の下から出てきたのは文庫本だった。
書店のブックカバーが付けられた文庫本。
あの男も読書家なのかもしれない。本とは無縁の人生を歩んできたフミハルとは違い、話が合うのかもしれない。
一体何の本だろうか、とカバーを外して表紙を見ると、そこには美しい女性の顔があった。話したから頭先までの構図で切り取られた写真を用いている。
必然的に顔のパーツの一つひとつが大きくなる。
表紙のちょうど真ん中辺りに大きな瞳が来る。その瞳の引力に吸い寄せられるように表紙の中央付近に視線が向く。すると淡い赤字で印字されたタイトルが目に入る。
――『純愛の讃歌』。
そこにはフミハルの知ったタイトルが書かれていた。
あれ? と首を傾げてフミカが「『純愛の讃歌』の文庫本はまだ発売されていない筈なんだけど……」と疑問符を浮かべる。
どういうことだ? まだ発売前の文庫本がなんでこんなところに?
文庫本の内容も確認。間違いなく『純愛の讃歌』だった。
今フミハルの手元にある文庫本は、間違いなく未発売の『純愛の讃歌』であった。
頭を悩ませた末に、フミハルは一つの結論に辿りつく。
あの男はストーカーだ、と。
***
カウンターに向かって足音が近づいてくる。
足音が止まる。
読んでいた文庫本を閉じ、顔を上げる。
そこにはフミハルの顔があった。
「どうかした?」
顔が近い。
フミハルに気付かれてはいないだろうか、と心配になるほど顔が火照っている。
「シオリさん大変なんですよ!」
興奮した様子でフミハルは続ける。
「ストーカーです。ストーカー」
シオリはフミハルの後ろにいる二人に視線を送る。
二人は同時に視線を外す。
本当に息ピッタリのお似合いカップルだ。
「その……ストーカーがいるの?」
オウム返しに尋ねてしまう。
それでもフミハルは「そうなんです」と息を荒くしながら写真を見せる。
「これが証拠です」
シオリは恥ずかしくなり写真を直視できない。
するとフミハルはシオリの顔の前に写真を持ってくる。
何度顔を逸らしてもその都度写真を顔の前に持ってくる。
「分かったから、それで私の写真がどうかした?」
「平溝とかいう男が持っていました。何枚も、それにこんなものまで」
そう言って今度は文庫本をシオリに見せる。
フミハルは早くなる喋りに構うことなく続ける。
「これはまだ発売されていない『純愛の讃歌』の文庫本です。こんな非売品をどのようなルートで入手したのかはわかりませんけど、ここまでシオリさんのものを集めているとなると、平溝という男はストーカー以外に考えられません!」
なんだかものすごく曲解した結論に行きつているので、シオリは軌道修正を図る。
持っていた文庫本をフミハルに見せる。
「ほら、それと同じもの、私も持っているから。発売前の製本見本なんだけど……」
フミハルの表情がみるみる曇って行く。
どうしたの、と声を掛けるよりも早く「シオリさんが俺よりもあの平溝っていう人を選んだのであれば……」と、苦渋の決断を下すように声を震わせる。
全く話が見えてこない。
シオリは再び後ろに控える二人に目をやる。
相変わらずとぼけた顔でこちらを見ようとしない。
「フミハルくん。一から整理して話して」
フミハルを落ち着けるのに手を焼いたのは言うまでもない。
ようやく落ち着いて話すことが出来たのは二十分後の事だった。
「まず、平溝さんはストーカーじゃない」
断言する。
しかし納得のいかないフミハルは「あんなに大量の写真をもっているのはおかしい」と抗議する。
「写真を持っているのは、それが平溝さんのお仕事だから」
「仕事って、盗撮がですか?」
「盗撮じゃない。よく写真を見て」
フミハルは写真を穴が開くほど凝視する。
そこまでマジマジと見ないでほしい。
「その写真カメラ目線。盗撮じゃない証拠」
「だったら俺とも写真撮ってくれてもいいじゃないですか! なんで撮らせてくれないんですか!」
「恥ずかしい」
「でもあの男には撮らせたんでしょ? そんなのずるいです」
なんだか怒りの論点がずれてきている気がする。
「だから彼は仕事で」
「ずるい!」
聞く耳を持たない。どうしたものかと思案していると、タイミングがいいのか悪いのか、渦中の男性がやって来た。
それに気が付いたフミハルは、今にも飛び掛かりそうな勢いである。
そんなことになっているとは露ほども思っていない彼は、笑顔で駆け寄ってくる。
「先生。先程はお見せするのを忘れていました。最終見本がこちらになります」
そう言って鞄から取り出した『純愛の讃歌』の文庫本は、シオリが持っているものとも、フミハルが持っているものとも同じに見える。
どこが違う(変わった)のか尋ねるのも気が引けたので、曖昧に頷いた。
「あれ? 何かありましたか……」
ようやく空気を察した発言が出る。
その間もフミハルは目を吊り上げて睨み付けている。
「えっとぉ……私はどうしたらいいでしょうか?」
「一から説明してあげて貰えますか」
言葉はあくまでも低姿勢。しかし語気は強めて言う。
気圧されたように小さく「わかりました」と答えた今回の一件の元凶はフミハルの鋭い視線をその身に受けながら誤解を解いて行った。
***
フミハルは肩を落とす。
全ては些細な勘違い。奇跡的なボタンの掛け違いと偶然とが重なり合った結果の誤解。
結論から言えば彼――平溝はストーカーなどではなかった。
彼の職業は装幀家。
そして今回、シオリの――小説家、樫本ミリオのデビュー作『純愛の讃歌』の文庫化に当たって表紙のデザインを担当した。
その為にシオリと何度も逢う必要があったのだ。
そしてデザイン案として平溝が提案したのがシオリの写真――作家の写真を表紙にしてしまうという案だった。『純愛の讃歌』(ハードカバー)が発売されていた時の担当デザイナーも平溝で、写真を使いたかったらしい。だが、当時シオリはまだ現役の大学生だったこともあり写真はシオリの両親が断ったのだと言う。そこでシオリをモデルにイラストを仕上げたと、平溝は当時を懐かしむように語る。
シオリが社会人になったこともあり、文庫化に際しもう一度写真での表紙案をシオリに提案。強引に口説き落としたのだと、苦労話を始める。
「私は恥ずかしいから嫌だって言ったんだけど……」
「何をおっしゃいます! 樫本先生はお綺麗なんだから、もっと自信を持ってくださいよ!」
「なんだか本の内容じゃなくて、作家の容姿で売るみたいで好きではないです」
「仕方がないです。出版業界は慈善事業ではありませんから利益がないと困ります。そもそも今回の文庫化も『純愛の讃歌』の売れ行きだけだったら実現していませんよ。樫本ミリおの顔出し込みでの文庫化です! 先生は喋らなければそこいらの女優さんより綺麗ですから。男性ファンも釣れますし、女性にも好かれる顔をしています。写真集なんか出したら売れるだろうなぁ~」
「出しません」
フミハルは、目の前で繰り広げられる生々しい大人の世界の話を、黙って聞いていることしかできなかった。
平溝はフミハルの勘違いを笑いながら許してくれた。
それだけでなく、フミハルに写真のデータをくれると言う。喜んでもらおうとしたところ、シオリが今までに見たことがない程顔を赤く染め上げ「ダメ」と言うので諦めることにした――表面上は。
あとで内々にデータをもらいに行こう。
「丸く収まった感じだな。食事誘っておけよ」
アキラに小突かれて、思い出したようにシオリを食事に誘う。
すると「私は邪魔者ですね。では、この辺でドロンさせていただきます」と歳の差を感じさせる言葉を残して平溝は足早に去って行った。
「丸く収まってよかった、よかった」
カウンターの奥から声がする。
「平溝さんも大変だよね。担当作家は紙本さんだし、その彼氏にいわれのない罪をなすりつけられてよく怒らないでいられるなぁ。さすが大人だね」
「もしかして、全部わかった上でからかってました?」
「もしかしなくても、からかっていたよ」
アキラとフミカは顔を見合わせ「人格を疑う」「さすがに引くね」と率直な感想を話している。
ショウスケの顔を見ていると腹が立ってくるので、見ないように心がける。
こちらの顔を覗こうとする顔がニヤついている。
フミハルは拳を握るが、すぐに力を抜く。
フミハルが殴る必要はないようだ。
――シオリの拳がショウスケを捉える。
崩れ落ちるショウスケが視界から消える。
「後は本田さんに任せていいですか?」
何事か呻くようにしてショウスケが言っている。
その呻きを遮るように「お疲れ様でした」とシオリが声を上げる。
帰り支度を始めたシオリは、本当に仕事をあがるつもりらしい。
支度を終えたシオリは「お疲れ様でした」と再度声を掛けて図書館を出た。
「良かったんですか、仕事の方は?」
「大丈夫。本田さんは優秀」
優秀でも床に伸びていたら役には立たないのではないだろうか。
そんなこと考えるだけ無駄か。
せっかくの食事会だ。楽しまなくてはもったいない。
四人で茜色に染まる道を歩く。
道すがら「俺、出版社に就職しようかな」と零すと「なんで?」とシオリが顔を覗き込むようにして尋ねる。
フミハルは「だって、そしたら仕事でもシオリさんと一緒にいられるでしょ」
すると「それもいいけど、司書がいいよ。おすすめ」とシオリが尻すぼみに言う。
「でも、俺、本のこと詳しくないしなぁ」
「出版社に勤めても文壇にもいろいろルールとかあるだろ? それに本に無知って訳にはいかないんじゃないのか」
「それに、棚本くん。今の話はシオリさんが司書という仕事を勧めたことにこそ意味があるのに……あまりにも鈍感すぎると愛想つかされるわよ」
フミハルには何の事だかまったくわからない。
それでも、わかること――わかっていることが一つある。
これからも、ちょっとした謎と謎解きのある日常(?)は続くということを――。
思わず手にした写真をそのまま持ってきてしまった。磁石のS極とN極が引き合いくっ付くようにその写真はフミハルの手から離れなかった――離せなかった。
だって可愛いんだもの。一枚くらい彼女の写真が欲しかったのだ。あれだけあるのだから一枚くらい盗ってもバレやしない。
何より思わず写真を盗ってしまった一番の理由は――フミハルが一枚も写真を持っていなかったからだ。
交際を始めて半年近くにもなるのに、ツーショットどころかシオリの写った写真の一枚もない。
それなのにあの男はこんなにもシオリの写真を持っている。盗撮に違いない。
フミハルは羨ましいやら妬ましいやら感情の入り混じった視線を男に送っていた。
男が写真を拾い集め、その場を立ち去る。
フミハルは写真の集めそこないがないか確認する。決して欲しいからではない。あくまでも盗撮の証拠品としてあればいいな、という話である。
すると書架の下にある隙間に何かが入り込んでいる。
フミハルは、自動販売機の下にある小銭をさらうように書架の下をさらう。
もちろんフミハルはお尻を突き出して自販機の下を覗き込んだことなどない。
これもあくまでフミハルのイメージである。
「何だこれ?」
書架の下から出てきたのは文庫本だった。
書店のブックカバーが付けられた文庫本。
あの男も読書家なのかもしれない。本とは無縁の人生を歩んできたフミハルとは違い、話が合うのかもしれない。
一体何の本だろうか、とカバーを外して表紙を見ると、そこには美しい女性の顔があった。話したから頭先までの構図で切り取られた写真を用いている。
必然的に顔のパーツの一つひとつが大きくなる。
表紙のちょうど真ん中辺りに大きな瞳が来る。その瞳の引力に吸い寄せられるように表紙の中央付近に視線が向く。すると淡い赤字で印字されたタイトルが目に入る。
――『純愛の讃歌』。
そこにはフミハルの知ったタイトルが書かれていた。
あれ? と首を傾げてフミカが「『純愛の讃歌』の文庫本はまだ発売されていない筈なんだけど……」と疑問符を浮かべる。
どういうことだ? まだ発売前の文庫本がなんでこんなところに?
文庫本の内容も確認。間違いなく『純愛の讃歌』だった。
今フミハルの手元にある文庫本は、間違いなく未発売の『純愛の讃歌』であった。
頭を悩ませた末に、フミハルは一つの結論に辿りつく。
あの男はストーカーだ、と。
***
カウンターに向かって足音が近づいてくる。
足音が止まる。
読んでいた文庫本を閉じ、顔を上げる。
そこにはフミハルの顔があった。
「どうかした?」
顔が近い。
フミハルに気付かれてはいないだろうか、と心配になるほど顔が火照っている。
「シオリさん大変なんですよ!」
興奮した様子でフミハルは続ける。
「ストーカーです。ストーカー」
シオリはフミハルの後ろにいる二人に視線を送る。
二人は同時に視線を外す。
本当に息ピッタリのお似合いカップルだ。
「その……ストーカーがいるの?」
オウム返しに尋ねてしまう。
それでもフミハルは「そうなんです」と息を荒くしながら写真を見せる。
「これが証拠です」
シオリは恥ずかしくなり写真を直視できない。
するとフミハルはシオリの顔の前に写真を持ってくる。
何度顔を逸らしてもその都度写真を顔の前に持ってくる。
「分かったから、それで私の写真がどうかした?」
「平溝とかいう男が持っていました。何枚も、それにこんなものまで」
そう言って今度は文庫本をシオリに見せる。
フミハルは早くなる喋りに構うことなく続ける。
「これはまだ発売されていない『純愛の讃歌』の文庫本です。こんな非売品をどのようなルートで入手したのかはわかりませんけど、ここまでシオリさんのものを集めているとなると、平溝という男はストーカー以外に考えられません!」
なんだかものすごく曲解した結論に行きつているので、シオリは軌道修正を図る。
持っていた文庫本をフミハルに見せる。
「ほら、それと同じもの、私も持っているから。発売前の製本見本なんだけど……」
フミハルの表情がみるみる曇って行く。
どうしたの、と声を掛けるよりも早く「シオリさんが俺よりもあの平溝っていう人を選んだのであれば……」と、苦渋の決断を下すように声を震わせる。
全く話が見えてこない。
シオリは再び後ろに控える二人に目をやる。
相変わらずとぼけた顔でこちらを見ようとしない。
「フミハルくん。一から整理して話して」
フミハルを落ち着けるのに手を焼いたのは言うまでもない。
ようやく落ち着いて話すことが出来たのは二十分後の事だった。
「まず、平溝さんはストーカーじゃない」
断言する。
しかし納得のいかないフミハルは「あんなに大量の写真をもっているのはおかしい」と抗議する。
「写真を持っているのは、それが平溝さんのお仕事だから」
「仕事って、盗撮がですか?」
「盗撮じゃない。よく写真を見て」
フミハルは写真を穴が開くほど凝視する。
そこまでマジマジと見ないでほしい。
「その写真カメラ目線。盗撮じゃない証拠」
「だったら俺とも写真撮ってくれてもいいじゃないですか! なんで撮らせてくれないんですか!」
「恥ずかしい」
「でもあの男には撮らせたんでしょ? そんなのずるいです」
なんだか怒りの論点がずれてきている気がする。
「だから彼は仕事で」
「ずるい!」
聞く耳を持たない。どうしたものかと思案していると、タイミングがいいのか悪いのか、渦中の男性がやって来た。
それに気が付いたフミハルは、今にも飛び掛かりそうな勢いである。
そんなことになっているとは露ほども思っていない彼は、笑顔で駆け寄ってくる。
「先生。先程はお見せするのを忘れていました。最終見本がこちらになります」
そう言って鞄から取り出した『純愛の讃歌』の文庫本は、シオリが持っているものとも、フミハルが持っているものとも同じに見える。
どこが違う(変わった)のか尋ねるのも気が引けたので、曖昧に頷いた。
「あれ? 何かありましたか……」
ようやく空気を察した発言が出る。
その間もフミハルは目を吊り上げて睨み付けている。
「えっとぉ……私はどうしたらいいでしょうか?」
「一から説明してあげて貰えますか」
言葉はあくまでも低姿勢。しかし語気は強めて言う。
気圧されたように小さく「わかりました」と答えた今回の一件の元凶はフミハルの鋭い視線をその身に受けながら誤解を解いて行った。
***
フミハルは肩を落とす。
全ては些細な勘違い。奇跡的なボタンの掛け違いと偶然とが重なり合った結果の誤解。
結論から言えば彼――平溝はストーカーなどではなかった。
彼の職業は装幀家。
そして今回、シオリの――小説家、樫本ミリオのデビュー作『純愛の讃歌』の文庫化に当たって表紙のデザインを担当した。
その為にシオリと何度も逢う必要があったのだ。
そしてデザイン案として平溝が提案したのがシオリの写真――作家の写真を表紙にしてしまうという案だった。『純愛の讃歌』(ハードカバー)が発売されていた時の担当デザイナーも平溝で、写真を使いたかったらしい。だが、当時シオリはまだ現役の大学生だったこともあり写真はシオリの両親が断ったのだと言う。そこでシオリをモデルにイラストを仕上げたと、平溝は当時を懐かしむように語る。
シオリが社会人になったこともあり、文庫化に際しもう一度写真での表紙案をシオリに提案。強引に口説き落としたのだと、苦労話を始める。
「私は恥ずかしいから嫌だって言ったんだけど……」
「何をおっしゃいます! 樫本先生はお綺麗なんだから、もっと自信を持ってくださいよ!」
「なんだか本の内容じゃなくて、作家の容姿で売るみたいで好きではないです」
「仕方がないです。出版業界は慈善事業ではありませんから利益がないと困ります。そもそも今回の文庫化も『純愛の讃歌』の売れ行きだけだったら実現していませんよ。樫本ミリおの顔出し込みでの文庫化です! 先生は喋らなければそこいらの女優さんより綺麗ですから。男性ファンも釣れますし、女性にも好かれる顔をしています。写真集なんか出したら売れるだろうなぁ~」
「出しません」
フミハルは、目の前で繰り広げられる生々しい大人の世界の話を、黙って聞いていることしかできなかった。
平溝はフミハルの勘違いを笑いながら許してくれた。
それだけでなく、フミハルに写真のデータをくれると言う。喜んでもらおうとしたところ、シオリが今までに見たことがない程顔を赤く染め上げ「ダメ」と言うので諦めることにした――表面上は。
あとで内々にデータをもらいに行こう。
「丸く収まった感じだな。食事誘っておけよ」
アキラに小突かれて、思い出したようにシオリを食事に誘う。
すると「私は邪魔者ですね。では、この辺でドロンさせていただきます」と歳の差を感じさせる言葉を残して平溝は足早に去って行った。
「丸く収まってよかった、よかった」
カウンターの奥から声がする。
「平溝さんも大変だよね。担当作家は紙本さんだし、その彼氏にいわれのない罪をなすりつけられてよく怒らないでいられるなぁ。さすが大人だね」
「もしかして、全部わかった上でからかってました?」
「もしかしなくても、からかっていたよ」
アキラとフミカは顔を見合わせ「人格を疑う」「さすがに引くね」と率直な感想を話している。
ショウスケの顔を見ていると腹が立ってくるので、見ないように心がける。
こちらの顔を覗こうとする顔がニヤついている。
フミハルは拳を握るが、すぐに力を抜く。
フミハルが殴る必要はないようだ。
――シオリの拳がショウスケを捉える。
崩れ落ちるショウスケが視界から消える。
「後は本田さんに任せていいですか?」
何事か呻くようにしてショウスケが言っている。
その呻きを遮るように「お疲れ様でした」とシオリが声を上げる。
帰り支度を始めたシオリは、本当に仕事をあがるつもりらしい。
支度を終えたシオリは「お疲れ様でした」と再度声を掛けて図書館を出た。
「良かったんですか、仕事の方は?」
「大丈夫。本田さんは優秀」
優秀でも床に伸びていたら役には立たないのではないだろうか。
そんなこと考えるだけ無駄か。
せっかくの食事会だ。楽しまなくてはもったいない。
四人で茜色に染まる道を歩く。
道すがら「俺、出版社に就職しようかな」と零すと「なんで?」とシオリが顔を覗き込むようにして尋ねる。
フミハルは「だって、そしたら仕事でもシオリさんと一緒にいられるでしょ」
すると「それもいいけど、司書がいいよ。おすすめ」とシオリが尻すぼみに言う。
「でも、俺、本のこと詳しくないしなぁ」
「出版社に勤めても文壇にもいろいろルールとかあるだろ? それに本に無知って訳にはいかないんじゃないのか」
「それに、棚本くん。今の話はシオリさんが司書という仕事を勧めたことにこそ意味があるのに……あまりにも鈍感すぎると愛想つかされるわよ」
フミハルには何の事だかまったくわからない。
それでも、わかること――わかっていることが一つある。
これからも、ちょっとした謎と謎解きのある日常(?)は続くということを――。
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