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責任をとってもらおうか
「やっと見つけたぞ。ディルス・ジミトリー」
騎士服に身を包んだ美しい女性は、顔面蒼白で震える男に向かってにこりと微笑んだ。
「さあ、私の処女を奪った責任をとってもらおうか?」
◇
ディルス・ジミトリーは冴えない男だ。
地味な顔立ちに眼鏡、ヒョロヒョロの体。癖の強い茶色の髪に、そばかすの浮いた肌。いかにも頼りないオタクといった見た目だが、中身もそのイメージとたがわない。
平民の家庭に次男として生まれたディルスは、家柄にも容姿にも目立ったところはなく、普通に学校に通い、普通に日々を過ごした。
大学へ進み、就職をする際には、運良く王宮の文官に滑り込むことができた。彼はそこそこ優秀だったのだ。なぜ優秀だったかと言うと、冴えない学生生活を送っていたので、キラキラな毎日を過ごす同級生より多くの時間を勉強に割いていたからだ。
だが、同僚のなかで特に秀でているというわけでもない。あくまでその他大勢のうちの一人というだけだ。
二十三歳にもなって恋人の一人もいない彼は、見た目どおりの冴えない毎日を送っていた。
さて、そんな彼がなぜ、容姿端麗・家柄抜群のハイスペック美女に詰め寄られているのかというと、話は数日前にさかのぼる。
ことは、王宮で開かれた夜会にて起こった。
本来なら平民のディルスが参加できるはずのない催しだ。けれど、王宮仕えの文官という肩書きがあるため、ドレスコードさえ守れば参加を許可されている。後学のため、要人の顔を知ったり、人脈を広げておけという意味もあるらしい。
執事見習いをしている友人などは「同じ会場にいても俺は仕事なのに」と文句を言っていた。「俺だって出たくて出てるわけじゃないよ」とディルスは苦笑する。
こんな華やかな場は、ディルスのような陰の者には居心地が悪い。上司に言われたから仕方なく来ているに過ぎない。
ディルスの数少ない友人である彼は今、ドリンクを持って会場を慌ただしく駆け回っている。ディルスのような内気な人間とも仲良くなれるコミュニケーション能力の高さなので、あちこちから可愛がられ、引っ張りだこだ。同じ庶民の出だが、もしかしたらどこぞのご令嬢に見初められたりするかもしれない。
昔は、身分の釣り合う者同士でないと婚姻は成立しなかった。貴族は政略結婚がスタンダードだった時代もある。だが、それも過去の話。今では自由恋愛が一般的だし、庶民でも貴族と結ばれることはある。
この夜会は、国内外から貴族や有権者が集まっており、侍女や下働きのなかには、お金持ちに見初められて玉の輿――なんて展開を夢見ている者もいるらしい。
気持ちはわかる。ディルスとて、女性に縁はなくとも諦めたわけではない。いつか素敵な女性と出会って結婚し、幸せに暮らしたい――そんな人並みの願望は持っているのだ。
だがまあ、自分のような者が貴族の女性に見初められるなんてありえない。自由恋愛が一般的になったとはいえ、身分差に尻込みするのは変わらないし、政略結婚もなくなりはしない。いまだに、貴族は貴族と結婚するほうが多いのだ。
身の程をわきまえた彼は――積極的にいく度胸がないとも言う――おとなしく壁の花ならぬ、壁のシミとなって会場を見回していた。
そんな時だ。賑やかな会場内でも特に人目を引く女性を見つけたのは。
会場の一角、たくさんの人に囲まれた美女がいる。
一つに結い上げた艶やかな黒髪。玉のような肌。均整の取れた美しい肢体。
彼女の名はミレイ・ローゼンバール。二十歳。
彼女の生家、ローゼンバール家は由緒正しき侯爵の家系で、父親は大臣、母親は隣国の王家の血筋、兄は若くして王宮の騎士団長補佐をつとめるという超ハイスペック家庭である。
ミレイ本人も、絶世の美女、王立女学院を主席で卒業、女性ながら騎士団で活躍する軍人というスーパーハイスペックだ。まさに雲の上の存在である。同じ王宮で働く者同士ではあるが、ディルスなどでは口を利くのも恐れ多い、そんな存在なのである。
そんな彼女は、本日は会場の警備でここにいる。しかし、一介の騎士とは思えないほど大勢の人に囲まれていた。
「ミレイ様、本日はお会いできて光栄です」
頬を染めたご令嬢が、ミレイに挨拶をする。
「こんばんは、サーヤ様。私こそ、お会いできて光栄です。本日のお召し物も大変美しい」
涼やかな目元を緩め、ミレイが極上の笑みを浮かべる。
「あ、ありがとうございます……」
サーヤと呼ばれた令嬢は、赤くなった頬を手で押さえた。
「ミレイ様! 私のことは覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんです、アンナ様。少し髪を切りましたか? アンナ様はどんな髪型も似合いますね」
「う、うれしい……」
周囲の令嬢が次々に声をかけては、骨抜きにされている。
騎士団の所属だからか、ミレイ本人の気質か、彼女は異性よりも同性にモテる。わりと本気で懸想している令嬢もいるくらいだ。
もちろん彼女の家柄と美しさに憧れる男も多いが、あれほどのハイスペックであれば大抵の男は見劣りする。ミレイの隣に立つ自信のある者はなかなか現れない。
そんなわけで、美しく優秀な彼女にはいまだ婚約者どころか、恋人の影もないとのことだった。
ディルスもご多分にもれず、ミレイを眺めて憧れるだけのモブである。お目にかかることができてラッキーと思いながら、彼女を見つめていた。
老若男女問わず様々な人が彼女の周りに集まり、声をかける。あれではどちらが招待客かわからない。ミレイはそれらすべてに紳士的に……というのはおかしいが、応えていた。家柄や美貌だけでなく、人柄も良い。まさに完璧な淑女である。
(ローゼンバール嬢、今日も素敵だな……。こんな機会だし、一度くらいお話したりできないもんか……)
しかし、ディルスはすぐに首を振った。
(いやいや、俺みたいなダサ男が声かけたところで、相手にされるわけない)
ならばせめて、お姿を目に映すくらいは許してほしい。そんなわけでディルスは夜会の間、チラチラとミレイの姿を盗み見ていたのである。
――それがあだとなった。
(ん!?)
見てしまったのだ。頬を赤らめながら、ミレイに近付いたご令嬢。彼女が手に持ったシャンパン入りのグラス。その中に先ほど、ご令嬢自らが“なにか”を入れているところを――!
ご令嬢はミレイに声をかけると、連れ立って会場の外に出てしまった。ちょうどミレイの周りの人垣がなくなったタイミングだ。誰もそのことに気付いていない。
嫌な予感がした。二人を追うように、ディルスも会場の外に出る。
ミレイと令嬢は、廊下の隅で向かい合っていた。令嬢がミレイにグラスを差し出す。ミレイは断っているようだった。当然だろう。今は警備の仕事中だ。しかし、ご令嬢はグラスを握りしめると、なかば無理矢理ミレイの唇に押し当てた。それを見た瞬間、ディルスは足早にそちらに近付いていた。
「ケホッ、ケホッ……サーヤ様、なにを――」
突然のことにむせていたミレイだが、ふいにその動きが止まった。急激に顔が紅潮し、指先が震えている。
「ああ、ミレイ様。これでわたくしたち――」
「しっ、失礼します、ローゼンバール嬢。警備のことで騎士団長様が呼んでおられました。至急、向かうようにとのことです」
突然の闖入者に、二人がハッと振り返った。
「な、なんですの貴方!? 今、ミレイ様はわたくしとっ……」
「いやぁ、どうもすみません。すぐにでも連れて来いって言われてまして。遅れると私まで怒られてしまうもので、どうかご容赦を。ささっ、行きましょうローゼンバール嬢」
ヘラヘラと笑いながら、ミレイの背中を押す。
「あっ、ああ……。申し訳ありません、サーヤ様。お話はまたの機会に」
「そっ、そんな……! ミレイ様ぁ!」
涙を浮かべるご令嬢を振り切り、足早に廊下を歩く。
しばらく先の角を曲がったところで、ミレイがガクリとうずくまった。
「ローゼンバール嬢!?」
「すまない……どこか人目のない所へ、運んでくれないか……」
「わかりました。歩けますか?」
ミレイは立ち上がろうと踏ん張るが、すぐにヘタリと崩れ落ちる。
「失礼します」
声をかけ、ディルスは彼女を横抱きに抱え上げた。ミレイが崩れ落ちてから「失礼します」までの間には、海よりも深い葛藤があったのだが、時間にしてみれば二秒にも満たなかった。そのまま競歩のようなスピードで歩き出す。
夜会には休憩用の控え室がいくつも用意されている。気分が悪くなった時に休む用、酔っ払いが泊まる用、一夜のアハンうふんを楽しむ用だ。ひとまずそこを目指そう。
「お気を確かに! もうすぐ部屋に着きますから」
ディルスは必死で声をかけるが、腕の中のミレイはうわ言のような声を漏らすだけだ。
えらいことになってしまった。横抱きに抱えたミレイは、頬を赤く染め、息を荒げている。意識も朦朧としているようで、言葉らしい言葉も発していない。
なんとか空いている部屋を見つけて滑り込んだ時には、ディルスのほうがはるかに息切れしていた。根っからのインドア派な彼が、女性をお姫様抱っこして競歩にいそしんだのだ。体力の限界を迎えるのも当然だろう。
ぜえぜえ言いながら、ミレイをベッドに寝かせる。ミレイはうっすら目を開くが、その焦点は合っていない。
(どうしよう……医者を呼ぶべきか?)
彼女の様子はただ事ではない。あのご令嬢がなにを盛ったか知らないが、明らかに体に異変をきたしている。
(毒? でもあのご令嬢の様子を見るに、毒を盛るようには見えなかった)
殺意や敵意は感じられなかった。どちらかと言うと、同性に向けるにはあまりにも“本気の”好意だけが感じ取れた。
(――まさか……)
こういう時のお約束が脳裏に浮かぶ。実際に見たことはないが、本などで読んだことがある。
媚薬――こういう時はそれと相場が決まっている。いや、決まっていないが、巷で流行りのアダルトな小説なんかでは、こういう時は媚薬を盛られることが多い。
(いやいや、まさか)
いくらなんでも考えが飛躍しすぎている。あのサーヤという令嬢がミレイに懸想していたとして、媚薬を飲ませて既成事実を作ろうとするなんて、貴族のお嬢様がするわけない。ディルスは己の非現実的な考えに自嘲した。
ここはやはり医者を呼ぶ一択だろう。無知な自分では、どんな処置をすればいいのかわからない。
「ローゼンバール嬢。しばし待っていてください。すぐに医者を呼んできます」
そうして立ち去ろうとすると、
「ま、待ってくれ……」
白魚のような指が袖口をつかんだ。
「こんなところ、他の者に見られたくない……頼むから、誰も呼ばないでくれ……」
息を乱しながら、彼女が懇願する。
こんなところ……とは、薬で弱っているところということだろうか?
「で、ですが。万が一、毒だったらどうするんですか?」
「毒、ではない……と思う。そういった症状ではない……」
毒ではない。そういう症状ではない。なら、どういう症状――
「くっ……」
苦しそうな声を上げ、ミレイはベッドの上で背中を丸めた。
「ローゼンバール嬢!?」
「はぁっ、はぁ……。体が……熱いんだ……」
「体が……熱い……」
「変なんだ……体の奥が疼いて、仕方ない……」
「体の奥が疼いて……」
なんか嫌な予感がする。非現実的な考えが現実みを帯びていく。
(やばい、これ“マジ”なのでは……?)
一瞬遠い目をしかけたディルスの腕を、ミレイがつかんだ。
「触れてほしくてたまらないんだ……っ!」
頬を真っ赤に染め、目尻に涙を浮かべてディルスを見上げる。その顔は切実だった。
「この身を暴いてめちゃくちゃにしてほしい……っ、そんな考えに頭が支配されているんだ……」
(びっ、媚薬だ―――!!)
まさかのビンゴである。
あのサーヤという令嬢はなにを考えているのだ。仮にも貴族のお嬢様が、同意のない相手に媚薬を盛るなんて。
「助けてくれ……頼む」
ミレイがディルスにすがりつく。
「たっ、助けるって、どうやって――」
白魚の指が、ディルスの手をふくよかな胸へと導いた。
「んっ……」
「!?!??」
柔らかいふくらみに当てられた掌。ミレイの艶めいた声と色っぽい表情。ディルスは一瞬魂が抜けた。
濡れた瞳がディルスを映す。震える唇が艶めいた息をこぼした。
「触れてくれ……この身の熱を、しずめてくれ……」
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