水底のアジュガ 上

泡井 月

文字の大きさ
10 / 35

迷霧のはじまり

しおりを挟む
 わたしは部活に入っていないので、放課後はまっすぐ帰宅せずにバイトに向かう。しかしライラをひとり家に留守番させるにはまだとても忍びないので、任せるなら紅成の家かな、と思いライラと一緒に教室を出た。ライラにその旨を話して、一緒に紅成の居る四組に向かうと、廊下でまた噂話が立っていた。どうせだから聞き耳立ててみよう。提案するとライラも頷いたのでさり気なく聞く。

「ねぇねぇ、校長先生なんかおかしくない? 最近」
「何が?」
「なんか、やたら機嫌がいいっていうか。様子がさ。芹沢さんの従姉? 来てからさ、なんか、ねえ」
「あー……なんかあれでしょ? 収集癖があるって噂でしょ? え、まさかあれ信じてんの?」
「信じてるっていうかぁ、違うんだってぇ。紅成くんも言ってたしぃ。てか聞いてよ、こないださあ」

 ライラの話かと思えば、すーぐ紅成の話か。人気者だね君は。よかったね。他人事なので鼻で笑って聞き流す。
 しかし問題は、校長の収集癖の話である。
 内容はこうだった。

 ──新学期が始まったあたたかい春の日の昼休み、ある生徒は校長が中庭を散歩する姿を見かけた。中庭には桜並木が並んでおり、その間に鉢植えが何個も並んでいる。校長は歩きながら、何気なくハンカチを取り出し、その場に咲いていた鉢植えの花びらを毟(むし)ったかと思えば、今度は桜の枝のいちばん細いものを選んでぽっきり折ったという。
 毟った鉢植えの花びらはハンカチの中に仕舞って、大事そうに校舎内に戻ってきた。生徒はその一部始終を見ていたが、枝を折ってもなお笑顔を崩さない様子が恐ろしくてたまらなくなったため逃げ帰り、その後は運良く曲がり角の壁の陰に隠れることができた。
 校長の様子を伺うことにした生徒は、その後はもう下校するだけだったので、職員室に向かうつもりだという振りをして、尾行することを決意した。
 校長にはある噂があり、それは「恐ろしい収集癖がある」ということだった。花びらや桜の枝なんてかわいいもので、珍しい蝶の標本はさることながら、動物の標本や、この世のものとは思えない生き物のホルマリン漬けまでも自宅にあるという噂があった。根拠は校長の自宅の前を通りがかった教頭の話で、教頭が言うには「ある伝説の人魚の話をこの歳にして信じているとんでもない人間だ、あれが校長に就任とはとても信じられない」とのことだった。学校内で話す教頭も教頭であるが、こんな特大ニュースレベルの話が学校中の噂話の種にならない訳がない。かくして、この「校長の収集癖」の噂話は、断片的に切り取られたりしながらも、たちまち拡がっていった。
 そして今に至るらしい。生徒はこの話を覚えており、固唾を飲んで校長室までついて行くと、校長は廊下でふと立ち止まり、ゆっくりと振り返ってこう言った。

「失礼、この辺りにアジュガの花は咲いていないかしら?」
  
「……アジュガ?」
「ね。アジュガって、言ったわね」
「ね」
 聞いたことのない花だな。ていうか、その後その生徒はどうなったんだろう。まさかね、と恐ろしい思考を忘れつつ、わたしは人を待つ振りをして、その場で手に持っていたスマホで検索しながら話を最後まで聞いた後、流れるように紅成に連絡をした。「今日バイトなんだけど、ライラが心配だから一緒に帰ってくれない? うちの鍵渡すから」と文字を打つ。紅成はすぐに返事をしてくれると思ったが、なかなか来ない。普段なら五分とかからないのに。
「こうせいくん、あんなに美羽にお熱なのにね」
「お熱って。まあ、幼馴染だし、親のこと話してるの、あの人とほら、よく一緒に居る子。わかる?」
「ナナミちゃん?」
「そうそう。あのふたりくらいにしか話してないから、信頼関係はあるけど」
「それだけじゃなさそうね」
「うわいやだぁ、めんどくさいぃ、巻き込まれたくないぃ」
「ふふ、美羽だって綺麗なんだから、きっと高嶺の花よ」
「お母さんがすごい美人だったらしいからね。あんま覚えてないけど。まあ、受け継いでるといいんだけどね。でもライラには負けるよ」
 ──と会話していると、流れとしては空気を読んで、大抵タイミング良く幼馴染が現れて、悪い遅れた、帰ろう、とかなんとか言ってくれるようなものだが、それでも紅成は現れない。それでもカブは抜けません。もしかしてもう帰ったかな。確か人気のカフェの新作ドリンクが、とか言っていたし、予鈴と同時に教室を飛び出した可能性もある。なんなら紅成のことだし昼休みで早退したかも。とりあえずまだバイトまでは暇だし、余裕もあるし、ジュースでも買おう。定期入れを取り出し、ライラと一緒に自販機まで歩く。二年の教室から自販機までは若干距離があるので、二組の様子を見つつ向かった。
「あれ、紅成、寝てんの」
「……あー、美羽、と、ライラ。悪い、頭痛い」
 まあ、と眉を下げて心配そうな顔をするライラに、紅成は「いつものことだよ、気にしないで」と、愛想笑いのつもりだろうが、体調の悪さからか硬い笑顔を返した。
「薬は?」
 鞄から、普段常備しているロキソニン錠剤を取り出して尋ねる。わたしも偏頭痛持ちなので何シートか持ち歩いているし、昨日もバイト先の先輩にあげた。
「三十分前くらいに飲んだから、もうちょいかかる」
「そか。じゃあ、わたしこの後バイトだから、ライラ、送ってもらってもいい?」
「平気よ。頭痛でしょう? 美羽がたまに言うわよね。とりあえず、治まったらまた考えましょ」
「ありがと。紅成も、だめそうなら保健室行って寝な。ライラが横で待っててくれるから」
「あー、あー。ありがと……」
 半ば死にかけの枯れた声で紅成が答える。
「ん。じゃあよろしくねライラ。バイト終わったら連絡するから、ご飯は最悪紅成んち行って」
「……今日飯なんだっけな」
「食欲あるならいっか。薬効くといいね。またね」
「……うーい」
 ひらひらと振る力のない手で見送られ、わたしは学校を後にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

侯爵家に不要な者を追い出した後のこと

mios
恋愛
「さあ、侯爵家に関係のない方は出て行ってくださる?」 父の死後、すぐに私は後妻とその娘を追い出した。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...