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迷霧のはじまり
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わたしは部活に入っていないので、放課後はまっすぐ帰宅せずにバイトに向かう。しかしライラをひとり家に留守番させるにはまだとても忍びないので、任せるなら紅成の家かな、と思いライラと一緒に教室を出た。ライラにその旨を話して、一緒に紅成の居る四組に向かうと、廊下でまた噂話が立っていた。どうせだから聞き耳立ててみよう。提案するとライラも頷いたのでさり気なく聞く。
「ねぇねぇ、校長先生なんかおかしくない? 最近」
「何が?」
「なんか、やたら機嫌がいいっていうか。様子がさ。芹沢さんの従姉? 来てからさ、なんか、ねえ」
「あー……なんかあれでしょ? 収集癖があるって噂でしょ? え、まさかあれ信じてんの?」
「信じてるっていうかぁ、違うんだってぇ。紅成くんも言ってたしぃ。てか聞いてよ、こないださあ」
ライラの話かと思えば、すーぐ紅成の話か。人気者だね君は。よかったね。他人事なので鼻で笑って聞き流す。
しかし問題は、校長の収集癖の話である。
内容はこうだった。
──新学期が始まったあたたかい春の日の昼休み、ある生徒は校長が中庭を散歩する姿を見かけた。中庭には桜並木が並んでおり、その間に鉢植えが何個も並んでいる。校長は歩きながら、何気なくハンカチを取り出し、その場に咲いていた鉢植えの花びらを毟(むし)ったかと思えば、今度は桜の枝のいちばん細いものを選んでぽっきり折ったという。
毟った鉢植えの花びらはハンカチの中に仕舞って、大事そうに校舎内に戻ってきた。生徒はその一部始終を見ていたが、枝を折ってもなお笑顔を崩さない様子が恐ろしくてたまらなくなったため逃げ帰り、その後は運良く曲がり角の壁の陰に隠れることができた。
校長の様子を伺うことにした生徒は、その後はもう下校するだけだったので、職員室に向かうつもりだという振りをして、尾行することを決意した。
校長にはある噂があり、それは「恐ろしい収集癖がある」ということだった。花びらや桜の枝なんてかわいいもので、珍しい蝶の標本はさることながら、動物の標本や、この世のものとは思えない生き物のホルマリン漬けまでも自宅にあるという噂があった。根拠は校長の自宅の前を通りがかった教頭の話で、教頭が言うには「ある伝説の人魚の話をこの歳にして信じているとんでもない人間だ、あれが校長に就任とはとても信じられない」とのことだった。学校内で話す教頭も教頭であるが、こんな特大ニュースレベルの話が学校中の噂話の種にならない訳がない。かくして、この「校長の収集癖」の噂話は、断片的に切り取られたりしながらも、たちまち拡がっていった。
そして今に至るらしい。生徒はこの話を覚えており、固唾を飲んで校長室までついて行くと、校長は廊下でふと立ち止まり、ゆっくりと振り返ってこう言った。
「失礼、この辺りにアジュガの花は咲いていないかしら?」
「……アジュガ?」
「ね。アジュガって、言ったわね」
「ね」
聞いたことのない花だな。ていうか、その後その生徒はどうなったんだろう。まさかね、と恐ろしい思考を忘れつつ、わたしは人を待つ振りをして、その場で手に持っていたスマホで検索しながら話を最後まで聞いた後、流れるように紅成に連絡をした。「今日バイトなんだけど、ライラが心配だから一緒に帰ってくれない? うちの鍵渡すから」と文字を打つ。紅成はすぐに返事をしてくれると思ったが、なかなか来ない。普段なら五分とかからないのに。
「こうせいくん、あんなに美羽にお熱なのにね」
「お熱って。まあ、幼馴染だし、親のこと話してるの、あの人とほら、よく一緒に居る子。わかる?」
「ナナミちゃん?」
「そうそう。あのふたりくらいにしか話してないから、信頼関係はあるけど」
「それだけじゃなさそうね」
「うわいやだぁ、めんどくさいぃ、巻き込まれたくないぃ」
「ふふ、美羽だって綺麗なんだから、きっと高嶺の花よ」
「お母さんがすごい美人だったらしいからね。あんま覚えてないけど。まあ、受け継いでるといいんだけどね。でもライラには負けるよ」
──と会話していると、流れとしては空気を読んで、大抵タイミング良く幼馴染が現れて、悪い遅れた、帰ろう、とかなんとか言ってくれるようなものだが、それでも紅成は現れない。それでもカブは抜けません。もしかしてもう帰ったかな。確か人気のカフェの新作ドリンクが、とか言っていたし、予鈴と同時に教室を飛び出した可能性もある。なんなら紅成のことだし昼休みで早退したかも。とりあえずまだバイトまでは暇だし、余裕もあるし、ジュースでも買おう。定期入れを取り出し、ライラと一緒に自販機まで歩く。二年の教室から自販機までは若干距離があるので、二組の様子を見つつ向かった。
「あれ、紅成、寝てんの」
「……あー、美羽、と、ライラ。悪い、頭痛い」
まあ、と眉を下げて心配そうな顔をするライラに、紅成は「いつものことだよ、気にしないで」と、愛想笑いのつもりだろうが、体調の悪さからか硬い笑顔を返した。
「薬は?」
鞄から、普段常備しているロキソニン錠剤を取り出して尋ねる。わたしも偏頭痛持ちなので何シートか持ち歩いているし、昨日もバイト先の先輩にあげた。
「三十分前くらいに飲んだから、もうちょいかかる」
「そか。じゃあ、わたしこの後バイトだから、ライラ、送ってもらってもいい?」
「平気よ。頭痛でしょう? 美羽がたまに言うわよね。とりあえず、治まったらまた考えましょ」
「ありがと。紅成も、だめそうなら保健室行って寝な。ライラが横で待っててくれるから」
「あー、あー。ありがと……」
半ば死にかけの枯れた声で紅成が答える。
「ん。じゃあよろしくねライラ。バイト終わったら連絡するから、ご飯は最悪紅成んち行って」
「……今日飯なんだっけな」
「食欲あるならいっか。薬効くといいね。またね」
「……うーい」
ひらひらと振る力のない手で見送られ、わたしは学校を後にした。
「ねぇねぇ、校長先生なんかおかしくない? 最近」
「何が?」
「なんか、やたら機嫌がいいっていうか。様子がさ。芹沢さんの従姉? 来てからさ、なんか、ねえ」
「あー……なんかあれでしょ? 収集癖があるって噂でしょ? え、まさかあれ信じてんの?」
「信じてるっていうかぁ、違うんだってぇ。紅成くんも言ってたしぃ。てか聞いてよ、こないださあ」
ライラの話かと思えば、すーぐ紅成の話か。人気者だね君は。よかったね。他人事なので鼻で笑って聞き流す。
しかし問題は、校長の収集癖の話である。
内容はこうだった。
──新学期が始まったあたたかい春の日の昼休み、ある生徒は校長が中庭を散歩する姿を見かけた。中庭には桜並木が並んでおり、その間に鉢植えが何個も並んでいる。校長は歩きながら、何気なくハンカチを取り出し、その場に咲いていた鉢植えの花びらを毟(むし)ったかと思えば、今度は桜の枝のいちばん細いものを選んでぽっきり折ったという。
毟った鉢植えの花びらはハンカチの中に仕舞って、大事そうに校舎内に戻ってきた。生徒はその一部始終を見ていたが、枝を折ってもなお笑顔を崩さない様子が恐ろしくてたまらなくなったため逃げ帰り、その後は運良く曲がり角の壁の陰に隠れることができた。
校長の様子を伺うことにした生徒は、その後はもう下校するだけだったので、職員室に向かうつもりだという振りをして、尾行することを決意した。
校長にはある噂があり、それは「恐ろしい収集癖がある」ということだった。花びらや桜の枝なんてかわいいもので、珍しい蝶の標本はさることながら、動物の標本や、この世のものとは思えない生き物のホルマリン漬けまでも自宅にあるという噂があった。根拠は校長の自宅の前を通りがかった教頭の話で、教頭が言うには「ある伝説の人魚の話をこの歳にして信じているとんでもない人間だ、あれが校長に就任とはとても信じられない」とのことだった。学校内で話す教頭も教頭であるが、こんな特大ニュースレベルの話が学校中の噂話の種にならない訳がない。かくして、この「校長の収集癖」の噂話は、断片的に切り取られたりしながらも、たちまち拡がっていった。
そして今に至るらしい。生徒はこの話を覚えており、固唾を飲んで校長室までついて行くと、校長は廊下でふと立ち止まり、ゆっくりと振り返ってこう言った。
「失礼、この辺りにアジュガの花は咲いていないかしら?」
「……アジュガ?」
「ね。アジュガって、言ったわね」
「ね」
聞いたことのない花だな。ていうか、その後その生徒はどうなったんだろう。まさかね、と恐ろしい思考を忘れつつ、わたしは人を待つ振りをして、その場で手に持っていたスマホで検索しながら話を最後まで聞いた後、流れるように紅成に連絡をした。「今日バイトなんだけど、ライラが心配だから一緒に帰ってくれない? うちの鍵渡すから」と文字を打つ。紅成はすぐに返事をしてくれると思ったが、なかなか来ない。普段なら五分とかからないのに。
「こうせいくん、あんなに美羽にお熱なのにね」
「お熱って。まあ、幼馴染だし、親のこと話してるの、あの人とほら、よく一緒に居る子。わかる?」
「ナナミちゃん?」
「そうそう。あのふたりくらいにしか話してないから、信頼関係はあるけど」
「それだけじゃなさそうね」
「うわいやだぁ、めんどくさいぃ、巻き込まれたくないぃ」
「ふふ、美羽だって綺麗なんだから、きっと高嶺の花よ」
「お母さんがすごい美人だったらしいからね。あんま覚えてないけど。まあ、受け継いでるといいんだけどね。でもライラには負けるよ」
──と会話していると、流れとしては空気を読んで、大抵タイミング良く幼馴染が現れて、悪い遅れた、帰ろう、とかなんとか言ってくれるようなものだが、それでも紅成は現れない。それでもカブは抜けません。もしかしてもう帰ったかな。確か人気のカフェの新作ドリンクが、とか言っていたし、予鈴と同時に教室を飛び出した可能性もある。なんなら紅成のことだし昼休みで早退したかも。とりあえずまだバイトまでは暇だし、余裕もあるし、ジュースでも買おう。定期入れを取り出し、ライラと一緒に自販機まで歩く。二年の教室から自販機までは若干距離があるので、二組の様子を見つつ向かった。
「あれ、紅成、寝てんの」
「……あー、美羽、と、ライラ。悪い、頭痛い」
まあ、と眉を下げて心配そうな顔をするライラに、紅成は「いつものことだよ、気にしないで」と、愛想笑いのつもりだろうが、体調の悪さからか硬い笑顔を返した。
「薬は?」
鞄から、普段常備しているロキソニン錠剤を取り出して尋ねる。わたしも偏頭痛持ちなので何シートか持ち歩いているし、昨日もバイト先の先輩にあげた。
「三十分前くらいに飲んだから、もうちょいかかる」
「そか。じゃあ、わたしこの後バイトだから、ライラ、送ってもらってもいい?」
「平気よ。頭痛でしょう? 美羽がたまに言うわよね。とりあえず、治まったらまた考えましょ」
「ありがと。紅成も、だめそうなら保健室行って寝な。ライラが横で待っててくれるから」
「あー、あー。ありがと……」
半ば死にかけの枯れた声で紅成が答える。
「ん。じゃあよろしくねライラ。バイト終わったら連絡するから、ご飯は最悪紅成んち行って」
「……今日飯なんだっけな」
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ひらひらと振る力のない手で見送られ、わたしは学校を後にした。
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