透明人間ロックンロール

復活の呪文

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第1章:青城高校集団透明化事件

噪音、胎動

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大澤夏樹:サッカー部部室 6月4日 土曜日 14:54 PM

冷房で冷え切った部室。薄暗い室内には、スパイクに染み付いた汗と泥、消臭スプレーの匂いが立ち込もっている。晃平達に殴られた怪我の治療のため、俺はサッカー部を訪れたのだ。
保健室での治療では、確実に話がこじれ、校内推薦に影響が出かねない。
当然、文化祭当日に部室の鍵を借りられるわけもなく、去年の夏に長谷川先輩がくれたスペアキーを使った。

そう言えば、まだ謝れてないな。
佐々木先輩の辛そうな顔思い出すと、一気に眠気が覚めた。
冷房に当てられ重くなった体に鞭を打って体を起こす。
重い目を擦り、畳に敷いた筋トレ用マットを所定の位置に戻すと包帯と絆創膏の残骸を丸めてゴミ箱に投げ捨てた。

(今、何時だ……?)

俺は、古びた壁掛け時計に目を向けたが、入部した頃から変わらず故障しており、使い物にならない。
部長の管理不足に苛立ちを覚えながら、乱雑に掛けたブレザーを手に取ると、ポケットからスマホを取り出した。
もうそろそろ、約束の時間だ。
微かな不安が、胸を過ぎる。ブレザーを羽織ると、ガクと約束した本校舎の中庭へむかった。

白調の扉を開き部室棟の廊下に出ると、いつの間にか太陽は陰り、空は曇っていた。
廊下は、先ほどに比べて酷く薄暗い。
すると俺は、長い廊下の奥、本校舎から蠢く様な音が響いている事に気付いた。

先の本校舎で聞いた、人が日常動作で起こす雑音とは違う、攻撃的な音に不信感を覚えながら、本校舎へと進む。
部室棟は展示区画外である為装飾が施されておらず、加えて生徒も来場者もおらず閑散としていて、部室棟だけ時間が止まっている様な錯覚を覚える。
白を基調とした無機質な廊下に、ただ例の音だけが響いていた。
俺は早足でバスケ部の部室を通り過ぎる。

俺が本校舎に近づくにつれ、例の音が大きくなってきており、部室にいた時と異なり俺は鮮明にその音を聞いた。

金属がぶつかり合う音だ。

無機質に鳴り響くその音を聞いて、俺は工場の製造ラインを連想した。
2メートルほどある大きな正方形の鉄の塊が、一つずつ、時間をかけて削られていく。
カッターが触れるたびに甲高い音を発する鉄塊。
子供の頃、俺にはその音が、生き物が今際の際にあげる断末魔のようで恐ろしかったのを思い出した。

思えば、学校は工場に似ている。純粋無垢な少年少女達が授業部活動、人間関係といった他者との関わり合いの中で削られ、卒業する頃には一律的な姿へと加工される。
それは俺も例外ではない。
ぱあんと、一際大きな音が炸裂する。
俺は、咄嗟にどこかの部室の戸の凹みに身を隠し、周囲を伺ったが、やはり、誰もいない。
なんでこんな音が、文化祭中に鳴り響いているのだろうか。どこかのクラスの催しなのか。
それとも、文化祭は既に終了し後片付けに入っているのか。

もどかしさを感じ、手持ちを確認すると部室に文庫本を置いてきたことを思い出した。
額を汗が伝う。弾け飛ぶ赤い火花と、むせ返るように暑かった工場。響き渡る鉄塊の絶叫。
あの日の不快感が、彼の奥から蘇る。
脂汗が下着に滲み、鳥肌が立つ。口の中にたまった唾液を飲み干すと、心なしか腹痛を感じた。
文化祭が終了しているかもしれないという不安もあるが、何よりも、本校舎に近づくにつれ強まる音の異質さが恐ろしかった。
ゆっくりと、しかし着実に強まる金属音に呼応するように、心臓の鼓動が頭に響く。

俺は、渡り廊下をゆっくりと進み、本校舎へと繋がるドアの前へ立った。
分厚い扉を挟んだ向こうで、例の金属音が響いている。
ドアノブに手をかけると、気を張っているからか、やけに冷たく感じられた。
(今ならまだ引き返せる。部室に戻って様子を伺うべきだ)という考えと、
(一刻も早く音の原因を明らかにし、恐怖から解放されたい)という二つの考えが、
脳内で鬩ぎ合っている。そんな考えを踏みにじるように、響き続ける金属音。

『開け。扉を開け』

金属音が、俺を急かす。

校舎を工場とするならば、ここまで歩いてきた俺は、あの鉄塊だ。
ただ進み、削られるだけ。引き返すことなど、許可されていない。
それに、ガクや祐介の身に何かあったら。
脳裏に、さっき投げ捨てた文章が浮かぶ。
深呼吸し、覚悟を決めると、一気に重い扉を開いた。
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