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一章 神さびた参道の伝え話
第13話 仏道と神道
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神楽木さんの心霊相談の補助は思いの他あっさりと終わった。個人的にもう少し体を動かせるとストレス解消にもなって良かったんだが、高いアルバイト代も貰えているのにそこまで望むのは欲張りというものだろう。
「神楽木さん。そういえばだけど、こういう相談は多いの?」
「そうだね……実は私が心霊相談を始めたのは地元に戻って来てからだから、そんなに昔の事でもないのだけど……当初から比べれば徐々に相談者は増えてる気はするかな」
受け取ったアルバイト代を尻のポケットに突っ込みつつ神楽木さんに問う。
意外な事に神楽木さんがこうした霊障に対する相談を始めたのは割と最近のことらしかった。元々、心霊相談は受け付けていなかったようなのだが、宮司であるお父さんがたまたま相談を受けることがあり、見えない筈のものが見える神楽木さんに対処を振ってきたという経緯があるらしい。
「へぇ……それは、やっぱり神楽木さんの神社が評判になってきたからかな?」
「うーん、どうなんだろうね。評判は悪くないと思うけど……でも、それだけじゃないと思う」
心霊相談の経歴もまだ浅いという事で、徐々に評判が浸透して有名になってきていると思っていたのだが、神楽木さんが言うには依頼が増えてきたのはそれだけが原因ではないという。
「というと?」
「石動くんには前に話したよね? この地域には異界にまつわる民話が多く残っているって」
「……聞いたような、聞いてないような……」
「ほら、生者と死者との間にできた黄泉子のこととか、死者と会うことのできる里の話だよ」
黄泉子の話なら覚えている。後半の死者と会うことのできる里という話は正直うろ覚えだが……
黄泉子の話とは確か……桜の木の下で生者と死者が再会し、一夜の逢瀬をした。その後に桜の木の下に赤子が捨てられていて、その子が生者と死者の間に生まれた子だというので黄泉子と名付けられたという話だった筈だ。
「もともとこの地域には夜見平坂──異界に繋がっているという謂れのある場所があるせいか、怪異にまつわる昔話も多いみたいなんだよね。つまり、霊障相談の需要が多い土地柄ってこと。その霊障の原因が向こう側から流れてきた存在なのかどうかはわからないけど……きっとこの地に霊障が多いのはそういう事情もあると思う」
なるほど。そもそも霊や妖怪、怪異が多くいる土地ならば、人と人外が関わり合った分だけ霊障も多く存在する事になる。もともと多かった霊障相談が神楽木さんの神社が評判になるにつれて、依頼として流れて来るようになったというのは頷ける話だ。
「ここらへんだと他に相談を受け付けてるのは、やっぱり慈願寺になるのかな?」
「うん。慈願寺でも祈祷はしてる筈だよ。寺院の事情は詳しくは私も知らないけど、民間だと他にも受け付けている所はあったと思う」
「へぇー」
慈願寺が霊障の相談を受けているなんて話は俺も知らなかった。とはいえ、あれだけ巨大な寺院だ。所属している僧の中には見える人だっているのかもしれない。それに、民間でも霊障相談を受けている所もあるのだと。民間だと過去に寺社に務めていた人であったり、霊媒師や祈祷師、呪い師の家系出身の人が多いらしい。……俺が知らなかっただけで、意外といるものだ。
そして、先ほど神楽木さんが疑問を呈していた異界から霊障の原因が流れて来ている、という話には少し俺も覚えがある。
「しかし、流れてきてるかぁ……確かに、向こうでも此方に渡ろうとする奴はいたなぁ」
「そうなの?」
そうなのだ。あまりいないが人間や人間の文化に興味のある比較的若い奴だったり、人食いをしたい妖怪だったりが此方側に渡ろうと機会を虎視眈々と狙っているという事はあった。
「ただ、簡単に渡れる訳じゃ無いんだ。他はどうか知らないけど、俺が通ってきた境界──異界と現世の間には真っ暗闇のよくわからない空間があってさ。そこを無事に抜けるには道標が必要な筈なんだ。此方との縁っていうのかな? 此方側で覚えていてくれる人がいないと向こうからの帰り道は見えない。帰りを強く願ってくれる人がいないと辿り着く事も出来ない」
縁を人と人との繋がりの糸とするならば、どんなに特別な力を持っていても視えないその糸が、真っ暗闇の道の行き先を示す道標となる。要は、昔あった某携帯獣のゲームの、穴ぬけのヒモみたいな物だ。俺はその糸を辿って現世に戻ってきたということになる。
ただ、その糸が誰とのものなのかっていうのは、なかなか判別するのは難しいのだが……多分だけど、母さんは違うな……婆ちゃんとかが願っててくれてたんじゃないかと思っている。
そして反対に、存在を忘れられた人は帰り道がわからないので戻ってくることも出来ない。俺が高校入学前に神隠しで向こうに渡ってから12年。そろそろ存在を完全に忘れられても全くおかしな話ではなかったのだが、忘れずに覚えていてくれる人がいたというのは本当にありがたいことだった。
「それと同じように、妖怪とか悪霊の怪異も此方との縁がないと境界を渡るのは難しい筈なんだけど」
向こう側にいる多くの妖怪や悪霊といった怪異は現世との繋がりなど持っていない。だが、こちら側に渡ることが出来る、渡ってくる者がいるというのは、こちら側から怪異を呼び寄せている何者かがいるということなのかもしれない。……まぁ、それも確証はないが。
「わっ、私も石動くんが帰ってくるの願ってたよ……!」
「え? あ、ありがとう、神楽木さん……そしたら、俺が帰って来れたのは神楽木さんのお陰でもあったのかも」
もし、そうだとしたらありがたい話だ。彼方から此方へと渡るのに、強い縁を持っているのにこしたことはない。縁が弱いと道標となる糸が途中で切れてしまったり、道に迷って彷徨うしかなくなる可能性だってあった。
「石動くんの力になれて本当によかった」
俺がそう答えると彼女はそう言って笑みを返してくれたのだった。同級生程度の繋がりしかなかった俺の事を覚えていてくれるなんて、本当に神楽木さんは優しいなぁ……あなたが女神か。
「でも、今日は石動君がいてくれて本当に助かったよ。いつもはもっと準備が必要だから、今日はかなりアッサリ終わった印象」
「そうなの? いつもはどうしてたの?」
「悪戯をする霊くらいならいきなり祝詞と奉納舞とかで充分なんだけど、今日みたいな攻撃性が強い相手の場合はまず結界に閉じ込める必要があるからね……暴れられて祓の邪魔をされると厄介だから、そのための準備をしなくちゃいけなくて大変だよ」
「……神楽木さんはいつも一人でお祓いを?」
「うん。お父さんは幽霊だとかが見えないし、繭子を本番で助手にするには危ないからね……他に頼れる人がいなくもないのだけど遠方にいるし、気軽に手伝ってもらう訳にはいないから。どうしても一人で対応するしかなくて」
何とも恐ろしいことに神楽木さんはこれまで一人で霊障相談に対応していたらしい。確かに、霊の見えないお父さんでは対応は難しいだろうし、見えるとはいえまだまだ中学生の子供で、未熟な弟子の繭子ちゃんを頼りにすることは出来ない。頼ることが出来る人がいるのはいい事だが、その人が近くに住んでいる訳ではないとなると、依頼の度に呼び出す訳にもいかないのだろう。
「……これまで危ないことはなかった?」
「ん~、何度か結界を破られそうになったり、結界に閉じ込めるまでに苦労したことはあったかなぁ。でもそこまで強いのはいなかったから」
聞けば、これまでにも危ない目には何度かあっているみたいだ。
「……今度からは依頼がある時は一人で十分だと思っても、なるべく呼んで欲しい。アルバイト代のこととかは考えなくていいからさ。一人きりでお祓いするのは危ないよ。そりゃあ、そこらの幽霊を祓うだけなら問題はないんだろうけど、何が起こるかもわからないんだから……」
「え……で、でも、そんなの悪いよ」
「自分がいない時に神楽木さんが怪我したとか知ったら後悔すると思うから。出来れば頼って欲しい。ほら、神楽木さんに怪我させてしまったお詫びと思ってくれてもいいからさ」
流石に一人で対応していると聞いては心配が勝る。神楽木さんの祓の技能は見事なものだったがその技能は巫女としてのもので、今日のような暴れる怪異の場合は誰か害意が向かないように守る人がいるべきなんだと思う。
神楽木さんには式神のような存在はいないのだろうか? 向こうでも、術者は前鬼後鬼のような護衛を付けるのは常識だった。もしも彼女にそういう存在がいないのならば、お祓い前の採用試験で神楽木さんに怪我させてしまった手前、罪滅ぼしの為にも彼女の負担は軽くしてあげたい。
「……頼ってしまって、迷惑じゃないかな?」
「全然そんなことないよ。あぁ、盾になるのを心配してくれてるなら心配はいらないから。向こうにいた時は悪霊やら悪い妖怪やらと争い事になることも多かったし。慣れてる」
それでも、悪霊やら妖怪を退治する時に一人で立ち向かうなんてことは向こうではあまりなかった気がする。前衛が相手を押さえて、後衛が大きなダメージを与える。こういってしまうとゲームのように思えてしまうが、その形の方が安定してるし効率もいい。何事も一人でこなすよりは、役割を分担してしまった方が作業も早く進むのと同じことだろう。
思えば、向こうにいる間は本当に戦ってばかりだった。俺が人間だということもあり、人食い妖怪を寄せる誘蛾灯のようになっていたからな……向こうでの経験が此方でも活かせるというのであれば、それを活かすことに躊躇いはない。
……それにずっと大人しくしているのもストレスがたまるからな。たまに思いっきり体を動かして発散できる機会は欲しい。
「ふふふ……そっか、ありがとうね。そ、それじゃあ、遠慮なく頼らせて貰おうかな」
「おうとも。頼ってくれたら俺も嬉しい」
そうやって神楽木さんを説得していると、どことなく嬉しそうな表情をして頷いてくれたのだった。なんとなく彼女の表情に気恥ずかしく思っていると、少しの間だけ互いに無言になった。
その時、ぐぅ、と腹の音がなった。聞こえてきたのは俺の方からだ。……もう昼も過ぎてるからなぁ、腹が減っていた。自慢じゃないが、俺の身体は燃費がよろしくないのだ。婆ちゃんの家にいても馬鹿みたいに食うので食事代は激増しているだろう。……婆ちゃんには申し訳ないな。早く稼いで、すこしでも金を入れられるようにならないといけない。
「ふふ、ごめんね、気づかなくて。お昼まだだったよね。よかったら家で食べていかない?」
「えーと、いいの?」
「もちろん。これから長い付き合いになるだろうし、お父さんも石動くんと話がしてみたそうにしてたよ。さっきからずっとこっちをチラチラ見てるし」
「え?」
そう言われ社務所の方を見てみると神楽木さんのお父さん──衣弦さんがニコニコとした人好きのする笑顔で此方の方を見ていた。何故だろうか、その笑顔には妙なプレッシャーを感じる気がする。
「私は繭子とお昼の準備をしてくるから、石動くんはお父さんの相手してて貰ってもいいかな?」
「え、あ、うん。分かった」
□
カチコチという壁に掛けられた古い振り子時計の音が部屋の中に妙に響いている。八杜神社の社務所は古い建物のようで、年季の入った柱や襖などがあり中々趣がある作りになっている。婆ちゃんの家も古いが、そことはまた違った雰囲気を持っている場所だった。
その部屋の一室、普段は居間として使われているだろう部屋に衣弦さんと俺、2人だけになった。ちなみに時間は午後2時をとうに過ぎている。
「いやあ、娘が初めて連れてきた男がこんなに背の高くて逞しい子だとはね……そりゃお眼鏡に叶わない訳だ」
「あの……?」
確かに身長はかなり高いし、体格もいいと自認しているが、お眼鏡とは……? アルバイトの試験のことを言っているのだろうか。
それとももしかして、恋人候補的な……?
「ああいや、申し訳ない。アルバイトという口実があるとは言え、あの結衣が誰かを、しかも男を連れて来ると言い出した時には何事かと思ったんだよ。えーと、辰巳くんは結衣との付き合いは長いのかな?」
違った。あぁ、やはりアルバイトのことか。
衣弦さんの言い方から察するに、神楽木さんがこの神社に知り合いや友達を連れてくるというのは相当に珍しいことらしい。
「え、と……小中の同級生で、神楽木さん──あっと……結衣さんとはつい最近、偶然再会したばかりでして……」
「つい最近? つい最近再会した同級生をあの結衣が連れてくるのか……うん、しかし……前に心に決めた人がいると言って断っていたような……」
若干訝しげにする目の前の男性。チラリと聞こえた単語。断るって……何を?
……しかし、何だこれは。俺はどうしたらいいんだろうか。神楽木さんからは父である衣弦さんの相手をしてやってとは言われたものの、何か変な空気になりかけてないか……? あれか? やっぱり俺を神楽木さんの恋人候補か何かだと勘違いしているのだろうか。これは否定してもいいんだよな?
「あの、もしかしたら何か勘違いが──」
「はーい、お皿持ってきました。並べてて貰ってもいいですか? それと、結衣先生がもう少し時間がかかるから先に食べてて欲しいそうです」
「わかりました。ありがとう、繭子ちゃん」
繭子ちゃんがセーラー服の上からエプロンを着け、取り皿と小料理の入った小鉢がいくつか載せられたお盆を手に、部屋に入って来る。意を決して訂正しようと思ったが、タイミングよく表れた繭子ちゃんによって此方の言葉は遮られてしまった。
年上の男性で、かつ師の父親に対して臆面もなく並べておけと言う辺り、この家の女性の強さを垣間見た気がした。勝手が分からず、繭子ちゃんがお盆から座卓へと皿を移してゆくのをただ見守る。チラリと見た小鉢の中はさつま揚げと蓮根のきんぴら、茄子の煮浸し、ほうれん草の胡麻和えだった。どれも美味しそうだ。
事前に作りおいていたのだろうか? 流石にこの短い時間で三品作るのは大変だろうし。準備のよいことだ。
昼食に鉢物が付くのは盆や年末年始、祭り事、親戚が集まるような季節のイベントやらを除けば、俺にとってはあまり無い経験だった。神楽木さんの所ではこういうものなのだろうか? それか、もしかしたらこれは神楽木さんが一応俺を客人だと気を使って、態々用意してくれていたのかもしれない。
「ん……あぁ、これはこれは……」
目の前の衣弦さんはその小鉢を見て何事かを納得したように目を丸くした。
「辰巳くん、このさつま揚げと蓮根のきんぴらは結衣の得意料理なんだよ。昔からこの料理は何度も作ってくれてねぇ。辰巳くんはきんぴらは好きかい?」
「あっ、はい。きんぴらも好物ですが、さつま揚げは大好物です」
「おぉ? そうかいそうかい。結衣はきんぴらの野菜は変えるが、さつま揚げだけは変えないんだよ。それは、なんとも偶然だねぇ。ハハハ」
「は、はぁ……」
なんだろう。言葉に含みを持たせるような話し方が何処と無く神楽木さんと似ている気がした。確かに俺はさつま揚げが好物であるが、そんなこと神楽木さんに話したこともないしな……衣弦さんが懸念するようなことはないと思う。
「ちなみに、これは全て神饌を使用した料理だね。神様に感謝の気持ちとともに捧げた供物をお下げして、人がいただくことを神人共食と言うんだ。感謝していただこう」
神饌とは神様に捧げる食事や飲食物のことだ。先ほどの祓の際にも祭壇が作られ穀物、お酒、塩、水、野菜、果物、海産物などが供えられていた。他にも野鳥やお菓子を供えたり、地域によっては祭神に謂れのある特定の産物や地域の特産が捧げられることもあると聞いたことがある。
衣弦さんの言う神人共食とは、祭りや神事で捧げた供物を食事としていただくことで神との親密さを増し、神の力を身に取り込んで恩恵や加護を得ることを目的とした儀式のことらしい。また、こうして神に捧げた神饌をいただく神人共食の場のことを直会とも言うのだとか。
「では、いただきます」
「いただきます」
手を合わせてから食事に手を付ける。さつま揚げも蓮根のきんぴらも見た目通り美味い。きんぴらに使われている蓮根は、シャキシャキとした食感が残っていて小気味よいし、さつま揚げも甘辛い醤油を吸っていて実に美味だ。
「お口には合ったかな?」
「はい、とても美味しいです」
俺の向かいに座る衣弦さんと言葉を交わしながら食事をする。他の茄子の煮浸しも、ホウレン草の胡麻和えもとても美味しい。しかし、まさか同級生の手料理を食べることになるとは……
「お口に合ったようで良かった。結衣も喜ぶと思うよ」
衣弦さんはそう言って誇らしげにしている。俺の方を見てニコニコしているので不思議に思っていたのが伝わったのか……
「まぁまぁ、娘の手料理を美味しいと言って貰えるのは、父親としてもとても嬉しいことだからね」
なんとなく釈然としなかったが、衣弦さんがそう答えたので納得することにした。小鉢の料理を口に運び、味わう。……めっちゃ、美味い。同級生である神楽木さんの家庭的な一面を見た気がした。
「辰巳くんさえよければ貰ってくれてもいいんだよ? もう三十路も近いからね……あぁ、結衣は跡継ぎだから貰うとはいっても嫁ではなく、僕と同じように入り婿という形にはなるけど」
「えっ?」
「お父さん!!!」
衣弦さんは入り婿だったらしい。そして恐らく話が聞こえていたのだろう。台所から神楽木さんの怒った声が聞こえ、目の前の衣弦さんは悪びれる様子もなく肩をすくめたのだった。
うーん……本気なのか冗談なのかよくわからない。ここで、調子に乗って肯定的な言葉を言っては顰蹙を買う気もするし、え? 冗談だよと真顔で言われるのも怖いので曖昧に笑うしかなかった。
「そういえば、辰巳くんの姓は石動だったかな。もしかしてだけど、門前町の石動さんのお孫さんだったりするのかな?」
「え、えぇ、祖母を知っているのですか?」
「知っているというか、この辺りの地域で石動の姓は有名だからね。古くから寺社と関わりのある武士の家系だもの」
慈願寺とウチが檀家と菩提所以上の関わりがあるというのは初耳だった。石動家の祖先は武士だったという話は聞いた事があるが……そこまで知られる程だったのだろうか。
「そうなんですか? 昔は武家だったと聞いたことはありますが、お恥ずかしながら、あまり詳しくなくて……」
「そうか。まぁ、今どき古い家だと表立って誇る者もいないか……しかし、石動か……だとしたら老人方が少し騒ぎそうな……」
「えっと……」
そういうと衣弦さんは顎に手を当て何かを思案するように黙り込み、眉間に皺を寄せて目を閉じてしまう。なんだか先程までの人好きのする様な様子は引っ込んでしまったように見える。
暫し互いに無言となる。何か話した方がいいのかもしれないが、衣弦さんも何かを考えているようだったし……少し気不味い。どうすればいいのか悩んだ末にガラス襖一枚隔てた台所の方に目を向けると、神楽木さんと繭子ちゃんが今もせっせと食事の準備を進めていた。
「……あぁ、すまないね。この地域は少し面倒な風習というか、因縁があってね。僕は他所からの入り婿だし、正直過去にあった地域のいざこざはどうでもいいのだけど……此処だけの話、この地域の老人方……八杜の氏子衆は慈願寺を目の敵にしててね……本当にしょうもない」
そう言うと衣弦さんは考え事をやめてため息を吐いた。確かに慈願寺は大きく、お祓いや祈祷、先祖供養などを手広くやっている寺院ではあるものの、特段、恨みを買うような事は無いと思うのだが……
いや、俺も石動家の菩提所という繋がりだけで、中の人間関係だとかは全く分からないのだが……八杜神社の氏子衆が慈願寺を目の敵にする理由が分からない。
衣弦さんは過去のいざこざといっていた。もしかしたら、昔、この八杜神社と慈願寺の間で何かがあったのかもしれない。
「何故、寺院を目の敵に?」
「うーん……結衣のこともあるし、辰巳くんはある程度の事情は知っておくべきか。昔、この地域では仏教勢力と神道勢力で争いになった歴史があることは知ってるかな?」
「はい。以前、月隠山資料館で戦争絵を見たことがあります。それと確か……原因は昔の政府がした命令で両者の関係が悪化した末のものだったと……」
俺が仏教勢力である慈願寺と神道の勢力とで凄惨な争いとなった場面を描いた合戦絵を見たことがあると言うと、衣弦さんが一つ頷いた。
それに、資料館で見たあの絵のことは神楽木さんからも説明を聞いていた。元々上手く折り合いをつけていた両者であったが、政府の出した神仏分離令があってから関係が悪化したと。慈願寺も全国的な廃仏毀釈運動の波にも飲み込まれる中、分断された二つの勢力が自らの寺社の聖地である月隠山を確保専有するため、紛争が起こったというのが大まかな流れだった筈だ。
「そうだね。辰巳くんの言う通り、その争いは元は明治政府が出した政令、神仏分離令から始まり、廃仏毀釈の宗教運動、政府の取った神道国教化の体制移行も関係していたようだ。それまでは、仏教勢力も神道勢力もどちらが上かという不満はあれど、それなりに上手くやっていたみたいだね」
パクパクと小鉢の料理を摘みながら話す。衣弦さん曰く、古くから仏教と神道は、日本の歴史の中で深く結びつき、複雑な関係性を築いてきたのだと言う。
「──飛鳥時代に伝来し、仏教は文化的、宗教的な発展を齎した。でもその一方で、日本には古くから神道という独自の信仰があり、人々の生活に深く根付いていた」
当初、仏教は貴族や皇族を中心に広まっていたが、神道にはない哲学を用いて国家統治に活用すると、仏教の教えは支配者層だけでなく徐々に庶民の間にも浸透してゆく事になった。
そして、両方の信仰を持つ人々が増えるにつれ、自然と神道と仏教が融合していく流れが生まれた。
「神道と仏教が融合してゆく中で発生した齟齬。それを擦り合わせる為に生まれたのが本地垂迹説。それは神道の神々は仏教の仏や菩薩が仮に姿を変えて現れた存在だという考え方で、この理論により神道と仏教の調和が図られることになりました」
つまり、本地垂迹説とは神道の神は仏の化身であるとする考え方なのだとか。例えば神道の最高神である天照大御神は大日如来の化身としたり、素戔嗚尊を武塔天神と同一視し、後に武塔天神と牛頭天王と習合、更に牛頭天王の正体は薬師如来であるとしたり……神々に仏の位格を当て嵌め、中には明らかにこじつけみたいなのもあるらしい。
「平安時代以降は特に、神を仏として祀ったり、仏を神として祀ったりしたようだね。そうして時と共に神道と仏教の境界線が曖昧になって、神仏習合と呼ばれる信仰形態に発展した。現代からすれば奇異にも思えるかもしれないけど、多くの神社仏閣で両方の神仏が祀られていたんだね」
「へぇ……それは……少し想像しづらい感覚ですね」
こうして神仏習合は、当時の民衆に広く受け入れられ、日本の文化に深く根付いていった歴史がある。
しかし──
「明治維新後、神道と仏教を分離する動きが強まり、明治元年に神仏分離令が発布されたんだ。これは、王政復古と祭政一致を実現し、天皇を頂点に据えた近代国家建設のためだと言われている。そして、その後に進められた神道国教化もその一環。天皇に権力を集中させることを見込んで、皇祖崇拝を組み込んだ神道を国家の宗教(国家神道)とすることを広く日本の全土に周知したんだ。そうした動きが大きな時代のうねりとなった」
「……そうした時代背景の影響がこの地域にもあったということですか?」
大きく物事が変化していた時代なのだと思う。そして、その時代の変化はこの地の八杜神社と慈願寺の関係にも大きな影響を与えたのだろう。
「ええ、そうです。明治三年には大教宣布詔が発布され、伝え聞く話では国家として神道国教化を推し進めるために、この地域の神道勢力にも政府から指導者となる官職が送り込まれていたとか」
「では……」
「……うん。神仏分離令が発布された以降に廃仏毀釈の運動が全土で起こった理由には、そうした政府から送り込まれた官職である国家神道の宣教使が、仏教は堕落し腐敗しきっていると民衆を影で扇動していたという事情もあると言われています」
「そんなことが……それは……すごい時代ですね……」
そして、その政府から送り込まれていた神官がこの地域でも両者の対立を煽っていたと。何でもありという訳ではないのだろうが、現代とは異なる主義主張、信条で物事が動いていたのだろう。
まるで知らない国のような出来事に唖然としていると、座卓を挟んで向かいに座る衣弦さんが笑った。
「ハハハ。もうお分かりかと思いますが、仏教勢力である慈願寺と、神道勢力である神楽木の先祖も時代の波には逆らうことが出来ず、対立を煽られ、結果として争いとなってしまいました。……時代背景として慈願寺には向かい風であったとはいえ、過去には有力な戦国武将の数々からも信仰を受けていた名のある大きな寺院です。維新を受け、大きな変革があっても、多くの人から信仰を受け続けていたことに違いはありません」
ふぅ、と衣弦さんは溜息をつくように息を吐いた。
「──そして急激な変革は民衆の不安と反発を生むもの。文明開化や近代化が齎す急速な西洋化への恐れ、政府政策に対する不満。政府役人や地主など権力者への抵抗……変化を嫌い、やり場の無い不安を抱えた人の心とは幾ら言葉を尽くそうとも度し難いものです。それらが複雑に絡み合い、護法一揆とも言える騒動へと繋がった」
曰く、護法一揆とは明治初期に起きた廃仏毀釈や強烈な仏教弾圧に対して、仏教を護るために起こされた一揆。それは世間一般に特定の宗派による活動という認識が強いが、それ以外の宗派でも起こり得た運動だったと。
特にこの地にある慈願寺は多数の宗派、思想が入り乱れる特殊な場だった。仏法を信じ、阿弥陀如来への帰依を否定された民衆の怒りは、廃仏毀釈や仏教弾圧を扇動していた宣教使や実際に活動していた神道勢に向くことになった。
──そうして、神道の勢力は護法一揆という数の暴力を受ける事になり、あの地獄絵図のような酷い虐殺が起こったのだと衣弦さんは話す。
「政府の意向を笠に、永く人心を支えていた仏教の立場に取って代わろうと、傲慢になっていた神職は追われ、社には火がかけられた。彼らは聖地である月隠山の周辺から追い出され、一部の祖先はこの地に根付きました。……前置きが大分長くなりましたが、要は僻んでいるのですよ。この地域の老人方は。自分たちが敗残兵の末裔だと。自身には直接被害のない筈の大昔の出来事で身勝手にも恨んでいる。何とも馬鹿馬鹿しいことです」
そういう衣弦さんの目はとても冷めており、それ以上に憐れむような光があった。
「そしてもう一つ話は戻りますが、石動家はこの地では元々は有力な士族であり、当時の藩政にも加わっていた立場。それは本来であれば政府の意向で神道勢力側に着いて守らなければならなかった──ね? 老人方が俄に騒ぎそうな話だとは思いませんか?」
……衣弦さんが言いたいのは、ご先祖様が当時の護法一揆から神道勢である彼らを守れなかったということなのだろうか。
「……そんなことが。俺は自分の家のことも本当に何も知りませんでした」
「まぁ、進んで話すようなことでもありませんからね。私も仏教側で騒動がどのように伝わっているかは知りませんが……もしかしたら、そこらへんの事情は御婆様がご存知かもしれないね」
まさか自分の家にそんな歴史があるなんて思いもしなかった。婆ちゃんや他の伯父さんたちは石動家のことを知っているのだろうか? 近い内に集まるのだし、聞いてみてもいいかもしれない。
「どうでしたか? しょうもない話でしょう? ですが、これから神楽木と付き合ってゆくのであれば、一応知っておいて悪くない話です」
「はは……正直どう反応したらいいのか分かりません。ですが、教えていただいて、ありがとうございました。……あの、ところで、その神道勢力の中心となっていたのはこの八杜神社なのですか?」
「あー、いえ……対立の中心となった神社は月隠山の山頂にあったとされている月隠神社です。その神社は既に御堂として改修されてありませんが、此処と同じく元は月読尊を御祭神としていたとされています」
……月隠神社。それが今に残る仏閣の元の姿。父さんが言っていた、若い時に登って参拝したことがあるという場所だ。
「護法一揆で失われた社殿は他にもあります。月隠山山中にあったとされる久那土磐境神社も今はもう存在しない神社で、古い記録にしか残っていません。この地域では慈願寺が興るよりも古く、土着の民間信仰として月隠山周辺で信仰を集めていたとも言われていますが……今はもう残っていないということは、やはり既に焼き払われてしまったのでしょうね」
残念なことに──と呟く。
「だからなのか、八杜神社の御祭神は月読尊、それに加えて、久那土磐境神社があった名残なのか賽の神を此処では相殿神に据えています」
「へぇ……昔の信仰の痕跡が祭神から分かるんですね」
「えぇ──それに知っていますか? この地域には、古くは死んだら月隠山に御霊が集まり常世に渡るという祖霊信仰があったとされています。それが時代の流れとともに浄土教の極楽浄土への信仰と結びつき、現在の慈願寺の阿弥陀如来信仰の形へと移行したと言われています。そして、もう一つ──月読尊の本地仏は阿弥陀如来でもあるのですよ」
「え、えーと……祖霊信仰と仏教が混じり合った結果、崇める対象が月読尊か阿弥陀如来かに別れたということですか?」
「まぁ、簡単に言ってしまえば。それに、推測が多分に含まれてはいますが」
つまりは、祖霊信仰×浄土信仰=阿弥陀如来信仰(=月読尊信仰)ということであり、月隠山周辺では神道勢力も仏教勢力も殆ど同じ神仏を祀り上げていたと。
何とも複雑怪奇なものだ。連想ゲームとしか思えないような変遷。それだけ神道と仏教の関わりは深く結びついていたということなのだろうなという感想である。
「──とまぁ、小難しい話はここまでにして。……今日の祓の件ですがお疲れ様でした。辰巳くんはアレが視えているのだよね?」
「え、あ、はい、一応ですが……」
……この話題変換の落差よ。衣弦さんの表情は真剣味のあるものから、人好きするものに切り替わっている。当の衣弦さんのいうアレとは悪霊、妖怪などの怪異のことだろう。
「僕は残念ながら視えないからねぇ……どうしても足手まといになってしまうから、結衣の手伝いは出来ないんだ。娘一人に危険な仕事を任せてしまうのは父親として情けない限りだが、辰巳くんが結衣を守ってくれるのであれば僕の心配も小さくなるよ。…………結衣ももう二十七だ。僕もそろそろ孫が見たい。辰巳くん、よかったらなんだけど、本当に結衣のことを──」
「お 父 さ ん ?」
「っ……!」
いつの間にか巫女装束の上に白い割烹着を着けた神楽木さんが衣弦さんの背後に立って、見下ろしていた。その手には出来たばかりの料理が載ったお盆がある。
おぉ……透き通るような碧い目が据わっておられる。このような形容をするのもどうかと思うが、鬼が……鬼女がそこにはいた。
「オ ハ ナ シ ハ 、 ス ミ マ シ タ カ ?」
「ハハハハハハ。…………はい」
衣弦さんは蛇に睨まれた蛙のように大人しくなった。
「まったくもう……お父さんがそんなこと言うから、石動くんだって困ってるじゃない! ……ごめんね、石動くん。お父さん、昔から人の事情とか考えないで物を言うから……」
「いやぁ……はは……」
今までの衣弦さんの言動から、なんとなくだがこの人がどんな人なのかはわかる。きっと、良い人なのだろう。ただ、のほほんとしていて抜けているとこもあるのに、妙に怖い所もあるというか……掴み所のない人だ。
「本当、余計な事しか言わないから……気にしないでね?」
「それだけ神楽木さんのことを大事に思ってるってことだよ」
「それは~どうでしょうかね……」
ハハハと惚けるように笑って見せた衣弦さんにジットリとした目を向け、神楽木さんは呆れてため息を吐くのだった。
「先生ぇ……お腹空きましたよ~」
「はぁ……そうね。遅くなってしまったけど待たせてごめんなさい。ご飯にしましょう。あっ、石動くんは苦手なものとか無かった?」
神楽木さんがス──、と自然に俺の隣に座り、そう聞いてくる。幸いな事に苦手な食べ物は特にない。まぁ、もしあったとしても残さず食べていたが。
「特に好き嫌いはないから大丈夫。そうだ、この小鉢の蓮根のきんぴら美味しかったよ。これは神楽木さんの得意料理なんだってね」
「ふ、ふふっ……そう? なら良かった……得意になるようにたくさん練習したから。気に入ってくれたなら、また作っておくね」
「え? あ、うん」
あぁ、そうか。これからはアルバイト代の有無に関わらず神楽木さんのお祓いの手伝いをするんだ。きっとまた、こうして食事に誘ってくれるつもりでいるのだろう。なんともありがたいことだ。なら、せめて手伝いでは手を抜かないようにしないと。
「先生ぇ~~」
神楽木さんの向かいに座る繭子ちゃんがいい加減焦れたように呼び掛けた。
「はいはい……では」
『いただきます』
献立は五穀米のおぼろ昆布巻き、旬野菜の天ぷら、魚の切り身の入った澄まし汁、それに気に入ってくれたのならと小鉢のお替りもくれた。
──食事が美味ければ気持ちも明るくなる。
遅めの昼食は和やかに進み、ようやく一息つけた気がした。てか、神楽木さんマジで料理うめぇな……
「神楽木さん。そういえばだけど、こういう相談は多いの?」
「そうだね……実は私が心霊相談を始めたのは地元に戻って来てからだから、そんなに昔の事でもないのだけど……当初から比べれば徐々に相談者は増えてる気はするかな」
受け取ったアルバイト代を尻のポケットに突っ込みつつ神楽木さんに問う。
意外な事に神楽木さんがこうした霊障に対する相談を始めたのは割と最近のことらしかった。元々、心霊相談は受け付けていなかったようなのだが、宮司であるお父さんがたまたま相談を受けることがあり、見えない筈のものが見える神楽木さんに対処を振ってきたという経緯があるらしい。
「へぇ……それは、やっぱり神楽木さんの神社が評判になってきたからかな?」
「うーん、どうなんだろうね。評判は悪くないと思うけど……でも、それだけじゃないと思う」
心霊相談の経歴もまだ浅いという事で、徐々に評判が浸透して有名になってきていると思っていたのだが、神楽木さんが言うには依頼が増えてきたのはそれだけが原因ではないという。
「というと?」
「石動くんには前に話したよね? この地域には異界にまつわる民話が多く残っているって」
「……聞いたような、聞いてないような……」
「ほら、生者と死者との間にできた黄泉子のこととか、死者と会うことのできる里の話だよ」
黄泉子の話なら覚えている。後半の死者と会うことのできる里という話は正直うろ覚えだが……
黄泉子の話とは確か……桜の木の下で生者と死者が再会し、一夜の逢瀬をした。その後に桜の木の下に赤子が捨てられていて、その子が生者と死者の間に生まれた子だというので黄泉子と名付けられたという話だった筈だ。
「もともとこの地域には夜見平坂──異界に繋がっているという謂れのある場所があるせいか、怪異にまつわる昔話も多いみたいなんだよね。つまり、霊障相談の需要が多い土地柄ってこと。その霊障の原因が向こう側から流れてきた存在なのかどうかはわからないけど……きっとこの地に霊障が多いのはそういう事情もあると思う」
なるほど。そもそも霊や妖怪、怪異が多くいる土地ならば、人と人外が関わり合った分だけ霊障も多く存在する事になる。もともと多かった霊障相談が神楽木さんの神社が評判になるにつれて、依頼として流れて来るようになったというのは頷ける話だ。
「ここらへんだと他に相談を受け付けてるのは、やっぱり慈願寺になるのかな?」
「うん。慈願寺でも祈祷はしてる筈だよ。寺院の事情は詳しくは私も知らないけど、民間だと他にも受け付けている所はあったと思う」
「へぇー」
慈願寺が霊障の相談を受けているなんて話は俺も知らなかった。とはいえ、あれだけ巨大な寺院だ。所属している僧の中には見える人だっているのかもしれない。それに、民間でも霊障相談を受けている所もあるのだと。民間だと過去に寺社に務めていた人であったり、霊媒師や祈祷師、呪い師の家系出身の人が多いらしい。……俺が知らなかっただけで、意外といるものだ。
そして、先ほど神楽木さんが疑問を呈していた異界から霊障の原因が流れて来ている、という話には少し俺も覚えがある。
「しかし、流れてきてるかぁ……確かに、向こうでも此方に渡ろうとする奴はいたなぁ」
「そうなの?」
そうなのだ。あまりいないが人間や人間の文化に興味のある比較的若い奴だったり、人食いをしたい妖怪だったりが此方側に渡ろうと機会を虎視眈々と狙っているという事はあった。
「ただ、簡単に渡れる訳じゃ無いんだ。他はどうか知らないけど、俺が通ってきた境界──異界と現世の間には真っ暗闇のよくわからない空間があってさ。そこを無事に抜けるには道標が必要な筈なんだ。此方との縁っていうのかな? 此方側で覚えていてくれる人がいないと向こうからの帰り道は見えない。帰りを強く願ってくれる人がいないと辿り着く事も出来ない」
縁を人と人との繋がりの糸とするならば、どんなに特別な力を持っていても視えないその糸が、真っ暗闇の道の行き先を示す道標となる。要は、昔あった某携帯獣のゲームの、穴ぬけのヒモみたいな物だ。俺はその糸を辿って現世に戻ってきたということになる。
ただ、その糸が誰とのものなのかっていうのは、なかなか判別するのは難しいのだが……多分だけど、母さんは違うな……婆ちゃんとかが願っててくれてたんじゃないかと思っている。
そして反対に、存在を忘れられた人は帰り道がわからないので戻ってくることも出来ない。俺が高校入学前に神隠しで向こうに渡ってから12年。そろそろ存在を完全に忘れられても全くおかしな話ではなかったのだが、忘れずに覚えていてくれる人がいたというのは本当にありがたいことだった。
「それと同じように、妖怪とか悪霊の怪異も此方との縁がないと境界を渡るのは難しい筈なんだけど」
向こう側にいる多くの妖怪や悪霊といった怪異は現世との繋がりなど持っていない。だが、こちら側に渡ることが出来る、渡ってくる者がいるというのは、こちら側から怪異を呼び寄せている何者かがいるということなのかもしれない。……まぁ、それも確証はないが。
「わっ、私も石動くんが帰ってくるの願ってたよ……!」
「え? あ、ありがとう、神楽木さん……そしたら、俺が帰って来れたのは神楽木さんのお陰でもあったのかも」
もし、そうだとしたらありがたい話だ。彼方から此方へと渡るのに、強い縁を持っているのにこしたことはない。縁が弱いと道標となる糸が途中で切れてしまったり、道に迷って彷徨うしかなくなる可能性だってあった。
「石動くんの力になれて本当によかった」
俺がそう答えると彼女はそう言って笑みを返してくれたのだった。同級生程度の繋がりしかなかった俺の事を覚えていてくれるなんて、本当に神楽木さんは優しいなぁ……あなたが女神か。
「でも、今日は石動君がいてくれて本当に助かったよ。いつもはもっと準備が必要だから、今日はかなりアッサリ終わった印象」
「そうなの? いつもはどうしてたの?」
「悪戯をする霊くらいならいきなり祝詞と奉納舞とかで充分なんだけど、今日みたいな攻撃性が強い相手の場合はまず結界に閉じ込める必要があるからね……暴れられて祓の邪魔をされると厄介だから、そのための準備をしなくちゃいけなくて大変だよ」
「……神楽木さんはいつも一人でお祓いを?」
「うん。お父さんは幽霊だとかが見えないし、繭子を本番で助手にするには危ないからね……他に頼れる人がいなくもないのだけど遠方にいるし、気軽に手伝ってもらう訳にはいないから。どうしても一人で対応するしかなくて」
何とも恐ろしいことに神楽木さんはこれまで一人で霊障相談に対応していたらしい。確かに、霊の見えないお父さんでは対応は難しいだろうし、見えるとはいえまだまだ中学生の子供で、未熟な弟子の繭子ちゃんを頼りにすることは出来ない。頼ることが出来る人がいるのはいい事だが、その人が近くに住んでいる訳ではないとなると、依頼の度に呼び出す訳にもいかないのだろう。
「……これまで危ないことはなかった?」
「ん~、何度か結界を破られそうになったり、結界に閉じ込めるまでに苦労したことはあったかなぁ。でもそこまで強いのはいなかったから」
聞けば、これまでにも危ない目には何度かあっているみたいだ。
「……今度からは依頼がある時は一人で十分だと思っても、なるべく呼んで欲しい。アルバイト代のこととかは考えなくていいからさ。一人きりでお祓いするのは危ないよ。そりゃあ、そこらの幽霊を祓うだけなら問題はないんだろうけど、何が起こるかもわからないんだから……」
「え……で、でも、そんなの悪いよ」
「自分がいない時に神楽木さんが怪我したとか知ったら後悔すると思うから。出来れば頼って欲しい。ほら、神楽木さんに怪我させてしまったお詫びと思ってくれてもいいからさ」
流石に一人で対応していると聞いては心配が勝る。神楽木さんの祓の技能は見事なものだったがその技能は巫女としてのもので、今日のような暴れる怪異の場合は誰か害意が向かないように守る人がいるべきなんだと思う。
神楽木さんには式神のような存在はいないのだろうか? 向こうでも、術者は前鬼後鬼のような護衛を付けるのは常識だった。もしも彼女にそういう存在がいないのならば、お祓い前の採用試験で神楽木さんに怪我させてしまった手前、罪滅ぼしの為にも彼女の負担は軽くしてあげたい。
「……頼ってしまって、迷惑じゃないかな?」
「全然そんなことないよ。あぁ、盾になるのを心配してくれてるなら心配はいらないから。向こうにいた時は悪霊やら悪い妖怪やらと争い事になることも多かったし。慣れてる」
それでも、悪霊やら妖怪を退治する時に一人で立ち向かうなんてことは向こうではあまりなかった気がする。前衛が相手を押さえて、後衛が大きなダメージを与える。こういってしまうとゲームのように思えてしまうが、その形の方が安定してるし効率もいい。何事も一人でこなすよりは、役割を分担してしまった方が作業も早く進むのと同じことだろう。
思えば、向こうにいる間は本当に戦ってばかりだった。俺が人間だということもあり、人食い妖怪を寄せる誘蛾灯のようになっていたからな……向こうでの経験が此方でも活かせるというのであれば、それを活かすことに躊躇いはない。
……それにずっと大人しくしているのもストレスがたまるからな。たまに思いっきり体を動かして発散できる機会は欲しい。
「ふふふ……そっか、ありがとうね。そ、それじゃあ、遠慮なく頼らせて貰おうかな」
「おうとも。頼ってくれたら俺も嬉しい」
そうやって神楽木さんを説得していると、どことなく嬉しそうな表情をして頷いてくれたのだった。なんとなく彼女の表情に気恥ずかしく思っていると、少しの間だけ互いに無言になった。
その時、ぐぅ、と腹の音がなった。聞こえてきたのは俺の方からだ。……もう昼も過ぎてるからなぁ、腹が減っていた。自慢じゃないが、俺の身体は燃費がよろしくないのだ。婆ちゃんの家にいても馬鹿みたいに食うので食事代は激増しているだろう。……婆ちゃんには申し訳ないな。早く稼いで、すこしでも金を入れられるようにならないといけない。
「ふふ、ごめんね、気づかなくて。お昼まだだったよね。よかったら家で食べていかない?」
「えーと、いいの?」
「もちろん。これから長い付き合いになるだろうし、お父さんも石動くんと話がしてみたそうにしてたよ。さっきからずっとこっちをチラチラ見てるし」
「え?」
そう言われ社務所の方を見てみると神楽木さんのお父さん──衣弦さんがニコニコとした人好きのする笑顔で此方の方を見ていた。何故だろうか、その笑顔には妙なプレッシャーを感じる気がする。
「私は繭子とお昼の準備をしてくるから、石動くんはお父さんの相手してて貰ってもいいかな?」
「え、あ、うん。分かった」
□
カチコチという壁に掛けられた古い振り子時計の音が部屋の中に妙に響いている。八杜神社の社務所は古い建物のようで、年季の入った柱や襖などがあり中々趣がある作りになっている。婆ちゃんの家も古いが、そことはまた違った雰囲気を持っている場所だった。
その部屋の一室、普段は居間として使われているだろう部屋に衣弦さんと俺、2人だけになった。ちなみに時間は午後2時をとうに過ぎている。
「いやあ、娘が初めて連れてきた男がこんなに背の高くて逞しい子だとはね……そりゃお眼鏡に叶わない訳だ」
「あの……?」
確かに身長はかなり高いし、体格もいいと自認しているが、お眼鏡とは……? アルバイトの試験のことを言っているのだろうか。
それとももしかして、恋人候補的な……?
「ああいや、申し訳ない。アルバイトという口実があるとは言え、あの結衣が誰かを、しかも男を連れて来ると言い出した時には何事かと思ったんだよ。えーと、辰巳くんは結衣との付き合いは長いのかな?」
違った。あぁ、やはりアルバイトのことか。
衣弦さんの言い方から察するに、神楽木さんがこの神社に知り合いや友達を連れてくるというのは相当に珍しいことらしい。
「え、と……小中の同級生で、神楽木さん──あっと……結衣さんとはつい最近、偶然再会したばかりでして……」
「つい最近? つい最近再会した同級生をあの結衣が連れてくるのか……うん、しかし……前に心に決めた人がいると言って断っていたような……」
若干訝しげにする目の前の男性。チラリと聞こえた単語。断るって……何を?
……しかし、何だこれは。俺はどうしたらいいんだろうか。神楽木さんからは父である衣弦さんの相手をしてやってとは言われたものの、何か変な空気になりかけてないか……? あれか? やっぱり俺を神楽木さんの恋人候補か何かだと勘違いしているのだろうか。これは否定してもいいんだよな?
「あの、もしかしたら何か勘違いが──」
「はーい、お皿持ってきました。並べてて貰ってもいいですか? それと、結衣先生がもう少し時間がかかるから先に食べてて欲しいそうです」
「わかりました。ありがとう、繭子ちゃん」
繭子ちゃんがセーラー服の上からエプロンを着け、取り皿と小料理の入った小鉢がいくつか載せられたお盆を手に、部屋に入って来る。意を決して訂正しようと思ったが、タイミングよく表れた繭子ちゃんによって此方の言葉は遮られてしまった。
年上の男性で、かつ師の父親に対して臆面もなく並べておけと言う辺り、この家の女性の強さを垣間見た気がした。勝手が分からず、繭子ちゃんがお盆から座卓へと皿を移してゆくのをただ見守る。チラリと見た小鉢の中はさつま揚げと蓮根のきんぴら、茄子の煮浸し、ほうれん草の胡麻和えだった。どれも美味しそうだ。
事前に作りおいていたのだろうか? 流石にこの短い時間で三品作るのは大変だろうし。準備のよいことだ。
昼食に鉢物が付くのは盆や年末年始、祭り事、親戚が集まるような季節のイベントやらを除けば、俺にとってはあまり無い経験だった。神楽木さんの所ではこういうものなのだろうか? それか、もしかしたらこれは神楽木さんが一応俺を客人だと気を使って、態々用意してくれていたのかもしれない。
「ん……あぁ、これはこれは……」
目の前の衣弦さんはその小鉢を見て何事かを納得したように目を丸くした。
「辰巳くん、このさつま揚げと蓮根のきんぴらは結衣の得意料理なんだよ。昔からこの料理は何度も作ってくれてねぇ。辰巳くんはきんぴらは好きかい?」
「あっ、はい。きんぴらも好物ですが、さつま揚げは大好物です」
「おぉ? そうかいそうかい。結衣はきんぴらの野菜は変えるが、さつま揚げだけは変えないんだよ。それは、なんとも偶然だねぇ。ハハハ」
「は、はぁ……」
なんだろう。言葉に含みを持たせるような話し方が何処と無く神楽木さんと似ている気がした。確かに俺はさつま揚げが好物であるが、そんなこと神楽木さんに話したこともないしな……衣弦さんが懸念するようなことはないと思う。
「ちなみに、これは全て神饌を使用した料理だね。神様に感謝の気持ちとともに捧げた供物をお下げして、人がいただくことを神人共食と言うんだ。感謝していただこう」
神饌とは神様に捧げる食事や飲食物のことだ。先ほどの祓の際にも祭壇が作られ穀物、お酒、塩、水、野菜、果物、海産物などが供えられていた。他にも野鳥やお菓子を供えたり、地域によっては祭神に謂れのある特定の産物や地域の特産が捧げられることもあると聞いたことがある。
衣弦さんの言う神人共食とは、祭りや神事で捧げた供物を食事としていただくことで神との親密さを増し、神の力を身に取り込んで恩恵や加護を得ることを目的とした儀式のことらしい。また、こうして神に捧げた神饌をいただく神人共食の場のことを直会とも言うのだとか。
「では、いただきます」
「いただきます」
手を合わせてから食事に手を付ける。さつま揚げも蓮根のきんぴらも見た目通り美味い。きんぴらに使われている蓮根は、シャキシャキとした食感が残っていて小気味よいし、さつま揚げも甘辛い醤油を吸っていて実に美味だ。
「お口には合ったかな?」
「はい、とても美味しいです」
俺の向かいに座る衣弦さんと言葉を交わしながら食事をする。他の茄子の煮浸しも、ホウレン草の胡麻和えもとても美味しい。しかし、まさか同級生の手料理を食べることになるとは……
「お口に合ったようで良かった。結衣も喜ぶと思うよ」
衣弦さんはそう言って誇らしげにしている。俺の方を見てニコニコしているので不思議に思っていたのが伝わったのか……
「まぁまぁ、娘の手料理を美味しいと言って貰えるのは、父親としてもとても嬉しいことだからね」
なんとなく釈然としなかったが、衣弦さんがそう答えたので納得することにした。小鉢の料理を口に運び、味わう。……めっちゃ、美味い。同級生である神楽木さんの家庭的な一面を見た気がした。
「辰巳くんさえよければ貰ってくれてもいいんだよ? もう三十路も近いからね……あぁ、結衣は跡継ぎだから貰うとはいっても嫁ではなく、僕と同じように入り婿という形にはなるけど」
「えっ?」
「お父さん!!!」
衣弦さんは入り婿だったらしい。そして恐らく話が聞こえていたのだろう。台所から神楽木さんの怒った声が聞こえ、目の前の衣弦さんは悪びれる様子もなく肩をすくめたのだった。
うーん……本気なのか冗談なのかよくわからない。ここで、調子に乗って肯定的な言葉を言っては顰蹙を買う気もするし、え? 冗談だよと真顔で言われるのも怖いので曖昧に笑うしかなかった。
「そういえば、辰巳くんの姓は石動だったかな。もしかしてだけど、門前町の石動さんのお孫さんだったりするのかな?」
「え、えぇ、祖母を知っているのですか?」
「知っているというか、この辺りの地域で石動の姓は有名だからね。古くから寺社と関わりのある武士の家系だもの」
慈願寺とウチが檀家と菩提所以上の関わりがあるというのは初耳だった。石動家の祖先は武士だったという話は聞いた事があるが……そこまで知られる程だったのだろうか。
「そうなんですか? 昔は武家だったと聞いたことはありますが、お恥ずかしながら、あまり詳しくなくて……」
「そうか。まぁ、今どき古い家だと表立って誇る者もいないか……しかし、石動か……だとしたら老人方が少し騒ぎそうな……」
「えっと……」
そういうと衣弦さんは顎に手を当て何かを思案するように黙り込み、眉間に皺を寄せて目を閉じてしまう。なんだか先程までの人好きのする様な様子は引っ込んでしまったように見える。
暫し互いに無言となる。何か話した方がいいのかもしれないが、衣弦さんも何かを考えているようだったし……少し気不味い。どうすればいいのか悩んだ末にガラス襖一枚隔てた台所の方に目を向けると、神楽木さんと繭子ちゃんが今もせっせと食事の準備を進めていた。
「……あぁ、すまないね。この地域は少し面倒な風習というか、因縁があってね。僕は他所からの入り婿だし、正直過去にあった地域のいざこざはどうでもいいのだけど……此処だけの話、この地域の老人方……八杜の氏子衆は慈願寺を目の敵にしててね……本当にしょうもない」
そう言うと衣弦さんは考え事をやめてため息を吐いた。確かに慈願寺は大きく、お祓いや祈祷、先祖供養などを手広くやっている寺院ではあるものの、特段、恨みを買うような事は無いと思うのだが……
いや、俺も石動家の菩提所という繋がりだけで、中の人間関係だとかは全く分からないのだが……八杜神社の氏子衆が慈願寺を目の敵にする理由が分からない。
衣弦さんは過去のいざこざといっていた。もしかしたら、昔、この八杜神社と慈願寺の間で何かがあったのかもしれない。
「何故、寺院を目の敵に?」
「うーん……結衣のこともあるし、辰巳くんはある程度の事情は知っておくべきか。昔、この地域では仏教勢力と神道勢力で争いになった歴史があることは知ってるかな?」
「はい。以前、月隠山資料館で戦争絵を見たことがあります。それと確か……原因は昔の政府がした命令で両者の関係が悪化した末のものだったと……」
俺が仏教勢力である慈願寺と神道の勢力とで凄惨な争いとなった場面を描いた合戦絵を見たことがあると言うと、衣弦さんが一つ頷いた。
それに、資料館で見たあの絵のことは神楽木さんからも説明を聞いていた。元々上手く折り合いをつけていた両者であったが、政府の出した神仏分離令があってから関係が悪化したと。慈願寺も全国的な廃仏毀釈運動の波にも飲み込まれる中、分断された二つの勢力が自らの寺社の聖地である月隠山を確保専有するため、紛争が起こったというのが大まかな流れだった筈だ。
「そうだね。辰巳くんの言う通り、その争いは元は明治政府が出した政令、神仏分離令から始まり、廃仏毀釈の宗教運動、政府の取った神道国教化の体制移行も関係していたようだ。それまでは、仏教勢力も神道勢力もどちらが上かという不満はあれど、それなりに上手くやっていたみたいだね」
パクパクと小鉢の料理を摘みながら話す。衣弦さん曰く、古くから仏教と神道は、日本の歴史の中で深く結びつき、複雑な関係性を築いてきたのだと言う。
「──飛鳥時代に伝来し、仏教は文化的、宗教的な発展を齎した。でもその一方で、日本には古くから神道という独自の信仰があり、人々の生活に深く根付いていた」
当初、仏教は貴族や皇族を中心に広まっていたが、神道にはない哲学を用いて国家統治に活用すると、仏教の教えは支配者層だけでなく徐々に庶民の間にも浸透してゆく事になった。
そして、両方の信仰を持つ人々が増えるにつれ、自然と神道と仏教が融合していく流れが生まれた。
「神道と仏教が融合してゆく中で発生した齟齬。それを擦り合わせる為に生まれたのが本地垂迹説。それは神道の神々は仏教の仏や菩薩が仮に姿を変えて現れた存在だという考え方で、この理論により神道と仏教の調和が図られることになりました」
つまり、本地垂迹説とは神道の神は仏の化身であるとする考え方なのだとか。例えば神道の最高神である天照大御神は大日如来の化身としたり、素戔嗚尊を武塔天神と同一視し、後に武塔天神と牛頭天王と習合、更に牛頭天王の正体は薬師如来であるとしたり……神々に仏の位格を当て嵌め、中には明らかにこじつけみたいなのもあるらしい。
「平安時代以降は特に、神を仏として祀ったり、仏を神として祀ったりしたようだね。そうして時と共に神道と仏教の境界線が曖昧になって、神仏習合と呼ばれる信仰形態に発展した。現代からすれば奇異にも思えるかもしれないけど、多くの神社仏閣で両方の神仏が祀られていたんだね」
「へぇ……それは……少し想像しづらい感覚ですね」
こうして神仏習合は、当時の民衆に広く受け入れられ、日本の文化に深く根付いていった歴史がある。
しかし──
「明治維新後、神道と仏教を分離する動きが強まり、明治元年に神仏分離令が発布されたんだ。これは、王政復古と祭政一致を実現し、天皇を頂点に据えた近代国家建設のためだと言われている。そして、その後に進められた神道国教化もその一環。天皇に権力を集中させることを見込んで、皇祖崇拝を組み込んだ神道を国家の宗教(国家神道)とすることを広く日本の全土に周知したんだ。そうした動きが大きな時代のうねりとなった」
「……そうした時代背景の影響がこの地域にもあったということですか?」
大きく物事が変化していた時代なのだと思う。そして、その時代の変化はこの地の八杜神社と慈願寺の関係にも大きな影響を与えたのだろう。
「ええ、そうです。明治三年には大教宣布詔が発布され、伝え聞く話では国家として神道国教化を推し進めるために、この地域の神道勢力にも政府から指導者となる官職が送り込まれていたとか」
「では……」
「……うん。神仏分離令が発布された以降に廃仏毀釈の運動が全土で起こった理由には、そうした政府から送り込まれた官職である国家神道の宣教使が、仏教は堕落し腐敗しきっていると民衆を影で扇動していたという事情もあると言われています」
「そんなことが……それは……すごい時代ですね……」
そして、その政府から送り込まれていた神官がこの地域でも両者の対立を煽っていたと。何でもありという訳ではないのだろうが、現代とは異なる主義主張、信条で物事が動いていたのだろう。
まるで知らない国のような出来事に唖然としていると、座卓を挟んで向かいに座る衣弦さんが笑った。
「ハハハ。もうお分かりかと思いますが、仏教勢力である慈願寺と、神道勢力である神楽木の先祖も時代の波には逆らうことが出来ず、対立を煽られ、結果として争いとなってしまいました。……時代背景として慈願寺には向かい風であったとはいえ、過去には有力な戦国武将の数々からも信仰を受けていた名のある大きな寺院です。維新を受け、大きな変革があっても、多くの人から信仰を受け続けていたことに違いはありません」
ふぅ、と衣弦さんは溜息をつくように息を吐いた。
「──そして急激な変革は民衆の不安と反発を生むもの。文明開化や近代化が齎す急速な西洋化への恐れ、政府政策に対する不満。政府役人や地主など権力者への抵抗……変化を嫌い、やり場の無い不安を抱えた人の心とは幾ら言葉を尽くそうとも度し難いものです。それらが複雑に絡み合い、護法一揆とも言える騒動へと繋がった」
曰く、護法一揆とは明治初期に起きた廃仏毀釈や強烈な仏教弾圧に対して、仏教を護るために起こされた一揆。それは世間一般に特定の宗派による活動という認識が強いが、それ以外の宗派でも起こり得た運動だったと。
特にこの地にある慈願寺は多数の宗派、思想が入り乱れる特殊な場だった。仏法を信じ、阿弥陀如来への帰依を否定された民衆の怒りは、廃仏毀釈や仏教弾圧を扇動していた宣教使や実際に活動していた神道勢に向くことになった。
──そうして、神道の勢力は護法一揆という数の暴力を受ける事になり、あの地獄絵図のような酷い虐殺が起こったのだと衣弦さんは話す。
「政府の意向を笠に、永く人心を支えていた仏教の立場に取って代わろうと、傲慢になっていた神職は追われ、社には火がかけられた。彼らは聖地である月隠山の周辺から追い出され、一部の祖先はこの地に根付きました。……前置きが大分長くなりましたが、要は僻んでいるのですよ。この地域の老人方は。自分たちが敗残兵の末裔だと。自身には直接被害のない筈の大昔の出来事で身勝手にも恨んでいる。何とも馬鹿馬鹿しいことです」
そういう衣弦さんの目はとても冷めており、それ以上に憐れむような光があった。
「そしてもう一つ話は戻りますが、石動家はこの地では元々は有力な士族であり、当時の藩政にも加わっていた立場。それは本来であれば政府の意向で神道勢力側に着いて守らなければならなかった──ね? 老人方が俄に騒ぎそうな話だとは思いませんか?」
……衣弦さんが言いたいのは、ご先祖様が当時の護法一揆から神道勢である彼らを守れなかったということなのだろうか。
「……そんなことが。俺は自分の家のことも本当に何も知りませんでした」
「まぁ、進んで話すようなことでもありませんからね。私も仏教側で騒動がどのように伝わっているかは知りませんが……もしかしたら、そこらへんの事情は御婆様がご存知かもしれないね」
まさか自分の家にそんな歴史があるなんて思いもしなかった。婆ちゃんや他の伯父さんたちは石動家のことを知っているのだろうか? 近い内に集まるのだし、聞いてみてもいいかもしれない。
「どうでしたか? しょうもない話でしょう? ですが、これから神楽木と付き合ってゆくのであれば、一応知っておいて悪くない話です」
「はは……正直どう反応したらいいのか分かりません。ですが、教えていただいて、ありがとうございました。……あの、ところで、その神道勢力の中心となっていたのはこの八杜神社なのですか?」
「あー、いえ……対立の中心となった神社は月隠山の山頂にあったとされている月隠神社です。その神社は既に御堂として改修されてありませんが、此処と同じく元は月読尊を御祭神としていたとされています」
……月隠神社。それが今に残る仏閣の元の姿。父さんが言っていた、若い時に登って参拝したことがあるという場所だ。
「護法一揆で失われた社殿は他にもあります。月隠山山中にあったとされる久那土磐境神社も今はもう存在しない神社で、古い記録にしか残っていません。この地域では慈願寺が興るよりも古く、土着の民間信仰として月隠山周辺で信仰を集めていたとも言われていますが……今はもう残っていないということは、やはり既に焼き払われてしまったのでしょうね」
残念なことに──と呟く。
「だからなのか、八杜神社の御祭神は月読尊、それに加えて、久那土磐境神社があった名残なのか賽の神を此処では相殿神に据えています」
「へぇ……昔の信仰の痕跡が祭神から分かるんですね」
「えぇ──それに知っていますか? この地域には、古くは死んだら月隠山に御霊が集まり常世に渡るという祖霊信仰があったとされています。それが時代の流れとともに浄土教の極楽浄土への信仰と結びつき、現在の慈願寺の阿弥陀如来信仰の形へと移行したと言われています。そして、もう一つ──月読尊の本地仏は阿弥陀如来でもあるのですよ」
「え、えーと……祖霊信仰と仏教が混じり合った結果、崇める対象が月読尊か阿弥陀如来かに別れたということですか?」
「まぁ、簡単に言ってしまえば。それに、推測が多分に含まれてはいますが」
つまりは、祖霊信仰×浄土信仰=阿弥陀如来信仰(=月読尊信仰)ということであり、月隠山周辺では神道勢力も仏教勢力も殆ど同じ神仏を祀り上げていたと。
何とも複雑怪奇なものだ。連想ゲームとしか思えないような変遷。それだけ神道と仏教の関わりは深く結びついていたということなのだろうなという感想である。
「──とまぁ、小難しい話はここまでにして。……今日の祓の件ですがお疲れ様でした。辰巳くんはアレが視えているのだよね?」
「え、あ、はい、一応ですが……」
……この話題変換の落差よ。衣弦さんの表情は真剣味のあるものから、人好きするものに切り替わっている。当の衣弦さんのいうアレとは悪霊、妖怪などの怪異のことだろう。
「僕は残念ながら視えないからねぇ……どうしても足手まといになってしまうから、結衣の手伝いは出来ないんだ。娘一人に危険な仕事を任せてしまうのは父親として情けない限りだが、辰巳くんが結衣を守ってくれるのであれば僕の心配も小さくなるよ。…………結衣ももう二十七だ。僕もそろそろ孫が見たい。辰巳くん、よかったらなんだけど、本当に結衣のことを──」
「お 父 さ ん ?」
「っ……!」
いつの間にか巫女装束の上に白い割烹着を着けた神楽木さんが衣弦さんの背後に立って、見下ろしていた。その手には出来たばかりの料理が載ったお盆がある。
おぉ……透き通るような碧い目が据わっておられる。このような形容をするのもどうかと思うが、鬼が……鬼女がそこにはいた。
「オ ハ ナ シ ハ 、 ス ミ マ シ タ カ ?」
「ハハハハハハ。…………はい」
衣弦さんは蛇に睨まれた蛙のように大人しくなった。
「まったくもう……お父さんがそんなこと言うから、石動くんだって困ってるじゃない! ……ごめんね、石動くん。お父さん、昔から人の事情とか考えないで物を言うから……」
「いやぁ……はは……」
今までの衣弦さんの言動から、なんとなくだがこの人がどんな人なのかはわかる。きっと、良い人なのだろう。ただ、のほほんとしていて抜けているとこもあるのに、妙に怖い所もあるというか……掴み所のない人だ。
「本当、余計な事しか言わないから……気にしないでね?」
「それだけ神楽木さんのことを大事に思ってるってことだよ」
「それは~どうでしょうかね……」
ハハハと惚けるように笑って見せた衣弦さんにジットリとした目を向け、神楽木さんは呆れてため息を吐くのだった。
「先生ぇ……お腹空きましたよ~」
「はぁ……そうね。遅くなってしまったけど待たせてごめんなさい。ご飯にしましょう。あっ、石動くんは苦手なものとか無かった?」
神楽木さんがス──、と自然に俺の隣に座り、そう聞いてくる。幸いな事に苦手な食べ物は特にない。まぁ、もしあったとしても残さず食べていたが。
「特に好き嫌いはないから大丈夫。そうだ、この小鉢の蓮根のきんぴら美味しかったよ。これは神楽木さんの得意料理なんだってね」
「ふ、ふふっ……そう? なら良かった……得意になるようにたくさん練習したから。気に入ってくれたなら、また作っておくね」
「え? あ、うん」
あぁ、そうか。これからはアルバイト代の有無に関わらず神楽木さんのお祓いの手伝いをするんだ。きっとまた、こうして食事に誘ってくれるつもりでいるのだろう。なんともありがたいことだ。なら、せめて手伝いでは手を抜かないようにしないと。
「先生ぇ~~」
神楽木さんの向かいに座る繭子ちゃんがいい加減焦れたように呼び掛けた。
「はいはい……では」
『いただきます』
献立は五穀米のおぼろ昆布巻き、旬野菜の天ぷら、魚の切り身の入った澄まし汁、それに気に入ってくれたのならと小鉢のお替りもくれた。
──食事が美味ければ気持ちも明るくなる。
遅めの昼食は和やかに進み、ようやく一息つけた気がした。てか、神楽木さんマジで料理うめぇな……
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