月隠奇縁譚 〜魂祭りのマレビト、故郷に戻りて縁を復する〜

みみっく

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二章 懐かしきまほろばの郷

第31話 縁を結び直す

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「──……ちゃん、ア──ちゃ……アっちゃん!」

 ゆっくりと瞼を開く。ぼんやりとした視界に映るのは、どこか泣きそうな顔をしている辰巳の姿だった。どうして心配そうな顔をしているのか。自分はどうして倒れているのか。記憶が少し混濁していた。

「タツ……兄……?」
「──ああ、良かった……気が付いたか……本当に心配したぞ」

 周囲を確認すれば、記憶が無くなる前にいた山門前の広場。すぐ隣には眠ったままのがいて内心で顔を顰めた。──徐々に最後の記憶が蘇ってくる。自分が闇の中に囚われていたこと。闇の中で辰巳が自分を呼び続けていた事も。

 そしてその辰巳を見てハッと青褪める。辰巳は肩から腹に掛けて服が切り裂かれており、血塗れであった。

「血っ……! 血が出てるっ!」
「あぁ、大丈夫だ。思ったほど深くは無いから。血ももう止まってるし」
「で、でも……!」
「大丈夫だ」

 心配し、慌てた様子の晃を辰巳が押し止めた。それに傷が見た目ほど深くないというのは本当の事であった。で貰った薬でも塗っておけば、その内治ると辰巳は言う。

「そうだっ……絹喰は……!?」
「あぁーっと、倒しちまったよ。…………まさかマズイってことはない、よな……?」
「え……倒した……?」
「……うん」

 警戒したような晃だったが、辰巳が倒してしまったと伝えるとポカンと口を開けて唖然とした。確かに絹喰が調伏されたのは晃にとっては喜ぶべきことだ。だが、単身で古くから生きる妖を倒してしまったと知らされ、思考が停止する。

 絹喰──件の絡新婦は昔話として残る程には有名な妖で、過去には多くの畏れを集めた名のある存在。倒そうと思って倒せるほど、簡単な存在ではない。

 ──だから、普通であればそこで本当に倒したのか、どうやって倒したのかと事実を疑うもの。だが、晃の場合は……

「すっ──」
「す?」
「すっげー……!! 子どもの頃からそうだったもんね……! タツ兄、やっぱり喧嘩めちゃ強ぇ……! 私なんか、全然相手にもされなかったのに……!」
「喧嘩て……」

 キラキラとした尊敬の眼差し。辰巳は忘れていたが晃はヤンキー属性である。力に対する信望は厚い。そんな、素直に褒め称えてくれる晃に、辰巳は困惑したような苦笑を零す。だが、悪い気はせず少しばかり鼻が伸びるような心地になった。

「やっぱタツ兄はすごいなぁ……でも、ぶちのめすとこ見たかった……」

 辰巳の強さを改めて見せつけられ、晃は好意の念を強くした。想い人が自分よりも強い男だという事実は、どうしてか晃に安心感を与える。──だが、今はそんなことよりもどうしても確かめたいことがあって、すぐに話を変えた。

「と、ところでさ……さっき言ってた事って本当?」

 少し躊躇いがちに尋ねる。それは先ほどの闇の中で聞いたと言う言葉のこと。

「……ん?」
「聞こえてた。私のこと……大切な存在だって言った」

 驚いたように目を丸くして──すぐに困ったように眉を下げ、辰巳は頭を掻いた。

「ん、あぁー? ……まぁ……その……なんだ。そりゃあ……当たり前だろ。アッちゃんは大切な存在だよ」

 照れながら伝えられたその言葉に、晃はとても嬉しくなった。異能の代償さえなければ晃は満面の笑みを浮かべていたことだろう。

(……大切な存在)

 辰巳の言葉を反芻する。その言葉は闇に囚われていた晃の心を温め、熱を灯したもの。心の中で繰り返していると、心の中にはまだ温かなものが広がってゆくのが感じられる。これまで強張っていた肩の力が自然と抜けてゆく心地だった。

 ──それからふと、思う。晃にとっても、辰巳が大切な存在であることは変わらない。でも思い返せばどうしてああまで頑なだったのか……不思議な思いだった。別に、たった一度フラれたくらいではのに。

 それに辰巳も晃を大切に思っている。晃も辰巳を大切に思っている。これって両思い、相思相愛ってことじゃね? と晃は思った。そんなことにも気づかないとは……恐らくは絹喰の瘴気に晒され毒されて、精神的に追い詰められていたせいなのだろうと晃は確信する。

「アっちゃん……大丈夫か? 実は怪我とか……」
「え、あ、うん、大丈夫。ちょっと身体が重くて怠いだけ。それより、どう見てもタツ兄の方が重症だよ……」

 ふと気付くと辰巳が黙ったままの晃の事を心配そうに見ていたが、晃は逆に辰巳の傷の方が心配だとと伝えた。辰巳は笑った。

「そうか……まぁ、それなら良かった。もし何か違和感を感じたらすぐ言えよ」
「うん」
「立てるか?」

 辰巳はホッとした様子で微笑んでから右手を差し伸べ、晃は迷いなくその手を掴む。力強く引き起こされ──立ち上がった時の辰巳との距離感の近さに、何故か今更ながら少しだけ晃は動揺した。

「???」
「──アッちゃん、ごめんな。辛い想いさせちまって」

 ポツリ、と辰巳が立ち上がった晃に謝った。

「俺の事頼りにしてくれてたの知ってたのによ……苦しい時に助けてやれなくて本当に悪かった」

 辰巳は晃の目を見て、複雑そうな表情をして語り掛けた。そして、恐る恐る腕を伸ばして晃の身体を掻き抱く。それを晃は拒否することなく受け入れた。

「……本当に大きくなったよな。昔は背ももっと低かった。それがこんなに……昔を思い出すよ。よくチャリでニケツして色んな場所に遊びに行ったのも。秘密基地も作った。あぁ……アッちゃんが突然森の中でいなくなってこともあったっけなぁ……」

 晃が山で遭難した際に助けられたという認識でも、辰巳にとっては迎えに行ったという認識でしかない。以前、晃が辰巳にした質問──女の子を助けた出来事を覚えているか、の答えがあった。そのことに晃が気づいて、内心でクスリと笑う。

「霊感が芽生えて、見えないものが見えるようになって怖がってたもんな……カンやシュウじゃ、アッちゃんの見えてるものは分からないから不安だったろ」
「うん……」
「霊感のことはカンやシュウにはあまり話さなかったみたいだし……俺を頼ってくれてたのに、急にいなくなって……悪かった」
「……つらかった」
「悪い。それに……あいつらには新しい家族が出来るんだろ? そう聞くと何だか自分だけ足踏みしてるみたいで……取り残された気分にもなるよなぁ」
「うん……本当に一人になると思った……」

 幼き日の弟分──大人になった晃の身体は細く、女の柔らかな身体をしていた。辰巳が晃を抱き締めると、身体を強張らせていた晃も辰巳の背中に手を回しギュッと力を込めて抱きしめ返していた。

「うぅ……タツ兄ちゃん……」

 戻って来た。晃の求めていた辰巳が。いや──辰巳はずっとそこにいた。だけど晃は不安になって久方振りに再会した辰巳の変化を拒んでいただけだった。その本質は昔から変わることはないのに。やっと晃はそのことに気づくことが出来た。

 晃が辰巳の胸元に顔を埋め、こみ上げてくる涙を堪え、喜悦を噛み締めながら小さく頷く。辰巳はそんな晃の頭を安心させるように優しく後ろ髪を撫でる。

「俺がいなかった間のこと、もっと聞かせてくれ。養母さんのこと、楽しかったこと、辛かったこと、何でも。全部受け止めるから」

 共に過ごせなかった時間を埋めるのは、同じ時間だけ。触れ合う人肌の温かさは心を落ち着かせる。晃は本当に久しぶりに不安を忘れ、安堵を手に入れた。──そして確信した。やっぱり私の安全地帯なんだと。

「あぁ、そうか……」

 一方の辰巳であるが──晃の香りと柔らかさを肌に感じ、過去に思いを馳せたことで記憶を蘇らせていた。

 晃に霊感が芽生えたのは、確か晃が森の中で不思議な体験をした後、高熱を出した頃のこと。当時は本人もその変化に戸惑っているようだった。そのことを周りに相談できる人もおらず、不安そうにしていたことを覚えている。

 それに霊感が芽生えた当初はよく夢を見ると言っていた。その時に母や祖母ら家族の夢を見たと。そしてその時にした約束も思い出した──いつか晃のルーツであると。

 大切な約束だ。それを忘れていたとあっては確かに落胆するし、怒るよな……と自分の記憶力の無さに辰巳は自嘲した。

 ──約束は思い出せた。しかし……辰巳は晃との約束を思い出したことを伝えることは出来なかった。それはひとえに、今後、晃との約束を果たせるのかから。それを心の内に隠し……辰巳は代わりに心に浮かんだ別の言葉を口にした。

「──でもまさか、好きだって言われた時は本当に驚いた」

 ずっと弟みたいな存在だと思ってたからな……と呟く。

「アッちゃんは、俺みたいなのでもいいのか?」

 晃がコクンと小さく頷いた。腕の中にいる晃はまるで幼子のようであった。その仕草に思わず可笑しくなってしまう。しかし、茶化す気など欠片もなかった。

「……そっか……ありがとうな。でも、答えはちょっと待って欲しいんだ」
「……なんで?」
「今は何を言ってもアッちゃんを悲しませるだけになる。アッちゃんが嫌いなんじゃない。むしろ魅力的になった。問題は俺にある……だからもう少しだけ待って欲しい」
「……わかった。でも、なるべく早く聞かせて」
「あぁ、ありがとう」

 辰巳がそう言って問題を先送りにし、晃からゆっくりと身体を離す。それから今度は晃の頭にストン、と軽く手刀が落ちた。その衝撃は軽かったが、晃は思わず目を閉じた。

「……それとな、幾ら腹が立ってもやったらいけないこともある。神楽木さん襲ったのはやり過ぎだ」
「……うん」
「お前らにも悪い事をしたな」

『──いやいや、気にするでない。姫にヌシという味方がいるのなら、心強いばかりじゃとも。やり合うのはもう勘弁じゃが』
『うむ。久方ぶりの命を賭した良い手合わせであった。滅せられると思ったのは焦ったが……それと老婆心ながら……早めに正体は明かした方がよいと思うぞ』

 会話が出来る訳でもないのに、辰巳はすっかり大人しくなった大蜘蛛達にも声をかけた。それに対して大蜘蛛は触肢を振り上げ返事をする。無論のこと、大蜘蛛の言葉が分からない辰巳はもとより、蜘蛛使いとしてまだ未熟な晃にも伝わってはいなかった。

「それと、アッちゃん。教えてくれ……蜘蛛の毒を受けた神楽木さんは……大丈夫なのか?」
「……毒とは言っても、妖の毒だから呪詛みたいなものだよ。だから、呪った縁繋が絹喰に食われて……その絹喰もタツ兄に倒されたみたいだし、呪詛は消えてるんじゃないかな」
「じゃあ、問題はないのか?」
「多分……それに呪詛と言っても少しの間動けなくさせるくらいのものだし。その内、目を覚ますんじゃない?」
「そう、か……なら良かった……襲い掛かったことは、後で神楽木さんの目が覚めたら一緒に謝ろうな」

 辰巳がそう言うと晃はスッと視線を外した。それとこれとは別──未だ納得出来てないことが晃にはあるのだろう。

「さて……これからどうするか決めないとな。目を覚まさない神楽木さんのこともまだ心配だ……固い石の上にずっと寝かせておくわけにもな……」
「そんなのはどうでもいい。あ、お前達もう帰っていい。私はこれからタツ兄と、くんずほぐれつイチャイチャする時間」
「しないぞ」

 そう言って晃は、今度は自分から辰巳に抱き着きにいった。そのまま辰巳の言葉を無視して、胸に猫のように頭を擦り付ける。

『……骨折り損のくたびれ儲けじゃな』
『供物もない上に、儂は脚どころか大事な触肢まで折られたんじゃがのぅ……』
『性悪とは言え、雌蜘蛛も失ってしもうたしな……』
『……』
『……』
『綱彦の。ほんに、悲しいか?』
『……いや、まぁ、奴は性格も悪いし気性も荒かったしの? 白蛛の』
『……新たな雌蜘蛛を探さねばならんな』
『……うむ。そういえば、以前に吾妻山の蜘曇《ちどん》殿に聞いたのだがな……東は陸奥国、賢淵の絡新婦の系譜が此方に流れて来ているらしい』
『ほう……そういえば霧神山の御影淵には、最近それはもう美しい絡新婦が住み着いたと聞くぞ。くーるびゅーちー、という奴じゃ』
『おぉ! それはそれは──』

 何やらソワソワしだした様子の大蜘蛛に晃はシッシッと手を振る──すると、大蜘蛛二匹はノソノソと晃の影に沈むように消えてゆくのだった。

 晃はそれを確認すると口元に僅かなを作り言った──

「そういえば、まだ言ってなかったよね。おかえり、タツ兄」
「あぁ……ただいま。アッちゃん」


 □


 その後のこと──そろそろ丑三つ時くらいにはなっているだろうか。夜風が微かに枝葉を揺らし、虫の声が夜陰に聞こえてくる。俺は精神的な疲労感を感じながらも、晃と神楽木さんを連れて石動家への帰路についていた。

 今日は色んなことがあり過ぎた。というか、こっちに帰ってきてからというもののイベントの大渋滞であるが。

「……まさかアッちゃんと神楽木さんと一緒に家に戻ることになるなんてな。婆ちゃんに見つかったら何て言われるか……あぁ、でもこの裂けた服、なんて説明しよう……」
「タツ兄。また、アッちゃんに戻ってる。晃」
「はいはい……もうどっちでもいいだろうに……」
「どっちでも良くない」
「……」

 そう強いこだわりを見せる晃は俺の甚平の裾を取って隣りを歩いており、離さない癖に妙にふてくされたような雰囲気を醸し出していた。

 ──神楽木さんは兎も角、晃まで俺の帰宅に着いて来ているのは、晃が俺と神楽木さんを二人きりにするのを嫌がった為だった。

「だって、襲うかもしれないじゃん。ケダモノみたいに。ケダモノみたいに!」
「何で二回言った? あと心読むな」

 もちろん晃が心配していたような疚しい気持ちなどない。そして、晃の機嫌がよろしくないのには理由がもう一つ──

 それは俺の背中に意識を失ったままの神楽木さんがいるからだった。子どもの頃は何があっても譲ろうとしなかったのに、とは言え許すとは晃も成長したものだ。その条件と言うのは……まあ今は置いておくが……

 あれからそれなりに時間が経っているが、神楽木さんはまだ意識を取り戻していない。脈拍を測る限り安定しているように思えるが、俺も医者ではないので詳しい事は分からない。晃曰く、蜘蛛の毒の影響ではないらしく、ただ意識を失っているだけのようだったが……

 それにしても……背中の重みを意識すると妙にドキドキしてしまう自分がいる。神楽木さんは風呂に入った後だったのか髪から漂う甘い香りが鼻腔をくすぐり、彼女の身体の感触とヒンヤリ低い体温が背中越しに伝わってくる。そして、柔らかな膨らみも。こんなの……こんなの生殺しやん! 

(……いやいや、そんな場合じゃないだろ……疚しい気持ちなんてないと意気込んだばかりなのに……)

 脳裏に浮かぶ煩悩を毎秒払い除けながら歩を進める。──神楽木さんは美人だけどちょっと不思議な人だ。いや、最近出会う女の人は婆ちゃん以外、皆ちょっとずつおかしい気がするけど……

 本当に彼女には世話になりっぱなしだ。今回だって神楽木さんが止めてくれなければ、俺は誘惑に負け晃を蹂躪していたかもしれないし、晃が絹喰に影響されていたことにも気づかなかったかもしれない。、あそこにいたなんてのは流石に出来すぎだと思うけど……どんな理由があれ、助けられたというのは事実だった。

 そんな恩人を邪な目で見てしまうとは何と卑しい心根なのかと落ち込んでしまいそうになる。

「……ねぇタツ兄。変な事考えてない?」
「うっ……」

 気づけば晃が無表情で俺のことを見ていた。それに驚いて思わず変な声が出てしまった。見透かされていたのだろうか。そんな動揺を悟られないように平静を装う。

「へ、変な事って何だよ。これからどうするかを考えてた」
「怪しい……まぁ、いいけど。それより、交換条件忘れないでよ」
「……わかってるって」

 何故か昔から俺は嘘をつくのが下手だと周りから散々言われてきた。どうやって見破ってるのか分からないが……この前テレビで言ってたが、嘘をついてると目を合わせるのを避けがちになるのでバレやすいらしい。別に嘘が上手になりたい訳でもないが気をつけてみよう。

 ──慈願寺山門から石動家はさほど遠くない。門前町のメインストリートである仲見世通りの脇道から奥へ奥へと進んだ場所に石動家はある。

「ただいまー……」

 門を潜り、石動家の古い玄関扉をガチャガチャと開け家の中に入る。深夜ともあって家の中は静まりかえっていた。時計を見ると日付は変わって予想通りに丑三つ時。夜中にガサゴソしていて婆ちゃんにバレないようにしなければと注意深く靴を脱いでそろそろと上がったが、板張りの床が早速ギィと鳴いて静寂の中に響いた。

「このまま部屋に連れて行って神楽木さんを布団に寝かせるしかないか……」
「ここに来るの久しぶり」

 石動家の廊下をそろりそろりと進みながら、どうしたもんかと思案する。こんな夜更けに意識のない女の人を自分の部屋に連れ込むなど非常識極まりないが……神楽木さんの身の安全を考えればこれが最善策だろう。

 ちなみに晃は子どもの頃に此処に来たことがあった筈だ。何をして遊んだとかは覚えてないが、畑にある柿やら杏、イチジク、栗だとかを取って食べていた記憶はある。あとは婆ちゃんからアイス貰ったりだとか、おにぎり作って貰ったりだとか。食ってばっかりだな! 

 そんなことを考えながら廊下を進んでいると、ギシッという床の軋む音が夜の静寂に響いた。心臓が跳ね上がる。振り返ると薄暗い廊下の先から、小さな足音が近づいてくるのが聞こえた。まさか──

(やべっ……! 婆ちゃん起きてたのか……!? まだ夜中なんですけどっ)

 咄嗟に三人で身を潜められるような場所を探すが、既に遅い。視線を向けると廊下のすぐ先から気配を感じ──そして、予想通り婆ちゃんの姿がそこにあった。しかも、その表情はいつもと違って険しい。

「誰だっ!!」

 鋭い声が耳に刺さる。月明かりの下、婆ちゃんの手元に握られているものが見えた。それは──薙刀。しかも、抜き身で刃先に月光が反射してギラリと鈍い輝きを放っている。

 反論するよりも前に薙刀の切っ先がこちらに向かってくる。こえぇ……婆ちゃんは普段威厳もあって話せば分かる人だが意外と武闘派で、こういう時の判断が異常に速いのだ。……って、あれ? もしかして見えていらっしゃらない? 

「ちょっ……待っ……!?」
「堪忍せい、盗っ人め! 叩っ斬ってやる!」

 どうにも家に盗っ人が入り込んだと思っているらしかった。もしもし? 婆ちゃん、俺だよ俺! 孫ですけどー! 薙刀が閃き──パチリと電灯が点いた。どうやら晃が壁を探ってつけてくれたらしい。

 それと同時にピタリと眼前に突き付けられた状態で刃が止まった。一瞬遅れて額から汗がブワッと噴き出る。安堵した途端に足腰の力が抜けてしまいそうになる。

「……なんだい辰巳かい。ん? ……それに、そちらのお嬢さんたちは?」

 盗っ人の正体が俺だと分かると祖母の表情が和らぎ、次いで怪訝なものに変わる。冷静な目で俺と俺の後ろにいた晃、背中にいる結衣を順に見た。

「こんばんは。お邪魔してまーす」
「いや、軽くない……?」

 俺が何か答えるよりも先にヒョコリと背後から晃が顔を出した。

「あぁ、いらっしゃい。……アンタはどこかで見たことあるような顔だね。そっちは……神楽木のお嬢さんか。全く、こんな夜更けにお嬢さん達を連れこむなんて……」
「婆ちゃんも軽くない……? てか誤解だよ!」

 婆ちゃんが呆れた表情を浮かべ、盛大な溜め息を吐く。そして、何かを察したのか肩を竦め──俺の顔を見てニヤリと言った。

「嫁と愛人が一度に来たか」
「何言ってんだよっ、だから違うって!」

 婆ちゃんが言うなり晃が猫のように目を光らせる。その顔には勿論私が嫁の方だよねと書いてあった。それを無視して必死に言い訳を言い繕う。背中には眠ったままの神楽木さん──ちょっとした騒ぎにも関わらず心地良さげに寝息を立てていた。

 あぁ……婆ちゃんに何て説明したらいいんだ。

「実はタツ兄のお嫁になるために挨拶に来ました」
「平然と嘘をつくな、嘘を」
「こんな夜更けにねぇ……そういう挨拶は日を改めて来るんだね」
「はい!」

 晃の妄言は聞き流すとして……とりあえず神楽木さんは布団に寝かせて来ないと誤解を解くことすら満足に出来ないな……あぁ、それと裂かれた甚平もバレる前に着替えとかないと……

「──で、だ。その傷は大丈夫なのかい。全く、何をしたら今時そんな刀傷みたいなのが出来るのか……いい年して世話がやける。さっさと脱いで見せな」

 バレてた。婆ちゃんの目は誤魔化せないらしい。早く休みたいってのに……こうして、婆ちゃんへ今回のゴタゴタの説明と釈明に追われる夜が始まったのだった──


 □


 ──早朝の窓から射し込む朝日で目覚める。まず感じたのは優しい温もりと不思議な開放感だった。目を開けると見知らぬ天井が広がり、窓の外からチチチチと鳥の囀りが聞こえてくる。

「……ここ、は……?」

 結衣はゆっくりと身体を起こした。部屋は広く、床の間には昇り龍の水墨画の立派な掛け軸。その御前には榊に御神酒、水、塩、米が供えられている。龍神様を大事に祀っているのだろう。

 その他にはあまり物が置かれていない和室。客間を兼ねているのだろうか。襖で遮られたその空間は結衣の良く知る八杜神社の社務所の空気にどことなく似ていた。

 古い木造家屋特有の香り。布団の感触も、普段自分の家で使っているものとは違う。

(ここは……石動くんの家……? なぜ私はここに?)

 記憶が朧げで断片的な部分もある。昨晩の出来事を少しずつ整理していくうちに、結衣は赤面した。最後に覚えているのは辰巳に抱きかかえられ、身体を触れられた感触。それから激しい高揚と精神的な絶頂。

(私……意識を失ったの……? な、なんて恥ずかしい……)

 辰巳の腕の中で意識を失うなんて、まるで少女漫画のヒロインのようだった。現実にそんなことある訳ないだろと結衣が学生の時は冷めた目でそれを見ていたのに。

 そんなことが起こるのならば今頃全世界が桃色だ。暗黒の高校時代を過ごしていた結衣はそんな妄想を内心で嘲笑っていた。けれど現実に結衣は辰巳の腕の中で気を失って──。

「……っ」

 結衣の顔がどんどんと熱くなり、顔を手で覆った。辰巳の力強い腕と胸板の硬さ、匂い。自身の身体を弄る手の感触。そして、最後に視た辰巳の心の声──それを思い出した途端に気恥ずかしさと多幸感が溢れ、心臓が早鐘を打つ。

(私……なんて……あんな……あぁ……石動くんに結局迷惑かけちゃって……)

 意識を失った後のことは不明瞭ではあるが……おそらく辰巳が石動家まで連れて来てくれたのだろう。昨夜の自身の目的を鑑みるに、目的は果たすことが出来ずに大失敗。しかも、気絶した上に迷惑をかけるなど……岩戸があったら閉じ籠もりたい……羞恥心でいっぱいだった。

(何が二人の邪魔をするよ……石動くんに恥ずかしい所見せて、迷惑かけただけ……! これじゃあ、変な女だと思われただけじゃない……!)

 ──昨夜の自分の行動を始めから思い出す。

 結衣は昨夜、辰巳からのスリードの返信が無いことを不安に思い、御守に忍ばせた位置情報発信機器から居場所を割り出した。そこが家ではなく慈願寺山門前であることを訝しみ、急ぎ車を飛ばして駆け付けのだ。そこで見たのは、辰巳が知らない女に押し倒されている場面。

 ただ、その晃と呼ばれた女は式神を使って辰巳に魅了の術を掛けていた。それを結衣が祓除。邪魔されたことに怒った女は蜘蛛をけしかけ、結衣は呪詛を受けてしまった。そして倒れそうになった所を辰巳に抱擁され、その興奮のあまり失神。今に至る。

(情けなさすぎるっ……)

 それから、もう一つ重要な事を思い出す。それは辰巳の額の眼に関わること。結衣の異能が阻害され、辰巳の『誰とも男女の関係になる気はない』という言葉の真相は読心によって読み取ることが出来なかった。

「あれはいったい……」

 結衣が昨夜のことを思い返して羞恥に悶えたり、辰巳の抱えている謎について考えていると……障子戸で仕切られた向こう側。庭に面しているだろう縁側の廊下から人の気配がした。

「……神楽木さん? 起きてる?」

 襖の向こうから遠慮がちな声が聞こえた。その声に結衣は思わず身体を硬直させた。

「お、起きてるよ!」
「開けてもいい?」
「だっ、駄目っ!!」

 突然のことに結衣は大声を上げてしまった。襖の向こうから戸惑うような雰囲気がした。

「今起きたばかりだから……! 今、石動くんに見せられるような顔してないから……!」
「そ、そっか」

 障子戸の向こう側から聞こえてくるその声は、間違いなく辰巳のものだった。心を覗くまでもない──その声音に込められているのは純粋な気遣いの気持ち。昨日の出来事があったのに自分を心配している様子に結衣の胸がキュッと締め付けられる。それは嬉しさ半分、そして自身の無様な失敗に対する羞恥心が半分だった。

「それじゃあ、身体の調子は? どこか痛むとかは無い?」
「……うん。大丈夫だよ」

 結衣の身を案じる言葉に返事を返す。

「そっか、なら良かった……中々目を覚まさなかったからさ、心配してたんだ。……それから昨日は助けに来てくれてありがとう。あの後、無事に晃とも和解することが出来たよ」

 ハハハ、と少し疲れたような声だった。それから襖一枚隔てた距離で沈黙が続き、互いの息遣いが聞こえる程に静かだった。何とも言えない気まずい空気が流れる。

「その……彼女は……ここに?」
「あぁ、晃ならまだ他の部屋で寝てると思う」
「……そっか。あの後のこと聞いてもいい?」
「まぁ、簡単に説明するなら大蜘蛛をなんとかしたら、今度は晃を操ろうとしてた絡新婦が出てきてさ……どっちも倒してから晃と話をしたってだけだよ。あいつ、人間不信になってるらしくてさ……結構、精神的にボロボロだったみたいで、そこに付け込まれたらしい」

 結衣は障子戸の向こうから聞こえてくる声に耳を傾けていた。やはり辰巳は優しい。そして心根が真っ直ぐ。そんなところが好ましいと思った。

 しかし、そう思うと同時に悔しさも湧き上がって来る。何故ならばその声音だけで辰巳が晃のことを大切に想っている様子が伝わってきたから。それは親愛の意味合いが強いのだろう。だが同時に晃への特別な感情も感じ取れていた。

「それに……」
「……それに?」
「あいつ、俺のこと……好きなんだってさ」

 辰巳が悩むような雰囲気を滲ませた後で言葉を続けた。──瞬間、結衣の中で何かが凍りついたような感覚があった。

(……あ)

 結衣の頭が真っ白になる。同時に心臓の鼓動がドキリと大きく跳ね上がり全身の血が冷めてゆくような錯覚に襲われる。

「あぁ……ごめん。そんなこと聞かされても神楽木さんが困るだけだよな。忘れてくれ」

 辰巳の言葉に結衣は動揺を隠せない。晃が辰巳に好意を持っていることを改めて認識させられる。そして、その想いの深さも昨夜のことを思えば理解できる。晃の心を視て共感した想い。思い出。苦悩や恨みの感情。それらは晃だけの物で、結衣のものではない。

(私、負けるのかな。石動くんはきっとあの子を選ぶ。……でもしょうがないか。バケモノの私には石動くんを振り向かせるような魅力なんて何も……)

 それに比べて結衣は辰巳と話せるようになったのもごく最近のこと。同級生ではあるが、まだ友人と言える関係かも怪しい。結衣にとって、辰巳から与えられた物は多いが、結衣から辰巳に与えられた物など殆どない。辰巳と多くの思い出を共有している晃がとても羨ましく感じられた。

「……」
「神楽木さん……?」

 襖越しに聞こえる辰巳の声。しかし結衣はその声に中々応えることが出来ない。言葉が出てこなかった。

 ──それでも負けたくない。諦めたくない。たとえ自分よりも相応しい人が居ても。心を許せる人が居ても。自分だって、ずっとずっと待ち続けていた。待望の人に選ばれたい。共にありたい。そんな感情が止めどなく溢れ出てくる。

 だから、今ここで言わなければ、きっと後悔すると思った。──なけなしの勇気を振り絞る。襖の向こうにいる辰巳の姿を思い浮かべ、縋るように声を発した。

「……私だって……私だって石動くんのこと、好きだよ」

 小さく震えた声は、確かに届いていたのだろう。障子戸の向こう側で、辰巳は言葉を失っていたのだから。

 ──遠く、慈願寺のお朝事の開始を告げる梵鐘の音が街に響いていた。
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 下校帰りに不慮の事故に遭い命を落とした桜川凪は、女神から開口一番に異世界転生しないかと勧誘を受ける。  意味が分からず凪が聞き返すと、女神は涙ながらに異世界の現状について語り出す。  女神が管理する世界ではいま魔族と人類とで戦争をしているが、このままだと人類が負けて世界は滅亡してしまう。  敗色濃厚なその理由は、魔族側には魔王がいるのに対して、人類側には勇者がいないからだという。  剣と魔法が存在するファンタジー世界は大好物だが、そんな物騒な世界で勇者になんてなりたくない凪は断るが、女神は聞き入れようとしない。  一歩も引かない女神に対して凪は、「魔王を倒せたら、俺を元の身体で元いた世界に帰還転生させろ」と交換条件を提示する。  快諾した女神と契約を交わし転生した凪は、見事に魔王を打ち倒して元の世界に帰還するが――。

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タカハシヨウ
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ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。 しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。 ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。 激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。

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