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本当の嫌われ者1
しおりを挟む行くところなんてない。
あてもなく歩くけど、すれ違う人は誰もが顔を背け、距離を取り、子どもは正直に指を差してあれはなに、と大声で言う。
ノクスはきっとこれが嫌で、前髪を下ろしてずっと俯いていたんだ。今は僕も、同じように顔を隠して俯いてる。
あんな、ひとつも好意を感じない視線を浴びたのははじめてで、とにかく恐ろしかった。誰にも会いたくない、誰とも顔を合わせたくない。ひとりになりたい。
昨日までは、僕を見て誰もが幸せだと言ってくれたのに。
顔を見られるのが怖い。笑われるのが怖い。やさしくしてもらえないのが……怖い。
何も考えずに歩いても、知った道をたどるだけだった。結局また気がついたら学園に戻っている。
今は授業中らしく、通りを歩く学生はほとんどいない。でも、授業に出なければとも思えなかった。
とぼとぼと人目を避けてさまよっていたら、ここでも行きつく先は旧校舎。ぐるりと建物をまわれば、さっきの中庭のベンチに出る場所だった。
(……あの場所に、なにか、あるのかな……)
そうだといい、と思いながら、そうでなくてもいいと思ってる。
まとまらない考えのまま、あのベンチまで戻ってきた。
「……」
足が止まる。ためらいがあった。
もしも、この場所が原因だとして。アシェルに戻って、僕はどうするの?
ずっとこの顔だったノクスと違って、僕の美貌が焼けただれた姿は、みんなの目にどう映るだろうか。
ノクスだから嫌われてるのに。アシェルでもこんなふうに嫌われてしまうの?
戻りたくない。でも、戻らなくてもつらい。
(……僕が、王子のご不興を買ってしまった、から……)
これは、罰だから。
ぐっと唇をかみしめて、ベンチに一歩、近寄った。
お父様の冷たい目を思い出して、また足が止まってしまう。
戻ったら、またあの目で見られる。それが怖い。でも、天秤がどちらに傾いてもつらいなら、確かめないわけにはいかなかった。
あのときノクスがそうしていたように、ベンチに、座って。
「──……」
大きく、息を吐き出した。
安堵だったのか、落胆だったのかも、わからない。
(どうして……)
手の平を掲げてみる。僕より少し色が濃くてかさついた手。ノクスは僕より少し背が高いからか、広げた手も大きく見える。
なぜ、ノクスだったのだろう。
僕は顔を焼かれるあの瞬間、死を意識するとともに『逃げたい』と強く願った。こんなこと嘘だと否定して、一心に逃げることだけを考えた。
それが叶ったのだとは思う。
でもその逃げ先が、ペアを組んだとはいえ会話らしい会話をしたことがないノクスだなんて。
ぱたりと手を下ろすと、指先がなにかに触れた。置き去りにされた本。誰かの忘れ物かと思ったけど、これはノクスの本に違いない。
魔力が高い僕と、低いノクス。魔法術が得意な僕と、魔動術が得意なノクス。……美しい僕と、醜いノクス。
こんなにも正反対なのに、なぜノクスだったんだろう……。
夕方になって冷えてきたら、いつまでもそこにはいられなかった。
思い出したのは、学生寮だ。ノクスは王都から少し離れた土地の子爵家だから、おそらく学生寮で生活しているはず。そうと気づけたのはよかった。
汚れた姿に寮の管理人は嫌な顔をしたけど、呼ばれて出てきた恰幅のいい女性は目を剥いて「きたない!」と叫んだ。
びくりとするけど、これは純粋に土で汚れた姿のことだったらしい。
彼女は文句を言いながらも外で念入りに制服についた土を払い、その力強さにふらふらになった僕を食堂へ連れていき、さらにあまり食べられなかった僕を心配して部屋まで送ってくれた。
「制服は洗濯に出しときな!」
「…………」
おかげで部屋の場所も知らない不自然さを気づかれることはなかったのだけど、あまりの勢いに、怖いもつらいも全部吹き飛んでいた。
こういう距離感の人もいるのかと、呆然とするしかなかった。
アシェルの日常にだって、あんな慌ただしさはない。
「……ふ、ふふ……」
これが、ノクスの日常か。
なんだか可笑しくて。少し笑って、また、少しだけ泣いた。
その後はすぐにベッドにもぐりこんだ。
寮は二人部屋だったけど、置かれた物からこちら側がノクスだろうなというのはわかったので、着替えも借りた。彼のものを使うのは気が咎めるけど、今は僕がノクスだから仕方ない。
しばらくして同室の学生が戻ってきたけれど、眠ったふりをしてやり過ごした。
狭い部屋で別の誰かが動き回るというのは、とても落ち着かなくて緊張したけど、彼は無言のまま何度か出たり入ったりを繰り返して、最終的には全部の電気を消して就寝したようだった。
◇◇◇
ほとんど眠れないまま、朝を迎えた。
学生寮の鐘の音とともに同室の彼は起き出し、また無言でごそごそと出入りしている。その音にじっと聞き耳をたてていると、ふいに音が止まった。
「時間いいの?」
声にびくりと固まる。これは僕に、ノクスに言ったのだろうか。様子を伺っていたことを咎めてる?
「声はかけたから」
彼は一言そう言うと、またごそごそと音を立てて部屋を出て行った。
どうやらノクスが遅刻することを気にしてくれたらしい。義務感のような言い方だったから、同室の連帯責任とかがあるのかもしれない。
その素っ気なさが、また悲しかった。
朝になっても僕はノクスで、この消えない悪夢の現実を、まだ受け止めることができないでいる。
窓の外のざわめきも遠ざかるころ、ようやくのように起き上がった。眠った感じはしないけど、このまま横になっていても休まるとは思えない。
しばらくベッドに座ったままぼんやりとする。
待っても、僕の身の回りの世話をしてくれる使用人はあらわれない。当然だ。ここは学生寮で、僕はノクスだから。
「……はあ……」
溜め息をつく。どれだけ悲観しても、僕がノクスであることに変わりはない。
戻りたいと思うこともできないのだから、受け入れるしかない。
別人になるのだとしても、せめてこんな醜い顔じゃなければよかった。
そうしたらもっと気が楽だっただろうか。顔を焼かれたアシェルじゃなくて、その周りに生活する誰か。『誰か』という、名もなき誰か……。
「……」
想像ができない。
誰だとしても、これは悪夢だ。全部全部。
僕が罰を受けたことも。セドリック王子の不興を買ってしまったことも。あの男爵子息があらわれたことも全部。
いったいどこから──。
(なにも考えたくない……)
ぼう、と空中を眺めて、またベッドに横になった。
どこかでノックの音が聞こえた気がした。どうやら少しうとうとしていたらしい。
寝返りを打つと、今度はドンドン! と強く扉をたたく音が響いて、びくりと飛び上がった。
「ノクス! ノクス、いるか!?」
慌てて飛び起きて周りを見渡す。見知らぬ部屋。ここはどこ。一瞬混乱するけれど、視界をふさぐ前髪に思い出した。
ここは学生寮。ノクスの部屋だ。
「ノクス!?」
「……ひっ」
部屋の外から怒鳴るような声が届いて身を竦める。こんなふうに怒鳴られた経験がなくて、頭から掛布をかぶって小さくなった。
ドアノブががちゃがちゃと音を立てている。乗り込まれたら殺されてしまうかもしれない。僕はノクスじゃないのに。ノクスもなにか罪を犯していたんだろうか。
震えながら隙間から扉を見ていると、ようやく音がやんだ。諦めてくれただろうかとほっとしたところで、外から「ぶち破るか」という声が届いた。その響きが物騒で、慌ててベッドから飛び降りた。
「ま、待って……」
絞り出した声は、かろうじて外に届いたらしい。
外からは複数の声が聞こえていたけれど、僕の声でぴたりと静かになった。
「なんだ。いるじゃないか。ノクス、大丈夫か?」
「だ、だい、じょうぶ……?」
なにが? なにも大丈夫なんかじゃないけど……。
「ここを開けてくれ。学園を休んだんだろ。体調が悪いのか?」
「……」
もしかして、この声の主はノクスの身を案じているんだろうか。
さっきまで大声で叫んでいたのに、今は穏やかになった。
ノクスが心配だったから? ノクスを心配しているだけ?
……心配してくれる人が、いるの……。
「……あ……」
僕はどきどきとしながら扉に近づいた。
好奇の目や嘲笑に晒されて疲れ果てていたから。どこにも行けなくて途方に暮れていたから。とにかく今が苦しいばかりだったから。
手を伸ばして、扉に触れる。
かちり、とロックを解除したとたん、扉は勢いよく外から開けられた。
「ノクス! 大丈夫か?」
「あ……っ」
飛び込んできたのは、背の高い若い男の人だった。短い赤銅色の髪と黄金色の瞳。少し眉を寄せた険しい表情は精悍に整っている。
「なんだ、酷い顔だな。寝てないのか」
「あ、え……」
酷い顔、と言われて俯くが、痣のことではなく寝不足の顔色、という意味だったらしい。
見上げると彼は背後を振り返って、「無事のようです」と誰かに声をかけた。部屋の外には、昨日会った学生寮の管理人が、渋い顔で腕を組んでこちらを覗き込んでいる。
「少し様子を見てから帰りますよ」
「まあ、無事ならいいけど。面倒かけないでくれよ」
「ちゃんと言っておきますって」
彼は軽くそう言って管理人を見送ると、扉を閉めて僕に向きなおった。思わずびくりと一歩下がると、不思議そうに首をかしげる。
「昨日から調子が悪かったのか? 遅れることはしょっちゅうでも、連絡もなくすっぽかすなんてはじめてだろ」
「き、昨日……」
昨日、この男とノクスは何か約束をしていたらしい。
でも昨日は、たぶん昼頃には僕がこの体に入ってしまったから、ノクスの予定はすべて狂ってしまった。
どう言ったらいいんだろう。何も考えず部屋に入れてしまったけど、僕は約束なんて知らないし、彼のことも知らない。
「ノクス?」
「なっ、なに……」
名を呼ばれてぎくりと肩を竦ませる。
どう接したらいいんだろう? 年上だと思うけど、立場も関係性もわからない。ノクスとしてどう接すればいいのか。そんなことも考えていなかった。
男は思案げに僕を見下ろすと、大きく一歩近づいた。
押されるように数歩後ずさった僕の腕を、逃がさないように掴み取る。
「……ひっ」
「誰だおまえ? ノクスじゃないな?」
「──……っ」
ひゅ、と息を飲んだ。黄金の輝きが、まっすぐに僕を射抜いていた。
嘘を許さない強い瞳だ。責めるような、他人を見るような目。その冷えた眼差しは、薄暗い地下での出来事を思い出させた。
「というか、寝ぼけてるのか? 様子がおかし……ノクス!?」
慌てた声とともに背中を支えられる。
手足が震えて声が出ない。
いやだ。やめて。
話を聞いて。お父様。やめて。ごめんなさい。反省したから。ごめんなさい……。
しばらくパニックを起こして暴れていたらしい。
名前も知らない彼は、そんな僕の背中を撫でながら、じっと落ち着くのを待ってくれていた。
「……落ち着いたか?」
「……」
ぐす、と鼻をすすって、小さく頷いた。
部屋の真ん中に座り込んだ彼の胸に、抱えられるようにうずくまっている。
正気に戻れば、子どものようにあやされていたことが恥ずかしくて、そっと離れた。
「君はノクスじゃないな?」
「……」
今度は責める響きはない。もう一度、こくりと頷いた。
「俺はレイモルド・グランス。伯爵家の次男。グランスとニールトンは隣り合っていて交流が深い。ノクスとは幼馴染みで、俺が三つ上。騎士団所属で王都警備隊。こっちでのノクスの保護者代わりだ。昨日は久々に顔を見ようと呼び出したがすっぽかされて、様子を見にきたところで部屋から出てこないと聞かされた」
「……うん……」
彼、レイモルドが、僕の警戒心を解こうとしてくれているのがわかる。
ノクスの体を奪った怪しい相手だけど、ごめんなさいとやめてを繰り返す僕を、悪いものだとは思えなかったのだろう。
自ら正体を明かして、ここにいる経緯まで教えてくれた。
その真摯な態度は、昨日一日ですっかり委縮しきってしまった僕の心を、ゆっくりと解きほぐしてくれるようだった。
「僕は……」
記憶をたどるのはつらい。でも、誰かに聞いてほしかった。
そうしてぽつりぽつりと話す昨日の出来事は、レイモルドにとっても信じがたい驚きをもたらしたようだった。
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