愛され少年と嫌われ少年

文字の大きさ
10 / 20

一度だけ1

しおりを挟む

 どうやって学生寮まで戻ってきたか、覚えていない。
 今日が試験の最終日だと知っているレイモルドが寮の部屋で待っててくれたけど、真っ青になって戻ってきた僕にとても驚いたようだった。

「ノクス? どうした……なにかあったのか!?」
「……シ、リル、兄様が……いた……」

 部屋についたとたん力尽きて座り込んでしまった僕に慌てて近寄って、レイモルドは険しい表情になる。
 ベッドまで運んでくれたあと、彼は少し部屋を離れて水を持って戻ってきた。
 渡された水は冷たくてひやりと思考が冴える。でもそれは、冷静にいやな予感が募るだけだった。

「試験監督だったのか?」
「別のクラスの……。帰りに、すれ違って……」
「そうか」

 さっきの兄様とのやりとりをなんとか伝えようと言葉を探す。
 動揺が激しくて行ったり来たりする説明でも、レイモルドは急かさず相槌を打ちながら聞いてくれた。

「そ、いえば、匂いが……いいって……」
「……ノクスの?」

 思い出したセリフに、レイモルドは怪訝そうに首を傾げる。どんな? と言いながら顔が近づいてきて、僕の心臓がどきりと大きな音を立てた。

「……っ」

 見上げた視線のすぐそばに黄金色がある。それにびっくりして咄嗟に離れようとしたけど、手に持ったままのグラスが傾いて水がこぼれてしまった。

「あ!」
「あ、すまん……」

 レイモルドが慌ててグラスを取り上げる。残っていた水は少なかったけど、腕や太ももにかかってしまった。
 こぼれたところをレイモルドが拭いてくれるけど、恥ずかしくて顔が上げられない。シリル兄様に対する動揺は少し落ち着いたのだけど、近づいた距離をやたらと意識してしまってだめだった。
 近くに感じるかすかな匂い。これがレイモルドの匂いかな。なんの香りだろう。
 兄様の言う匂いもこういうことだろうか。でも声をかける前はだいぶ距離があったはずなのに。
 拭き終えて離れるレイモルドにほっとして、だけど名残惜しい。当然ながら僕の複雑な気持ちに気づく様子もないレイモルドは、イスを引き寄せてそちらに座ると、難しい表情で腕を組んだ。
 そうして、話す機会がなかったがと、『アシェル』に関して調べられたことを教えてくれた。

「バーバリウム公爵家の守りはかたいが、アシェル様が伏せっておられることは伝わってる。学園を休んでいるわけだから、その部分は隠しようもないしな」
「……」

 公爵家の内部事情を正攻法で探ることはできない。僕もそこに手を出すのがとても危険なことだと、今はちゃんとわかっている。

「公爵も夫人もご令息方も、普段どおりの生活をされている。が、長兄だけは最近頻繁に魔塔に出入りされているらしい」
「エリック兄様が?」
「魔塔の運営に関する査察だと聞いてる」
「ああ……」

 エリック兄様も魔力はあるけどシリル兄様ほどじゃない。平均よりは高い、というくらい。
 それよりもエリック兄様はお父様の後を継いで宰相になる人だから、そっちの勉強と仕事に忙しい。
 査察、という言葉はお父様もたまに口にされているから、兄様もお仕事なのだろう。

「学園内での出来事も、王族と公爵家の話だからあまり表沙汰にはなっていない。学生たちの間で噂話としては伝わったようだが……」

 ノクスとして今回復学した間、周りからアシェルの名前は聞かなかったと思う。ノクスに話しかける人はいないし、僕も周りの声は聞いていなかったけど。

「学生たちはむしろアシェル様に同情的な意見が多く、噂話としてもそれほどの盛り上がりはなさそうだった。相手が態度もあからさまな男爵子息だからだろう」

 ライル……。
 今は彼のことも、セドリック王子のことも、なんとも思わない。
 彼らが僕をどう思っていようと、僕の生活になんの関係もないはずだった。でも。

「……兄様は、もう僕のことを愛してない……」
「ノクス」

 家族は違う。兄様は、お父様は。僕を愛し守ってくれるはずの家族は。

「僕……あの地下に置き去りにされたまま、生きてないかもしれない」
「……アシェル様。必ず方法はある。俺も一緒に探すから」

 レイモルドはゆっくりと言い聞かせるように話す。でも僕はぶんぶんと首を振った。

「そんなのない。僕は、もう」
「アシェル様。ノクスを助けたいと言ってただろ。それを捨てるのか?」

 は、とする。そう。それだけは。
 僕が奪ったノクス。彼だけは返さなきゃ。レイモルドに……返してあげなきゃ……。
 そう思うのに、もしかして許されないだろうか、と考えてしまう瞬間がある。
 僕がアシェルに戻っても愛されることはない。でもこれからも愛してもらえるかもしれない唯一の方法。
 そのたびに打ち消す。本当の罪人になってしまう。そんな僕だからだめなのに、と。

「……レイモルドは、ノクスが心配だよね……」
「い、や、それはそうなんだが、俺は……」

 とくとくと、ノクスの焦りが伝わる。卑怯な僕の考えに怒ってるのかもしれない。ノクスはずっと僕を励ましてくれてたのに。
 でも、だって僕はレイモルドから離れたくない。離れないためには、ノクスでいるしかないのに。

「僕が、……ノクスのようにできれば……」
「君がノクスになる必要はないだろ」
「……そう。……僕は、ノクスじゃない、から……」

 レイモルドは可能性すら考えない。その遠回しな拒絶に目を伏せた。
 やさしい彼ならもしかして。物言わぬノクスの気持ちを、僕が黙ってさえいれば。
 なんて甘えた考えだろう。
 なんて、傲慢な……。
 ……だから僕はだめなんだ。何度そう気づかされるんだろう。
 僕は結局、どこにも行くところがない。

「……ノクスはいいな。こんな痣があっても、レイモルドみたいに心から心配して救おうとしてくれる人がいるんだ。子爵家の人たちもみんな、ノクスのこと考えてくれてる。ノクスの努力を知ってる。愛されてるんだ、僕なんかより、ずっと……」
「アシェル様」

 ニールトンの子爵家では、穏やかな時間が流れてた。
 僕が必死に調べものをしていると、使用人は代わる代わる様子を見に来てくれていた。
 あまり無理をしないで。旦那様も奥様も心配されていますよ。少しはお休みください。お散歩にいいお天気ですよ……。
 アシェルだったとき、僕も同じように愛されてた。でも、同じじゃなかった。

「……僕は、顔だけだったんだ。その顔もなくなって、……戻っても、愛されないかもって、思ってたけど。でももう、戻る場所さえ、ないかも、しれないっ」

 涙がにじむ。泣きたくなくて、ぐっと力を入れた。

「アシェル様。まだそうと決まったわけじゃ」
「だって兄様は僕のピアスを捨てた!」

 たしかな愛の消失だった。
 そう叫べば、レイモルドは痛みを堪えるように頬を歪める。
 おかえりと言って頬にキスしてくれるお父様はいない。かわいくない僕をお母様も見てくれない。やさしく耳に触れるシリル兄様の指もなく、厳しいエリック兄様は王族を怒らせた僕を許さないだろう。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

ルピナスの花束

キザキ ケイ
BL
王宮の片隅に立つ図書塔。そこに勤める司書のハロルドは、変わった能力を持っていることを隠して生活していた。 ある日、片想いをしていた騎士ルーファスから呼び出され、告白を受ける。本来なら嬉しいはずの出来事だが、ハロルドは能力によって「ルーファスが罰ゲームで自分に告白してきた」ということを知ってしまう。 想う相手に嘘の告白をされたことへの意趣返しとして、了承の返事をしたハロルドは、なぜかルーファスと本物の恋人同士になってしまい───。

婚約破棄された婚活オメガの憂鬱な日々

月歌(ツキウタ)
BL
運命の番と巡り合う確率はとても低い。なのに、俺の婚約者のアルファが運命の番と巡り合ってしまった。運命の番が出逢った場合、二人が結ばれる措置として婚約破棄や離婚することが認められている。これは国の法律で、婚約破棄または離婚された人物には一生一人で生きていけるだけの年金が支給される。ただし、運命の番となった二人に関わることは一生禁じられ、破れば投獄されることも。 俺は年金をもらい実家暮らししている。だが、一人で暮らすのは辛いので婚活を始めることにした。

白金の花嫁は将軍の希望の花

葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。 ※個人ブログにも投稿済みです。

遊び人殿下に嫌われている僕は、幼馴染が羨ましい。

月湖
BL
「心配だから一緒に行く!」 幼馴染の侯爵子息アディニーが遊び人と噂のある大公殿下の家に呼ばれたと知った僕はそう言ったのだが、悪い噂のある一方でとても優秀で方々に伝手を持つ彼の方の下に侍れれば将来は安泰だとも言われている大公の屋敷に初めて行くのに、招待されていない者を連れて行くのは心象が悪いとド正論で断られてしまう。 「あのね、デュオニーソスは連れて行けないの」 何度目かの呼び出しの時、アディニーは僕にそう言った。 「殿下は、今はデュオニーソスに会いたくないって」 そんな・・・昔はあんなに優しかったのに・・・。 僕、殿下に嫌われちゃったの? 実は粘着系殿下×健気系貴族子息のファンタジーBLです。

悪役Ωは高嶺に咲く

菫城 珪
BL
溺愛α×悪役Ωの創作BL短編です。1話読切。 ※8/10 本編の後に弟ルネとアルフォンソの攻防の話を追加しました。

彼は罰ゲームでおれと付き合った

和泉奏
BL
「全部嘘だったなんて、知りたくなかった」

出戻り勇者の求婚

木原あざみ
BL
「ただいま、師匠。俺と結婚してください」 五年前、見事魔王を打ち倒し、ニホンに戻ったはずの勇者が、なぜか再びエリアスの前に現れた。 こちらの都合で勝手に召喚された、かわいそうな子ども。黒い髪に黒い瞳の伝説の勇者。魔王の討伐が終わったのだから、せめて元の世界で幸せになってほしい。そう願ってニホンに送り返した勇者に求婚目的で出戻られ、「??」となっている受けの話です。 太陽みたいに明るい(けど、ちょっと粘着質な)元勇者×人生休憩中の元エリート魔術師。 なにもかも討伐済みの平和になった世界なので、魔法も剣もほとんど出てきません。ファンタジー世界を舞台にした再生譚のようななにかです。

処理中です...