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一度だけ1
しおりを挟むどうやって学生寮まで戻ってきたか、覚えていない。
今日が試験の最終日だと知っているレイモルドが寮の部屋で待っててくれたけど、真っ青になって戻ってきた僕にとても驚いたようだった。
「ノクス? どうした……なにかあったのか!?」
「……シ、リル、兄様が……いた……」
部屋についたとたん力尽きて座り込んでしまった僕に慌てて近寄って、レイモルドは険しい表情になる。
ベッドまで運んでくれたあと、彼は少し部屋を離れて水を持って戻ってきた。
渡された水は冷たくてひやりと思考が冴える。でもそれは、冷静にいやな予感が募るだけだった。
「試験監督だったのか?」
「別のクラスの……。帰りに、すれ違って……」
「そうか」
さっきの兄様とのやりとりをなんとか伝えようと言葉を探す。
動揺が激しくて行ったり来たりする説明でも、レイモルドは急かさず相槌を打ちながら聞いてくれた。
「そ、いえば、匂いが……いいって……」
「……ノクスの?」
思い出したセリフに、レイモルドは怪訝そうに首を傾げる。どんな? と言いながら顔が近づいてきて、僕の心臓がどきりと大きな音を立てた。
「……っ」
見上げた視線のすぐそばに黄金色がある。それにびっくりして咄嗟に離れようとしたけど、手に持ったままのグラスが傾いて水がこぼれてしまった。
「あ!」
「あ、すまん……」
レイモルドが慌ててグラスを取り上げる。残っていた水は少なかったけど、腕や太ももにかかってしまった。
こぼれたところをレイモルドが拭いてくれるけど、恥ずかしくて顔が上げられない。シリル兄様に対する動揺は少し落ち着いたのだけど、近づいた距離をやたらと意識してしまってだめだった。
近くに感じるかすかな匂い。これがレイモルドの匂いかな。なんの香りだろう。
兄様の言う匂いもこういうことだろうか。でも声をかける前はだいぶ距離があったはずなのに。
拭き終えて離れるレイモルドにほっとして、だけど名残惜しい。当然ながら僕の複雑な気持ちに気づく様子もないレイモルドは、イスを引き寄せてそちらに座ると、難しい表情で腕を組んだ。
そうして、話す機会がなかったがと、『アシェル』に関して調べられたことを教えてくれた。
「バーバリウム公爵家の守りはかたいが、アシェル様が伏せっておられることは伝わってる。学園を休んでいるわけだから、その部分は隠しようもないしな」
「……」
公爵家の内部事情を正攻法で探ることはできない。僕もそこに手を出すのがとても危険なことだと、今はちゃんとわかっている。
「公爵も夫人もご令息方も、普段どおりの生活をされている。が、長兄だけは最近頻繁に魔塔に出入りされているらしい」
「エリック兄様が?」
「魔塔の運営に関する査察だと聞いてる」
「ああ……」
エリック兄様も魔力はあるけどシリル兄様ほどじゃない。平均よりは高い、というくらい。
それよりもエリック兄様はお父様の後を継いで宰相になる人だから、そっちの勉強と仕事に忙しい。
査察、という言葉はお父様もたまに口にされているから、兄様もお仕事なのだろう。
「学園内での出来事も、王族と公爵家の話だからあまり表沙汰にはなっていない。学生たちの間で噂話としては伝わったようだが……」
ノクスとして今回復学した間、周りからアシェルの名前は聞かなかったと思う。ノクスに話しかける人はいないし、僕も周りの声は聞いていなかったけど。
「学生たちはむしろアシェル様に同情的な意見が多く、噂話としてもそれほどの盛り上がりはなさそうだった。相手が態度もあからさまな男爵子息だからだろう」
ライル……。
今は彼のことも、セドリック王子のことも、なんとも思わない。
彼らが僕をどう思っていようと、僕の生活になんの関係もないはずだった。でも。
「……兄様は、もう僕のことを愛してない……」
「ノクス」
家族は違う。兄様は、お父様は。僕を愛し守ってくれるはずの家族は。
「僕……あの地下に置き去りにされたまま、生きてないかもしれない」
「……アシェル様。必ず方法はある。俺も一緒に探すから」
レイモルドはゆっくりと言い聞かせるように話す。でも僕はぶんぶんと首を振った。
「そんなのない。僕は、もう」
「アシェル様。ノクスを助けたいと言ってただろ。それを捨てるのか?」
は、とする。そう。それだけは。
僕が奪ったノクス。彼だけは返さなきゃ。レイモルドに……返してあげなきゃ……。
そう思うのに、もしかして許されないだろうか、と考えてしまう瞬間がある。
僕がアシェルに戻っても愛されることはない。でもこれからも愛してもらえるかもしれない唯一の方法。
そのたびに打ち消す。本当の罪人になってしまう。そんな僕だからだめなのに、と。
「……レイモルドは、ノクスが心配だよね……」
「い、や、それはそうなんだが、俺は……」
とくとくと、ノクスの焦りが伝わる。卑怯な僕の考えに怒ってるのかもしれない。ノクスはずっと僕を励ましてくれてたのに。
でも、だって僕はレイモルドから離れたくない。離れないためには、ノクスでいるしかないのに。
「僕が、……ノクスのようにできれば……」
「君がノクスになる必要はないだろ」
「……そう。……僕は、ノクスじゃない、から……」
レイモルドは可能性すら考えない。その遠回しな拒絶に目を伏せた。
やさしい彼ならもしかして。物言わぬノクスの気持ちを、僕が黙ってさえいれば。
なんて甘えた考えだろう。
なんて、傲慢な……。
……だから僕はだめなんだ。何度そう気づかされるんだろう。
僕は結局、どこにも行くところがない。
「……ノクスはいいな。こんな痣があっても、レイモルドみたいに心から心配して救おうとしてくれる人がいるんだ。子爵家の人たちもみんな、ノクスのこと考えてくれてる。ノクスの努力を知ってる。愛されてるんだ、僕なんかより、ずっと……」
「アシェル様」
ニールトンの子爵家では、穏やかな時間が流れてた。
僕が必死に調べものをしていると、使用人は代わる代わる様子を見に来てくれていた。
あまり無理をしないで。旦那様も奥様も心配されていますよ。少しはお休みください。お散歩にいいお天気ですよ……。
アシェルだったとき、僕も同じように愛されてた。でも、同じじゃなかった。
「……僕は、顔だけだったんだ。その顔もなくなって、……戻っても、愛されないかもって、思ってたけど。でももう、戻る場所さえ、ないかも、しれないっ」
涙がにじむ。泣きたくなくて、ぐっと力を入れた。
「アシェル様。まだそうと決まったわけじゃ」
「だって兄様は僕のピアスを捨てた!」
たしかな愛の消失だった。
そう叫べば、レイモルドは痛みを堪えるように頬を歪める。
おかえりと言って頬にキスしてくれるお父様はいない。かわいくない僕をお母様も見てくれない。やさしく耳に触れるシリル兄様の指もなく、厳しいエリック兄様は王族を怒らせた僕を許さないだろう。
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