その当て馬はラスボスに溺愛されてます

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04【過去】エンリ8歳

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 王都の石畳を走る馬車が、大きな邸宅の前で停車した。
 8歳のエンリがはじめて訪れる、王都にあるハーディン伯爵邸だ。歳の離れた兄セルシオが王立ソレイル学園に入学するため、両親も来賓として招待されているのだとか。
 エンリはおまけだが、今に始まったことではない。旅の間に窓から見る景色はどれも真新しく、何度も心躍らせ両親や兄に話しかけた。だが彼らは入学式やその後のパーティーに気持ちが向かっていて、誰もエンリの話を聞いてくれない。

(……セルシオ兄様は、優秀だから)

 エンリの兄は完璧な人だ。澄んだ空色の目と明るいオレンジの髪。まだ少年らしさは残るものの、切れ長の目は魅力的で優しげな口元には色気がある。エンリには理解できないが、メイドたちがそう話しているのをよく聞いた。
 エンリも目の色は同じなのに、髪はもっとくすみの強いブラウン系。つんつんとまとまりがなくすぐ乱れてしまうし、口角は下がりぎみで何を考えてるかわからない顔だと言われてしまう。
 そして兄は外見だけでない。魔法の素質も優れていた。
 魔法使いの能力は、力を貸してくれる妖精の数に左右される。多くの妖精に気に入られれば、それだけ強くなるということだ。兄セルシオはトップクラスに妖精の数が多いらしく、風魔法の使い手として将来を期待されていた。
 兄も自信に満ち、日々妖精と交流して精度を高めているそうだ。エンリを見る目には同情が混じっていて、兄を嫌いではないが、その視線だけは苦手だった。
 希少な魔法使い、誰もが虜になる容姿、そして伯爵家嫡男。兄は王室からも注目され、両親の自慢の息子でもあった。
 すべてに劣るエンリは、兄の影ですらない。邪魔にこそされないものの、両親の関心が向くことはなかった。

「今年の新入生の中では、セルシオ、貴方が一番輝いていたわ。首席入学は叶わなかったけれど、誰よりも魅力的だったわよ」
 入学式を終えてから、母は始終この調子だ。兄を褒め、どこそこの夫人に羨ましがられたと喜んでいる。
 王室主催のパーティーを明日に控え、今日は朝から兄を着飾ることに夢中だった。
「お顔がよく映るように、このマントを羽織りましょうか。ああ……それともこちら? ねえ、どっちがいいかしら?」
「どちらも素敵ですわ。奥様」
「セルシオ様は何を着ても似合いますもの!」
「そうなのよね。困ってしまうわ。足りないものはない? 王族にご挨拶するんですから、手抜かりのないようにね」
「はい、もちろんです!」
 困ってしまう、と嬉しそうに話す母こそが輝いて見える。エンリは部屋の隅に座ってその様子を眺めながら、ぶらぶらと足を揺らした。
 パーティーには家族で出席するためエンリにも衣装はある。けれど最初に一着合わせただけで終わってしまった。どれも同じに見えるから服に不満はないけれど、「これでいいわね」の一言で終わってしまうのは悲しい。

「貴方は私たちの自慢よ、セルシオ。愛しているわ」
 エンリも兄をかっこいいと思ってる。両親のことも嫌いではない。好きだからこそ、エンリを見てくれないことが寂しいのだから。
(僕も妖精の声が聞こえたら)
 せめて一体でも妖精が手を差し伸べてくれたら。
 兄の真似をして話しかけても、手ごたえを感じたことはない。それでも何度も想像してしまう。少しでも魔法が使えたら、家族はエンリを見てくれるだろうか。メイドや使用人たちも、エンリに興味を持ってくれるだろうか。
「エンリ様。靴のサイズを合わせましょう」
 声をかけられてエンリは顔を上げた。
 ふたりのメイドが靴を持ってエンリの足元に膝をつく。衣装合わせは終わったが、足が少し窮屈だったため一つ大きめのサイズが用意されたのだ。
 自分はぞんざいに扱われているわけではない。それは、子どもながらに理解していた。
 メイドの手が足に触れ、新しい靴を履かせてくれる。踵のあきを確認して、中敷きを調整する。作業は丁寧だ。きちんと仕事をしてくれている。
 だからつい、それを聞いてしまった。

「……ねえ。セルシオ兄様じゃなくて、僕のことも好き?」

 メイドたちの手がぴたりと止まった。互いに顔を見合わせて、エンリに「ふふふ」と笑ってみせる。
(あ……)
 エンリにはわかってしまった。さっきまで母と一緒に笑いあっていた笑顔とは違う。これは、主人や客人を不快にさせないメイドの微笑みだ。
「もちろんですよ。ハーディン伯爵家の大切なお坊ちゃまですもの」
 もしもと想像しながら周囲をよく見ていたエンリは、人の表情から言葉の裏表を読み取るようになっていた。
 だから、肯定なのに拒絶されたと感じてしまう。視線、口元、わずかな間。それらが本心ではないと言っているかのよう。けれどそれは、エンリを傷つけない気遣いでもあった。
「ありがとう……」
 エンリは俯き、小さくお礼を言った。聞きたかったのは『伯爵家のお坊ちゃま』のことではなく、エンリ個人のことだったけど。
 目の奥がつんとして、それ以上は何も言えなかった。

「ああ、セルシオ。とても素敵だわ。会場中の令嬢が貴方に注目するわよ」
「大袈裟ですよ。母上」
「大袈裟なものですか。我が息子ながら惚れ惚れしてしまうもの」
 母は兄を絶賛するが、時に厳しく叱ることもある。対してエンリは、一度も叱られたことがない。
 いい子にしているからだと思っていたが、そうではない。それに気づいたのも、この頃だった。
(……きっと、いなくなっても、気づかれない)
 無関心に対する諦念。そしてかすかな反抗心。もしかしたら、こうすればエンリを気にしてくれるかもしれない、という期待。
 エンリは椅子から下りて、そっと扉へ近づいた。部屋の中を振り返っても、みんな兄に夢中で誰もエンリを見ていない。がっかりする。でも、今はそれでよかった。
 部屋を出て廊下を歩く。すれ違う使用人は軽く会釈してくれるが、それだけだ。どこへ行くのか、とも聞かれない。
 階段を降りて、玄関ホールを抜け、前庭を歩いて門から外へ。
 石畳を踏みしめて、エンリは走り出した。少し離れてから振り返っても、邸宅には静寂があるだけ。
(いつ、気づくのかな)
 気づかれなかったら、どうしよう。
 迷いは一瞬だった。そのときは何かを明確に考えていたわけではない。ただ、いつもと違うことがしたかった。

 8歳にしてはじめての家出。あとになって考えれば、ひどく無謀なことだ。華やかな王都といえども、危険は数多い。上等な服を着た貴族の子どもが、ひとりでふらつくなんて言語道断。
 だがそれすら、当時のエンリには全部どうでもいいことだった。

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