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しおりを挟む「…お久しぶりです、フェロンツ公爵」
いつになくぎこちない笑みを浮かべたフランツは、アルベルトの手元を見て顔がひきつっていた。
「あぁ、久しぶり。フランツ君」
アルベルトはカトリーナをこれ以上ないほど抱き寄せて、腰に手を当てていた。やるせないような顔をしたフランツが少しだけ、ほんの一瞬だけカトリーナの方を見る。
「っ…」
目が合ったカトリーナは戸惑った。本来ならば公爵夫人として挨拶をするべきなのだろうけれど、些かそれをしていいものかと迷っていたのだ。こちらの都合で一方的に別れたフランツに。
けれどアルベルトは、その一瞬を見逃したりはしなかった。
「妻の顔に何かついているか?」
にこりと、背筋が凍るほどの笑顔を見せる。それは最早笑顔などではなく、ただの威嚇だった。
「ーーいえ。お久しぶりです、夫人」
それにカトリーナは何と返せばよかったのだろうか。迷っているうちに、またアルベルトがにこりと笑いかける。
「何故、妻を?」
「…以前、ナタリー夫人の屋敷で、お会いしたことがあるものですから」
「そうですか、ですがそれは間違いだろう」
「ーーは?」
「妻は一度たりとも、俺のいない夜会へと行ったりはしていない……気のせい、だ」
もちろんそうでないことはアルベルトにも分かっていた。けれど、アルベルトはもうフランツとカトリーナの関係を全て終わらせてやりたかったのだ。
「…そうですか」
フランツのその言葉に、アルベルトはにこりと笑いを浮かべたが、そのすぐ後の言葉に顔を強張らせた。
「ですが一度だけお会いしたことがあります。…よね?」
初めて見るフランツの強引さにカトリーナは驚きながらも、頷いた。と、その瞬間、アルベルトの手に力が籠る。その余りにも強い力に、カトリーナは思わず顔を歪ませた。
「…そうか。じゃあ、そろそろ主催者に挨拶に行かなければいけないからな。失礼する」
「えぇ、…夫人、またお会いしましょう」
何度も逢瀬を交わしたときに見ていたその笑顔に、カトリーナは罪悪感が込み上げてくるのだった。
アルベルトがカトリーナから離れたのは、どうしても重要な話があるという男がいたからだった。
「絶対にこの部屋から出るな。俺が来たときは扉を三度ノックするから、そしたら扉を開けろ」
「はい」
本来ならばメイドか誰かを見張りに付けるのだけれど、生憎夜会にまで付いてこいなどという貴族はいない。
(…フランツ)
頭のなかに、あの笑顔が浮かぶ。何の連絡もなしに約束を破り、連絡の途絶えた私にまだ気を使ってくれてるのか。
とその時、扉にノックが三度鳴った。
「旦那様?」
早かったのね、なんて呟きながら扉を開く。
そしてカトリーナは愕然とした。
「…カトリーナ…」
愛しげにうっとりと自分を見つめるフランツがいたからだ。
「っ…」
いけない。もしもこの場に、旦那様が来てしまったら。
その思いが、カトリーナを公爵夫人としての佇まいへと直させた。
「…どうかなさったのですか?フランツ様。申し訳ありませんが、旦那様にご用でしたら…」
「心配した」
「…おやめください」
「約束を絶対に守る君が来なくて、いきなり連絡が途絶えて、…本当に心配したよ」
「やめて…!」
フランツのことは本当に好きだったけれど、それよりも旦那様への罪悪感の方が強い。
「なんで?なんで突然…」
「旦那様は知っているわ」
「ーーえっ」
「貴方と私が会っていたことも、全部知っている。…貴方はリーブル公爵家の長男。いつかは公爵家を継ぐ身を、滅ぼしていいの?」
リーブル公爵とアルベルト様はとても仲がいい。というかリーブル公爵にとってアルベルト様は恩人なのだ。
「もしもこの事が貴方のお父様に伝わりでもしたら…勘当では済まされなくてよ」
「…いらないよ」
「!」
「君がいてくれるなら、いらない。一緒に、身分も肩書きも捨てて、逃げようって。ずっと言おうと思ってたんだ」
「フランツ!」
「君となら、どこでもやっていけると思う。言っただろ?僕のことを本当に、好きだって」
カトリーナの髪に口付けするフランツから、無理矢理身体を離す。
「えぇ、そうよ。貴方のことは本当に好き」
「カトリーナ…」
「けれど旦那様を愛しているわ。…貴方と逃げることは出来ない。旦那様を捨てるなんて出来ない。あの方を笑い者になど、私はしない」
「どうして?僕のことが本当に好きだと言ったのに!」
「好きと愛しているは違うわ。…夢物語よ」
カトリーナの遊びで唯一の誤算だったのは、相手がこのフランツだということだった。
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