日蝕ただなかにありて

ゴオルド

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第七話

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 作本先生の頼みで、親御さんのスポーツ意識の調査用紙を作成することになった。引かずに話を聞いてくれた先生の頼みだ、最優先でやることにした。といっても、うちの学校の調査だけでは、親の嗜好が子に影響を与えるかどうかを判断できるだけのデータは取れないということは一応説明しておいた。数が少なすぎるのだ。

 それでもいいから頼みますね、と作本先生は頭を下げた。
 作本先生に頭を下げられたら、私はとても弱ってしまう。立場が逆のような気がする。先生は気づいていないのだ。私を隠された悲しみから救い出したってことに。ずっと真っ暗だった私の心に、やっと光が差し始めたことに。


「最近、帰ってくるのがおそいね。彼氏でもできたの」
 朝、自宅のトイレから出ると、廊下で母が待ち構えていた。にやにやと笑っている。
「そんなわけないね、彼氏なんかできるわけないもん。あなたみたいなブ……いや、可愛いわよ、お母さんは可愛いと思うけど、でもねえ。あなたは何もできない昼行灯だから、男性と付き合いたいのなら自分から行かなきゃダメよ。いちかばちか男の人に声を掛けてみたら?」
「うん……」
 母は大きな口をあけて、あくびをした。
「ああ、寝不足だわ。お母さん、あなたに愚痴を聞かせてあげたいと思って、夜遅くまで待ってあげてるんだけどな。だって、あなたは愚痴を聞くのが大好きでしょう。だからカウンセラーになったんだものね」
「うん……」
 愚痴を聞くこと。周囲の人に尽くすこと。それだけが私にできることなんだ。そう母が教えてくれた。母が、私の幸せを妨害するなんてあり得ない、そう信じて生きてきた。

 出勤時間が迫っていることを自分に言い訳して、母を無視してキッチンに向かい、食パンをオーブントースターにセットしようとした。だがすぐに取り上げられてしまった。

「朝食ならお母さんが用意してあげる。あなたは何もできない子なんだから、何もしなくていいのよ。今朝はご飯が食べたいだろうと思って、もうお味噌汁はつくってあるのよ。最近痩せてきたみたいだから、卵焼きと納豆も出してあげるね。デザートにはヨーグルト。蜂蜜をいっぱいかけていいのよ。お母さん、ぽっちゃりした子が好きだもん。スリムな子って尻軽そうだから嫌い」

 成人した娘のために食事の支度をしてくれる優しい母。ずっとそう思っていたけれど、その優しさは無害ではなかったのだ。
 私のお母さんってこういう人だったんだな。動揺しつつも冷静に観察してしまう。娘を赤ちゃんのように扱い、痩せた女性の悪口を嬉しそうに言う母を、はじめて気持ちが悪いと思った。ずっと応援していたアイドルに熱愛が発覚し、ファンをやめる人の気持ちが、今なら私にも理解できるような気がした。虚像を愛していたというごまかしに気づいてしまったのだ。過去の幸せな思い出も、目をひらいてよく見れば、母から自信を奪われることに気づかないふりをすることで成り立っていた幻だった。

 もう家を出ようかな、なんて思う。

 このごろ私もやっと、ものがわかるようになってきたらしい。


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