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選ばれる夜
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夕刻――
中奥の座敷に、珍しく重苦しい空気が満ちていた。
将軍・家光の寝所に、ふたりの小姓が同時に呼ばれると知れたその瞬間、
座に集まる小姓たちの胸に、様々な想いが渦を巻いた。
千歳は黙して動かず、
環は無言で扇を開いたまま風を止め、
葵は指先をぎゅっと握りしめながら、食事の膳の湯気を見つめていた。
「ねえ、ふたりとも行くの? 一緒に?」
雪丸だけが無邪気に訊ねたが、答える者はいなかった。
⸻
その夜、将軍家光の寝所。
灯りは落とされ、わずかに蝋燭の炎が揺れていた。
布団の左右には、律と蒼馬がそれぞれ控えている。
襟元を整え、目を伏せ、呼吸すら揃えたように緊張していた。
家光は扇を片手に、静かにその様子を眺めていた。
「こうして並べてみると、実に見事な対照だな。
律――白磁のように儚く。
蒼馬――春の日だまりのように温かく」
扇をゆらしながら、家光は笑う。
「さて、どちらを今宵、余の“腕の中”に迎えるか……。この寝所で、片方は横に、片方は向こうの帳に。
ただの遊びではない。余の気まぐれでもない。――これは、愛しき者への“試し”だ」
ふたりは、声も出さずに頷いた。
その時、襖の奥で足音が止まった。
廊下の灯に照らされた影――
千歳だった。
彼は何も言わず、ただ一礼し、そのまま立ち去った。
“選ばれる者”でも、“選ぶ者”でもない者の哀しさが、そこにあった。
⸻
家光は、ふたりに手を伸ばした。
「律、こちらへ。……蒼馬、向こうの帳に」
一瞬の沈黙。
律は、身体を動かせぬまま固まり、
蒼馬は、小さく息を吸い、ゆっくりと立ち上がった。
「……承知いたしました」
その声に、家光はふと笑った。
「怒っておるのか?」
「……いえ。ですが、羨ましくはあります」
家光はその言葉を“可愛い”とでも言うように口元を緩めた。
「ならば、余が“戻れ”と命じたら?」
蒼馬は、はっと顔を上げた。
家光の指先が動き、
蒼馬の手を取り、引き戻す。
「――ふたり共に、ここへ」
布団の上に並ぶように、ふたりは横たえられた。
家光は律を左腕に、蒼馬を右腕に――
まるで花を抱くように抱き寄せた。
「……どうやら、今宵の余は、寂しがり屋のようだな」
灯が消えた寝所に、ふたつの寝息と、
微かな涙の音が、重なって溶けていった。
⸻
その夜のことは、翌朝すぐに他の小姓たちの耳に届いた。
「ふたり同時に……」
葵は、手にした布をぽとりと落とした。
「ならば、誰も“特別”ではないということか……あるいは、ふたりが“特別”なのか」
環はそれ以上言葉を続けなかった。
廊下の向こう、千歳はひとり、庭の枝に積もる朝露を見ていた。
(私は、どちらにもなれなかった)
その悔しさを、ただ唇をかみしめて呑み込んだ。
中奥の座敷に、珍しく重苦しい空気が満ちていた。
将軍・家光の寝所に、ふたりの小姓が同時に呼ばれると知れたその瞬間、
座に集まる小姓たちの胸に、様々な想いが渦を巻いた。
千歳は黙して動かず、
環は無言で扇を開いたまま風を止め、
葵は指先をぎゅっと握りしめながら、食事の膳の湯気を見つめていた。
「ねえ、ふたりとも行くの? 一緒に?」
雪丸だけが無邪気に訊ねたが、答える者はいなかった。
⸻
その夜、将軍家光の寝所。
灯りは落とされ、わずかに蝋燭の炎が揺れていた。
布団の左右には、律と蒼馬がそれぞれ控えている。
襟元を整え、目を伏せ、呼吸すら揃えたように緊張していた。
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「こうして並べてみると、実に見事な対照だな。
律――白磁のように儚く。
蒼馬――春の日だまりのように温かく」
扇をゆらしながら、家光は笑う。
「さて、どちらを今宵、余の“腕の中”に迎えるか……。この寝所で、片方は横に、片方は向こうの帳に。
ただの遊びではない。余の気まぐれでもない。――これは、愛しき者への“試し”だ」
ふたりは、声も出さずに頷いた。
その時、襖の奥で足音が止まった。
廊下の灯に照らされた影――
千歳だった。
彼は何も言わず、ただ一礼し、そのまま立ち去った。
“選ばれる者”でも、“選ぶ者”でもない者の哀しさが、そこにあった。
⸻
家光は、ふたりに手を伸ばした。
「律、こちらへ。……蒼馬、向こうの帳に」
一瞬の沈黙。
律は、身体を動かせぬまま固まり、
蒼馬は、小さく息を吸い、ゆっくりと立ち上がった。
「……承知いたしました」
その声に、家光はふと笑った。
「怒っておるのか?」
「……いえ。ですが、羨ましくはあります」
家光はその言葉を“可愛い”とでも言うように口元を緩めた。
「ならば、余が“戻れ”と命じたら?」
蒼馬は、はっと顔を上げた。
家光の指先が動き、
蒼馬の手を取り、引き戻す。
「――ふたり共に、ここへ」
布団の上に並ぶように、ふたりは横たえられた。
家光は律を左腕に、蒼馬を右腕に――
まるで花を抱くように抱き寄せた。
「……どうやら、今宵の余は、寂しがり屋のようだな」
灯が消えた寝所に、ふたつの寝息と、
微かな涙の音が、重なって溶けていった。
⸻
その夜のことは、翌朝すぐに他の小姓たちの耳に届いた。
「ふたり同時に……」
葵は、手にした布をぽとりと落とした。
「ならば、誰も“特別”ではないということか……あるいは、ふたりが“特別”なのか」
環はそれ以上言葉を続けなかった。
廊下の向こう、千歳はひとり、庭の枝に積もる朝露を見ていた。
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その悔しさを、ただ唇をかみしめて呑み込んだ。
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