江戸城に咲いた天使達 〜ショタコン家光と可愛い小姓達の日常〜

ましゅまろ

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沈香の檻

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「――今宵は、千歳を呼ぶ」

将軍のその言葉に、控えの間に静かな緊張が走った。

香を纏いながらも、これまで一度も将軍の寝所に“ひとり”で呼ばれたことのなかった千歳。
常にその整った所作と沈黙で周囲に一歩距離を保っていた彼が、ついに名を呼ばれた。

葵が小さくつぶやいた。

「……静かすぎて、呼ばれないのかと思っていたけれど」

光は扇の奥からじっと千歳を見つめ、
蒼馬は何も言わずに、拳を膝に置いた。

千歳は静かに立ち上がると、
控えの者に向かって短く言った。

「香を――変える」



千歳は、これまで一度も使ったことのない香を選んだ。

沈香のなかでも深く濃く、
それでいて苦味と甘味がまじる――“沈香・黒龍”。

香番が思わず眉を上げたほど、鋭く、官能的な香だった。

「本当に……この香で?」

千歳は静かに頷いた。

「今宵は、“香で語る夜”といたします」



襟元に沈香をひと筋、
袖に少しだけ丁子を添えた千歳は、帳の前に立っていた。

(これまでの夜――
香を競うばかりだった日々のなかで、
わたしは、将軍様にただの“静けさ”を見せていた)

けれど今宵は違う。

悠が“香のないまま心を捧げ”、
雪丸が“甘えを越えて抱かれ”、
蒼馬が“香と姿勢で選ばれた”。

(ならば、わたしは――“香で沈める”)

千歳は帳をくぐった。



家光は床に身を預け、扇を膝に置いたまま目を閉じていた。

その空気に、ふわりと立ち上る香。

ひとつ、ふたつ、
呼吸の間を潜るようにして、沈香の煙が主の心を撫でた。

「……よい香だ。
まるで、深い井戸の底に咲いた花のようだ」

千歳は無言で床に膝を折り、
扇を閉じてその場にそっと置いた。

「香の夜を――参らせていただきます」



その夜、言葉は交わされなかった。

千歳は、ただ隣に座し、
将軍の肩に手を添え、
沈香の香を全身で伝えた。

家光はその腕を取って、額に寄せた。

「……そなたは、まるで檻の中に咲いたもののようだ。
自らを閉じ込め、他人を遠ざけ、
それでもこうして香る。……余は、それを美しいと思う」

千歳の瞳が、かすかに潤んだ。

「将軍様のもとで香を放てるならば、
それが――わたしの、唯一の自由です」



千歳が寝所を出たとき、
その香はなおも衣に残っていた。

控え間の空気が、その香に微かにざわめいた。

誰も言葉を発しなかったが、
その場にいた小姓たちは皆、知っていた。

千歳が、ようやく“夜の座”に加わったことを。

そしてその香が、ただの飾りではなく、
将軍の心に沈んだ証であることを――。
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