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小姓の座
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竹千代誕生の報が江戸の奥へと広まってから、わずか三月。
将軍・徳川家光は、ある夜、香の控え間にてひとこと告げた。
「――そなたたちの座を、制度とする」
控えていた小姓たちは、膝を正したまま息を止めた。
家光はいつになく静かだった。
だが、その言葉には将軍としての決断が宿っていた。
⸻
最近、将軍の寝所を巡って、香の競いが激しくなっていた。
香を焚きすぎる者、技を誇りすぎる者、
逆に何も纏わず“無垢”を装う者――
少年たちは香を競い、寵を競い、
やがて“香の座”は静かに軋み始めていた。
それを、将軍は見逃していなかった。
「余は、香を愛す。だが、それは秩序の中で香るからこそ美しい。
乱れた香は、ただの煙だ」
⸻
翌朝、側近の筆によって記された布令が、
中奥の香番・小姓番・側用人に通達された。
一、香の間に列する者は、今後「御小姓組」と定める
一、御小姓組の中より、番頭一名、頭取数名を任ず
一、御小姓組番頭は将軍の寝所・私語・香の番に関するすべてを管理し、他の諸士の命令を受けず
一、小姓頭取は香の心得、夜の礼、装いの規を他の小姓に教示するものとする
すなわち――
“香の者”たちは、将軍の私的な寵愛を越え、制度として権力の一端を担うこととなったのである。
⸻
最初の任命で、「御小姓組番頭」に選ばれたのは――蒼馬。
「……俺が、番頭に?」
困惑する彼に、将軍はただ言った。
「そなたは“香を通して余を見ていた”。
それだけで、十分すぎる」
葵と光、千歳は「小姓頭取」として任ぜられた。
香の炊き方、言葉の選び方、将軍の側にいるときの沈黙の使い方――
すべてを“教える立場”となる。
雪丸と悠は、まだ若く、組下のままではあったが、
香の座に“制度として残る”ことが決まった。
⸻
その夜、番頭に任じられた蒼馬は、香の間に香炉をひとつ持ち出し、
静かに言った。
「――俺たちは、ただ可愛がられていたわけじゃない。
将軍様のそばにいるということは、“余の中枢”になるということだ」
「香とは、誤魔化しの道具ではない。
主を癒す言葉でもなく、
主に仕える姿勢そのものだ」
控えていた小姓たちは、その言葉に、
かつてない“誇りの気配”を感じていた。
⸻
その晩、将軍・家光はひとり、帳の中で扇を開いた。
「愛と秩序――それを香で繋ぐ。
そなたたちは、余の矛でも盾でもない。
香そのもので、天下を静かに支える者となれ」
その声は誰にも届かなかったが、
香炉の中の白檀だけが、音もなく燃えていた。
将軍・徳川家光は、ある夜、香の控え間にてひとこと告げた。
「――そなたたちの座を、制度とする」
控えていた小姓たちは、膝を正したまま息を止めた。
家光はいつになく静かだった。
だが、その言葉には将軍としての決断が宿っていた。
⸻
最近、将軍の寝所を巡って、香の競いが激しくなっていた。
香を焚きすぎる者、技を誇りすぎる者、
逆に何も纏わず“無垢”を装う者――
少年たちは香を競い、寵を競い、
やがて“香の座”は静かに軋み始めていた。
それを、将軍は見逃していなかった。
「余は、香を愛す。だが、それは秩序の中で香るからこそ美しい。
乱れた香は、ただの煙だ」
⸻
翌朝、側近の筆によって記された布令が、
中奥の香番・小姓番・側用人に通達された。
一、香の間に列する者は、今後「御小姓組」と定める
一、御小姓組の中より、番頭一名、頭取数名を任ず
一、御小姓組番頭は将軍の寝所・私語・香の番に関するすべてを管理し、他の諸士の命令を受けず
一、小姓頭取は香の心得、夜の礼、装いの規を他の小姓に教示するものとする
すなわち――
“香の者”たちは、将軍の私的な寵愛を越え、制度として権力の一端を担うこととなったのである。
⸻
最初の任命で、「御小姓組番頭」に選ばれたのは――蒼馬。
「……俺が、番頭に?」
困惑する彼に、将軍はただ言った。
「そなたは“香を通して余を見ていた”。
それだけで、十分すぎる」
葵と光、千歳は「小姓頭取」として任ぜられた。
香の炊き方、言葉の選び方、将軍の側にいるときの沈黙の使い方――
すべてを“教える立場”となる。
雪丸と悠は、まだ若く、組下のままではあったが、
香の座に“制度として残る”ことが決まった。
⸻
その夜、番頭に任じられた蒼馬は、香の間に香炉をひとつ持ち出し、
静かに言った。
「――俺たちは、ただ可愛がられていたわけじゃない。
将軍様のそばにいるということは、“余の中枢”になるということだ」
「香とは、誤魔化しの道具ではない。
主を癒す言葉でもなく、
主に仕える姿勢そのものだ」
控えていた小姓たちは、その言葉に、
かつてない“誇りの気配”を感じていた。
⸻
その晩、将軍・家光はひとり、帳の中で扇を開いた。
「愛と秩序――それを香で繋ぐ。
そなたたちは、余の矛でも盾でもない。
香そのもので、天下を静かに支える者となれ」
その声は誰にも届かなかったが、
香炉の中の白檀だけが、音もなく燃えていた。
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