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最終章:香の記憶、夢の残り火
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天正十年六月二日、夕方。
本能寺の炎は、すでに鎮まっていた。
焼け落ちた瓦礫の中を、ひとりの男が歩いていた。
──千利休。
燃え跡から立ちのぼる微かな香に、彼は足を止めた。
「……これは……」
その香は、焦げた木や血の臭いをもすり抜けて届く、
あまりにも美しく、甘く、そして深い残り香だった。
沈香に、蘇芳。
そして、確かに焚かれた者の魂の気配。
利休は目を閉じ、香を吸い込んだ。
「……森成利殿。
おぬしは、香そのものになったのだな」
彼の目の前に広がるのは、ただの灰と焼け跡。
だが、その中に、確かに“何か”が残っていた。
小さな、煤けた香炉。
そしてその中に、一片だけ焼け残った、紅の裂(きれ)。
利休はそれを静かに拾い、袂に収めた。
⸻
数日後、京の町では囁かれていた。
「焼けた本能寺から、香が流れていた」
「死んだはずの信長公と、森蘭丸が、まるでそこに“いた”ような香だった」
「香の中に、二人の声が聞こえたという者もいる」
それらの噂は、すぐに迷信として消えた。
だが、ごく一部の者だけが、信じていた。
あれは、ただの焼け跡ではない。
“恋が咲いた場所”の香が、まだ漂っているのだと。
⸻
その後、利休は安土に戻り、密かに小さな香合を作らせた。
香合の蓋の内側には、ただ一言だけが彫られていた。
「蘭、信を焚きて、夢を残す」
⸻
そして、それは語り継がれていく。
花は散っても香を残すように、
香は消えても想いを刻むように──
愛と忠義に命を賭けた、
一輪の“影の花”の記憶が。
信長と蘭丸。
その主従の名は、風と共に香り、
誰かの夢の中で、今も寄り添っている。
本能寺の炎は、すでに鎮まっていた。
焼け落ちた瓦礫の中を、ひとりの男が歩いていた。
──千利休。
燃え跡から立ちのぼる微かな香に、彼は足を止めた。
「……これは……」
その香は、焦げた木や血の臭いをもすり抜けて届く、
あまりにも美しく、甘く、そして深い残り香だった。
沈香に、蘇芳。
そして、確かに焚かれた者の魂の気配。
利休は目を閉じ、香を吸い込んだ。
「……森成利殿。
おぬしは、香そのものになったのだな」
彼の目の前に広がるのは、ただの灰と焼け跡。
だが、その中に、確かに“何か”が残っていた。
小さな、煤けた香炉。
そしてその中に、一片だけ焼け残った、紅の裂(きれ)。
利休はそれを静かに拾い、袂に収めた。
⸻
数日後、京の町では囁かれていた。
「焼けた本能寺から、香が流れていた」
「死んだはずの信長公と、森蘭丸が、まるでそこに“いた”ような香だった」
「香の中に、二人の声が聞こえたという者もいる」
それらの噂は、すぐに迷信として消えた。
だが、ごく一部の者だけが、信じていた。
あれは、ただの焼け跡ではない。
“恋が咲いた場所”の香が、まだ漂っているのだと。
⸻
その後、利休は安土に戻り、密かに小さな香合を作らせた。
香合の蓋の内側には、ただ一言だけが彫られていた。
「蘭、信を焚きて、夢を残す」
⸻
そして、それは語り継がれていく。
花は散っても香を残すように、
香は消えても想いを刻むように──
愛と忠義に命を賭けた、
一輪の“影の花”の記憶が。
信長と蘭丸。
その主従の名は、風と共に香り、
誰かの夢の中で、今も寄り添っている。
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