紅の惑星、白妙の衛星

しーしい

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第一話 漁師

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「寒い」
 私は氷上車のカメラごしに空を見上げた。空と言っても目一杯に焦げ茶色の木星が占め、寒色の太陽がそれを飾っている。
 雪が舞っていなければ、第二衛星エウロパの地表から木星のリングも解像することが出来る。氷の銀糸が墨流しのように重力の輪舞曲ロンドを描くのは、えも言われぬほど美しい。代わり映えのしないエウロパの生活だが、リングは子供の頃から好きだ。
 残念ながら今日はリングが見えないので、天頂の木星から水平線に目を移す。雪原はどこまでも純白で、はるか先で漆黒と弧を描く。
 そのままは、眺めていられなかった。警告音が発せられ、視線を運転席のコンソールに戻す。
「氷火山予測は出てない」
 地球やイオの火山と違い、エウロパの火山は成層していない。地殻の下に液体の水が存在し、氷が割れた隙間から海水が噴出する。その現象を氷火山と称している。
 二世紀ほど前、開拓者達はエウロパの海に豊富な漁業資源が存在することを発見した。
 すぐに民間資本による漁業が開始され、外惑星圏開拓における貴重な食料となった。
 私はレア・ルコント。漁業権を持つエウロパの漁師の一人だ。
 一般的に漁師は家族経営で夫婦か親子で行うのが普通だ。けれども両親を早くに亡くした私は、すべて一人で行っている。
 機械化されているとは言え、女身一つでは大変な仕事だ。
 でも、それ以外の生き方を知らない。若くして漁師になったので、縁談の機会がなかった。気がついた時には十九歳にして売れ残っている。
 かまわない、それでも何とか生きている。
「しかたない、早めに終わらそう。エルンスト、自動運転、漁労井戸ウェルカップリング開始」
「カップリング開始します」
 私は氷上車の人工知能エルンストに命じて、漁労井戸ウェルと氷上車を結合させる。
 十六輪の巨大な車両は、器用に切り返し操作を行った。
 私はコンソールにサブスクリーンを開いて、バックカメラを写した。
 エウロパの氷上車は密封式だ。外を見るガラスは存在せず、分厚いタングステンとピーク樹脂ポリエーテルエーテルケトンの装甲に覆われている。木星の放射線帯から乗員を保護する工夫だ。
 漁労井戸ウェルは、端的に言えば地表から氷下の海まで貫いた穴だ。エウロパの漁師は、それを複数所有している。海側の先端には定置網が設置され、地上側は氷上車と接続するカプラーが蓋をしている。漁労井戸ウェル中は海水で満たされ、刺し網と漁獲物が上下を行き来する。
 内部の海水が凍結すると、漁労井戸ウェルが破損するのでバッテリーで保温する。
 それらの装置は伏した椀の形をしたカプラーに格納されている。氷上車はその荷台をカプラーにのしかからせた。低温脆性に強い銅合金が噛み合う甲高い音が響いた。
 サブウィンドウの表示内容を漁労井戸ウェルのステータス情報に切り替える。
「意外と大漁かも」
 カプラーの制御装置は氷下にある定置網の漁獲高を概算している。ただしエウロパの生態系は完全に解明されていないので、往々にして見込みが外れる。もちろん無線リモートで情報を得ているが、カプラーから有線オンワイヤで情報が流れ込んでくると、漁をした実感がわく。
「バッテリーは交換。エルンスト、漁労開始」
「漁労意思の確認をお願いします」
 やたらイケメンボイスの人工知能はそう促すと、網膜認証装置を展開する。氷上車のシステムとは独立した政府の機器だ。操業単位に税金を納める条例によって、この機器は貸与されている。大漁でも不漁でも金額は変わらない。
「了解」
 装置を覗き込むとモーターが低く唸り、網を引き上げるウィンチが回り始めた。交換したばかりのモーターが心地よい低音を奏でる。そこにキリキリと軸受けがなる音が混じった。
「さっきより寒い」
 運転室与圧気温が摂氏八度まで下がっていた。ベアリングの悲鳴は空調だ。
 私は仮眠を取るため、氷上車の暖房設定を弄った。与圧一体型空調の不具合は命にかかわる。だが今はお金がない。
「マリア様。修理費用が出るくらい大漁にして」
 私は恐れ多くも、神の母に現世利益を祈った。
 今は仕方がないので宇宙服のヒーターも入れる。宇宙服用のバッテリーは交換式だが、本来屋外作業に使うものなので数に余裕がない。
 私は後部座席に乗せた袋の中身を確認して、予備のバッテリーと宇宙服用酸素カートリッジの数を数えた。
「三個と四個。一個壊てるか。買い足そう」
 両者とも使用可能時間は一個一時間半ぐらいだ。 
「エルンスト、一時間ぐらい休息するから、何かあったら起こして」
「はい、一時間後にショスタコーヴィチ交響曲五番でよろしいでしょうか。時間内でも警告があればアラームを鳴らします」
「なんでもいいよ」
 人工知能に名前を与えたのは母親だ。このドイツ風の名前は私が生まれる前に飼っていた犬の名前に由来する。それ以上の来歴は知らない。ロシア州、かつてあった社会主義の国で作曲された交響曲が、目覚まし曲になっているも母の意向だ。
 私はシートを水平になるまでリクライニングした。後席と繋げると簡易ベッドになる。
 漁労井戸ウェルの深さは十キロメートルほどある。刺し網の往復だけで数時間かかる。
 温かくなってきた宇宙服の中で、私はまどろむ。刹那、木星のリングが輝いた。

 仮眠を取ってから一時間半後。
 宇宙服の低バッテリー警告で私は目を覚ました。優しいエルンストは、目覚ましに向いていない。
 ゆったりと弦楽器が重奏する第三楽章を聞きながら、新しいバッテリーを生命維持装置に差し込んだ。
 それと共に尿意も感じたので、私は排尿装置を宇宙服の股に押し当てた。限りなく尿道挿管に近い不快なものだ。
 箱サイズのトイレもあるのだが、宇宙服を脱ぐのは大変なので、こちらを使うことになる。
 身体から水分と熱が失われ、私は凍えた。急いで保温庫から暖めたボトルを取り出して飲む。
 しばらくすると漁労井戸ウェルのひずみ計が、上昇してくる魚影を捉えた。時間的に最初の水揚げだ。
 エウロパの魚は分厚い氷の下、地殻下の海に暮らしている。極寒のエウロパだが、圧力と木星の潮汐摩擦によって液体の水が存在する。
 さらに半時間すると、ようやく刺し網が地上に揚がってきた。
 氷上車の荷台に、魚が一匹転がり込む。かなり大きい〈エウロパマグロ〉で、車体が大きく揺れた。エウロパは低重力だが、魚の慣性質量が変わる訳ではない。今の〈マグロ〉は五百キログラムはあるだろう。
「いい〈マグロ〉だ。高い値段がつく」
 我が家の厳しい経済状況を勘案して、鼻息が荒くなった。
 エウロパ漁師の大口顧客は、外惑星方面軍だ。かび臭い合成肉に比べて、味のよい〈マグロ〉は将兵に好評で、高値で売れる。
 三体目の〈マグロ〉が揚がったあと、漁労井戸ウェルのカメラに写った何かを、私は見逃さなかった。
「〈カニ〉?」
 確かに、歩脚らしきものが見えた。私はウィンチの電源を素早く切る。
 〈カニ〉は、氷火山に生息する外骨格生物で、薄い大気や低温をものともしない。
 氷火山の亀裂を上下移動しては、上昇流に吸い上げられた魚を捕食して生きている。
 放置すれば、大事な〈マグロ〉をつまみ食いされてしまう。
「面倒だな。エルンスト、車外活動開始」
 私はヘルメットのバイザーを下ろすと、運転室の与圧を抜いた。
 氷上車は巨大だが、エアロックまでは装備していない。皮膚に貼り付いていたオレンジ色の宇宙服が、気圧差で膨れる。
 空調の動作音が消え、シートごしに感じる排気ポンプの振動だけが聞こえる。
 外気圧と同等になると、ショットガンを手に操縦席脇の扉を開ける。宇宙服のバイザーごしに見るエウロパは霧がかっていた。氷火山が振り撒く氷晶が光に反射して、虹を作る。
「五百四十秒以内に、済ませてください」
 宇宙服のコンソールごしに、エルンストが節介を焼く。
「今年は大丈夫」
 私は言い返したが、エルンストは対抗して今年の積算被曝線量を表示した。実の所、余裕がある訳ではない。
 エウロパは木星の放射線帯の中にあり、猛烈な電離放射線が満ちている。屋外作業はあくまで例外的な行為だ。イオで採掘されるタングステンが、氷上車を放射線から保護するが、宇宙服は限定的な遮蔽能力しかない。 
 扉を滑り降りると、氷上に降り立った。真っ白な雪に足跡がつく。希薄な大気と降雪のせいで、宇宙服を着ていてもエウロパは寒い。
 東のはるか向こう、天上に延びる軌道エレベーターが白く光る。木星圏の軌道エレベーターはエウロパとイオにしかない。エウロパはそれだけ太陽系統合議会に優遇されている。
 扉から、カプラーまで二十メートルほどを歩いた。重力が弱いので、身体が跳ねてしまわないよう、すり足で歩く。
 高さ一メートル半はあるタイヤを八個通り過ぎて、荷台後部に辿り着いた。
「エルンスト、分離機のカバー解放」
 車載人工知能が、荷台に取り付けられた漁労装置の扉を跳ね上げた。漁労井戸ウェルからウィンチで引き出された刺し網が、ここで揚がった魚と分離されて荷台に格納される。
 分離機から有線リモコンを取り外すと、低速で水揚げを再開する。網に包まれた〈マグロ〉が漁労井戸ウェルから顔を出すと、網から剥がされ、氷上車の荷台に格納されていく。
 〈マグロ〉は回遊に適した紡錘形の身体を持っているが、発光器官や巨大な目など深海魚の特徴も持っている。実際、地球のマグロとはまったく別の生き物だ。
 地球のマグロを目にしたことはないが、海王星のコバルトコロニーが試験生産したツナ缶を買ったことがある。クロマグロと〈マグロ〉の違いは分からなかった。
 さらに三匹の〈マグロ〉を水揚げしたあと、それは漁労井戸ウェルから飛び出してきた。
 ウィンチを止めて、網に絡まったままの〈カニ〉にショットガンで狙いをつける。人間も襲う危険な生き物なので、躊躇はしない。
 私は安全装置を解除して、引き金に指を添えた。
「蟹汁にしよう」
 射撃する直前、それが人型をしていることに気がついた。
「土左衛門? まさか」
 漁労井戸ウェルから人が揚がるなんて聞いたことがない。エウロパの地殻下はすべて海だが、厚い氷の下で溺死するのはとても難しい。
「ツイてない」
 深くため息をつくと、宇宙服のバイザーが白く曇った。
 これは警察がかかわるべき事件だ。
 ショットガンの安全装置をかけ直すと、観察するため溺死体に近付いた。動いた気がしたが、気のせいだろう。
 よく見ると折れた左腕から見えているのは、カルシウムの骨ではなく、漆黒の発泡ナノカーボンだ。
「人じゃない、アンドロイドだ」
 安堵して、力んだ肩を下ろす。
「落とし物でも、警察か」
 私はウィンチを再び稼働させると、ぼやきながら運転室に戻った。アンドロイドは網から引き剥がされると、氷上車の荷台に吸い込まれていった。
「屋外作業時間四百二十三秒、被曝線量概算〇.四ミリシーベルト」
 氷上車の運転室に戻ると、エルンストが私の無駄足を嘲笑する。
 外惑星厚生局は年間積算被曝線量二十ミリシーベルトで規制を行っており、それを越えると屋外作業に規制がかかる。漁師にとっては死活問題だ。
 ロボットアームを導入している漁師もいるが、独り身の私には新規投資を行うだけの与信枠がない。
「寒い。エルンスト、与圧早く」
 私は扉を閉鎖すると、人工知能に無理強いする。
「あと三分ほどお待ちください」
「凍え死ぬ」
「販売代理店に改造を申し込まれますか」
 この営業機能がエルンストのウザい所だ。
「文句言っただけだよ」
 刺し網を全部引き揚げ終わると、新しいものを漁労井戸ウェルに投入した。
 交換し終わると、カプラーの保温装置から相転移バッテリーを取り出して入れ替えた。
 久しぶりの大漁だけれども、どこか晴れない気持ちを抱えて、私は家があるラ・ポール・デ・メヌエに帰った。
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