紅の惑星、白妙の衛星

しーしい

文字の大きさ
2 / 10

第二話 競り

しおりを挟む
 木星から見てエウロパの表側、軌道エレベーターから少し西側にあるラ・ポール・デ・メヌエはエウロパの地殻を構成する氷の中に作られている。
 鉛とタングステンとナノカーボン強化ピーク樹脂ポリエーテルエーテルケトンの積層シートで編まれたモナカ状の構造は、効果的に放射線を遮断する。
 モナカは氷と同密度に作られており、不同沈下を起こさない。もっとも積雪により徐々に氷の中に沈んでいる。
 ここは周辺の漁労井戸ウェルから水揚げされた〈魚〉をさばく市場だ。 
 市場の片隅、アルコール臭いカフェで、私は二人の男性に署名を迫られていた。競り場を見下ろせる景観と、壁に貼られた木片がかろうじて瀟洒しょうしゃらしさを主張していたが、いかんせん客は漁師だ。
 荒くれ者はコーヒーなどという高価な嗜好品は好まず、仕事が終わればビールを飲む。その成れの果てがこのカフェだ。
 先年成人したばかりなので、飲酒可能だが、今日は用事があるのでコーヒーを頼んだ。
「レア、大漁だったな。ほい、受諾のサインを」
 ラ・ポール・デ・メヌエ漁協のパウエル主任が、競売契約への署名を求める。競りの目玉は私の〈マグロ〉だ。びっくりするぐらい高い最低落札価格がついている。それを祝うために、わざわざ主任がコーヒーを奢ってくれたというわけだ。
 そこまでは良かった。
 主任の顔に奥さんがつけたらしい左頬の殴打跡がそれを台無しにしている。強面の髭面に遠慮ない拳跡が刻まれており、私は思わず口が緩んだ。
 もう一人は、エウロパ警察のコーチン巡査だ。氷下から引き揚げた人型遺失物に関して、エウロパ市からラ・ポール・デ・メヌエまで出張してきた。
「いただいた写真から製造番号を調べたのですが、遺失や盗難の届け出が出ていません。レアさんの拾得物として扱われます」
 巡査は自費で頼んだコーヒーをすすると、拾得確認書への署名を求めた。
 彼は顔の長い優男的な風貌だが、警官だけあって胸板は厚い。歳はまだ若いが、それでも私の一回り上だ。
「コーチンさん。何あれ? 確かにアンドロイドだけど」
 私はパウエル主任のスレート携帯端末に署名しながら、不審なしろものについて巡査に聞いた。
 氷上車から回収した部位は、発泡ナノカーボン製の四肢と頭部だけだ。左腕は肘の少し上で破損しており、胸部は脊柱を残して鎖骨・肩甲骨・腰部で切り離され見つからなかった。
 エウロパの海から見つかったとは思えないほど無傷で、他には目立つ破損は見られなかった。
 アンドロイドは皆そうであるが、人受けのいい美人に造形され、髪も睫も神秘的なほど長かった。
「聞かれれば、話しますが……」 
 巡査は目を逸らして、詳細な説明を渋った。
「軍用?」
 怪しい部分は多々ある。胸部だけ取り外せるアンドロイドなんて聞いたことがない。
「軍用なら私が来ていません。富裕層向けカスタムアンドロイドです」
「カスタム?」
 青春を漁ですり潰した私には、即座に用途が思いつかなかった。
「そばに侍らせる奉仕用アンドロイドだろう。女性型か?」
 主任の発言が、巡査の配慮をぶち壊した。
「多分、でも胸が無いので分からない」
「あれがあって、あれがついてなきゃ、女性型だよ」
 主任は女性型アンドロイドの定義について荒ぶった。彼は今こそ殊勝にコーヒーを飲んでいるが、直前にビールをしこたま飲んでいる。
「おい、パウエル止めるんだ」
 コーチン巡査がパウエル主任の胸ぐらを掴んだ。
「両方ついているのも、あるらしいぞ」
 主任は酒気とともに、放言をかました。
 怒ったコーチン巡査は、彼の右頬に鉄拳を喰らわす。
 両頬に痣をつけたパウエル主任が同僚に引きずられていったあと、競りを見ながらコーチン巡査と話をした。
「意図的に漁労井戸ウェルに投入しないと、アンドロイドをエウロパの海に捨てる手段なんてない」
 私は拾得確認書に署名しながら、懸念する。
「確かに猟奇的なものを感じますね。実は登録されていた持ち主は相続人含めて全員死亡か行方不明になっています」
「全滅?」
 この落とし物は、ただでさえ寒いエウロパに怪談を持ち込もうというのだろうか。
「ええ、そうです。知っていますよね、火星の軌道エレベーターが倒壊した事件。それに巻き込まれました」
 この四年半ほど、火星で戦争が続いている。火星の一部都市が独立を求めてオリンポス同盟軍を結成、太陽系統合軍と対峙している。
 火星と木星の間は通信回線が細く、軍の公式配信しか見ていないが、火星は凄惨な状況だ。軌道エレベーターが崩壊して惑星規模の災害が発生している。
「公示期間終了後はどうするのですか? もし相続した所有者が現れなかった場合ですが」
 拾得物は九十日間、誰も名乗り出ないと自分のものになる。その取扱いについて、コーチン巡査は聞いている。
「売れるものなら廃品商に売るし、だめなら埋葬する」
 エウロパにもアンドロイドは居るが、多くが汎用型だ。高級アンドロイドに需要があるかは知らない。
「アンドロイドと分かっていても、埋葬する気持ちは分かります」
 巡査はコーヒーを空けると、カップを皿に置いた。私も冷めかけたカフェインを、喉に流し込む。
「だから、今日は気分が晴れない」
「そうですね。あっ、ほら来ましたよ、今日の大目玉」
 巡査が競り場の中心を指差した。ひときわ大きい〈マグロ〉が凍結したまま、パレットの上に並べられた。
 私はスレート携帯端末で、誰の〈マグロ〉か確認した。私のものだ。
「五年ぶりの超大型〈マグロ〉が水揚げされました、レア・ルコントに拍手を!」
 競り人の紹介に戸惑いつつ、私はカフェの窓越しに右手を挙げて応えた。
 競りが始まり、最低落札価格は千クレジットが提示される。値は急騰し、私は恐れを感じた。
「三千、四千五百、五千……、はい五千三百、五千三百」
「漁師って儲かりますよね」
 宮仕えのコーチン巡査が、大きな溜息をついた。
「それ以上に膨大な借金があるから」
 漁労井戸ウェルも氷上車もみな、借金の産物だ。
「私には想像できないことです。それでは何か分かったらまた連絡します」
 巡査は立ち上がると、愛想良く手を振りながら魚市場をあとにした。

 〈マグロ〉は氷上車のオーバーホール費用を軽く上回った。財布は潤ったが、気分は凍り付いたまま私は帰宅した。
 自宅はラ・ポール・デ・メヌエから氷上車で三十分ほど西にいった、ガレージつき漁師住宅だ。
 氷の中に設置され、圧力に耐えるため円筒状になっている。放射線への遮蔽は全周に施されているが、維持費を最小にするために与圧は一部だ。
 ガレージのドアをリモートで開けると、エルンストに車庫入れを任せた。
 車庫の閉鎖が確認されると、運転室の与圧を解放して扉からガレージの床に降り立った。仕事はあと一息だ。
 タイヤを一個ずつ視認点検しつつ、氷上車のまわりを歩く。まだ一年ほどは、持ちそうだ。
 そのあと、荷台のメンテナンスハッチを開けて、売れ残りの魚をスコップで掃き集めた。氷上車の荷台は閉鎖式なので照明をつけても圧迫感がある。
 一番奥をすくったときに、違和感があった。
 ――柔らかい? いや、この低温で魚が凍結しないはずがない。
「うわぁー」
 私はハッチまで逃げ出し、降りる寸前でかろうじて踏みとどまった。
「そうか、あのアンドロイドの胸部だ」
 私は荷台の内部に戻って子細に観察する。ちょうど鎖骨の下から、肋骨の下端までの胸部が切り離されていた。
「細かい所まで出来てるな。どこが柔らかいんだ」
 乳房の大きさはCカップ程度だろうか? 控えめだが先は上向きに尖り、その理想的な形状はかえって不自然なほどだ。
「網の圧力で胸部を切り離したんだ」
 私は両手でアンドロイドの胸部ユニットを抱きかかえる。低重力のエウロパだから平気だが、思った以上に重い。
 手袋で撫でると、皮膚はザラザラしている。産毛代わりにナノ構造が成型してあるようだ。網や漁労井戸ウェルの壁面に感触が似ている。そのためか〈カキ〉などの付着生物は見当たらないのだろう。
「困ったな」
 私は深く溜息をつき、吐息がヘルメットのバイザーを盛大に曇らせた。
 アンドロイドの残りを持ち帰ったコーチン巡査は、既にエウロパ市の警察署に戻ったはずだ。
 疲れていた私は明日改めて連絡することにして、胸部ユニットと夕食にする小振りの〈タラ〉を自宅のエアロックに持ち込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち

半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。 最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。 本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。 第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。 どうぞ、お楽しみください。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...