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6話 悪夢の予兆
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巡回から戻ると、箱長がこちらを見て問いかけた。
「もうここでの仕事は慣れたかい?」
警察学校を卒業して地域警察官となって半年——。
最初は不規則な生活リズム、広い管内の地理、覚えるべき業務の多さに圧倒され、独身寮に帰宅すれば泥のように眠る日々だった。
それでも最近は、目の回る忙しさの中にも確かにやりがいを感じている。
「はい。まぁ、まだまだ大変なことだらけですけど……」
中学時代の“あの日”から、自分の人生は大きく変わった。
望んでもいないのに荒れた姿を演じ、逃げるように振る舞った時期もあった。……あの後も、色々とあった。
それでも、あんな屈辱をもう二度と繰り返さないために、なりたくもない不良のフリも辞め、必死に勉強し、体を鍛えた。
高校に行く頃には、母親の地元の九州で過ごし、警察官を目指した。
警察学校は厳しかったが、あの時味わったどうしようもない絶望と屈辱に比べれば、どうってことはなかった。
配属先の交番で出会った山田班長は、少なくとも中学時代にまともに取り合わなかったあの“無能たち”とは違った。
真っ直ぐな眼差しで、市民にも後輩にも誠実に向き合う人だったことは、自分にとってわずかな救いだった。
「……こんな人もいるんだな」
「ん?」
「いえ、それじゃあ僕たち休憩に入りますね」
隣で無言を貫くバディである高橋先輩も、箱長に軽く会釈して休憩に入る。
「この街は、今日も平和ですねぇ。ねぇ、先輩」
「……はぁ」
二つ年上の高橋先輩は、言葉に不器用だ。
はじめの頃は、質問をしてもほとんど返事がない時期が続き、正直どう接すれば良いのか困っていた。
しかし次第に彼の様子を観察すると、言葉は無くとも自分の質問に対する答えを行動で示してくれていることに気づいた。
ああ、この人は話すのが苦手なだけなんだ。
そう割り切ると、短い相づちも以前よりは柔らかくなっているように感じられた。
「ん」
「あ、ありがとうございます」
先輩はいつも休憩にコーヒーを淹れる。
最初に僕の分まで淹れてきた時は、先輩にそんな手を焼かせてはいけないと断ったのだが、「ついでだから」と差し出してきたので、今ではすっかりお言葉に甘えてしまっている。
砂糖とミルクたっぷりのコーヒーが、唯一心休まる時間だった。
会話も少ないまま時間が流れていくと、自然とテレビのニュースに視線が流れた。
連続娼婦殺人事件——。
海外経由の違法薬物で昏睡させた風俗嬢を襲い、そのまま焼死体や溺死体にして殺害に及ぶという、今世間を脅かしている卑劣極まりない事件だ。
「最初は都内だったけど……最近はどんどん下ってますよね」
現在分かっている情報では、複数人、少なくとも十人前後はいる規模で、関東から中部、関西へと似たような手口での犯行が相次いでいた。
先輩はカップラーメンをすすりながらニュース番組に釘付けになっている。
いつ司令が飛んでくるかも分からない状況で、彼はいつもカップ麺ばかりを食べていた。
「このままいったら、僕たちのいる九州まで来そうですね」
「……あぁ」
最近は治安もそこそこに良く、夜中の呼び出しは減り、この街は穏やかだった。
だが、この静けさが逆に不気味で、気を引き締めて過ごしていた。
僕はいつでも対応できるように、いまだにおにぎりやサンドイッチばかりを食べている。
「犯人、早く捕まるといいですね」
「うむ……」
この事件は大胆な犯行にもかかわらず、異常なほどの用意周到さで、痕跡が少なく、足取りが掴めていない。
そのことで上層部はかなり手を揉んでいるようで、マスコミや世間の批判に追われているという。
「この後はまた近隣のパトロールでいいですよね?」
「その事なんだが……戸祭、この後すぐ署に戻ってもらってもいいか」
昼食を終えたタイミングで、箱長が声をそう呼びかけた。
いつもより真剣な表情に、胸の奥がざわつく。
「本部に、ですか?」
「あぁ。なるべく急ぎでな」
事前連絡もなくいきなり呼ばれるなんて、心当たりがないにしても、何か嫌な予感が頭がよぎる。
そこの知れない不安を抱えつつ、僕は本部へと向かった。
署に着くと、中は慌ただしく、人が駆け回っていた。
怪訝に思いながら、通りすがった同期を呼び止める。
「一体何があったの?」
「おぉっ、戸祭!いいところに!特別捜査部が設置されるんだよ。予想してると思うが、今世間を賑わしているあの事件のな」
「えっ……!なんでここに……!?」
「犯行グループの一人が司法取引を持ちかけてきたらしい。次の犯行場所をリークしたんだと」
「……!」
「信憑性は微妙だが、藁にもすがるってやつだな」
「場所は、やっぱり……」
「そう。福岡の“歌舞伎町”だ。しかも、わざわざ警視庁から臨時で凄腕の警部が二人も来てるんだとか。28歳で警部とか、やっぱキャリア組はちげぇな」
「そんな若くて……!」
28歳で警部だなんて、僕とたったの五つしか違わないのに、一体どれだけ優秀で正義感がある人なんだろう。
能力も知識もきっと桁違いだ。胸が熱くなる。
「挨拶、してきてもいい?」
「あぁ。真っ直ぐ行って角を曲がれば今回の特捜部の部屋がある」
僕は弾む足取りで向かった。
その場所に——
人生を壊された張本人がいることなど、
浮き足だったこの時の僕は知る由もなかった。
「もうここでの仕事は慣れたかい?」
警察学校を卒業して地域警察官となって半年——。
最初は不規則な生活リズム、広い管内の地理、覚えるべき業務の多さに圧倒され、独身寮に帰宅すれば泥のように眠る日々だった。
それでも最近は、目の回る忙しさの中にも確かにやりがいを感じている。
「はい。まぁ、まだまだ大変なことだらけですけど……」
中学時代の“あの日”から、自分の人生は大きく変わった。
望んでもいないのに荒れた姿を演じ、逃げるように振る舞った時期もあった。……あの後も、色々とあった。
それでも、あんな屈辱をもう二度と繰り返さないために、なりたくもない不良のフリも辞め、必死に勉強し、体を鍛えた。
高校に行く頃には、母親の地元の九州で過ごし、警察官を目指した。
警察学校は厳しかったが、あの時味わったどうしようもない絶望と屈辱に比べれば、どうってことはなかった。
配属先の交番で出会った山田班長は、少なくとも中学時代にまともに取り合わなかったあの“無能たち”とは違った。
真っ直ぐな眼差しで、市民にも後輩にも誠実に向き合う人だったことは、自分にとってわずかな救いだった。
「……こんな人もいるんだな」
「ん?」
「いえ、それじゃあ僕たち休憩に入りますね」
隣で無言を貫くバディである高橋先輩も、箱長に軽く会釈して休憩に入る。
「この街は、今日も平和ですねぇ。ねぇ、先輩」
「……はぁ」
二つ年上の高橋先輩は、言葉に不器用だ。
はじめの頃は、質問をしてもほとんど返事がない時期が続き、正直どう接すれば良いのか困っていた。
しかし次第に彼の様子を観察すると、言葉は無くとも自分の質問に対する答えを行動で示してくれていることに気づいた。
ああ、この人は話すのが苦手なだけなんだ。
そう割り切ると、短い相づちも以前よりは柔らかくなっているように感じられた。
「ん」
「あ、ありがとうございます」
先輩はいつも休憩にコーヒーを淹れる。
最初に僕の分まで淹れてきた時は、先輩にそんな手を焼かせてはいけないと断ったのだが、「ついでだから」と差し出してきたので、今ではすっかりお言葉に甘えてしまっている。
砂糖とミルクたっぷりのコーヒーが、唯一心休まる時間だった。
会話も少ないまま時間が流れていくと、自然とテレビのニュースに視線が流れた。
連続娼婦殺人事件——。
海外経由の違法薬物で昏睡させた風俗嬢を襲い、そのまま焼死体や溺死体にして殺害に及ぶという、今世間を脅かしている卑劣極まりない事件だ。
「最初は都内だったけど……最近はどんどん下ってますよね」
現在分かっている情報では、複数人、少なくとも十人前後はいる規模で、関東から中部、関西へと似たような手口での犯行が相次いでいた。
先輩はカップラーメンをすすりながらニュース番組に釘付けになっている。
いつ司令が飛んでくるかも分からない状況で、彼はいつもカップ麺ばかりを食べていた。
「このままいったら、僕たちのいる九州まで来そうですね」
「……あぁ」
最近は治安もそこそこに良く、夜中の呼び出しは減り、この街は穏やかだった。
だが、この静けさが逆に不気味で、気を引き締めて過ごしていた。
僕はいつでも対応できるように、いまだにおにぎりやサンドイッチばかりを食べている。
「犯人、早く捕まるといいですね」
「うむ……」
この事件は大胆な犯行にもかかわらず、異常なほどの用意周到さで、痕跡が少なく、足取りが掴めていない。
そのことで上層部はかなり手を揉んでいるようで、マスコミや世間の批判に追われているという。
「この後はまた近隣のパトロールでいいですよね?」
「その事なんだが……戸祭、この後すぐ署に戻ってもらってもいいか」
昼食を終えたタイミングで、箱長が声をそう呼びかけた。
いつもより真剣な表情に、胸の奥がざわつく。
「本部に、ですか?」
「あぁ。なるべく急ぎでな」
事前連絡もなくいきなり呼ばれるなんて、心当たりがないにしても、何か嫌な予感が頭がよぎる。
そこの知れない不安を抱えつつ、僕は本部へと向かった。
署に着くと、中は慌ただしく、人が駆け回っていた。
怪訝に思いながら、通りすがった同期を呼び止める。
「一体何があったの?」
「おぉっ、戸祭!いいところに!特別捜査部が設置されるんだよ。予想してると思うが、今世間を賑わしているあの事件のな」
「えっ……!なんでここに……!?」
「犯行グループの一人が司法取引を持ちかけてきたらしい。次の犯行場所をリークしたんだと」
「……!」
「信憑性は微妙だが、藁にもすがるってやつだな」
「場所は、やっぱり……」
「そう。福岡の“歌舞伎町”だ。しかも、わざわざ警視庁から臨時で凄腕の警部が二人も来てるんだとか。28歳で警部とか、やっぱキャリア組はちげぇな」
「そんな若くて……!」
28歳で警部だなんて、僕とたったの五つしか違わないのに、一体どれだけ優秀で正義感がある人なんだろう。
能力も知識もきっと桁違いだ。胸が熱くなる。
「挨拶、してきてもいい?」
「あぁ。真っ直ぐ行って角を曲がれば今回の特捜部の部屋がある」
僕は弾む足取りで向かった。
その場所に——
人生を壊された張本人がいることなど、
浮き足だったこの時の僕は知る由もなかった。
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