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14話 不審な平穏
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どれだけ切に願っても、無慈悲に朝はやってくる。
鉛のように重たい身体を起こし、涙で熱く腫れあがった瞼を擦る。
「はぁ……」
ベッドの脇に置かれた時計に目を送ると、午前8時を指していた。
「学校、怠いな。行きたくない……」
カーテンの隙間から眩しいくらいの日差しが差し込み、二度目の入眠を拒む。
頭が段々と冴えてきた頃に、昨夜の嫌な記憶が浮き上がった。
「うぅっ……」
身体の至る所をいたぶられ、未だに残る形容し難い不快な感覚が蚯蚓のように這う。
「はぁ……もういいや……。学校行こう……」
ベッドから足を降ろし、部屋を出て誰もいないリビングに辿り着く。
机にはおにぎりとインスタントスープの袋が置かれ、その下にメモ紙があった。
“パートに行ってくるのでご飯食べてね。夜は遅くなります”
母は、オレが幼い頃に離婚して、女手一つで1日に何個もパートを掛け持ちして育ててくれた。
そんな親に対してなんて親不孝な息子だと思いつつも、表ではヤンキーのフリをし続けることが、オレにとって最善の判断だと勘違いしていた。
ラップに包まれたおにぎりを学ランのポケットに突っ込んで、オレは家を後にした。
「おー、ギリ間に合ってんじゃん」
前の席に座る田中がオレを見るなり話しかけてくる。
この男は先輩と仲が良く、昨日の配信を仕組んだ奴らも全員コイツの紹介で会った。
昨日のことがあったので身構えていたが、いつまでもその話題が出てこない。
「……あの、さ」
やめとけばいいのに。オレは気になって何か吹聴していないか遠回しに尋ねたが、田中は「さぁ?」と素知らぬ顔で、特に何も聞いていないと答えた。
オレは疑問に思いつつも、放課後までは油断できないと気を引き締め、この日の授業を何事もなくやり過ごした。
おかしい。
放課後が過ぎ下校時間になっても、昨日の先輩たちは誰も絡んでは来なかった。
移動教室で見かけても、こちらをチラッと一瞥しては、そそくさとどこかへ行ってしまう。
こんなにも平和な一日は久しぶりだった。
そして一番驚くべきことに、SNSや動画サイトで先輩が勝手に作ったオレのアカウントが、跡形もなく消えていた。
だがアカウント自体は出てこないものの、拡散された動画は残っており、特に再生回数の多いものは別の場所で投稿されてしまっていた。
「まぁ、いいか……。帰ろう」
それでもやはり、こんなにも喜ばしいことはない。
一度流れてしまったものはしょうがないと割り切り、自分を励ました。
これからはあんなやりたくもないことを無理強いされないと思うだけで、久々に訪れた安寧に胸を撫で下ろす。
——だけど、疑問は拭えない。いったいどうして、なぜ、急に。
「うーん。色々身構えてたからお腹減ってきたなぁ」
どこか寄り道でもしようかと考えていると、学校から数メートル歩いた所で、後ろから声がかかる。
「……マツリちゃん、だよね?」
オレは肩を強張らせた。
昨日の男の顔が蘇る。
額に冷や汗をかきながらゆっくりと振り返ると、そこには中年の太った男が立っていた。
「え……」
「やっぱり!学ラン姿もかわいいね……。昨日の生放送見てたんだけど、家が遠くて間に合わなかったよ……」
喋るたびに汚い息遣いと唾が飛び、オレは思い切り眉を顰める。
動画は消えても記憶は消せない。
それに、こんな奴らの頭の中やスマホには、オレの醜態がきっと残っている。
「ボク……めちゃくちゃ積んだんだよ……。投げ銭もいっぱいした……。知ってるよね?今日もたくさんお金あげるから、ボクにもご奉仕してくれない……?」
フガフガと声を荒げながら腕を伸ばしてくる中年男に、オレは咄嗟に後退して避けた。
しかしちょっとした段差につまずき、尻餅をついてしまう。
(しまった……!)
「だ、大丈夫……?抵抗するなら仕方ないね……ちょっとピリッとするけど、少し我慢してね……」
男は懐からスタンガンのような物を取り出す。
まずいと察したオレは、立ち上がるよりも先に這いつくばりながら逃げようとする。
その瞬間、背後から中年男の悲鳴が聞こえた。
「フギャッ」
同時に、ドスンと地鳴りが起こる。驚いて振り返るとそこには千紘と市井が立っていた。
昨日散々オレを苦しめた相手たち。だが今、彼らの表情には悪魔的な笑みが浮かんでいる。
「まだこんなキモブタがうろついていたのか。だいぶ片付けたと思ってたんだけどな」
「スマホはあった。中身も……やっぱり何枚も保存してるね。全部削除、っと」
オレは恐怖と怒りで身体が震え、力が抜けて立ち上がれなかった。
そんなオレを見て千紘はニヤリと笑い、こちらに近づいてくる。
「く、来るな!」
「なんだよ。あのオッサンと同じ反応すんなよ。助けてやったのに」
「マツリちゃん、昨日は一人で帰ったの?戻ったら居なくて心配したんだよ?」
二人は詫びる様子もなく、被害者のテリトリーに平然と足を踏み入れる。
立って逃げようにも、ろくに足が動かない。
「ん?立てないのか。ったく、手のかかる奴だな」
「腰抜かしちゃったんだ。カワイイね。もうこのオッサンは気絶してるから大丈夫だよ」
千紘が手を伸ばしてオレの腕を引く。
市井がヘラヘラと笑いながらオレの頭を撫でる。
「……るな……」
聞き取れなかったのか、二人は同時に何を言ったのかと聞き返してくる。
オレは声を絞り出し、大声で叫んだ。
「触んな!!」
腕を引かれたまま立ち上がったところで、二人を突き飛ばし、竦む身体を奮い立たせ踵を返して逃げた。
ひたすら走って、やっと手に入れた平穏な日常を守ろうと必死だった。
「ったくアイツ、人がせっかく……」
「まぁまぁ。それよりもこんな奴らがまだうろついてるかもしれないし、ちょっと周辺見とこうか。それに……」
市井は、走り去る小さな背中を見送りながら目を細めて呟く。
「もっと危険な目に遭えば、少しは俺たちのこと意識するでしょ。吊り橋効果だよね」
「お前、やっぱサイコだよな」
辰巳に言われたくないと市井は反論し、二人は後を追うことはなく、学校から公園までの道のりで怪しい不審人物がいないかをくまなく探し始めた。
鉛のように重たい身体を起こし、涙で熱く腫れあがった瞼を擦る。
「はぁ……」
ベッドの脇に置かれた時計に目を送ると、午前8時を指していた。
「学校、怠いな。行きたくない……」
カーテンの隙間から眩しいくらいの日差しが差し込み、二度目の入眠を拒む。
頭が段々と冴えてきた頃に、昨夜の嫌な記憶が浮き上がった。
「うぅっ……」
身体の至る所をいたぶられ、未だに残る形容し難い不快な感覚が蚯蚓のように這う。
「はぁ……もういいや……。学校行こう……」
ベッドから足を降ろし、部屋を出て誰もいないリビングに辿り着く。
机にはおにぎりとインスタントスープの袋が置かれ、その下にメモ紙があった。
“パートに行ってくるのでご飯食べてね。夜は遅くなります”
母は、オレが幼い頃に離婚して、女手一つで1日に何個もパートを掛け持ちして育ててくれた。
そんな親に対してなんて親不孝な息子だと思いつつも、表ではヤンキーのフリをし続けることが、オレにとって最善の判断だと勘違いしていた。
ラップに包まれたおにぎりを学ランのポケットに突っ込んで、オレは家を後にした。
「おー、ギリ間に合ってんじゃん」
前の席に座る田中がオレを見るなり話しかけてくる。
この男は先輩と仲が良く、昨日の配信を仕組んだ奴らも全員コイツの紹介で会った。
昨日のことがあったので身構えていたが、いつまでもその話題が出てこない。
「……あの、さ」
やめとけばいいのに。オレは気になって何か吹聴していないか遠回しに尋ねたが、田中は「さぁ?」と素知らぬ顔で、特に何も聞いていないと答えた。
オレは疑問に思いつつも、放課後までは油断できないと気を引き締め、この日の授業を何事もなくやり過ごした。
おかしい。
放課後が過ぎ下校時間になっても、昨日の先輩たちは誰も絡んでは来なかった。
移動教室で見かけても、こちらをチラッと一瞥しては、そそくさとどこかへ行ってしまう。
こんなにも平和な一日は久しぶりだった。
そして一番驚くべきことに、SNSや動画サイトで先輩が勝手に作ったオレのアカウントが、跡形もなく消えていた。
だがアカウント自体は出てこないものの、拡散された動画は残っており、特に再生回数の多いものは別の場所で投稿されてしまっていた。
「まぁ、いいか……。帰ろう」
それでもやはり、こんなにも喜ばしいことはない。
一度流れてしまったものはしょうがないと割り切り、自分を励ました。
これからはあんなやりたくもないことを無理強いされないと思うだけで、久々に訪れた安寧に胸を撫で下ろす。
——だけど、疑問は拭えない。いったいどうして、なぜ、急に。
「うーん。色々身構えてたからお腹減ってきたなぁ」
どこか寄り道でもしようかと考えていると、学校から数メートル歩いた所で、後ろから声がかかる。
「……マツリちゃん、だよね?」
オレは肩を強張らせた。
昨日の男の顔が蘇る。
額に冷や汗をかきながらゆっくりと振り返ると、そこには中年の太った男が立っていた。
「え……」
「やっぱり!学ラン姿もかわいいね……。昨日の生放送見てたんだけど、家が遠くて間に合わなかったよ……」
喋るたびに汚い息遣いと唾が飛び、オレは思い切り眉を顰める。
動画は消えても記憶は消せない。
それに、こんな奴らの頭の中やスマホには、オレの醜態がきっと残っている。
「ボク……めちゃくちゃ積んだんだよ……。投げ銭もいっぱいした……。知ってるよね?今日もたくさんお金あげるから、ボクにもご奉仕してくれない……?」
フガフガと声を荒げながら腕を伸ばしてくる中年男に、オレは咄嗟に後退して避けた。
しかしちょっとした段差につまずき、尻餅をついてしまう。
(しまった……!)
「だ、大丈夫……?抵抗するなら仕方ないね……ちょっとピリッとするけど、少し我慢してね……」
男は懐からスタンガンのような物を取り出す。
まずいと察したオレは、立ち上がるよりも先に這いつくばりながら逃げようとする。
その瞬間、背後から中年男の悲鳴が聞こえた。
「フギャッ」
同時に、ドスンと地鳴りが起こる。驚いて振り返るとそこには千紘と市井が立っていた。
昨日散々オレを苦しめた相手たち。だが今、彼らの表情には悪魔的な笑みが浮かんでいる。
「まだこんなキモブタがうろついていたのか。だいぶ片付けたと思ってたんだけどな」
「スマホはあった。中身も……やっぱり何枚も保存してるね。全部削除、っと」
オレは恐怖と怒りで身体が震え、力が抜けて立ち上がれなかった。
そんなオレを見て千紘はニヤリと笑い、こちらに近づいてくる。
「く、来るな!」
「なんだよ。あのオッサンと同じ反応すんなよ。助けてやったのに」
「マツリちゃん、昨日は一人で帰ったの?戻ったら居なくて心配したんだよ?」
二人は詫びる様子もなく、被害者のテリトリーに平然と足を踏み入れる。
立って逃げようにも、ろくに足が動かない。
「ん?立てないのか。ったく、手のかかる奴だな」
「腰抜かしちゃったんだ。カワイイね。もうこのオッサンは気絶してるから大丈夫だよ」
千紘が手を伸ばしてオレの腕を引く。
市井がヘラヘラと笑いながらオレの頭を撫でる。
「……るな……」
聞き取れなかったのか、二人は同時に何を言ったのかと聞き返してくる。
オレは声を絞り出し、大声で叫んだ。
「触んな!!」
腕を引かれたまま立ち上がったところで、二人を突き飛ばし、竦む身体を奮い立たせ踵を返して逃げた。
ひたすら走って、やっと手に入れた平穏な日常を守ろうと必死だった。
「ったくアイツ、人がせっかく……」
「まぁまぁ。それよりもこんな奴らがまだうろついてるかもしれないし、ちょっと周辺見とこうか。それに……」
市井は、走り去る小さな背中を見送りながら目を細めて呟く。
「もっと危険な目に遭えば、少しは俺たちのこと意識するでしょ。吊り橋効果だよね」
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