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第2章 再会と始まり
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大広間に並ぶ強面の顔ぶれに薫は恐れ慄いた。
正しく、この人たち絶対人殺したことあるでしょ、という顔である。
ぎょろりと一人の男が流し目で薫の方を見ただけで、薫の背筋は凍る思いがした。
時を遡ること、一時間ほど前のこと。
あの部屋を出て皆の前にお披露目される前に
土方からここで暮らすにあたっての注意事項とでもいうべきお達しがあった。
「ここは有象無象の男達の集まりだ。」
つまり、土方の言いたいことはこういうことらしい。
奉公人のような仕事をすると言っても女一人で住まわせる訳にはいかないから、
男性として皆と一緒に暮らすこと。
大部屋という訳にもいかないから土方の部屋についている小さな物置部屋に寝泊まりすること。
「それから、もう俺はあんたの知っている土方歳三ではない。俺のことは副長と呼ぶように。」
視線だけで人を殺せるんではないかと思うような鋭い眼差しが薫に向けられた。
身のすくむような思いをしながら、小さな声で薫は返事をした。
そして、今に至るというのである。
「彼が、本日より副長小姓兼ねて賄い方として働いてもらう東雲薫だ。」
「し、東雲薫と申します!よろしくお願いします!」
四方から針のような視線が注がれる。
三つ指ついて頭を下げたままだから男達の表情を窺い知ることはできないが、
大半の男達は私の存在を怪しんでいるに違いない。
「東雲、下がって良い。」
薫は結局頭を上げることもないまま、ゆっくりと立ち上がり大広間を後にした。
早速洗濯に取り掛かることにした。
これまでは自分たちで洗濯や掃除を分担していたらしい。
薫が洗濯するから洗濯物は井戸の近くに集めておくようにという土方の指示により
井戸の周囲には山脈と言っても過言ではないほどの大量の洗濯物が積まれていた。
明らかに1ヶ月以上洗われていない胴着や更には褌まで甚だしい悪臭を放って、そこに鎮座している。
これは薫にとっって未知の体験であった。
まじか。これを手袋もつけずに素手で洗えと。
つけ置きする洗剤もなければ匂いを消す柔軟剤もない。
文句を言っても始まらない、ととりあえず側にあった胴着から手をつけることにした。
人差し指と親指で汗臭い胴着を摘むと、桶の中に浸す。
洗濯機の発明は女性の社会進出に大きく貢献したと社会の教科書か何かで読んだ気がするけれど、
本当にその通りだと思う。
街の郷土資料館に展示されていた洗濯板もこの時代にはまだ存在しない。
汗臭い洗濯物の山も、お日様が高く昇る頃には半分ほどにまで減っていた。
しかし、薫には休む暇もなく昼餉の支度である。
八木家の奉公人も手伝ってくれるけれど、基本的には薫が一人で支度を整えなければならない。
しかも、京と江戸の間では現代以上に文化の違いが大きい。
お勝手の方も土方家で教わった諸々とは違っているようだ。
悪戦苦闘しながら何十人の賄いを用意する。
一汁一菜。
何人かの平隊士に配膳を手伝ってもらい、ようやく薫に休憩時間がやってきた。
「あぁぁぁ、疲れた。」
誰もいなくなった台所で大の字になって横たわる。
昼ごはんを食べるよりも今は体を休めていたい。
「昼飯、食べないんですか?」
「うわぁ!」
顔の真上に現れたのは、天真爛漫な笑顔が眩しい沖田さんだった。
気を抜いていたのもあって、声をあげて驚いてしまった。
「そんなに驚かなくても・・・。」
「すみません、完全に気を抜いていたので。」
しゅん、と犬のように寂しそうな顔をするので慌てて言い訳を繕う。
「お食事、口に合いませんでしたか?」
「とっても美味しかったですよ。
皆京の薄味に飽き飽きしていましたから、久しぶりに故郷の味を食べたと土方さんも喜んでいましたよ。」
おいしいですか?と尋ねる度に薫の飯は一等美味い!と
笑顔で答えてくれる歳三さんの顔を思い出して笑ってしまった。
「土方さんのこと、好きなんですね。」
「とんでもないです!
ただ、いつも私の作るご飯を美味しいと食べてくれたのでそれを思い出したのです。」
「世の中には不思議なことがたくさんありますねぇ。」
「そうですね・・・。」
沖田と他愛もない話をしているうちに食べ終わった食器が台所に戻ってきた。
それは薫の休憩時間の終わりを意味する。
頑張ってくださいね、という労いの言葉を残して沖田は台所を後にした。
そして、私の元には大量の食器だけが残された。
「お、あんたが副長の初恋相手か?」
せっせと食器を片付けていると、爪楊枝を口に加え前見頃から腕を出している男が薫の顔を覗いてきた。
薫は想いも掛けない言葉を投げかけられ手に持っていた茶碗を落としてしまった。
「あぁ、茶碗落としちまったぞ。大丈夫か。」
「左之助さん、からかい過ぎじゃあありやせんかい。」
左之助と呼ばれた男の後ろから続々と他の男達3人も台所に降りてきた。
確か、あの大広間で怖い顔をしていた人達だ。
「あ、あの、副長がどうおっしゃったかわかりませんが、私と副長に男女の関係はありません!」
仕事の手を止めて3人の方に向き直り言った。
薫の気迫に押されたのか、お、おうと男は怯んだように答える。
「どうあれ、土方さんがあんたのことを買ってるのは確かみたいだぜ。」
「お前さんを拾った時に命の恩人だから助けてやりたいって近藤さんに、
あの土方さんが頭を下げたんだからな。」
知らなかった事実を次々と告げられ、薫は内心驚いた。
薫が土方を川で助けてから二十年以上も経っているというのに、恩義に感じてくれていたことに、である。
「そう言う訳で、俺たちはあんたのことを土方さんの初恋だと思うに至ったわけだ。」
「そ、そういうもんでしょうか。」
恋愛というものにこれまで縁のなかった薫には正直言って自分のことのようには考えられなかった。
「ま、俺たち以外あんたのことは男だって言われてるから、他の連中は土方の縁戚くらいにしか思ってねえよ。」
「そういやぁ、自己紹介がまだだったな。俺は副長助勤、原田左之助だ。よろしくな。」
「同じく永倉新八。」
「藤堂平助だ。」
「東雲薫です。よろしくお願いします。」
一礼すると、それじゃあと3人は風のように去っていった。
騒がしい人達だが、悪い人達ではなさそうだ。
薫は再び仕事に戻った。
正しく、この人たち絶対人殺したことあるでしょ、という顔である。
ぎょろりと一人の男が流し目で薫の方を見ただけで、薫の背筋は凍る思いがした。
時を遡ること、一時間ほど前のこと。
あの部屋を出て皆の前にお披露目される前に
土方からここで暮らすにあたっての注意事項とでもいうべきお達しがあった。
「ここは有象無象の男達の集まりだ。」
つまり、土方の言いたいことはこういうことらしい。
奉公人のような仕事をすると言っても女一人で住まわせる訳にはいかないから、
男性として皆と一緒に暮らすこと。
大部屋という訳にもいかないから土方の部屋についている小さな物置部屋に寝泊まりすること。
「それから、もう俺はあんたの知っている土方歳三ではない。俺のことは副長と呼ぶように。」
視線だけで人を殺せるんではないかと思うような鋭い眼差しが薫に向けられた。
身のすくむような思いをしながら、小さな声で薫は返事をした。
そして、今に至るというのである。
「彼が、本日より副長小姓兼ねて賄い方として働いてもらう東雲薫だ。」
「し、東雲薫と申します!よろしくお願いします!」
四方から針のような視線が注がれる。
三つ指ついて頭を下げたままだから男達の表情を窺い知ることはできないが、
大半の男達は私の存在を怪しんでいるに違いない。
「東雲、下がって良い。」
薫は結局頭を上げることもないまま、ゆっくりと立ち上がり大広間を後にした。
早速洗濯に取り掛かることにした。
これまでは自分たちで洗濯や掃除を分担していたらしい。
薫が洗濯するから洗濯物は井戸の近くに集めておくようにという土方の指示により
井戸の周囲には山脈と言っても過言ではないほどの大量の洗濯物が積まれていた。
明らかに1ヶ月以上洗われていない胴着や更には褌まで甚だしい悪臭を放って、そこに鎮座している。
これは薫にとっって未知の体験であった。
まじか。これを手袋もつけずに素手で洗えと。
つけ置きする洗剤もなければ匂いを消す柔軟剤もない。
文句を言っても始まらない、ととりあえず側にあった胴着から手をつけることにした。
人差し指と親指で汗臭い胴着を摘むと、桶の中に浸す。
洗濯機の発明は女性の社会進出に大きく貢献したと社会の教科書か何かで読んだ気がするけれど、
本当にその通りだと思う。
街の郷土資料館に展示されていた洗濯板もこの時代にはまだ存在しない。
汗臭い洗濯物の山も、お日様が高く昇る頃には半分ほどにまで減っていた。
しかし、薫には休む暇もなく昼餉の支度である。
八木家の奉公人も手伝ってくれるけれど、基本的には薫が一人で支度を整えなければならない。
しかも、京と江戸の間では現代以上に文化の違いが大きい。
お勝手の方も土方家で教わった諸々とは違っているようだ。
悪戦苦闘しながら何十人の賄いを用意する。
一汁一菜。
何人かの平隊士に配膳を手伝ってもらい、ようやく薫に休憩時間がやってきた。
「あぁぁぁ、疲れた。」
誰もいなくなった台所で大の字になって横たわる。
昼ごはんを食べるよりも今は体を休めていたい。
「昼飯、食べないんですか?」
「うわぁ!」
顔の真上に現れたのは、天真爛漫な笑顔が眩しい沖田さんだった。
気を抜いていたのもあって、声をあげて驚いてしまった。
「そんなに驚かなくても・・・。」
「すみません、完全に気を抜いていたので。」
しゅん、と犬のように寂しそうな顔をするので慌てて言い訳を繕う。
「お食事、口に合いませんでしたか?」
「とっても美味しかったですよ。
皆京の薄味に飽き飽きしていましたから、久しぶりに故郷の味を食べたと土方さんも喜んでいましたよ。」
おいしいですか?と尋ねる度に薫の飯は一等美味い!と
笑顔で答えてくれる歳三さんの顔を思い出して笑ってしまった。
「土方さんのこと、好きなんですね。」
「とんでもないです!
ただ、いつも私の作るご飯を美味しいと食べてくれたのでそれを思い出したのです。」
「世の中には不思議なことがたくさんありますねぇ。」
「そうですね・・・。」
沖田と他愛もない話をしているうちに食べ終わった食器が台所に戻ってきた。
それは薫の休憩時間の終わりを意味する。
頑張ってくださいね、という労いの言葉を残して沖田は台所を後にした。
そして、私の元には大量の食器だけが残された。
「お、あんたが副長の初恋相手か?」
せっせと食器を片付けていると、爪楊枝を口に加え前見頃から腕を出している男が薫の顔を覗いてきた。
薫は想いも掛けない言葉を投げかけられ手に持っていた茶碗を落としてしまった。
「あぁ、茶碗落としちまったぞ。大丈夫か。」
「左之助さん、からかい過ぎじゃあありやせんかい。」
左之助と呼ばれた男の後ろから続々と他の男達3人も台所に降りてきた。
確か、あの大広間で怖い顔をしていた人達だ。
「あ、あの、副長がどうおっしゃったかわかりませんが、私と副長に男女の関係はありません!」
仕事の手を止めて3人の方に向き直り言った。
薫の気迫に押されたのか、お、おうと男は怯んだように答える。
「どうあれ、土方さんがあんたのことを買ってるのは確かみたいだぜ。」
「お前さんを拾った時に命の恩人だから助けてやりたいって近藤さんに、
あの土方さんが頭を下げたんだからな。」
知らなかった事実を次々と告げられ、薫は内心驚いた。
薫が土方を川で助けてから二十年以上も経っているというのに、恩義に感じてくれていたことに、である。
「そう言う訳で、俺たちはあんたのことを土方さんの初恋だと思うに至ったわけだ。」
「そ、そういうもんでしょうか。」
恋愛というものにこれまで縁のなかった薫には正直言って自分のことのようには考えられなかった。
「ま、俺たち以外あんたのことは男だって言われてるから、他の連中は土方の縁戚くらいにしか思ってねえよ。」
「そういやぁ、自己紹介がまだだったな。俺は副長助勤、原田左之助だ。よろしくな。」
「同じく永倉新八。」
「藤堂平助だ。」
「東雲薫です。よろしくお願いします。」
一礼すると、それじゃあと3人は風のように去っていった。
騒がしい人達だが、悪い人達ではなさそうだ。
薫は再び仕事に戻った。
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