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第4章 菖蒲と紫陽花
5
薫が島原にやって来て早一週間が経った。
芸事はまだまだ未熟ではあるものの、花君太夫の許可が下りようやくお座敷に上がることができた。
花君太夫は様々な席に呼ばれる。
目まぐるしく変わるお座敷に頭の中がぐちゃぐちゃになった。
先ほどまでは景気の話に花を咲かせていたかと思えば、
今度の席は上様のご上洛について、最後の席は天狗党の乱に関する話。
何が新選組のためになるのかわからないから、今日一日見聞きしたことを思い出せつだけ全て綴っていく。
最初は山南から教わった崩し文字で書こうかとも思ったが最初の一文字で止めた。
楷書に書き言葉で一字一字書いていく。
そして、次の日の朝薬売りの格好をした山崎に手紙を渡す。
「山崎はん、お馴染さんへの手紙頼まれてくれますやろか。」
「へいへい、確かに預かりましたで。しかし、見ない間に別嬪さんになりましたな。」
「お、おおきに。」
「ほな、また明日来ますさかい。」
山崎に手紙を渡すと、三味線、歌、鼓、舞いの稽古が始まる。
皆小さい頃から教わる芸事も薫は日が浅いから小さい禿達に紛れて一から教わった。
皆が休む時間も薫は自主練に励む。
その甲斐あってか、人並みに踊れると花君太夫に認められるまでに至った。
最初はぐちゃぐちゃになってたお客さんたちも違いが分かるようになってきたし、
何より政治事情に詳しくなっていた。
時は元治元年五月。
雄藩連合と称して薩摩、土佐、宇和島、福井の藩主が集って政治を行おうという動きがあったが、
それぞれ主張が対立し失敗に終わった。
そういった政治体制の混迷が相次ぐ中、各地で運動が活発化していた。
それの顕著な例が水戸の挙兵である。
どうやら、これを尊王攘夷派が影で支援をしているらしい。
島原では藩の垣根を超え、
諸藩の意見を同じにする人達が集まり酒を交わしながら政治を論じる宴席が俄かに増えていた。
そして、今薫は花君太夫らと尊王攘夷派の集まる宴に身を投じている
上座にいるのは長州藩京留守居役、桂小五郎。
歴史に疎い薫でもその人の名を知っている。
維新三傑と呼ばれる男の一人だ。
現代に残されている写真の通り、涼しい顔をした「いい男」。
薫の隣に座るのは松村小介と名乗る、対馬藩士であったが、
訛りからして長州の人であることはおおよそ見当がつく。
「花里、見ない顔じゃ。」
「よろしゅうお頼もうします。」
恭しく頭を下げて、杯に酒を注ぐ。
「絵は好きか。」
「絵、どすか。下手の横好きどすな。」
「ほれ、描いてみろ。」
松村から筆と紙を渡された。
絵を描くのは嫌いじゃないけど、筆で絵を描いた試しがない。
何を描くか悩んで、会社員時代に友達といった富士山を描くことにした。
「富士か。」
「そうどす。」
「東の生まれか。」
「うちらに生まれを聞くんは野暮どすな。」
花君太夫から教わった色気を含んだ笑みを浮かべると、彼は笑った。
「これは一本取られたな。」
「けど、見たことはありますえ。」
「わしは見たことがない。」
「もう一遍見に行きとおすなぁ。」
「いつか連れていってくれるか。」
思わぬ松村の言葉に彼の方を見やる。
そして、花君太夫の言葉が思い出された。
“ここは殿方に夢を見せる場所どす。”
「いろんな所を回りながら、楽しおすな。」
学はないけど、東海道五十三次の浮世絵だけは大好きで友達との旅行に行くときはよく参考にしていた。
「わしは京より東には行ったことがないけえ。」
彼はそう言って杯の酒を飲み干すと、薫に杯を突き出した。
松村の目が熱を持っているように見えたのは酒のせいだろうか。
「約束だ。わしを富士に連れていけ。」
希望だ。
彼の目には希望が溢れている。
同じ毎日を繰り返しているだけの自分が忘れてしまっていたものを松村は持っている。
薫は心の底から笑顔で約束どす、と答えた。
芸事はまだまだ未熟ではあるものの、花君太夫の許可が下りようやくお座敷に上がることができた。
花君太夫は様々な席に呼ばれる。
目まぐるしく変わるお座敷に頭の中がぐちゃぐちゃになった。
先ほどまでは景気の話に花を咲かせていたかと思えば、
今度の席は上様のご上洛について、最後の席は天狗党の乱に関する話。
何が新選組のためになるのかわからないから、今日一日見聞きしたことを思い出せつだけ全て綴っていく。
最初は山南から教わった崩し文字で書こうかとも思ったが最初の一文字で止めた。
楷書に書き言葉で一字一字書いていく。
そして、次の日の朝薬売りの格好をした山崎に手紙を渡す。
「山崎はん、お馴染さんへの手紙頼まれてくれますやろか。」
「へいへい、確かに預かりましたで。しかし、見ない間に別嬪さんになりましたな。」
「お、おおきに。」
「ほな、また明日来ますさかい。」
山崎に手紙を渡すと、三味線、歌、鼓、舞いの稽古が始まる。
皆小さい頃から教わる芸事も薫は日が浅いから小さい禿達に紛れて一から教わった。
皆が休む時間も薫は自主練に励む。
その甲斐あってか、人並みに踊れると花君太夫に認められるまでに至った。
最初はぐちゃぐちゃになってたお客さんたちも違いが分かるようになってきたし、
何より政治事情に詳しくなっていた。
時は元治元年五月。
雄藩連合と称して薩摩、土佐、宇和島、福井の藩主が集って政治を行おうという動きがあったが、
それぞれ主張が対立し失敗に終わった。
そういった政治体制の混迷が相次ぐ中、各地で運動が活発化していた。
それの顕著な例が水戸の挙兵である。
どうやら、これを尊王攘夷派が影で支援をしているらしい。
島原では藩の垣根を超え、
諸藩の意見を同じにする人達が集まり酒を交わしながら政治を論じる宴席が俄かに増えていた。
そして、今薫は花君太夫らと尊王攘夷派の集まる宴に身を投じている
上座にいるのは長州藩京留守居役、桂小五郎。
歴史に疎い薫でもその人の名を知っている。
維新三傑と呼ばれる男の一人だ。
現代に残されている写真の通り、涼しい顔をした「いい男」。
薫の隣に座るのは松村小介と名乗る、対馬藩士であったが、
訛りからして長州の人であることはおおよそ見当がつく。
「花里、見ない顔じゃ。」
「よろしゅうお頼もうします。」
恭しく頭を下げて、杯に酒を注ぐ。
「絵は好きか。」
「絵、どすか。下手の横好きどすな。」
「ほれ、描いてみろ。」
松村から筆と紙を渡された。
絵を描くのは嫌いじゃないけど、筆で絵を描いた試しがない。
何を描くか悩んで、会社員時代に友達といった富士山を描くことにした。
「富士か。」
「そうどす。」
「東の生まれか。」
「うちらに生まれを聞くんは野暮どすな。」
花君太夫から教わった色気を含んだ笑みを浮かべると、彼は笑った。
「これは一本取られたな。」
「けど、見たことはありますえ。」
「わしは見たことがない。」
「もう一遍見に行きとおすなぁ。」
「いつか連れていってくれるか。」
思わぬ松村の言葉に彼の方を見やる。
そして、花君太夫の言葉が思い出された。
“ここは殿方に夢を見せる場所どす。”
「いろんな所を回りながら、楽しおすな。」
学はないけど、東海道五十三次の浮世絵だけは大好きで友達との旅行に行くときはよく参考にしていた。
「わしは京より東には行ったことがないけえ。」
彼はそう言って杯の酒を飲み干すと、薫に杯を突き出した。
松村の目が熱を持っているように見えたのは酒のせいだろうか。
「約束だ。わしを富士に連れていけ。」
希望だ。
彼の目には希望が溢れている。
同じ毎日を繰り返しているだけの自分が忘れてしまっていたものを松村は持っている。
薫は心の底から笑顔で約束どす、と答えた。
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