26 / 156
第5章 To be, or not to be.
2
しおりを挟む島原から戻って来てからというもの、薫はこれまで通り賄い方の仕事に明け暮れていた。
薫の突然の帰還に戸惑うものもいれば、大喜びするものもあったが、
総じて皆薫の作るご飯のありがたさを噛みしめているようだった。
「おい、勘吾!お前もちったあ見習ってうまい飯の一つくらい作れるようになっとけよ。」
皿を片付けながら、安藤早太郎は蟻通をからかった。
賄いお手伝い衆―薫は彼らのことをそう呼ぶことにした―の一人、蟻通が薫の不在の間、
賄い方として腕を振るっていたようだが、評判は良くなかったようだ。
言われた蟻通は、料理は俺の仕事ではない、と半ば頬を膨らませながら抗ったが声は小さい。
「皆さんの手を煩わせてすみませんでした。また、おいしいご飯を出せるように精進しますね。」
笑顔で薫が答えると、賄いお手伝い衆は手を止めて固まった。
「おい、東雲のやつ、一段と色っぽくやないか。」
「あの笑顔、着物の隙間から見える白い肌、たまんねえなぁ。」
「お、俺は衆道なんて興味ないからな!」
「嘘こけ、台所にわざわざ来てるやつに下心のない奴なんかいるもんか!」
そんなお手伝い衆のやりとりは、薫の耳には届かない。
「言葉には気をつけろ。東雲の耳に入るということは、すなわち副長の耳に入るということだからな。」
お手伝い衆の年長者、河合の言葉を受けて、自然と食器の片づけに戻る。
確かに、薫はただの賄い方ではない。
あくまで、賄い方兼ねて副長小姓でもあったことたから、
必然的に隊士の中には密告者として薫を捉えるものも少なからずあった。
ただし、そんなことを薫は知る由もない。
そして薫は賄い方の仕事を終えると決まっていくところがあった。
「山南先生、今よろしいですか?」
障子の奥からどうぞ、という声が聞こえて、薫は静かに障子を開けた。
「お茶をお持ちしました。」
「いつもかたじけない。」
「先生、今日も教えてください。」
肩に負った傷が悪化し剣術を教わることも難しくなった今、
山南から政治や日本の歴史について教わることが日課になっていた。
「昨日は、どこまでお話をしましたか。」
「ええと、安政の大獄までです。井伊大老によって松陰先生を始めとして多くの志のある方が殺されてしまった、というところまでです。」
「そうでしたね。」
山南は薫が持って来たお茶を啜りながらおもむろに語り始めた。
「幕府の権力を強めるため、多くの人を獄に葬りましたが、
これは却って幕府への反発を強める結果となりました。」
やがて山南の部屋に一人の客が訪れた。
「稽古抜け出してきてしまいました。」
「沖田先生。お身体が優れぬとお聞きしましたが。」
「食べ過ぎたのかもしれません。久しぶりに薫さんのご飯を食べたから。」
「そんな冗談ばかり言っていると、仮病だと思われてしまいますよ。」
明らかに顔が白い沖田を心配に思いつつも、薫は沖田を窘めるように言った。
「そういえば、何の話をしていたんですか。最近、よく山南さんのところに来てるみたいですね。」
「昨今の政事について山南先生に教えていただいているのです。沖田先生も聞いていかれますか。」
「なんだ、薫さんがいるから美味しい茶菓子でも出ているかと思ってきたのに、期待外れです。」
そう言って沖田は薫の用意したお茶を啜る。
「ちょっと、それ山南先生のお茶ですよ!」
「ごめんなさい、山南さん。」
「構いませんよ。最近は、私のところへ訪れる人は減りましたから。」
山南は考え込むように腕を組んで俯いてしまった。
大阪に赴いた際、不逞浪士を取り締まるときに肩に傷を負った山南は無理をして刀を振っていたらしく、
先月とうとう肩が悲鳴を上げたらしい。
更に体の不調も相まって、山南は床に臥せることが多くなってしまった。
このところ、山南は病気がちで幹部の会合にも顔を出す機会が明らかに減っていた。
これまでは山南と土方、それから近藤の3人でひざを突き合わせて物事を決めてきたというのに。
様々な要因が山南の思考を悪い方へと誘っている。
薫が毎日山南のところへ足を運ぶのは、少しでも気がまぎれればという配慮の上のことであった。
「これまで山南先生は働き詰めだったのですから、神様が休みなさいとおっしゃっているんじゃないでしょうか。」
「薫君は、変わらないね。」
少しだけ山南の表情が和らいだような気がした。
0
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ワスレ草、花一輪
こいちろう
歴史・時代
娘仇討ち、孝女千勢!妹の評判は瞬く間に広がった。方や、兄の新平は仇を追う道中で本懐成就の報を聞くものの、所在も知らせず帰参も遅れた。新平とて、辛苦を重ねて諸国を巡っていたのだ。ところが、世間の悪評は日増しに酷くなる。碓氷峠からおなつに助けられてやっと江戸に着いたが、助太刀の叔父から己の落ち度を酷く咎められた。儘ならぬ世の中だ。最早そんな世とはおさらばだ。そう思って空を切った積もりの太刀だった。短慮だった。肘を上げて太刀を受け止めた叔父の腕を切りつけたのだ。仇討ちを追って歩き続けた中山道を、今度は逃げるために走り出す。女郎に売られたおなつを連れ出し・・・
北溟のアナバシス
三笠 陣
歴史・時代
1943年、大日本帝国はアメリカとソ連という軍事大国に挟まれ、その圧迫を受けつつあった。
太平洋の反対側に位置するアメリカ合衆国では、両洋艦隊法に基づく海軍の大拡張計画が実行されていた。
すべての計画艦が竣工すれば、その総計は約130万トンにもなる。
そしてソビエト連邦は、ヨーロッパから東アジアに一隻の巨艦を回航する。
ソヴィエツキー・ソユーズ。
ソビエト連邦が初めて就役させた超弩級戦艦である。
1940年7月に第二次欧州大戦が終結して3年。
収まっていたかに見えた戦火は、いま再び、極東の地で燃え上がろうとしていた。
子供って難解だ〜2児の母の笑える小話〜
珊瑚やよい(にん)
エッセイ・ノンフィクション
10秒で読める笑えるエッセイ集です。
2匹の怪獣さんの母です。12歳の娘と6歳の息子がいます。子供はネタの宝庫だと思います。クスッと笑えるエピソードをどうぞ。
毎日毎日ネタが絶えなくて更新しながら楽しんでいます(笑)
奥遠の龍 ~今川家で生きる~
浜名浅吏
歴史・時代
気が付くと遠江二俣の松井家の明星丸に転生していた。
戦国時代初期、今川家の家臣として、宗太は何とか生き延びる方法を模索していく。
桶狭間のバッドエンドに向かって……
※この物語はフィクションです。
氏名等も架空のものを多分に含んでいます。
それなりに歴史を参考にはしていますが、一つの物語としてお楽しみいただければと思います。
※2024年に一年かけてカクヨムにて公開したお話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
対ソ戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。
前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。
未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!?
小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる