38 / 156
第6章 武士と正義
5
しおりを挟む
長州軍が提出した上申書は受け入れられず、とうとう長州と幕府は衝突した。
新選組にも出陣の振れが出された。
薫は土方の準備を手伝っていた。
愛刀の和泉守兼定を手渡すと、土方は言った。
「薫、後は頼んだぞ。」
「承知しました。」
数日前から安藤の調子が急変した。
今は意識ももうろうとし、今日の夜が山だと医者から言われている。
そのことを土方に報告すると、土方からここに残るように指示を受けたのである。
土方らの背中を見送ると、薫は屯所の中へ戻った。
屯所には病勝ちの山南に加え、先の池田屋事件で負傷した数人が残っていた。
薫は粥を炊いて、彼らの世話に努めた。
そして、七月二十一日。
遠くの方で銃声が聞こえ、戦の火蓋が切って落とされたことを知った。
「大変どす!街が、京の街が燃えてます!」
台所で粥を炊いていると、八木家の人たちが慌てふためいて薫の所にやって来た。
どうやら、火はこちらの方に向かってきているらしい。
薫はかまどの火を消すと、八木家の人たちが逃げるのを手伝った。
火事の話を聞きつけた山南も戦支度をして屯所の中を駆け回っているようだ。
八木家の手伝いを終えた薫は玄関先で山南と藤堂に遭遇した。
「どちらへ?」
「六角獄です。」
「六角獄…?」
「じきにこちらへ火の手が回ることでしょう。そうなると、六角獄が危ない。」
「先の池田屋で捕まった浪士達はお裁きを待つため獄に入れられているのです。
彼らを近くの獄に移送するのに人手がいるだろうから、動ける者だけでも行こうと。」
「私も行きます。」
薫はたすきを外し、部屋に置いたままの刀を取ると二人を追いかけた。
六角獄は屯所からすぐ近くにある。
薫が走って向かえば、すぐに二人に追いつくことができた。
そして、そこで起きた地獄の光景を目の当たりにすることになる。
「山南先生…、これはどういうことですか。」
積み上げられた死体の山。
役人たちは格子越しに男たちを槍で一人ずつ刺して殺している。
うあああ、という男たちの悲鳴が聞こえては止み、聞こえては止んだ。
「会津藩お預かり新選組、山南敬助と申す!
お裁きも終わっていない彼らを刺し殺すとは一体いかなるご了見か!」
山南は日頃上げないような大きな声で役人に迫った。
「じきにここも火の手が回る。逃げられず火に巻かれるくらいなら…。」
「逃がせばよかろう!」
「そんなことをして咎を受けるのは我々ぞ!」
「良いのだ!」
牢の方から声がした。
中にいる男は正座をして目をつぶっている。
「私は平野國臣と申す。」
男はゆっくりと瞼をあけると真っすぐに山南を見た。
「貴方が…。」
山南はその人を知っているらしく、驚いた表情で平野という男を見ている。
「これを、託す。」
それは一枚の薄っぺらい紙であった。
薫はそれが何なのか瞬時に悟った。
稔麿さんと同じだ。
山南に託したそれはきっと辞世の句なのだろう。
山南は深く頷いて、その紙を懐にしまった。
「こんなことをしている限り、ご公儀に明日はない。」
平野は強い意志を宿し、役人に目を向けた。
「黙れ黙れ、ええぇい!」
役人は苛立ちを槍にぶつけ、平野の心臓を貫く。
ぐふっ、という声にならない呻き声を上げ、平野は斃れた。
その眼は見開かれたまま、まるで何かを訴えるように薫を見つめていた。
薫は蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなったが、
藤堂が無理やり薫の手を引っ張って獄を出ることができた。
「あんなこと、許されるんですか。」
「小役人の一存で彼らの命を奪うことなぞできるはずもない。」
「…平野殿のいうとおりではないか。」
藤堂が呟いた。
「ご公儀がこんなことをしていては…。」
幕府への批判ともとれる発言に山南は藤堂君、と彼を諫めた。
すみません、と彼はそれ以上何も言おうとしなかったが、藤堂は明らかに疑念を払拭しきれずにいる。
「山南先生、先ほどの紙には何が書かれているのですか。」
帰り道、薫は気になっていたその紙の内容を尋ねた。
懐から取り出されたその紙にはやはり辞世の句が書かれていた。
「漢詩ですね。
憂国十年、
東に走り西に馳せ、
成敗天に在り、
魂魄地に帰す。」
「どういう意味でしょうか。」
「国を憂いて十年、東西に走り回ったが、
それが正しいことだったのかは天が判断するだろう、
私の魂は故郷に帰るのだ。」
平野さんは落ち着いた様子で死を受け入れた。
それはきっと自分の行いが正しいと信じているからだ。
だから、彼は命が惜しくなかったのだ。
「彼もまた武士だったのですね。」
「そうだね、薫君。」
山南は腕を組んで空を見つめた。
火は壬生村の手前で止まった。
六角獄は焼け落ちずに済んだのである。
新選組にも出陣の振れが出された。
薫は土方の準備を手伝っていた。
愛刀の和泉守兼定を手渡すと、土方は言った。
「薫、後は頼んだぞ。」
「承知しました。」
数日前から安藤の調子が急変した。
今は意識ももうろうとし、今日の夜が山だと医者から言われている。
そのことを土方に報告すると、土方からここに残るように指示を受けたのである。
土方らの背中を見送ると、薫は屯所の中へ戻った。
屯所には病勝ちの山南に加え、先の池田屋事件で負傷した数人が残っていた。
薫は粥を炊いて、彼らの世話に努めた。
そして、七月二十一日。
遠くの方で銃声が聞こえ、戦の火蓋が切って落とされたことを知った。
「大変どす!街が、京の街が燃えてます!」
台所で粥を炊いていると、八木家の人たちが慌てふためいて薫の所にやって来た。
どうやら、火はこちらの方に向かってきているらしい。
薫はかまどの火を消すと、八木家の人たちが逃げるのを手伝った。
火事の話を聞きつけた山南も戦支度をして屯所の中を駆け回っているようだ。
八木家の手伝いを終えた薫は玄関先で山南と藤堂に遭遇した。
「どちらへ?」
「六角獄です。」
「六角獄…?」
「じきにこちらへ火の手が回ることでしょう。そうなると、六角獄が危ない。」
「先の池田屋で捕まった浪士達はお裁きを待つため獄に入れられているのです。
彼らを近くの獄に移送するのに人手がいるだろうから、動ける者だけでも行こうと。」
「私も行きます。」
薫はたすきを外し、部屋に置いたままの刀を取ると二人を追いかけた。
六角獄は屯所からすぐ近くにある。
薫が走って向かえば、すぐに二人に追いつくことができた。
そして、そこで起きた地獄の光景を目の当たりにすることになる。
「山南先生…、これはどういうことですか。」
積み上げられた死体の山。
役人たちは格子越しに男たちを槍で一人ずつ刺して殺している。
うあああ、という男たちの悲鳴が聞こえては止み、聞こえては止んだ。
「会津藩お預かり新選組、山南敬助と申す!
お裁きも終わっていない彼らを刺し殺すとは一体いかなるご了見か!」
山南は日頃上げないような大きな声で役人に迫った。
「じきにここも火の手が回る。逃げられず火に巻かれるくらいなら…。」
「逃がせばよかろう!」
「そんなことをして咎を受けるのは我々ぞ!」
「良いのだ!」
牢の方から声がした。
中にいる男は正座をして目をつぶっている。
「私は平野國臣と申す。」
男はゆっくりと瞼をあけると真っすぐに山南を見た。
「貴方が…。」
山南はその人を知っているらしく、驚いた表情で平野という男を見ている。
「これを、託す。」
それは一枚の薄っぺらい紙であった。
薫はそれが何なのか瞬時に悟った。
稔麿さんと同じだ。
山南に託したそれはきっと辞世の句なのだろう。
山南は深く頷いて、その紙を懐にしまった。
「こんなことをしている限り、ご公儀に明日はない。」
平野は強い意志を宿し、役人に目を向けた。
「黙れ黙れ、ええぇい!」
役人は苛立ちを槍にぶつけ、平野の心臓を貫く。
ぐふっ、という声にならない呻き声を上げ、平野は斃れた。
その眼は見開かれたまま、まるで何かを訴えるように薫を見つめていた。
薫は蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなったが、
藤堂が無理やり薫の手を引っ張って獄を出ることができた。
「あんなこと、許されるんですか。」
「小役人の一存で彼らの命を奪うことなぞできるはずもない。」
「…平野殿のいうとおりではないか。」
藤堂が呟いた。
「ご公儀がこんなことをしていては…。」
幕府への批判ともとれる発言に山南は藤堂君、と彼を諫めた。
すみません、と彼はそれ以上何も言おうとしなかったが、藤堂は明らかに疑念を払拭しきれずにいる。
「山南先生、先ほどの紙には何が書かれているのですか。」
帰り道、薫は気になっていたその紙の内容を尋ねた。
懐から取り出されたその紙にはやはり辞世の句が書かれていた。
「漢詩ですね。
憂国十年、
東に走り西に馳せ、
成敗天に在り、
魂魄地に帰す。」
「どういう意味でしょうか。」
「国を憂いて十年、東西に走り回ったが、
それが正しいことだったのかは天が判断するだろう、
私の魂は故郷に帰るのだ。」
平野さんは落ち着いた様子で死を受け入れた。
それはきっと自分の行いが正しいと信じているからだ。
だから、彼は命が惜しくなかったのだ。
「彼もまた武士だったのですね。」
「そうだね、薫君。」
山南は腕を組んで空を見つめた。
火は壬生村の手前で止まった。
六角獄は焼け落ちずに済んだのである。
0
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
対ソ戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。
前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。
未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!?
小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!
子供って難解だ〜2児の母の笑える小話〜
珊瑚やよい(にん)
エッセイ・ノンフィクション
10秒で読める笑えるエッセイ集です。
2匹の怪獣さんの母です。12歳の娘と6歳の息子がいます。子供はネタの宝庫だと思います。クスッと笑えるエピソードをどうぞ。
毎日毎日ネタが絶えなくて更新しながら楽しんでいます(笑)
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
北溟のアナバシス
三笠 陣
歴史・時代
1943年、大日本帝国はアメリカとソ連という軍事大国に挟まれ、その圧迫を受けつつあった。
太平洋の反対側に位置するアメリカ合衆国では、両洋艦隊法に基づく海軍の大拡張計画が実行されていた。
すべての計画艦が竣工すれば、その総計は約130万トンにもなる。
そしてソビエト連邦は、ヨーロッパから東アジアに一隻の巨艦を回航する。
ソヴィエツキー・ソユーズ。
ソビエト連邦が初めて就役させた超弩級戦艦である。
1940年7月に第二次欧州大戦が終結して3年。
収まっていたかに見えた戦火は、いま再び、極東の地で燃え上がろうとしていた。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる