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第6章 武士と正義
5
長州軍が提出した上申書は受け入れられず、とうとう長州と幕府は衝突した。
新選組にも出陣の振れが出された。
薫は土方の準備を手伝っていた。
愛刀の和泉守兼定を手渡すと、土方は言った。
「薫、後は頼んだぞ。」
「承知しました。」
数日前から安藤の調子が急変した。
今は意識ももうろうとし、今日の夜が山だと医者から言われている。
そのことを土方に報告すると、土方からここに残るように指示を受けたのである。
土方らの背中を見送ると、薫は屯所の中へ戻った。
屯所には病勝ちの山南に加え、先の池田屋事件で負傷した数人が残っていた。
薫は粥を炊いて、彼らの世話に努めた。
そして、七月二十一日。
遠くの方で銃声が聞こえ、戦の火蓋が切って落とされたことを知った。
「大変どす!街が、京の街が燃えてます!」
台所で粥を炊いていると、八木家の人たちが慌てふためいて薫の所にやって来た。
どうやら、火はこちらの方に向かってきているらしい。
薫はかまどの火を消すと、八木家の人たちが逃げるのを手伝った。
火事の話を聞きつけた山南も戦支度をして屯所の中を駆け回っているようだ。
八木家の手伝いを終えた薫は玄関先で山南と藤堂に遭遇した。
「どちらへ?」
「六角獄です。」
「六角獄…?」
「じきにこちらへ火の手が回ることでしょう。そうなると、六角獄が危ない。」
「先の池田屋で捕まった浪士達はお裁きを待つため獄に入れられているのです。
彼らを近くの獄に移送するのに人手がいるだろうから、動ける者だけでも行こうと。」
「私も行きます。」
薫はたすきを外し、部屋に置いたままの刀を取ると二人を追いかけた。
六角獄は屯所からすぐ近くにある。
薫が走って向かえば、すぐに二人に追いつくことができた。
そして、そこで起きた地獄の光景を目の当たりにすることになる。
「山南先生…、これはどういうことですか。」
積み上げられた死体の山。
役人たちは格子越しに男たちを槍で一人ずつ刺して殺している。
うあああ、という男たちの悲鳴が聞こえては止み、聞こえては止んだ。
「会津藩お預かり新選組、山南敬助と申す!
お裁きも終わっていない彼らを刺し殺すとは一体いかなるご了見か!」
山南は日頃上げないような大きな声で役人に迫った。
「じきにここも火の手が回る。逃げられず火に巻かれるくらいなら…。」
「逃がせばよかろう!」
「そんなことをして咎を受けるのは我々ぞ!」
「良いのだ!」
牢の方から声がした。
中にいる男は正座をして目をつぶっている。
「私は平野國臣と申す。」
男はゆっくりと瞼をあけると真っすぐに山南を見た。
「貴方が…。」
山南はその人を知っているらしく、驚いた表情で平野という男を見ている。
「これを、託す。」
それは一枚の薄っぺらい紙であった。
薫はそれが何なのか瞬時に悟った。
稔麿さんと同じだ。
山南に託したそれはきっと辞世の句なのだろう。
山南は深く頷いて、その紙を懐にしまった。
「こんなことをしている限り、ご公儀に明日はない。」
平野は強い意志を宿し、役人に目を向けた。
「黙れ黙れ、ええぇい!」
役人は苛立ちを槍にぶつけ、平野の心臓を貫く。
ぐふっ、という声にならない呻き声を上げ、平野は斃れた。
その眼は見開かれたまま、まるで何かを訴えるように薫を見つめていた。
薫は蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなったが、
藤堂が無理やり薫の手を引っ張って獄を出ることができた。
「あんなこと、許されるんですか。」
「小役人の一存で彼らの命を奪うことなぞできるはずもない。」
「…平野殿のいうとおりではないか。」
藤堂が呟いた。
「ご公儀がこんなことをしていては…。」
幕府への批判ともとれる発言に山南は藤堂君、と彼を諫めた。
すみません、と彼はそれ以上何も言おうとしなかったが、藤堂は明らかに疑念を払拭しきれずにいる。
「山南先生、先ほどの紙には何が書かれているのですか。」
帰り道、薫は気になっていたその紙の内容を尋ねた。
懐から取り出されたその紙にはやはり辞世の句が書かれていた。
「漢詩ですね。
憂国十年、
東に走り西に馳せ、
成敗天に在り、
魂魄地に帰す。」
「どういう意味でしょうか。」
「国を憂いて十年、東西に走り回ったが、
それが正しいことだったのかは天が判断するだろう、
私の魂は故郷に帰るのだ。」
平野さんは落ち着いた様子で死を受け入れた。
それはきっと自分の行いが正しいと信じているからだ。
だから、彼は命が惜しくなかったのだ。
「彼もまた武士だったのですね。」
「そうだね、薫君。」
山南は腕を組んで空を見つめた。
火は壬生村の手前で止まった。
六角獄は焼け落ちずに済んだのである。
新選組にも出陣の振れが出された。
薫は土方の準備を手伝っていた。
愛刀の和泉守兼定を手渡すと、土方は言った。
「薫、後は頼んだぞ。」
「承知しました。」
数日前から安藤の調子が急変した。
今は意識ももうろうとし、今日の夜が山だと医者から言われている。
そのことを土方に報告すると、土方からここに残るように指示を受けたのである。
土方らの背中を見送ると、薫は屯所の中へ戻った。
屯所には病勝ちの山南に加え、先の池田屋事件で負傷した数人が残っていた。
薫は粥を炊いて、彼らの世話に努めた。
そして、七月二十一日。
遠くの方で銃声が聞こえ、戦の火蓋が切って落とされたことを知った。
「大変どす!街が、京の街が燃えてます!」
台所で粥を炊いていると、八木家の人たちが慌てふためいて薫の所にやって来た。
どうやら、火はこちらの方に向かってきているらしい。
薫はかまどの火を消すと、八木家の人たちが逃げるのを手伝った。
火事の話を聞きつけた山南も戦支度をして屯所の中を駆け回っているようだ。
八木家の手伝いを終えた薫は玄関先で山南と藤堂に遭遇した。
「どちらへ?」
「六角獄です。」
「六角獄…?」
「じきにこちらへ火の手が回ることでしょう。そうなると、六角獄が危ない。」
「先の池田屋で捕まった浪士達はお裁きを待つため獄に入れられているのです。
彼らを近くの獄に移送するのに人手がいるだろうから、動ける者だけでも行こうと。」
「私も行きます。」
薫はたすきを外し、部屋に置いたままの刀を取ると二人を追いかけた。
六角獄は屯所からすぐ近くにある。
薫が走って向かえば、すぐに二人に追いつくことができた。
そして、そこで起きた地獄の光景を目の当たりにすることになる。
「山南先生…、これはどういうことですか。」
積み上げられた死体の山。
役人たちは格子越しに男たちを槍で一人ずつ刺して殺している。
うあああ、という男たちの悲鳴が聞こえては止み、聞こえては止んだ。
「会津藩お預かり新選組、山南敬助と申す!
お裁きも終わっていない彼らを刺し殺すとは一体いかなるご了見か!」
山南は日頃上げないような大きな声で役人に迫った。
「じきにここも火の手が回る。逃げられず火に巻かれるくらいなら…。」
「逃がせばよかろう!」
「そんなことをして咎を受けるのは我々ぞ!」
「良いのだ!」
牢の方から声がした。
中にいる男は正座をして目をつぶっている。
「私は平野國臣と申す。」
男はゆっくりと瞼をあけると真っすぐに山南を見た。
「貴方が…。」
山南はその人を知っているらしく、驚いた表情で平野という男を見ている。
「これを、託す。」
それは一枚の薄っぺらい紙であった。
薫はそれが何なのか瞬時に悟った。
稔麿さんと同じだ。
山南に託したそれはきっと辞世の句なのだろう。
山南は深く頷いて、その紙を懐にしまった。
「こんなことをしている限り、ご公儀に明日はない。」
平野は強い意志を宿し、役人に目を向けた。
「黙れ黙れ、ええぇい!」
役人は苛立ちを槍にぶつけ、平野の心臓を貫く。
ぐふっ、という声にならない呻き声を上げ、平野は斃れた。
その眼は見開かれたまま、まるで何かを訴えるように薫を見つめていた。
薫は蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなったが、
藤堂が無理やり薫の手を引っ張って獄を出ることができた。
「あんなこと、許されるんですか。」
「小役人の一存で彼らの命を奪うことなぞできるはずもない。」
「…平野殿のいうとおりではないか。」
藤堂が呟いた。
「ご公儀がこんなことをしていては…。」
幕府への批判ともとれる発言に山南は藤堂君、と彼を諫めた。
すみません、と彼はそれ以上何も言おうとしなかったが、藤堂は明らかに疑念を払拭しきれずにいる。
「山南先生、先ほどの紙には何が書かれているのですか。」
帰り道、薫は気になっていたその紙の内容を尋ねた。
懐から取り出されたその紙にはやはり辞世の句が書かれていた。
「漢詩ですね。
憂国十年、
東に走り西に馳せ、
成敗天に在り、
魂魄地に帰す。」
「どういう意味でしょうか。」
「国を憂いて十年、東西に走り回ったが、
それが正しいことだったのかは天が判断するだろう、
私の魂は故郷に帰るのだ。」
平野さんは落ち着いた様子で死を受け入れた。
それはきっと自分の行いが正しいと信じているからだ。
だから、彼は命が惜しくなかったのだ。
「彼もまた武士だったのですね。」
「そうだね、薫君。」
山南は腕を組んで空を見つめた。
火は壬生村の手前で止まった。
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