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第9章 恋と愛
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しおりを挟む薫は珍しく京の街並みを歩いていた。
賄い方として料理の食材を仕入れるためである。
「それではいつものお野菜とお米を屯所まで届けてください。」
「へえ。まいどおおきに。」
贔屓にしている八百屋と魚屋、それから諸々買い出しを済ませて、屯所に戻る。
しかし、と薫は考えた。
久しぶりのお出かけだし、副長からちょっとお小遣いももらったことだし、
どこか寄り道して帰ろう。
どこがいいかな。
甘味屋?団子屋?それとも…。
ふと、色とりどりの簪が目に留まった。
貝殻が掘られた鼈甲色の櫛。
可愛らしいというよりも、美しい代物に思わず手に取ってそれを眺めた。
「お侍はん、お目が高い!」
店頭に立つ店の人が薫に声をかけた。
「これは今女子衆に人気の品どしてなぁ。」
買ったところでつける機会もないのだから、と薫はその櫛を棚に戻す。
「すまないな、今は手元がないのだ。」
「それは残念。また、御贔屓に。」
上方の人は現金なもので、金がないとわかると途端に冷たくあしらわれてしまう。
買ったところでつける機会もないのだからいいのだけれど、と悔し紛れに心の中で思いながら、また歩き出した。
「東雲どんではごわはんか。」
聞き慣れた薩摩言葉。
声のする方を見ると薩摩屋敷で会った中村がいた。
「中村さん、ご無沙汰しております。」
山南に話をしたいと持ち掛け、更に土方が警戒する相手だ。
薫は中村から目を離さず、会釈程度に頭を下げた。
「土方どんはあの本、受け取っていただけもしたか。」
「え、ええ。まあ。」
「山南どんにも文を送りもしたどん、返事がなくて…。」
「そうですか。」
中村はじっと薫を見たまま、機嫌よさげにそう言った。
中々食えない男だと薫は思った。
土方の所に報告に来る監察方の山崎の話によれば、
薩摩は今長州征伐に乗り気ではなく、
家老連中の首を差し出すことで手打ちにしようと画策しているという話であった。
西郷の腹心として、京に留まるこの男も何かしらの動きをしているのだろう、と薫は踏んだ。
恐らく今もこうして薫を揺さぶることで何か情報を得ようとしている。
「そういえば、西郷先生はお元気ですか。」
「西郷先生は相変わらずでごわす。」
「それは何よりです。では、私は仕事に戻らねばなりませんので。」
「山南どんによろしくお伝えやったもんせ。」
それでは、と中村は軽くお辞儀をすると薫の横をすたすたと過ぎようとした。
「山南先生は、お会いにはなりませんよ。」
薫の言葉に中村は足を止めた。
こちらを振り向かず、しかし体中に殺気が込められている。
薫も負けじといつでも抜けるように臨戦態勢を取った。
「先生が新選組と意を異にすることはありません。」
薫が中村にゆっくりと近づき、そして中村の真横で止まり、彼の方に向き直った。
「そういえば、伊東大蔵どんが京に上ったち、聞きもした。」
伊東大蔵、と聞いて薫は誰のことだろうと考えたが、すぐに先日入隊した伊東甲子太郎のことだと思い至った。
「耳が早いですね。」
「伊東どんと言えば、神道無念流と北辰一刀流を修めた剣豪。
それに尊王攘夷の志篤く、一角の人物とも聞き及んじょいもす。」
ようやく中村は薫の方を向いた。
中村は身長が高く、薫は見下ろされる形になった。
「伊東どんは腐りきった公儀の現状を知って、どげん思うでしょうな。」
揺さぶられている。
そして、乗ってはならぬ。
心臓がバクバクと音を立てる中、薫は高らかに笑い声を上げた。
「尊王攘夷の志に篤いのは近藤局長も土方副長も同じこと。
現状を知ったのならば猶の事、ご公儀の為に働かなければならないと思うはずです。
それとも、中村さんは腐りきったものはいかがすべしとお考えですか。」
中村の体から不意に殺気が消えた。
そして、今度は中村が豪快な笑い声を上げる。
「お前さあは、ほんのこて面白か。」
未だ心臓の音はひどく大きく聞こえたままだ。
「東雲どんを敵には回したくなか。」
ニヤリ、と笑う中村はどこか涼しげで好青年のそれであった。
「あ、会津と薩摩が共に御所をお守りする限り、
私が中村さんの敵になることはありませんよ。」
「共にご公儀のため力を尽くしもんそ。
そいでは。」
いずれは、中村さんと刃を交える日が来るかもしれない。
それがいつになるかはわからないけれど。
薫は彼の姿が人ごみに紛れて見えなくなるまで、彼の後姿を見つめていた。
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