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第13章 馬鹿と馬鹿
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石川と坂本の二人はかみ合わない会話を続けながら、下関の街へ繰り出していった。
そんな二人をよそに、薫は静かな邸宅に足を踏み入れた。
ここは豪商・白石精一郎の邸宅である。
利助の話によれば、高杉晋作を陰で支えている長州の支援者らしく、彼らの活動資金は彼に依る所が大きいそうだ。
石畳を歩いてようやく屋敷の入り口が見えてきた。
その家の大きさはまるで多摩で「お大尽」と呼ばれていたあの男の実家のようである。
家の方から怒号とお皿の割れる音が聞こえてきた。
「馬鹿じゃ、馬鹿じゃ!皆馬鹿じゃ!!」
扉も窓も全て閉まっているのに、怒号が丸聞こえである。
幾多の修羅場を越えてきた薫も目の前の扉を開けるのを戸惑ってしまうほどに。
「先生、声が大きいですけえ。」
「本当のことを言って何が悪いんじゃ。」
「今は上手く行かずとも、必ずいつかはわかってくれる日が来ます。」
「いつかとはいつじゃ。」
「それはわかりません…。」
「今できなければならんのじゃ。
尊王攘夷の意味をはき違えた連中がこの世にのさばっちょる。
…そこにおるのは誰じゃ!」
びくり、と薫は肩を震わせた。
確実に男の怒りの矛先は薫に向けられている。
ドタドタと足音が薫のいる玄関に近づき、そして勢いよく扉が開けられた。
鬼の形相とでもいうべき表情を浮かべ、右手には抜身の刀。
しかし、装いは武士とは思えぬ着流しで、更には髷を切った散切り頭。
江戸時代の人間というよりも、既に教科書で見た明治時代の人のそれである。
素直に薫は恐怖を感じた。
しかし、体の震えを拳で何とか抑えながら、目の前の「鬼」に向き合い、声を発した。
「あ、あの…利助様に御用があって参りました。」
声は震えているものの、薫の量の目は確かに「鬼」を捉えている。
「先生、この人は俺の知り合いですけえ、どうか!刀を収めてくだされ!」
「盗み聞きとは、良い度胸だ。」
盗み聞きって。
あんなでかい声で話してたら嫌でも聞こえてくるわよ。
カチンときた、薫は思った通りのことを口にした。
「盗み聞かぬとも漏れ聞こえておりました。」
「お里さん!」
火に油を注ぐような挑戦的な発言に利助は肝を冷やした。
薫の発言に心を落ち着かせたのか、男は「鬼」の雰囲気を瞬時に消し去り、只人となった。
刀を鞘に収めると、男はふっと笑った。
男が笑うと、切れ長の目はなくなってしまうようだ。
「俊輔の新しい馴染も面白いことを言うのう。」
「先生、勘弁してくだされ…。」
「何か誤解されているようですが、私は薬を売りに下関に参ったのです。」
「ほう、俊輔の女ではないのか。」
「この人はお里さんと言って、元は島原の芸妓で、稔麿の馴染です。」
利助は薫が背負っていた行李を受け取ると、屋敷の中へ上がるよう促した。
「そうかえ、稔麿の…。」
「今は方々で薬を売っております。」
豪商の邸宅なだけあって、内装も絢爛豪華である。
男はそれを気にも留めず、奥の間に辿り着くと、どさりと無造作に座った。
「下関では商売にならんぞ。」
「こんなに賑わっているのに、どうしてですか。」
「皆馬鹿じゃけえ。商売の意味をわかっちょらん。」
まるで小学生が親に言うことを聞いてもらえなかった時のように、拗ねている。
畳に寝転がって庭先の石灯籠と水のはった池を眺めるばかりで、薫の方を少しも見ようとしない。
私からしたら、男は皆馬鹿よ。
志だか使命だか知らないけど、命を粗末にして。
腹に刀を突き立てて、縋るように薫の名前を呼んだ稔麿の姿と
静かに穏やかに自ら死を選んだ山南の姿が薫の脳裏に浮かんでは消えた。
「お言葉ですが、武士の貴方に商売の何がわかるのです。」
「女のお前に俺の何がわかる。」
「私にはわかります。
志だか尊王攘夷だか知らないけど、自分の理想を他人に押しつけて、
傍に居る人のことなんて全然考えてくれない。」
「言いたいことはそれだけか。」
ようやく男は薫の方を見た。
不機嫌そうな、ふてくされた顔を向けて。
「近くの人間を幸せにできない人が日本を良くしようだなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。」
「ならば、何故泣いている。」
泣いてなんかない、と口にしかけて自分の頬に涙が伝っていることに気づいた。
そして、涙は堰を切ったようにとめどなくあふれ出している。
「とにかく、下関は諦めろ。他を当たれ。」
男が薫に手を差し伸べることはなかった。
薫は何も言わず、男のいる部屋を後にした。
「お里さん!」
ずんずんと進む薫の行く手を利助が阻む。
「呼んだのはわしじゃけえ。すまんかった。」
「別に利助さんが悪いわけではありませんから。」
「もう少しここにいてくれんかね。」
「あの人もここにいるんでしょう。」
そうだが、と利助はばつの悪い表情を浮かべつつ、しどろもどろに答えた。
「あの人はああ見えて弱い人じゃけえ、傍にいてくれんかね。」
「でも、私はあの人と気が合うようには思えません。」
「面倒を見てくれる女子がまだ下関に来れなくてのう。
少しの間だけで構わん、後生じゃ!」
他の武士とは違って、利助はあまりにも簡単に薫に頭を下げた。
どんなに非があっても、薫に対して頭を下げる男など見たことがなかった。
この人が何をしたのかわからないけど、きっと風習に囚われない人だから、
新しい日本を築けたのかもしれない。
薫は、頭を下げる利助を見てそう思った。
「そこまでおっしゃるなら…。」
「ありがとう、お里さん!薬売りの件は、良いように取り計らいますけえ。」
それじゃ、と薫の横を警戒にすり抜け、利助は屋敷を去って行った。
この屋敷に残るのはあの男と薫だけになった。
「おい、俊輔!飯じゃ、飯。飯と酒を買うて来い。
それからな、あれは坂本君にくれてやれ。
下関で商売できないとなれば、宝の持ち腐れじゃけえ。」
先ほど薫のいた部屋の方から声が聞こえてくる。
利助と二人きりになったと安心したのか、完全に覇気の抜けた只人のつぶやきである。
これは、面倒を押し付けられただけなのでは。
「おい、俊輔!聞いとるのか!早う返事をせんと、たたっきるぞ!」
男の怒号に薫の心に過った利助への疑いが確信に変わった。
そして、大きなため息を一つついて、諦めの境地で薫は男のいる部屋に歩を進めた。
「利助さんなら出かけましたよ。」
思わぬ人物の登場に、男は体ごと薫の方に向き直った。
「泣き止んだのかえ。」
いたずらっ子のようなニヒルな笑みを浮かべ、男は言った。
「あれは、不可抗力です。」
気に入らない。
薫はそう思ったが、今は利助の顔を立てるためにも大人しくしておこうと口にすることはなかった。
「おい、酒と飯を用意しろ。腹が減ってはかなわんけえ。」
「…わかりました。」
結局、下関まで来てやっていることは京の屯所と何ら変わりのない賄い方の仕事であった。
女中の人が何人かいたので台所の仕事はほとんど彼女たちにお任せしたのだけれども。
そして薫は茜色に染まった空を見ながら、男の晩酌に付き合わされていた。
男は三味線を片手に歌を歌い、そして、薫の注ぐ酒をちびりちびりと楽しんでいるようだ。
最初こそ、枯れ木も山の賑わいだとか言って薫がお酌することに抵抗を感じていたようだったが、
流石に薫も伊達に島原で働いていたわけではない。
すぐに男も薫の酌に気持ちよくなったのか、歌を歌い始めたのである。
「お前は稔麿のどこが好きだった。」
三味線をポロンポロンとかき鳴らしながら、男は不意に薫に尋ねた。
「稔麿さんは、純粋に私を愛してくれました。」
現代で忙しく働いていたときも、幕末に来てからも、
東雲薫という一人の人間として薫を愛してくれたのは、稔麿さんだけだった。
お互いに名前と身分を偽っている間柄だったのに、彼の表情にも言動にも嘘なんて一つもなかった。
「あいつはそういう男じゃ。」
赤い空にカラスの群れが横切る。
カアカアと鳴くカラスの声は時代を問わずいつも同じだ。
「お里。」
男はようやく薫の名を呼んだ。
驚いて顔を上げると、男の真っすぐな瞳が薫を射抜く。
「踊ってくれるか。」
夕焼け空の暗がりのせいだろうか、そう言った男の顔と稔麿の顔が重なって見えた。
まるで、出会ったばかりの頃の二人のときのように。
薫は男の前に立ちあがり、男が畳の上に置きっぱなしにしていた扇子を手に取り広げた。
そして、男の奏でる三味線に合わせ、静かに踊り始めた。
つい一年前の話なのに、遠い、遠い昔のことのように感じる。
この世界に飛ばされて、もうどれくらいの月日が経ったのか知れない。
生きるために無我夢中で、一生懸命に生きてきた。
ずっと先を行く歳三さんの背中を追いかけて。
振り落とされそうになるのを必死で食らいついて。
ここまで生きてきたのだ。
そして今、敵陣の真ん中で敵の目の前で舞っている。
運命とは誰にもわからない。
ただ、私はこれからも必死で生きていくだけだ。
三味線が突然鳴り止んだ。
曲の途中だったのに、不思議に思って男の方を見ると激しく咳き込んでいる。
薫は手元の扇子を放り出して男に駆け寄った。
「大丈夫ですか。」
「大事ない、むせただけだ。」
男は薫の手を振り払い、何事もなかったかのように再び三味線を弾き始めたが、薫は見逃さなかった。
男の手に赤い血の塊がこびりついていたことを。
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