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第13章 馬鹿と馬鹿
6
薫はそれからすぐに下関を発った。
山口に寄らずそのまま長州を出ることも可能ではあったが、薫は敢えて山口に立ち寄ることにした。
やはり、山口は穏やかな街であった。
しかし、どことなく不穏な空気が漂っている。
一見すれば何も変わらない静かな町であったが、街中で見かける武士の姿は殺気をまとい、
周囲を見渡しながら歩いている。
利助の言っていたことが武士の間に広がり、間者に対する警戒心を強めているようだった。
早くここを出た方が良い。
薫は足早に街を出て長州を出る関所へと向かった。
「薫殿。」
後ろから薫の本名を呼ぶ男の声がした。
この町の人間は薫のことを薫とは呼ばない。
その名前を呼ぶとすれば、味方かあるいは…。
薫は恐る恐る後ろを振り向いた。
行李の影から除く男の顔は見知らぬ武士であった。
「赤根武人にござる。」
赤根武人。
それは、利助から聞いた裏切り者の名前。
利助達から見た裏切り者ということは、薫にとっては仲間ということになる。
しかし、ここでその声に応じることが果たして自分の為になるのかと躊躇われた。
「伊東殿から同志の説得を命じられた。話を伺えぬか。」
じりじりと赤根は薫との距離を詰めてきている。
まだ、振り向いたままの姿勢で何も答えようとしない薫は詰め寄る赤根を睨むばかり。
余りにも素直すぎるその男には密偵など向いているはずもない。
彼は伊東に捨て駒にされたのだ、と薫は悟った。
そして、薫は改めて男に向き直り、軽く会釈した。
「立ち話もなんですから、どこか中へ入りましょう。」
薫は街から外れた場所にある、古ぼけた茶屋の中に入ることにした。
後ろから赤根の引き留める声がしたような気がしたが、薫が歩みを止めることはなかった。
店主の案内で部屋に通され、ようやく薫と赤根は二人きりになった。
赤根は不満そうな顔でこちらを見ている。
「何もこんな店に入らずとも。」
「こんな店でなければできぬ話もあります。」
薫が入った茶屋はただの茶屋ではない、男と女が逢引きで使ういわゆる出会い茶屋という、
現代風に言えばラブホテルである。
普通の旅籠に入れば、客が傍耳を立てている。
こういう店であれば、誰も隣の部屋なんて気にも留めない上に、男女二人で店に入れば誰もそれ以上追及しない。
だから、薫はここを話の場に選んだのである。
「では、改めて。赤根武人にござる。」
彼は至極真面目な男なのだろう。
二人きりの場であっても、足を崩そうともせず、言葉も武士言葉を貫いている。
「東雲薫、と申します。今は、里と名乗っております。」
「新選組参謀、伊東先生のお力添えにより獄に囚われている所を助けていただき、
こうして今長州に入ることができました。」
「貴方のことを詳しく存じ上げないのですが、元は長州の方なのですか。」
「以前は奇兵隊の総督を務めておりました。俗論党が敗れた今、最早私の居場所はここにありませぬ。」
「ならば、どうして…長州に戻ってこられたのですか。」
「私には、こうするしかなかったのです。獄に囚われ、あとは死を待つのみの身でした。
そこに、伊東先生が現れて我々に協力すれば故郷に戻れると。」
「故郷に…。」
目の前に餌をちらつかせ、人の弱さにつけ入るなんて、姑息としか言いようがない。
「私の故郷は長州ではありませぬ。
一通り役目を終えたら、故郷の柱島に帰ろうと思います。」
彼はあまりにも楽観視しすぎている。
薫はそう思った。
「赤根さん。悪いことは申しません、今すぐ故郷に帰った方が良いです。」
「私には行かねばならぬ義理と理由がある。」
「既にあなたが山口にいることは遠くまで知れ渡っています。
裏切り者だと貴方を斬ろうと息巻いている人すらいます。」
「だとしてもだ。」
「伊東には私から貴方は死んだと伝えますから。」
「武士に二言はござらぬ。」
「伊東が貴方に何をしたというのです。
あの人は貴方のことを捨て駒にしか思っていない。」
「ご忠告痛み入る。されど、私も武士の端くれ。
このままでは長州は朝敵の汚名を着せられたまま、ご公儀に取り潰されてしまう。
私なりに、長州の行く末を思っての行動なのです。」
男って、本当に馬鹿ばかり。
死ぬとわかっていてどうして…。
命があれば、いくらだってやり直せる。
「そう、じゃあ勝手にすれば。」
「勝手にいたす。」
「だったら、故郷に帰らないことね。
貴方のお母さまも奥方も悲しむだけだから。」
薫はそれだけ言って、出会い茶屋を飛び出した。
そして、一分も振り返らず、長州を後にした。
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