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第16章 終わりの始まり
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しおりを挟む中庭の鹿威しが軽やかな音を立てるのを耳にしながら、
伊東は静かに書状に目を通していた。
ここは彼が先達て構えた別宅の一室。
世の喧騒から離れ、鹿威しと鳥の囀りしか聞こえないこの離れは
伊東が思索に耽るにはもってこいの場所である。
「大島口は長州の大勝利、か。」
長州訊問使として広島に派遣されている間、伊東はあらゆる会合に顔を出し人脈を広めた。
伊東が眺めている書状はその時に出会った広島藩士から届いたもので、
長州征伐の戦況について綴られていた。
欧米列強が中国の領土を割譲したように、日本も植民地にされる。
事ここに至っては、天子様を中心に御公儀と力のある雄藩が集まり、国難を乗り越える。
そのために長州だ、会津だと身内で争っている場合ではない。
それが常々伊東が口にする主張だった。
近藤との酒の席でも伊東は必死にこの主張を訴えたが、近藤の持論は変わらない。
国難に立ち向かうためにはまず一つにまとまり力を結集しなければならない。
そのために御公儀に盾突く長州を討ち滅ぼす必要がある、と。
しかし、既に伊東は幕府を見限っていた。
水戸の天狗党が徳川慶喜を頼って京を目指していたにもかかわらず
慶喜公は正当な裁きも行わず罪人として300名余りを打首に処した。
忠義を尽くしてきた相手に水戸の家臣は梯子を外されたのだ。
長年の同志を失った伊東は最早御公儀に正義はないと絶望したのである。
伊東がこのことを打ち明けた山南は近藤と伊東との狭間に苦しみ死を選んだ。
皮肉にも、山南の死が近藤との乖離に拍車をかけることになった。
「此度の戦で御公儀は求心力を失うだろう。
そうなれば、力ある藩の者が集まり今後の行く末について決めることになる。」
「薩摩ですか。」
傍に控える内海は真っ直ぐ伊東を見つめ、伊東もそれに頷く。
「大久保殿との会合はどうなった、冨山君。」
「明日の暮れ六つ、島原の料亭にて。
ただし、一つ条件がありもす。」
「条件?」
伊東は内海の隣に座る冨山の方を向いて聞き返した。
「東雲薫を連れて来てほしか、と。」
冨山が言い終わるか終わらないかのうちに、伊東の眉間に寄った皺は一層深くなった。
「東雲と薩摩に一体何の関わりがあるというのだ。」
「東雲薫は一度薩摩屋敷を訪れたことがあるそうです。
山南さんが平野国臣という男から託された書状を西郷に渡した際に同席したと聞きました。」
同じく部屋にいた藤堂が意を決したように告げた。
そういうことか、と得心のいった伊東は笑みを浮かべ藤堂に謝意を伝えるとそのまま、
出掛ける支度を整え始めた。
「伊東先生、まさか東雲を供に連れて行かれるおつもりですか。」
内海は伊東の後を追いかけ、問い詰めた。
「そうだ。それが先方の望みなのだ。」
「しかし、東雲は土方の小姓です。
たとえ近藤局長がお許しになっても土方が東雲の同伴を許すとは到底思えませぬ。」
「内海君、土方君は感情的なところがあるが、私心のない男だ。
必ずわかってくれる。」
では行ってくる、と大小を差して外へ向かう師を止めることができず、
お気をつけてと頭を下げ、内海は師を見送った。
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